第3話

 アージェラ・ロゼ・フォン・リーヴェルに転生して5年が経った。


 転生したてのころは、泣きたくもないのに泣いたり、お腹の下辺りがムズムズしたかと思うと初めて排泄なるものをしてカルチャーショックを受けたりとしていたけれど、今はもう人間の体にも慣れてきた。


 今日はアージェラの6歳の誕生日であり、2つ上の王太子、エリクセン・アーザイア・フォン・リーヴェラ―――通称・エリク王子―――と初めて会う日でもある。



「それにしても、人間の体になってから時間の体感が遅く感じるわね」



 そう呟きながら、本を片手に廊下を歩く。



『そりゃ、神にとっては百年や二百年、一瞬ですものね』


『シュラート!人の独り言に聞き耳を立てるなんてなんて趣味が悪いわよ!』


『ははは、すみません。ですが、姉上もよくやっていたでしょう?』


『うっ...』



 神同士の意思疎通は念じるだけで行えるので、相手がどこにいようと―――たとえ天界と下界ほど離れていようと会話ができる。

 私が人間の体をしていても例外ではないようだ。


 なので、度々天界にいるシュラートと話して暇をつぶしたり、アドバイスをもらったりしている。

 

 勿論、アドバイスというのは戦闘技術に関して。

 何かに備えて護身術を習得しようと思っているのだ。



『たったの6年がこんなにも長く感じるのは、正直言って苦痛なのよ?なんにも出来ないんですもの。最初は首も立たないし、話せないし!』


『それは辛いですね。人間って大変だ』


『そうよ、もう!なんの事前準備もなしに転生しちゃったからよ?シュラートがいきなり押すから!!』


『...だって、退屈そうでしたし...良い魂が見つからないのなら姉上が行くのが一番手っ取り早くてかつ暇つぶしになると思って...』



 シュラートの声が小さくなっていく。姿は見えないけれど、しゅんとなっているのが想像できる。



『考えは正しいけど何も押す必要ないじゃないの。もう!おやつは私が天界に戻るまで禁止よ!!』


『えぇっ!?』



 神にとって百年や二百年は一瞬なのだから、少しくらい我慢しておいてもらおう。体感時間が長くなった今、退屈で退屈で仕方ないのだから。



『あ、そうそう。今日は王太子と会うのよ』


『ほう?』


『来年、7歳の頃に両親がなくなってしまうじゃない?毒で』


『そうでしたっけ』


『そうよ。私的には王太子が鍵を握っていると思うの。』


『!!...なぜそうお考えに?』


『元のアージェラは王太子に特に気に入られているわけではなかったの。嫌われてもいなかったけれど。なんだか分からないけれどふわっとした優しい娘って認識だったのよ。』


『それと両親の毒殺に何の関係が?』


『毒を盛るよう指示したのは陸軍大将のアイザック。そして、王太子はアイザックが毒を盛ろうと計画しているのを知っていた』


『...!!』


『知っていてなお、見逃したのよ』


『それはなぜでしょう?なぜ王太子ともあろう者が犯罪を、それも自国の宰相夫婦を毒殺させるような真似を?』


『それはね、究極の面倒臭がりだからよ。毒殺だなんだの面倒事に巻き込まれたくない。阻止するのも手間がかかって面倒だから。見逃して次の宰相を選んだほうが楽ではあるから。王になんとかしてもらおうにも信用できないしね』


『面倒くさがりにも程がありますでしょう...』



 はぁ...と、シュラートのため息が聞こえる。確かに私も彼は流石に面倒くさがりすぎだとは思う。

 けれど、どんな人間をも動かすことのできる感情があることを知っているのよね。



『私はね、優しくなんてしないわ。元のアージェラと同じ道は歩まない。』


『優しくしない?』


『そう。最高に悪い女になって王太子に恐怖を植え付けてやるのよ。私を怒らせてはいけないって、心の底から怯えるようにね。』


『.........姉上にできるんでしょうか』


『え?』


『い、いや!!なんでもありません!ご武運を』



 シュラートが途中呟いていたことはよく聞こえなかったが、気にしないでおくことにした。

 恐怖と怒りはどんな人間をも突き動かす。これは人類が誕生した頃から変わらない、不変の原理。

 

