二十三 連行
それから、私たちは言われるがままに川津屋敷に連れられて行った。が、中に入ることはなく、門の所で、父と義巳さんから、今度は淡々とした詰問を受けた。
なぜ、あの場にいたのか。なぜ、あの男がお社にいたのか。何か、知っているのか、と。
先陣を切ったのは、辰巳だった。ぶっきらぼうに、自分は窓から頭原にいる私の姿が見えたので、家を出て連れ戻しに向かったのだと説明をした。それだけ言うと、私を一瞥して、むっつりと黙り込んでしまった。
私はどう言うべきか迷った挙句、咄嗟に作り話をすることにした。
朝から何気なく村を散歩していると、あの男に遭遇し、なぜかお社に案内しろと迫られた為、訳が分からないままに、ゼンマイ道を通って連れて行ったのだと説明した。自分も被害者の一員だという風に思わせて。
真実を言っても、まともに信じてもらえるはずがなかったからだ。
それに……何よりも真実を話すこと、優一くんのことを話すのが、怖かった。六年前に、お社で何があったのかを訊くのは、何か……朽無村の安寧を揺るがしてしまうような気がしたのだ。お社での、辰巳の動揺ぶりもあって。
現に、父も義巳さんも、落ち着いている風を装っていたが、酷く殺気立っていた。まるで、私の口元を睨みながら、脅しているかのようだった。
絶対に、余計なことを口走るな、と。
そんな刺すような空気の中、ボソボソと、だが、なるべく怪しまれないように説明を終えると、二人ともドッと息を吐き、父の方が、
「そうか……」
と、安堵した。
そう、安堵したのだ。実の娘が、見知らぬ男に脅されて、無理矢理一緒に行動させられていたというのに。
不自然に思ったが、それを口には出さなかった。その安堵が、何を意味していたのか。何かもっと別の、比べ物にならないほどの脅威が私に迫っていたとでもいうのかと、気にはなったが。
そんな父を尻目に、辰巳はあれこれと訊いてきた。本当に何もされていないのか、大丈夫だったのかという旨のことを、しつこく。
ともかく、大丈夫だった。別に、何も変なことはされていないと説明すると、ようやく詰問が終わった。義巳さんはまだ辰巳に何か言いたげだったが、それどころではないようで、鳳崎に殴られて赤黒く腫れた頬を押さえながら、屋敷の方へと去っていった。
「……帰るぞ。後んことは義則ん奴に任せりゃいい」
そう言う父に連れられて、立ち尽くしている辰巳を置き去りに、私は川津屋敷を後にした。去る直前まで、辰巳はじっと不安気な目で見つめていた。
義則さんと秀雄さんの手によって、気絶したままの鳳崎がズルズルと運び込まれた土蔵を。
トボトボと家に帰ると、父から「部屋におれ」と言いつけられた。大人しくそれに従い、部屋で呆然としていると、父が玄関から出て行く気配があり、しばらくして、父と母が一緒に帰って来た気配があった。
「真由美ぃ!」
母から呼ばれて階段を下りると、また、
「真由美っ、大丈夫やったとっ?本当に、何も無かったんやろうねっ?」
と、訊かれ、重ね重ね説明をすることになった。それを終えると、
「良かった……何も無かったとね……」
母も、父と同じように安堵した。やはり引っ掛かるものがあったが、それについては何も言わないことにして、
「ね、ねえ、あの人、どうなったと?」
と、鳳崎のことを訊いてみた。が、途端に二人とも俯いて、
「……いい、お前は何も気にせんでいい」
と、父の方が零し、
「あっ、真由美。お母さん、これからおばあちゃんにご飯食べさせなき、お昼の素麺を湯がいてくれん?それとも、ラーメンが食べたい?」
母が、どこか白々しい口調で提案してきた。
「……素麺でいいよ」
私はボソリと答えると、二人から逃げるようにして台所へと向かった。
程なくして十二時のチャイムが鳴り、三人で食卓に着いて昼食を摂った。私の茹でた素麺と、母が焼いた鮭の切り身と、白米と、漬物を、黙々と口に運んだ。
我が家の食卓は、普段から賑やかな方ではなかった。最近は父との仲が険悪だったこともあって、一言も喋らないなんてことはザラにあった。それに気を遣ってか、母がぽつぽつと世間話をして場を細々と温めるのがいつもの光景だった。
だが、今日はそれすらなかった。父も母も、下を向いて黙々と食べるばかりで、誰も言葉を発さなかった。父の汚らしい咀嚼音と、箸が食器を突く音だけが静かに響いていた。
