先生、わたし死んでるんです。

落光ふたつ

先生、わたし死んでるんです。

「先生、わたし死んでるんです」


「はあ。死んでいる、ですか」

「はい。死んでるんです」


 わたしの訴えに、先生はなんだか困ったような表情を浮かべる。

 けれどわたしはどうしてもこのことを伝えたくて、真っ先に顔を思い浮かべたこの人の所にやって来たのだ。


「死んでいる、とは亡くなっている、逝去していると同義の?」

「はい。同義のです。決して『シンデルン』という名義で芸能活動をしているわけではないので、勘違いしないでください」

「まあ、勘違いはしていませんが」

「あ、そうでしたか」


 ならば安心安心。

 というわけにもいかず。

 わたしの言葉に対して先生はやはり、信じられない、疑わしい、と言った感情を抱いているようだった。


 先に言っておくが、わたしはなんて事のない平凡な高校一年生である。


 家庭環境が劣悪だったり、巨悪の陰謀に巻き込まれていたり、ましてや世界の運命を背負って戦っていたり、なんてした事のない——なんて事のない一般的女子だ。

 自分で平凡と言って、果たしてそれがどれだけ信用たる言葉なのかは、わたし自身でどうしても分かりかねることだけれど、それでも強く断言する。


 わたしは平凡だ。


 なにより、わたしのクラスメイトには少なくても、わたしよりも特色のある人間が、12人はいるのだ。

 特色がある、というより、髪色があるのだが。

 12人。見るからに髪を染めている同級生の数だ。

 ピンクから白髪まで。いや白髪は染めていないのかもしれない。早老というのかも。それはそれで個性的だけれど。

 そんな個性豊かな同級生に囲まれて、入学して一週間ながらわたしはクラスの中で埋もれていることを実感している。

 つまりわたしはその程度の人間なのだ。


 とまあ、別にわたしが他に対して突出していない人間であることを論じるのは、正直あまり意味はない。

 わたしが伝えたいのは何よりも、死んでいること。


 わたしが、死んでいることだ。


「えっと、夢でも見たのでしょうか? あるいは映画や小説。物語に没入するあまり自分の体験だと勘違いしてしまったとか?」


 丁寧な口調で先生がわたしの言葉の真実を探ろうとする。

 けれどわたしは首を横に振った。


「いえ違うと思います。わたしが死んだんです」

「はあ、あなたが、死んだんですね」


 確認するように繰り返した先生の眉尻は下がっていた。

 先生はスクールカウンセラーだ。

 生徒の悩み事とかを聞いてくれるあの先生。非常勤で週に何度しか来ない教員だ。

 よく聞くのは女性が多いけれど、目の前の方は男性。初めて見た顔はまだ若く、女子生徒から人気がありそうだ。

 スクールカウンセラーだからこそ、生徒の相談は無下にできないらしく。

 職務を全うしてくださる先生は、わたしの意見を否定せずに耳を傾けてくれる。


「……すみません。正直どういう意味なのか分からないので、詳しいことを教えていただけますか?」

「えっと、わたし、死んでるんです」

「それはさっきも聞きました。なぜ、そう思うんですか? 根拠は?」


 聞かれてわたしはここで初めて、自身の記憶を整理する。

 なんてたってわたしがここに来たのは衝動的だ。

 見えない何かに駆り立てられて先生を訪ねた。わたしの胸の内を知ってほしかったのだ。

 それではなぜ、わたしは死んでいると思い込んでいるのか。


 根拠、根拠……。


 そう探ってみて、浮かんだのは一つだ。


「……記憶が、あります」

「記憶ですか?」

「はい。わたしは一度、死を確かに味わっているんです」

「となると、今のあなたは幽霊と言うことですか?」

「いえ、足はあります。この部屋に入る時だってノックして扉を開けて入ってきました」

「ええ、それは私も見ています。それでは今のあなたはどういう状態なのですか?」

「何と言いますか、生き返った、というか……?」


 自分で発した言葉に、なんとなく違和感を覚える。

 近いけど少し外れているような、そんな気がする。

 けれど上手くあてはまる言葉が見つからない。

 そもそも、当てはめられる記憶もあいまいだった。


 なぜ死んだのか。どうやって今生きているのか。それもよく分からない。


 ただ、死んだという事実だけは覚えている。


「それではやはり、夢ではないんですか? 命を落とす悪夢を見て目が覚めたとか?」

「確かに、わたしは直前まで教室でうたたね寝をしていました。けれど、夢じゃありません。現実なんです」


 やはり違う、とわたしは変わらない主張を続ける。

 するとさすがの先生も、頭に手を当てて、どこか投げやりに話を進めた。


「それではあなたの言葉が正しいとして、あなたは一体、何に困っているんですか?」


 そう問われて、とっさに言葉が出てこなかった。


 困っている?

