夏
ルルビイ
[データなし]
夏。
セミ達が忙しなく鳴き、灼熱の日光が容赦なく照りつける。舗装されたアスファルトはむせ返るような熱気を放ち、伸びっぱなしの草には名前も分からない多くの虫達が集っていた。
近くに人影は無く、集落も見えない。だんだんと道は荒れ、先日降った大雨のせいか所々の土はぬかるんでおり、からからに干からびたカエルの死骸が、点々と転がっていた。
忙しない生の喧騒と、満ちる生臭い死の臭い。夏という季節の有する、この二つがどうにも苦手だ。きっと冬になれば、もう少し夏の良い所も思い出すのだろうが。
「オイ、見えてきたぞ……」
薄暗く、されどムシ暑い山道をしばらく歩き続けていると、先導する一人の男が声をあげた。
今、我々はとある廃村の、棄てられた神社へと向かっている。
『夏休みだし、どっかホラースポットでも行かね?』
という、大学生二年目の夏にありがちな軽率なノリで、まったく知らないド田舎まで、わざわざレンタカーを繰り出してやって来たのだ。
その後の経緯は先の通り。夏という概念そのものに文句を垂れながら、三人の男たちは目的地に向かって歩き続けてきたのである。
「へっけけけ……、中々に趣があるじゃあねェの」
先導する男、今回の企画者であるヤスオが指で鼻を擦り、調子の良い笑みを浮かべる。
「やれやれ、まったく実にばかばかしい。オカルトや幽霊なんてモノは、この世に存在しません。ボクには、ただの薄汚れた廃墟にしか見えませんがね」
続けて、オカルト否定派のススムがメガネをクイっと上げて、ため息交ざりに呟いた。じゃあ何しに来たんだコイツ。オカカみてえな色のズボン履きやがってよ。
「オオオオオ……! オデ、オデオデオォォーーッッ!! アガガガガルルアァァオォォオ!!」
更に、校内随一のバーサーカー、ショウヤが勇ましく咆哮を上げた。全身の隆起した筋肉は胎動し、赤熱した鉄のように膨張する。手のひらで自らの胸をはたけば、その轟音は稲妻のように山内へと響き渡り、木々をざわざわと震わせる。驚いたセミや小鳥達は慌てて逃げるように飛び去った。
ああ、さすがは我らが誇り高き戦士ショウヤ。夏の暑さにも不気味な雰囲気にも負けず、まさに気合十分といった感じであろう。今日も彼の活躍に期待し胸が膨らむ。
「へっけけけ……! それじゃあ始めるとするか、『夏の怖いものトーナメント』をよォ……!」
ヤスオはそう言うと、手荷物の中からカメラとピンマイクを取り出して、おもむろに録画のボタンを押して撮影を開始した。そのまま簡単な挨拶と企画の趣旨説明を一分以内に済ませる。
そんな企画内容はというと、各々が持ち込んだ『夏の怖いモノ』を出して見せ合い、その怖さを競い合おうというシンプルなものだ。審査員はとくになく、判定はオーディエンスで決める。
そう、わざわざやってきたこの古びた社は、ただの雰囲気作りの為のロケーションだったのである。どこかのスタジオでも借りてやって欲しい。バカどもがよ。
「へっけけけ……! それじゃあ早速、オレからいくぜ……!」
そう言って、ヤスオは画面外へ消えていった。しかし笑い方のクセ強いなコイツ。醜いハムちゃんずか何かなのか?
「行くぜ! オレの提示する『夏の怖いモノ』は、八尺様だアァッ!」
そしてヤスオが持ってきた夏の怖いモノは、八尺様。
その発祥はインターネット掲示板の怪談であり、名の通り身の丈八尺はあろうかという長身の女性型妖怪である。地面にまで届くかといった長い黒髪と、ツバの広い大きな帽子、それと白いワンピースといった姿がイメージとして固着しており、石垣の向こうから目が合った子供を抱き上げ、そのまま神隠しにしてしまうとか、たしかそんな感じの怪異である。
たしかに発祥自体は新しいが、すっかり夏の定番になった存在と言っていいだろう。
「ぽ〜ぽっぽっぽ! 夏の恐怖代表は、この八尺様が頂いたでシャ〜ク!」
いや、だがコイツはたぶん八尺様ではない。
「へっけおへけけ……! この日のために地元で色々お声掛けして、厳正なる審査を勝ち抜いたチャンピオンにお越し頂いたのさァ……!」
その企画を収録せえよ。
八尺様モデルオーディション、その企画を収録せえよ。そしてイメージ通りの長身黒髪女性をせっかく獲得したのなら、八尺様のキャラ付けをもっとしっかりとせえ。素材の持ち味が死んどるんよ。そこは死んだらいかんのよ。
……さて、その辺の謎の一般女性モデルが、およそ八尺様とは似ても似つかないカスみたいな知識で雑な口上と共に登場したが、まあ確かに色んな意味で怖い。こんな場所にずっと待機させてたの?
