落日の嵯峨野 第4話

 高野光琳はちょっと困惑していた。

 座卓を挟んだ向かいの席に座る友人––櫻井一樹が微動だにせず、手元の資料を食い入るように見詰め、一言も喋らなくなったからだ。その隣に座る弟の国行は眉間に皺を寄せて顔を顰めている。

 そっと、光琳は二人の背後に見える庭に目を向けた。緑が深まった見事な日本庭園を眺めながら、生菓子とお抹茶でも飲みながらのんびりと過ごせたらどれだけよかっただろう。

 大学の課題や中間試験に追われた週末を乗り越えて訪れた貴重な休日に、唐突に上司から呼び出されたのが朝の八時過ぎ。京都の入り口の一つである粟田口の近くにある肥前邸を訪れれば、妙な資料を渡された。資料に目を通した二人が揃いも揃って怪訝な表情を浮かべ、読み終わる頃には動かなくなってしまった。

 二人の反応に、光琳は内心でそっと納得する気持ちでため息を吐いた。

 手渡された資料は七年前に封鎖された嵯峨野にある拠点に関するものだった。封鎖の経緯は管理者である術士が怪異に殺され、契約していた式神が暴走し怪異に堕ちたことが原因と記されている。当時、暴走した式神を封印もしくは破壊を試みたが失敗し、対処に当たった手練れの術士四名が重傷を負い引退することになった。これ以上の被害を出さないために拠点は封鎖された。その後の記述は拠点の状況に関する内容で、七年前から変わっていない。定期的に式神を使った調査を行っているのか、今年の四月までの記録が載っており、『変化なし』の一言でまとめられる内容だ。

 定期調査に漏れがあり再調査のために呼び出されたのかと始めは考えたが、どうも違うと光琳は思った。定期調査の報告書にはすでに『完了』の印が押されている。他に考えられるのは現地調査と討滅任務だが、そもそも嵯峨野に拠点があることを光琳は知らなかった。上層部が隠していた拠点に関わる任務は大概ろくでもない案件なのを、光琳を含めこの場にいる全員が身を以って知っていた。

 三人の心中など気にした様子もなく、光琳たちを呼び出した張本人である男は上座に座り、微笑を浮かべながら言った。

「さて、資料に目を通してもらって早々で悪いが、取り掛かって欲しいことがある」

 男の名は椎名春馬。年は三十歳前半で、紺色の着流しを着、癖っ毛の髪にすっきりとした目鼻立ちの男だ。愛嬌を感じる微笑みで気さくに話しかけてくるが、知り合いの間では何を考えているかわからない奴という評価をもらっている。

 椎名は三人に手渡した資料と同じ物に目を向け、『機密』と印が押された表紙を捲って概要頁を開く。

「君たちには封鎖された拠点に放置された式神本体の回収または破壊をお願いしたい。七年も顕現しているとは思わないが、拠点敷地内の状況を考えると別の怪異が発生していてもおかしくない。ついでにその怪異も討伐してくれると助かるかな」

 簡単な仕事の打ち合わせのように気軽な口調で話す椎名に、国行が困惑しながら訊ねた。

「あの、椎名さん。質問してもいいですか?」

「何かな?」

「この案件、俺たちに見せていいんですか? 正五位以上の術士が閲覧できる案件ですよね」

「そうだったか? まぁ、君たちなら大丈夫じゃないかな。なぁ、一樹」

「なんで俺にふるんだよ」

 呆れ顔で一樹が呟く。

 一樹は黒髪にすっきりとした涼しげな目元をした精悍な顔立ちの青年だ。身体つきも武道に携わる身から無駄なく引き締まっている。纏う雰囲気も大学生とは思えない落ち着きがあり、実年齢よりも年上と勘違いされることが多い。

 椎名と一樹は十歳程年齢が離れているはずなのに、隣に立つと歳の近い兄弟と勘違いされることもしばしばある。それは付き合いが長いだけではなく、気心が知れた安心感からくる親がにじみ出ているのだろう。