が、やがてボウルの中の素麺がなくなった頃、
「……真由美、今日はもうサトマワリがある夕方まで、家を出るな」
父が、下を向いたまま切り出した。黙りこくっていると、
「お母さんたち、昼から公民館に行かんといけんき、家におらんから、おばあちゃんの面倒を見よって。いい?」
加勢するかのように、母が続けた。私は黙って頷くと、
「……公民館で、何があると?」
と、訊いた。
「別に、何も――」
「大したことはせんよ、みんなで集まって、ちょっと話をするだけ」
父を遮って、母が答えた。母は言葉の通り、なんてことないといった風を装っていたが、その微笑を浮かべた顔にはどこか、何かに対する懸念の色が潜んでいるような気がした。
昼食の後、無言で部屋に戻った私は、虚脱感に苛まれながらベッドの端に座り込んだ。
壁掛け時計を見ると、十二時十五分を指していたが、それが信じられないことのように思えた。朝から、色々なことが起き過ぎたせいで。
ここのところ、情報量に乏しい毎日を送っていたのも手伝っている。とても、半日の間に起きたとは思えない激動の連続だった。肉体的にも、精神的にも、疲労してしまっていた。
だが、それよりも強く感じていたのは、相も変わらず頭の中に渦巻くシラカダ様についての疑問と、優一くんの身の心配と――鳳崎が豹変したことへの恐怖だった。
私は、鳳崎に対して信頼を寄せていた。私を化け物から救ってくれたこの人なら、怪異に対して造詣の深いこの人なら、優一くんを救おうとしているこの人なら、頼れるのではないかと。
だからこそ、私は心の傷まで曝け出して、説明したのだ。過去に、この朽無村で起こった不可解な出来事を。
だというのに、まさか、あんな暴力的な人間だったなんて……。
私が、間違っていたのだろうか。人を見る目が、なかったのだろうか。
〝お前はまだガキだから分からねえだろうがな。人間の本質ってのは、外っ面で判断できるもんじゃねえんだ〟
他でもない鳳崎の言葉だが、やはり見た目の通りに、鳳崎はそういう人種だったのだろうか。私が最も忌み嫌う、粗暴で、野蛮で、他人を傷つけることを厭わない人間。
だが……。
鳳崎という人間の本質はともかく、気になるのは——―、
〝……村の守り神だと?……五穀豊穣の神だと?〟
〝……ふざけんじゃねえっ!〟
〝なんてことしやがったっ!自分らのやったことが分かってんのかっ!〟
〝てめえらっ……!てめえらのやったことはっ……!何がシラカダ様だっ……!あんなもんのっ……何が守り神だっ!〟
一体、鳳崎は中で何を見たというのだ……。
それに、あの家で化け物と対峙している時でさえ、鳳崎は飄々としていた。極めて冷静で、動じている様子など微塵もなかった。
そんな鳳崎が、あそこまで感情を剥き出しにするなんて……。
一体、お社に何があったというのだろうか……。
気が付くと、ハーフパンツ越しに竹筒を握りしめていた。ポケットから取り出し、手の中のそれを眺める。
……本質はどうであろうと、これを託してくれたことは事実で―――。
音が立たないように部屋のドアを開け、耳を澄まして階下の気配を窺う。
先程、玄関扉が閉まる音がしたが……今は、しんとしている。
おずおずと、階段を下りた。麦茶でも飲もうかと思って、という言い訳を喉元に用意しながら、居間に向かうと――誰もいなかった。父と母の姿がない。
時計を見ると、一時過ぎ。やはり、公民館に行く為に出て行ったらしい。
隣の和室を覗いてみると、布団で寝ている祖母は虚ろな目で天井を見つめていた。
「……ちょっと出て行くけど、すぐ戻るから」
そう声を掛けて、背中を向けた瞬間、
「……真由美」
「えっ?」
慌てて振り返ったが、祖母は相変わらず、天井に顔を向けていた。
「……おばあちゃん?」
傍に寄り、顔を覗き込んでみたが、祖母はいつの間にか目を閉じ、すうすうと寝息を立てていた。
気のせいだろうか?祖母は時折、意識が正常な状態に戻る時がある。その際は記憶の混濁こそあれど、それなりに会話をすることができるが……。
「……すぐに、戻るから」
私はもう一度祖母に声を掛けると、和室を後にして、そのまましずしずと玄関へ向かい、外へ出た。
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