ヤスオのこの初手札に対し、見知らぬ女性の登場で日和っているオカカ色メガネは、一体なにを繰り出すのだろうか。
「……フン、何かと思えばくだらない。ただの大きな女性ではありませんか」
それはそう。
「所詮は人型。どころか八尺様なんて近年ではむしろ成人雑誌やツイッターコミックなどで、性的存在として扱われているのもザラでは? そんなセクシャルドスケベ淫乱ムチムチセンシティブ怪異が夏の恐怖代表だなどと、甚だしいもハナダシティにサヨナラバイバイですねえ」
「なんだとォ……!」
それはどうかと。
「なんだぽォ……!」
お前は二度と喋るな。
「ふん。ボクが思うに恐怖、というのは、つまり得体の知れないもの。人間とは学習し対策をする生き物ですからねえ、未知の存在こそが最も恐ろしく映るのですよ」
ススムはメガネをクイィ〜ッ、と大きく上げ、わざとらしく大きな溜息を一つ吐くと、メガネを上げ、得意気に自論を語り出してメガネを上げた。
だが、なるほど。たしかに一理ある。何の対策もない状態でブツかる初見の驚き、というのは格段なモノで、ゲームや映画など、あらゆるメディアにおいて共通する手法ではある。
「しかし、あまりに知らなすぎるモノでも良くない。明確に脅威であると伝わるモノでなくてはならない。でないと、恐怖を感じるより前に疑問が先立ち、感情の優先順位が入れ替わってしまいますからねえ」
これも頷ける。まったく意味不明な存在が追いかけてくるよりも、何かしらの面影があった方が、人間の脳はより錯覚と考察を繰り返して、混乱して不気味に感じるものだ。
たとえ異形の怪物といえど、どこか何かに似た存在、或いは何かを想起させるものなどがあると、あり得ない事象に直面しているという焦燥が生まれ、焦燥は質の良い恐怖を作り出す。クリーチャーで言えばタコや虫などの面影を残したものが多いだろうか。
「つまり、“なんだかよくわからないけどヤバそうだ”、これこそがボクの導き出した恐怖という存在の結論なのです」
メガネはそう言いながら、メガネを上げて画面外へと消えていく。
実にメガネらしいデータと推論を用いた考察だ。先程のカスとは打って変わって、繰り出してくる手札にもそれなりに期待が込められる。
「お見せしましょう! これぞボクの結論、ヒグマシャークです!」
すごいの出てきちゃった。
「山の脅威ヒグマと、海の脅威サメ! 二つの恐ろしさを合わせて二乗した究極の捕食者、それこそがヒグマシャーク、ヒグマシャークなのです!」
熱弁を振るってこそいるが、目の前に存在するのは奇怪かつ滑稽な姿をした、デフォルメしたアジフライのようなキャラクターの着ぐるみである。
ご自慢に語られる設定や推論を聞いたところで、お出しされたモノが全然怖くない。むしろパーキングエリアにストラップ等が売ってそうなくらいの親しみやすさがある。
「よろしくシャーク」
喋っちゃった。
喋っちゃダメだろ。それはなんか……、ダメだろ! 八尺様と語尾被ってるし。お前も待機してたの?