 呆れている一樹に、椎名は不思議そうに首を傾げた。

「正五位以上の資格を持っているのは一樹だけだろう。二人を補佐につければ問題ないと思うが」

「俺は特例認定で正式な資格を持ってない。まぁ、春馬の采配なら問題ないだろうけど」

 その言葉に椎名は愉快そうに笑った。

「わかってくれるか。仮に誰かがとやかく言ってきても、適当にあしらえばいい。京都一帯を預かっているのは私で、采配の権限も開示許可も私が出したなら誰も文句は言えない。ということだから気にしなくていいぞ、国行君」

「……そうですか」

 本当に大丈夫なのか不安に思いながら、国行は頷いた。

 椎名の言葉は豪胆で怖いもの知らずに聞こえるが、実は恐ろしく計算高いことを光琳は一樹から聞かされていた。

 各地で発生する怪異事件を対処する術士を統括する責任者、通称守護と呼ばれる地位に就く男だ。それも千年の都と呼ばれる京都一帯を担当していることから、実力は言わなくても知れている。二十七という若さで任命され、五年近い実績と経験がある。その期間に目立った大きな事件は起きておらず、平穏安泰を維持していることから他の守護からも高く評価されている。

「あの魑魅魍魎の巣窟、千年の魔都でよくやっているよ」

 と、評価したのは大和地域を統括している守護の言葉だ。

 会話を聞きながら黙って資料に目を通していた光琳が、おやと首を傾げた。

「本体の回収または破壊はいいけど、怪異も討伐って言うなら数は確認してるんだよね」

「確認できてるのは四体だけだが、それ以上いるだろうな。何せ、拠点管理者の術士が殺され、その式神が暴走して封鎖された拠点だ。荒れ果てているのは当然、怪異が発生していると考えるのが普通だ」

「じゃ、十年規模の怪異がいるってことか。厄介だな」

 言って、国行は眼鏡を外して目頭を揉んだ。眼鏡を外せば美青年と評価される国行は細身の青年だ。顔を見られるのが嫌で昔は髪を伸ばして隠していたが、煩わしくなり伊達眼鏡に変えた。

 国行のぼやきに、一樹は苦笑をこぼした。

「十年なんて赤子みたいなもんだろう」

「京都基準で考えんな。ただでさえ京都は邪気やら穢れが溜まりやすいんだぞ。どう変化してるか……」

「幕末の志士よりは小物だからいいじゃないか」

「それはそうだけど、厄介なのは変わらない!」

 一樹が茶化すように笑いながら一月の事件を持ち出すと、国行はうんざりした口調で言い片手で顔半分を覆って盛大なため息を吐いた。極寒の真冬の京都市内での大騒ぎは一生忘れられない。

 そんな二人のやりとりを見ながら椎名は笑み混じり話を戻した。

「まぁ、とにかく通常装備に予備をいくつか持っていくくらいで大丈夫だと思うから、嵐山の拠点で状況を聞いてから」

 取り掛かってくれ、と言葉を続けることができなかった。椎名は言葉を切り、部屋の入口へと視線を向ける。

 慌ただしい足音を立てながら誰かが廊下を駆け、部屋に駆け込んできた。

「お話中すみません! 火急の知らせです!」

 邸を警備している術士の男だった。余程慌てていたのか、手に持った手紙がくしゃりと握られ皺になっている。

 椎名は男から手紙を受け取り下がらせると、皺になった手紙を広げて内容を確認した。読み終わると驚いた様子で目を見張り、次いで口元に愉快そうな笑みをこぼした。

 その様子に三人は何か厄介ごとが増えたことを瞬時に察した。

 椎名は三人に見えるように手紙を座卓の上に置くと、平然と言った。

「悪いけど、追加で落し物の調査も頼む」

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