落日の嵯峨野 第8話
「とりあえず一樹と合流しよう」
「そうだね、怪異化したここの式神を一人で相手にするのは僕だけじゃ無理だしね」
二人は壊された玄関から建物内に入り、手前から順々に調査を開始した。
何かと争ったと思われる痕跡や経年劣化で傷んだ廊下や部屋などを見て回る。部屋や廊下によっては傷みも少なく綺麗なままだ。瘴気や穢れも滞留している場所もあれば、まったく影響を感じない場所もある。
応接間と思われる広間に着いた頃、国行は盛大にため息を吐き、隣の光琳に確認するように訊ねた。
「無駄に広いと思わないか?」
「広すぎるね。外と中でこうまで違うのは変だ。それにここ––」
「見取り図にない建物、だな」
肥前邸と嵐山の拠点で確認した拠点の見取り図には、建物は玄関棟と三階建ての主屋、庭奥の茶室、道場が書かれていた。間取り図の資料もあり、部屋数は十部屋しかない。現状、確認しただけで倍の二十部屋もある。
国行は腕組みすると、明かりが差し込む廊下の先を見た。
光琳は周囲を見回しながら、のんびりとした口調で言う。
「怪異の仕業か、他の仕業か。厄介だね」
「何かの影響でこの建物が存在しているのなら、瘴気と穢れの滞留も部分的に綺麗な場所が存在するのも納得できる。ここはきっと、作り出された不完全な異空間だ」
「だとすると、どこかに抜け穴があるかもね」
「ああ。だが、異空間を作るような術となるとかなり強力な術士でも難しいぞ。拠点の機能の中にはそんなものなかったしな」
「可能性として考えられるのは?」
問われ、国行は眉間に皺を寄せた。
「ここまで精巧な異空間を作り出すのは現代の術士には無理だ。術式が複雑すぎて維持できない。そうなると、考えられるのは妖になるが、幻術を得意とする妖狐や古狸に使える奴がいるのを聞いたことがない。残るは怪異だが、こんな空間を作り出せる怪異なんて早々いない」
廃屋や廃墟に住み着く怪異はいるが、そういった存在が異空間を作り出した事例を国行は聞いたことがない。
光琳も思い当たる節がないらしく首を傾げている。
「そんな怪異がここに居たとしたら、僕らは怪異の手の中、いや肚の中かだね」
「怖いことを言うな」
ふざけた口調で言った光琳に国行は苦言をこぼした。
そっと、国行は腰に下げていた小さな鞄からカードほどの大きさの紙を取り出し、廊下の先へ飛ばした。
すーっと、空を切るように飛んだかと思うと、床に落ちる前に小さく爆発した。紙切れの火の粉が舞ったかと思うと、耳障りな甲高い悲鳴が廊下に響いた。
廊下に差し込む明かりが視界の邪魔をし、影に潜む存在を隠していた。その存在に気づいた国行が仕掛けたのだ。
爆発と降りかかった火の粉に驚いた毛むくじゃらの怪異がバタバタと動き回る。
「せい!」
と、気合を入れて光琳が真上から怪異に向かって短刀を振り下ろす。床板すら貫く勢いで振り下ろした短刀は、怪異の首と思われる部分に突き刺さる。大きく痙攣した怪異の体を光琳は空いている手で頭を押さえつけ、右手を大きく振り抜き怪異の首を掻っ捌いた。断末魔すらあげられないまま、怪異の体が霧散する。
そのまま、光琳は視線を前方に向けると、大きく一歩を踏み込む。姿勢は低いまま、頭上を短刀で空を斬ると、ゴトンと重たい音を立てて真っ黒な右腕が床に転がった。
光琳は姿勢を低くしたまま廊下の先へと駆け出す。
その背を、一拍遅れて国行は追いかけた。
「相変わらずの手際だな」
近距離戦闘が得意な光琳の戦い方は一見力任せで大雑把、そして残酷に見えるがもっとも効率的な戦い方だ。一撃で確実に敵を仕留めることに特化しているのだ。そのための強靭な力と瞬発力、柔軟性があるからこそなせる技だ。
自分には無理だ、と国行は光琳の技倆を見る度に思ってしまう。
廊下を抜け外廊下に出た瞬間、国行はぎょっとした。
全身真っ黒で腕だけが異様に長く、首がグラグラと不安定な怪異を光琳が池に蹴り飛ばすところだった。強烈な一撃を腹部に叩き込み、派手な水飛沫をあげて怪異が池に沈む。
国行は光琳の横に立つと素早く訊ねた。
「怪我は?」
「ない」
端的に告げられた言葉は異様な緊張感を含んでいた。
無理もないと、国行は思った。資料や人伝に聞いたことはあるが、初めて見る怪異だった。
池を睨みつけながら光琳は聞いた。
「影形、で間違いない?」
「ああ。こんな所でお目にかかるとは思わなかった」
人の残滓が寄り集まり、瘴気や穢れの影響を受けて生まれた怪異。人になろうと人間なら老若男女問わず取り込む。取り込んだ人間の似姿に体を変え、次の人間を襲う。発生率が最も低く滅多に遭遇することのない怪異だが、極めて厄介な怪異でもある。取り込んだ人間の数だけ再生するうえ、本体と呼ばれる存在は物理攻撃が効かないとされている。
「七年間人間は喰っていない本体の状態だけど、僕の攻撃効くの?」
「効くことは効くとだろう。とりあえず、時間を稼いでくれ」
国行は鞄から折りたたんだ札を取り出す。
「何分?」
「十分」
光琳は小さく笑うと、片手を腰に当てた。
「十分で討滅できたら、誰も苦労しないよね」
「まともに討滅しようと思うから梃子摺るんだ。結合した物質をバラして再結合させないようにすればいい」
「どうやって?」
心底不思議そうに茶色の目を光琳は瞬かせた。
国行は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「片方を消せばいい。来るぞ」
池から黒い液体が滲みでるように地面に染みができる。それが盛り上がり、人型を形成する。光琳が切断したはずの右腕は元どおり再生していた。のそり、と一歩歩くとぐらりと首が揺れる。落ち窪んだ三つの穴は口と目だろうか。
国行は細く息を吐いた。
土地に残る穢れや瘴気だけで形成されているのなら、それほど脅威ではない。問題は初見で相手の行動が推測できないと言うことだ。
「とにかく、土台作りが先決だな」
晴雨に立つ 霜月 結心 @humizuki-0114
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