十八 人間模様

「——―どうか、よろしくお願いします」

 いつの間にか、挨拶が終わり、山賀さんが深々と頭を下げた。合わせて、奥さんと優一くんたちもぺこりと頭を下げていた。

 村の人たちの拍手の後、義巳さんが乾杯の音頭を取った。大人たちはみんなそれぞれ、コップに注がれたビールで乾杯した。賑やかに宴会が始まり、村の人たちが御馳走とおつまみに手を付けながら、

「わざわざ遠いとこにある会社に通うて、大変じゃねえですか?」

「山賀さんとこの上のお子さんは、真由美と辰巳と同級生でしたかね?」

「ほお、二人兄妹。三人目を作る気はねえとですか?」

「乗りよる車、えらい高いんやないですか?」

「せっかく朽無に住んどるんやし、田んぼをしてみらんですか?」

 と、山賀さんたちに質問の嵐を浴びせ始めた。

 私たちもジュースで乾杯し、御馳走の唐揚げやいなり寿司に手を付けて、子供なりの宴会を始めた。といっても、私たちはもうすっかり仲良くなっていたので、大人たちのように次々と質問を浴びせたりはしなかった。今度、あそこでどんな遊びをしようとか、みんながやっているゲームの話や、最近テレビで観たアニメ映画の話など、そういった話題で盛り上がっていた。

 そんな中、私は無意識に、自分と陽菜ちゃん、辰巳と優一くんを見比べていた。

 やはり、違いがあるものなのだろうか?この村で育った田舎臭い人間である私たちと、都会で育った垢抜けている優一くんたちとでは、差があるものなのだろうか?例え年齢が近しくても、見た目や印象、人となりに。

「真由美、なん?」

 私の視線に気が付いたのか、辰巳が訊いてきた。

「なんでもない」

「ふーん」

 辰巳はなぜか、不機嫌そうに唇を尖らせた。かと思うと、

「おかあ、おかあっ」

 コの字のテーブルの内側に着いて、みんなのお酌をしていた妙子さんを呼んだ。その横では、母と山賀さんの奥さんが、「私もやります」「いいですよぉ」と、気の遣い合いをしていた。

「何、どうしたと?」

「コーラないと」

 辰巳が空のコップをかざしながら、妙子さんに訊いた。

「コーラ?ええっと、コーラあったやろか」

 妙子さんは眉をひそめながら炊事場の方へ向かい、すぐに戻ってきた。

「ごめんね。コーラ、無かった」

「ええーっ、飲みたかったんに」

「ファンタじゃダメ?」

「コーラがよかった」

「あっ、ラムネならあるかも――」

「もういい!」

 駄々をこねた辰巳を見て、妙子さんは「はいはい」と、悲しそうにお酌の番に戻っていった。私は思わず「我儘言わんと!」と言いそうになったが、なぜだか妙子さんの前でそれをしてはいけないような気がして、黙っておくことにした。

 コの字のテーブルの内側で、背中を小さく丸めて、ゲラゲラと笑う義巳さんや秀雄おじちゃんにお酌をしている妙子さんを見つめる。

 妙子さんは、いつもあんな感じの人だ。静々とした控えめな人——というよりは、怒られ慣れているというか、感情を表に出さないというか……。いつも困ったように眉をひそめていて、小柄で、痩せていて、後ろで結っている髪の毛はパサパサで、艶がない。いつ見ても、今にもぱたりと倒れてしまいそうな、そんな覇気の無い佇まいをしている人。

