落日の嵯峨野 第7話
足場の悪い雑木林と化した庭から整備不足の石畳の道に出ると、国行は疲れた様子でため息を吐いた。一通り周囲を見回ったが、目立った異常は見当たらず、放置された年月分の荒れ果てた庭があるだけだった。
国行はジャケットの袖を捲りながらじっと母屋を見詰め、周囲を観察しながらゆっくりと背後の門を見た。無理やり抉じ開けたように門の左扉に亀裂が走っている。
「開ける時は反発がなかったのにな」
なんでこんなことになったんだと、頭を抱えたくなった。
がさがさと茂みを掻き分ける音が聞こえ、国行は自分が出てきた茂みとは反対側に視線を向けた。
七部丈のズボンにシャツと薄手のパーカー、登山靴のような頑丈な靴といった格好をした光琳が、黒髪についた葉や草を払いながら出てきた。少し小柄な体で且つ穏やかな顔立ち、見ようによっては可愛らしく見える青年だが、実際はこういった状況下では一番逞しい。事実、既に怪異と遭遇して勝ったのか、片手に何か持っている。
「いたか?」
「いない。完全に逸れたね」
ズボンの裾を払うと、光琳は困った様子で壊れた門に視線を向けた。
「妨害はなかったんだよね」
「ああ。何か別の術がかかってたわけじゃないしな」
「それなら僕にもわかるし、嵐山の報告だと拠点の防衛術式も稼働してないって言ってたしね」
「そうだな。ところで、その手に持ってるのはなんだ?」
「これ? 確認されてた怪異の本体じゃないかな」
言って、光琳は持っていた物を国行に見せた。面の一部だとわかるが、それ以外はわからない。
「どんな奴だった」
「翁の能面だよ。意外に頑丈で驚いたけど、手負いだったみたいで三撃目で破壊できた」
「翁の能面?」
国行は首を傾げた。椎名から渡された資料の中に書かれていた怪異だ。封鎖前に発生したらしく、特徴は書いてあったが怪異の特性では書かれていなかった。
光琳は破片を裏返すと、わずかに眉を潜めた。何か見つけたのか、一箇所を爪で引っ掻き表面の紙を剥がし始めた。
「何やってんだ?」
手元を覗き込むと、裏側の表面が五百円玉程剥がされていた。その剥がれた部分から墨で書かれた文字が覗いている。出てきた文字に国行は目を見張った。
式神を作るための術式だ。それも術士なら誰もが知っている凡庸型の術式だった。強力な式神を作る術式ではない。せいぜい小間使い程度の式神しか作り出すことができないものだ。
「これ以外の破片は?」
「塵になって消えた」
「消えたって……」
そこまで言って、国行は考え込んだ。
隣に立つ光琳はある程度剥がしたところで手を止め、現れた文字をまじまじと見詰めた。
「これ、凡庸型式神の術式だよね。術士なら誰でも知ってる術式を消す理由はなんだろう」
「知られたくないことがある時だな」
「じゃ、この場合だと製作者が誰かってことかな」
「かもな」
二人とも納得いかない顔で互いを見た。
製作者を知られたくないと言っても、この場合考えられるのは拠点を管理していた術士だけだ。資料の中にあった拠点の活動記録では、どうやらこの拠点には他に術士が配属されておらず、訪れた術士に活動拠点として部屋を提供していた記述しか残っていない。封鎖直前の記録には、滞在していた術士は一人もいなかった。
国行は「とにかく」と呟くと、母屋を見た。
「ここで突っ立っててもしょうがない。母屋を調査しよう」
「これはどうする?」
破片を目線の高さまで光琳は持ち上げる。
「預かっててくれ。ただの面の破片だから」
「わかった」
光琳はズボンのポケットに無造作に突っ込むと、母屋に向かって歩き出した。
中天を少し通り過ぎただけの太陽が無慈悲に照りつけてくる。ジリジリと焼きつけるような日差しが肌を焼くはずなのに、その暑さも熱気もない。風もなく、蒸し暑さに汗を掻くはずなのに、ねっとりとした息苦しい暑さを感じない。
着いた母屋の玄関を見て、国行は眉間に皺を寄せた。
破壊された玄関扉の破片があたりに散らばっている。かろうじて原型を留めている一部の破片は何かで斬られたように綺麗な切断面だが残っている。大半は鈍器で壊した様な破片が転がっている。
光琳はじっと破片を観察し、次に玄関周辺へと視線を向けた。ある所で立ち止まると、何かを確認するように指を折って数を数え始めた。
国行も注意深く周辺を観察していると、光琳に呼ばれた。
「国行。ここのいる怪異は一応四体だよね」
「お前が一体倒したから三体だけどな」
「これを見る限りまだ四体いる。確認されている怪異以外にもう一体」
「何?」
光琳が観察している右側の壁に近づくと、漆喰の壁と木製の柱に無数の傷があった。大きな刃物で抉ぐるように付けられた傷と、鋭利な刃物で付けられたような細い傷が刻まれていた。足元に視線を向ければ、土が抉られた跡がある。
光琳は壁に付けられたそれぞれの傷を指差して説明した。
「こっちの細いのは刀傷で、この大きのはおそらく大太刀か薙刀が付けた傷だ。大きな傷跡を付けた何かは豪腕剛力で、この鋭い傷跡の方は恐ろしく熾烈で鋭利だってことだね」
「熾烈で鋭利? どういう意味だ?」
「相当な手練れってことだよ」
傷跡をそっとなぞりながら光琳は言う。
国行は顎に手を当て、思案するように考え込んだ。
「最後に確認された時にいたのは刀剣の式神三体で、その中に大太刀や薙刀はいないぞ」
「なら、封鎖される直前に外から持ち込まれた式神かな。封鎖後は術のせいで外から式神も怪異も入れないからね。だとすると、あの報告書にはミスか漏れがあるのかな。まぁ、今はっきりわかるのはもう一体未確認がいるってことだけかな」
少し困ったように光琳は笑った。
光琳はこう言った戦闘の痕跡や争った跡から情報を読み取るのが上手い。彼の特性を考えれば、知ることで戦闘において優勢を取れるからだ。国行にはただここで何かが戦ったことくらいしかわからない。
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