 今日は私の誕生日ということもあり、屋敷中がドタバタしている。飾り付けや、御馳走、その他諸々。とても忙しそうね。


 使用人たちが慌ただしく奔走している中、主役の私は自室でのんびりと本を読んでいた。



「あら、ここで騎士がお姫様を...!そして口づけを...!そして結婚...!あらあら、人間っていうのはロマンチックね!」



 天界にいる友人の恋愛神を思い出しながら、クスリ、と笑った。

 恋愛神はいつも恋の素晴らしさをお茶会の度に語っていた。未だ誰かを好きになったことのない私は、いつも彼女の話を御伽噺のように思っていた。



「私も、いつか誰かを好きになることができるのかしら...?もしかしたら人間界で...なんて!ふふっ」



アージェラが楽しげに本を読んでいると、ノックとともに使用人が入ってきた。



「アージェラ様、お支度をする時間ですよ。」


「わかったわ、シェリー」



 ニュートラルブラウンの髪を肩で揃えた、目の大きな可愛らしい使用人。それがシェリーである。

 シェリーは私のお付きで、身支度などは全て彼女が世話をしてくれる。



「私、全力でお嬢様を絶世の美人にいたします!」


「ふふ、張り切りすぎよ」


「今日は王太子殿下がお嬢様のお誕生日会にご出席してくださるのですよ!使用人の腕がなるというものです!」



 髪や顔をいじられること数十分。腰ほどまであった紫紺の髪はハーフアップにされ、小さく三編みが施されていて、珊瑚朱色のメッシュが引き立てられている。

 メイクは、琥珀色の瞳を引き立たせよう!と、リップだけ透明の潤いのあるものを塗られた。あとは自然体ね。



「どうでしょう?」


「すごいわ、シェリー。メイクの腕は世界一じゃない?」


「うふふ、お褒めに預かり光栄です!では、次はドレスを選びましょう!!」

 


 あれこれドレスを引っ張り出されて試着すること数時間。



「『ルリエ・ブジョワール』の『純情』シリーズものです!これこそお嬢様にぴったり!どうでしょう?」



 『ルリエ・ブジョワール』というのは、この世界の有名ブランドで、主にドレスを制作している。ほかにもバッグなどの小物や、帽子、殿方のアクセサリー等々。

 また、『ルリエ・ブジョワール』のドレスのなかでも特に希少、かつ凝ったデザインのものはシリーズで出される。

 

 今回私が着るのは『純情』シリーズ。幼い少女が背伸びをして大人のように落ち着いた雰囲気をまとうような、そんな可愛らしさのあるデザインシリーズになっている。



「かわいいわね。色合いが落ち着いていて好みだわ!」


「それは良かったです!アージェラ様の髪色にもよく合っていますよ!」



 ドレスの色は淡いピンク色で、リボンは控えめにつけられている。


 天界...サンサーラとして存在していた時は、基本的に白、黒、金の三色を使った服を好んで着ていた。

 理由としては、それらが輪廻転生を意味するというのと、自身の白銀の髪に一番映えたから。

 そして...人間に神聖な雰囲気を感じさせることも目的だった。


 なので、ピンクや青などといった色合いの服は着たことがなく、その新鮮さに心躍る。



 目指している悪役令嬢としてはあまりいい色合いではないかもしれないけれど、5歳で淡い、落ち着いた色のドレスを着ているもの。フレッシュな色ではないから、私が上手く悪役っぽく振る舞えば問題ないわよね!



 シェリーにお礼を言った後、準備が整ったとの報告があったのでシェリーとともに部屋を出た。


 上機嫌で廊下を歩いていると、花瓶の横に見慣れないオブジェがあることに気がついた。



「あら、こんな変なオブジェうちにあったかしら?」


「............失礼だなぁ...」


「!!?」



 そのオブジェはゆっくりと動き出し、アージェラと目があった。


 え、人間だわ!やだ、気が付かなかった!!



「え、え!!で、ででで!!!」



 シェリーが口元を両手で覆いながら動揺している。



 でででで?でんでんむし?




「殿下!!!」



......あ!そういえばこの死んだ魚のような目の人間は!あの面倒くさがり王太子!!



 パーティー前に置物のように廊下の端で座り込んでいた王太子を見つけてしまった。

 かわいいドレスで上機嫌になっていたので、弾むような足取りで歩いていたところを見られたかも、と思うと.........見られていた場合は早くも悪役令嬢失格ね...


どうしましょう...みられた?上機嫌でスキップしてるのみられた??ん〜もう!ここは取り敢えず!!



「あら、道端の石ころかと思ったわ。ごめんなさいね?まさか一国の王子がこんなにしょぼ――ゴホンッ!影が薄――オーラが薄汚れ――あ!大人しいとは思わなくて。おほほほほ―――!!」

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