 その理由を、私はなんとなく察していた。きっと、久巳さんのせいだろう。

 久巳さんは誰に対しても高圧的な人だ。それは村の人たちだろうと、身内——川津屋敷の人間だろうと、変わりはない。

 現に、私は今までに何度か、そういった出来事を垣間見ている。終業式の日に見た辰巳の件もその内のひとつだが―――。

 いつしか、辰巳を遊びに誘う為に川津屋敷に出向いた時のことだ。準備を終えた辰巳が玄関の扉を開けて出てこようとした際、家の奥から久巳さんの怒鳴り声が響いてきた。

 それは突然のことで、上手く聞き取れなかったが、私にはこう聴こえた。

「どげんなっちょるんかっ!ろくに支度もしきらん、こんバカ嫁御がっ!」

 辰巳はいつものことだから、といった感じで「早よ行こ」と、玄関の扉を閉めた。私はいたたまれなくなって、すたすたと外へ出て行く辰巳の後を逃げるように追った。

 私が垣間見たのは、ほんの数秒の出来事だった。その間だけでも居心地が悪かったのに、妙子さんは二十四時間三百六十五日、その居心地の悪い場所で生活せざるを得ないのだ。

 妙子さんはきっと、そのせいであんな風に―――。

「陽菜、どうしたの?」

 優一くんの声で我に返ると、唐揚げの油で唇をテカテカにした陽菜ちゃんが、お箸を置いてそわそわとしていた。と思ったら、もじもじと、

「……ここって、トイレどこにあるの?」

「あっ、こっちだよ」

 私は陽菜ちゃんを連れて、襖を開け、大人たちの笑い声が響く賑やかなお座敷から出た。そこから玄関へと真っ直ぐ続く短い廊下の左側、炊事場の向かいに、洗面所とトイレがある。

 天井の古ぼけた電灯が、弱々しいオレンジ色の光で廊下を照らしていた。洗面所の入り口に扉は無く、ぽっかりと開いたその暗闇が、電灯の頼りない光を吸い込んでいるように見えた。全体的に薄暗くて、しんとしていて、薄気味の悪い無機質な空間だった。

 しかし、その向かいの炊事場は明るく、人気もあった。まだ中で、祖母や幸枝おばちゃんたちが御馳走を作っているのだろう。

 そのおかげで、そこまで恐怖は感じなかった。私はお姉さんなんだから怖くなんかないと自分に言い聞かせながら、陽菜ちゃんを先導する。

 暗い洗面所に入り込むと、すぐに電灯のスイッチを入れた。廊下と同様の頼りない電灯の光が、パチパチと何回か点滅した後、私たちを真上から照らした。古ぼけた洗面台の鏡には私が映っていたが、そっちの方は見ないようにして、

「ここがトイレだよ」

 扉を開き、中の電灯を付けてあげた。水色のタイルが張られた狭苦しい和式便所が、廊下や洗面所とは違う、白い電灯の光によって照らされる。あちこちにカビが生えていて、銀色の水道管には錆が浮いていて、あまり清潔とは言えないトイレだ。

 前にお行儀の悪い人が使ったであろう、反対を向いていた備え付けのスリッパをこっち向きに戻してあげていると、

「……ねえ、お姉ちゃん。外にいて?」

 と、陽菜ちゃんが、不安に潤んだ目で私を見上げてきた。

 気持ちは分かる。私も小さい頃、夜にここで用を足すのはなんとなく怖かった。

 汚いし、薄暗いし、扉を閉めると人気が感じられなくなるし……。何より、正面の壁の上に位置している小窓から、何かが覗いて来そうな気がするからだ。暗闇に染まっている、あの小窓から。

「いいよ。ここで待ってるね」

 微笑むと、陽菜ちゃんは一安心といった表情を浮かべて、トイレの中へ入った。私は扉に背を向けて、約束通りにその場で時間が過ぎるのを待った。相変わらず、鏡の方は見ないようにした。

 目の前の、廊下を挟んだ向こう側、炊事場の扉は開きっぱなしになっていて、中の流し台が見えた。シンクの上に、空になったのであろう瓶ビールが何本か置かれている。

 後で秀雄おじちゃんがケースに詰め直して持って帰るのだろう。それにしても、何で大人はあんなにお酒が好きなのだろう、そんなに美味しいものなのだろうか、と思っていた時だった。背後で水が流れる音がしたと思ったら、間髪を入れず、ガララッと勢いよく扉が開き、

「お姉ちゃんっ!」

 と、陽菜ちゃんが飛び出してきて、私に抱き着いた。

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