三十八 風習の歴史

 だが、その隆盛の裏で、いくつかの問題が起こった。

 シラカダ様は、朽無村に御加護を与えてくれる尊い存在であると同時に、一歩間違えれば災厄をもたらすという危険な存在でもあった。

 その理由として、白蛇の面——シラカダ様の神力があった。

 白蛇の面を付けて、シラカダ様を身体に憑依させている人間に睨まれると、神力によって身動きが取れなくなってしまうのだ。指一本動かすことも、息も、瞬きすらもできないほどに。そうなったが最後、大の男だろうと、煮るも焼くもシラカダ様の自由になってしまう上に、身体の弱い者——特に子供は、命を落とした。

 一度、まだ少女と呼んでも差し支えないくらいの年頃の娘を宵の儀に参加させたことがあったが、シラカダ様と対面した途端に泡を吹いて倒れ、そのまま死んでしまった。シラカダ様の神力は、子供にとって耐え切れるものではなかったのだ。結果として、施しを行えなかったシラカダ様はお怒りになり、その場にいたカワヅの当主たちを死傷させた末、村はまた不作が続いたという。

 それを受け、宵の儀の際には、川津と河津の当主たちが必ず見張り役として、施しが行われる筵を囲うように車座で座るようにするのに加え、壁のぐるりに棚を設けて、木槌や鉈をずらりと並べた。建前としては、一筋縄の制作に使う道具を飾り立てているということにして、万が一危険な状況に陥った際に、いつでもシラカダ様の背後にいる――身動きの取れる誰かが道具を手に取り、依り代役の人間を後ろから、多少の怪我を負わせてでも止められるようにしたのだ。

 それだけでなく、完全に大人として成熟した娘でなければ、そもそも宵の儀に参加させないようにした。朽無村の未来を担う若人を失うまいと、一人でも不要な犠牲者が出ないように努めたのだ。

 そして念の為に、村の子供たちにも、きつく言い聞かせた。

 シラカダ様は、大人にならなければ対面することができない神様なのだ。子供の内に会ってしまうと、それはそれは酷い罰が当たる。

 だから、絶対にシラカダ様のお社には近付いてはならん、と―――。




 ……これが、この朽無村と、サトマワリと、それらの起源となったシラカダ様の全容だ。

 信じられないかもしれないだろうが、シラカダ様——人知を超えた力を持つ、神と言うべき超常的存在は、実在するのだ。自分たちは、実際にそれを身をもって体感してきた。だからこそ、サトマワリという伝統は現在に至るまで、形式を変えずに脈々と続いている。

 ……いや、ひとつだけ、形式を変えたものがある。

 それは、馬酔木の煎じ薬だ。

 どういうわけか、シラカダ様は年々、神力が弱まっていったのだ。それは祖父の代の頃から始まり、親父の久巳が当主に代替わりした頃になると、豊作こそ、もたらしてくださるものの、それは以前のような大々的なものではなくなったという。

 それは、白蛇の面の力も同様だった。以前は睨まれるだけで身動き一つとれなくなるほどの力があったが、今となっては、睨まれても気をしっかり持っていれば、どうにか身動きできる程度に成り下がってしまった。

 これによって、宵の儀を執り行うのが困難になった。以前は有無を言わさず、嫁御である娘たちに施しを受けさせられていたが……。ある年のこと、シラカダ様の神力が嫁入りをしてきた娘に通じず、施しを拒否しようとしたことがあった。結果として、お怒りになったシラカダ様が娘を縊り殺してしまい、宵の儀は失敗に終わった。例によって、その年は田の不作に見舞われた。いくら力が弱まっているとはいえ、災厄は災厄。村にはしばらくの間、冬の時代が訪れた。

 その失敗を受け、親父はどうにか宵の儀を問題なく遂行しようと思案した。祖父が早死にし、若くして川津の当主となった親父は、重圧を感じながらも、村の為に身を粉にして解決策を探し求めたのだ。

 そして、その末に、朽無村の山に昔から多く自生していた馬酔木に目を付けた。

 馬酔木には、葉、茎、根に至るまで毒がある。読んで字の如く、馬が食べると酔ったようにふらついてしまうほどの強い毒が。

 もし、それを人間が摂取すると、死には至らないまでも、腹痛や吐き気、呼吸困難などに見舞われる。そして何よりも、手足の神経が麻痺するのだ。特に足に強く作用し、立っていられなくなるほどの症状を引き起こす。

 それを知った親父は、医学と薬学の心得がある村の者に命じた。馬酔木を煎じて、全身を麻痺させる薬を作れと。

 要するに、親父はシラカダ様の弱まった神力を、人為的な力によって後押しようとしたのだ。

 いくら心得があるとはいえ、大した道具や設備も無い時代だというのに、立派なものだ。その者は完成させた。飲んでも命に別状がなく、呼吸困難などの深刻な症状も起こらない麻痺薬を。

 もっとも、それは飲んだところで、完璧な全身麻痺には至らないものだった。せいぜい目眩や脱力感を感じて意識が混濁し、手足が動かし辛くなる程度の、麻痺薬というよりも、昏睡薬と言った方がいい代物だった。

 だが、それはあくまでも、シラカダ様の神力を後押しする為のもの。その程度の効果だろうと、問題は無かった。

 実際に、その後行われた宵の儀で、煎じ薬は見事に作用した。参加させた娘に御神酒と偽って飲ませると、娘はしばらくしてパタリと倒れ、意識を混濁させたのだ。そこへ、シラカダ様の神力が加わり……その年の宵の儀は、無事に成功した。そして村にはまた春が戻った。

 こうして、馬酔木の煎じ薬は宵の儀に欠かせないものとなった。社の周りや、朽無村の家々の庭に馬酔木が植えられているのは、これによるものだ。馬酔木を植えることは、シラカダ様のお力添えをすること――縁起の良い行いだとして、親父が村の者らに植樹を命じたのだ。

 もっとも、それは煎じ薬の原料を安定して確保できるようにする口実に過ぎなかったのだろうが……。

 これが、長い歴史の中で唯一、親父の代の頃に起こった、朽無村の伝統であるサトマワリの形式の変更点だ―――。

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