 わたしは困っているから先生にこのことを伝えたかったのだろうか。

 死んでいることを? 死んで、生き返っていることを?


 傷も痛みも何も覚えていないこの体でいるわたしは、何を困ることがあるのだろうか。

 言葉に詰まっているわたしに先生は、まさに先生らしく答えを誘導するように問いかけを続けて投げてくれる。


「友人に話して信じてもらえないことが悔しかったとか?」

「いえ、そもそも話したのは先生が初めてです」

「死んだ理由が誰かによるものだとして、その憎しみを晴らしたいとか?」

「違う、気がします」

「それでは、非現実な体験を共有したかった?」

「……違います」


 どれもピンとこなかった。

 先生の質問は、スクールカウンセラーなだけあって適切だと思うし、語り掛けはとても穏やかだ。

 あんなことをする人とは思えないほどの、とても生徒想いな先生だった。


 ……あれ? わたし今、なにかおかしなことを思い浮かべなかったか?


 自分の思考に引っかかりを覚える。

 けれどあっという間にめぐる脳内は、過ぎ去った違和感を掴むのに一苦労した。

 わたしは思わず頭を抱える。


「大丈夫ですか?」

「あ、すいません。大丈夫、です」


 顔を上げて、心配ないと先生を見返す。

 すると先生は、ほっとした笑みを浮かべた。

 とても端整な顔立ちだ。女性なら見かければ名前を訪ねずにはいられないだろう。


 あれ?


 わたしは今更になって、これまでの自分の行いの奇妙さに気づく。


「先生、お名前、何でしたっけ?」

「え? ああ、確か一年生でしたね。まだ入学してきたばかりですから、顔合わせもしていませんでしたものね」


 当然のごとく先生は微笑みを浮かべる。

 それは、やっとまともな会話に戻ったことへの安堵だったかもしれないけれど、そんなことはどうでもいい。

 やっぱり、おかしいのだ。


「自己紹介が遅れました。恒松です。今更ではありますが、初めまして。今後もよろしくお願いします」


 握手を求める先生。

 それを握り返さず、わたしは先生の綺麗な瞳を見つめたまま、自分の行動を振り返る。

 わたしは、なんでこの先生を訪ねたんだっけ?


 ——顔なじみで話しやすいから?

 違う。今、先生が初めましてと言ったじゃないか。

 ——相談と言えばスクールカウンセラーだから?

 違う。わたしは最初に思っていたはずだ。


 真っ先に思い浮かんだ顔だったから。


 先生とは今さっき初めて言葉を交わした。

 この顔だってここに来て初めて知った。

 そうだ、初めて会っているんだ。

 でも何で、真っ先に思い浮かんだ?

 わたしは、何を伝えようとしていた?


 鼓動がはやる。得体のしれない焦りが、体中から汗となってあふれ出る。


「……あ、違う」


 わたしが伝えたかったのは、先生に、じゃなくて、


「……先生が、殺したんだ」

「……どういう、ことですか?」


 優しい問いかけは変わらない。

 でもわたしの体は、その裏にある顔を知っていて、震え出していた。


「先生が、わたしを、そして、皆を殺したんだ」


 積み重なる死体。

 広がる血だまり。

 逃げようとした生徒の胸を突き。

 助けを呼ぼうとした教師の喉を裂き。

 勇敢に立ち向かった大勢の頭を潰した。


 思い出された映像が鮮明に、わたしの心を揺さぶる。

 驚愕で目を見開く私の正面、先生は不思議そうに小首を傾げた。


「はて? まだ予定は誰にも——


 閃く刃を最後に、ぶっつりと途切れる。

 思考も視界も音声も、そして命すら。

 わたしは、また死んだ。



「はっ!? あ、あれ? わたし、生きてる……?」


 目を覚ますと机の上だった。

 一年三組。

 わたしのクラスだ。周りに同級生はいなくて、時計を見ればもう17時。

 みんな帰ったんだろう。


「わたし、死んだよね……?」


 不意に湧く疑問。死の自覚だけが記憶の中を満たしている。

 そして次には焦りが体中から溢れ出た。


 誰かに伝えないと。けど何を?

 ああ早くしないと。けど誰に?


 頭の中がぐちゃぐちゃだ。

 それでも成し遂げないといけない使命があって、わたしの足を意思に関係なく動かす。

 教室を飛び出して、わたしはとにかく駆け出した。


 真っ先に顔が思い浮かんだ人の下へ。

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