「へけけひゃひゃけ! 何かと思えば全然怖くないぜェ〜ッ!! ビビらせやがって!」
ビビってんじゃねぇか。
「ぽ〜っぽぽぽ! あまりに弱そうでシャ〜ク!」
「なんだとシャーク!」
「やんのかシャーク!」
やめろやめろ。お前らでケンカし始めるな。何が何だかわからなくなる。
山奥の不気味な古神社に、奇怪な存在が集い、幼稚な言い争いを繰り広げている。怖いかと言われればこの現状はマジで怖い。
「盛り上がってるトコ素人意見でスマンのダスが、オデからも言わせてもらえねぇベガ?」
ここで町内の英雄ショウヤが、手を挙げて意見を述べ始める。
「へけけ……! なんだ言ってみろショウヤァ……ッ?」
「ええ。アナタのブレーンが導き出したアンサーをお聞かせプリーズですねェ?」
「そうだシャーク」「シャークシャーク」
勇猛なりしショウヤ様の声を前に、幼稚なアホ共も一旦の平静を取り戻し、その御声に耳を傾けた。
「まず、八尺様もヒグマシャークもそんな怖くねェベガ。八尺様なんてオデより背ぇ低いし」
「けひゃ……っ! 言われてみればショウヤは十二尺はあるしなァ……ッ!」
「ぽ……! 盲点だったでシャーク……!」
その通り。“灰色の門”ことショウヤ様からしてみれば、八尺様など幼子も同じ。そも八尺など所詮は二メートルと四十センチほど。きりんさんやゾウさんの方がよっぽどデカいし、きりんさんやゾウさんに恐怖を感じるかと言われれば、可愛いところだってある。デカいだけの怪異など所詮はその程度のものだ。
「ヒグマシャークにしだっで、キチンと武装を整えれば、まあ倒せねェヤツには見えねぇベガ。オデは昨日ヒグマもシャークも晩メシで食ったでな」
「っく……! たしかにショウヤさんの両親は猟師にして漁師……! 失念しておりました……!」
「サメもクマもフライにすれば美味しいでシャークからね……」
続けて“嵐の王”ことショウヤ様の舌鋒がメガネとアジフライのタッグを一閃。
動物同士を掛け合わせたキメラなど、ゴジラが最強すぎてもう無理なのだ。メガネの敗因は、パニック映画や特撮映画も色眼鏡で見ず、もっとしっかり考察し触れてくるべきだっただろう。
「……へっ! へけ! だがショウヤ! オレらの悪いところを抜粋しただけじゃァ、テメェはチャンピオンになれねェぜ!」
「その通りです! そこまで言うからには、我々を唸らせるほどの“恐怖”をお持ちなのでしょうねェッ!」
負け惜しみのように、惨めに二人の男と二匹のシャークが抗議する。理には敵っているが、だがそれだけではショウヤ様に敵うことなど不可能。
“虹を統べる者”の異名を持つショウヤ様は微動だにせず、深く頷いた後に大きく息を吸い、そしてこの場に相応しい“恐怖”を示した。
「ていうが、今この場になんか居るんだ。 正直オデはソレが一番怖ぇ」
……木々がざわめく。セミが鳴いて、空が曇る。気温は下がり、湿った匂いが辺りに充満して、カエルは干からびて死ぬ。
夏が終わり、冬が始まり、春を讃え、秋が過ぎ去る。生があり死がある。生まれては還り、土は天へと舞い、雲は岩となって海を満たす。
「な、なに言ってるんだショウヤ……? 何が居るって……?」
闇が蠢く。虫が騒ぎ、鳥は嘶く。宙に浮かんだ血の色にも似た泡が、獣の声を受けてパチりと消えた。
「悪い冗談はよして下さいよ。霊など居るはずがありません……。……違和感があったのいつからです?」
「都内から、レンタカーを借りてココに来るまで。ずっと、ずっと最初から、何かが居たんだ」
狂乱、饗宴、恐慌、大凶、強王。始まりには草があり、緑はやがて火を生んだ。火は人を作り、そして燃え滓からは暗い暗い闇が生まれた。
「だとしたら……、マズい! “ショウヤがソレを観測したら”――!」
「!! しまっ――――!」
だ。
あ。 あ。 あ。
ひたり、ひたり。
ぺた、ぺた。
「くそっ! また“起こってしまった”のか!」
「この世界はもうダメです! はやく!!」
「ひえぇ〜、何が起きているんでシャーク」
「オデは、オデは……ッッ!」
人の悲鳴は時に力を与える。邪教が流す血は勇気を奮い立たせる。夢の中でしか為せないことがある。力持つ者が飲む酒の中には暗黒があり、後悔こそが人を前に進ませる。
やめてくれ、やめてくれ。おれが何をした。ただお前をころしただけだ、なんでこんな目に遭わなきゃならねぇ。やめてくれ、やめてくれ。
皮は動く、皮は動く。極上の手触りの毛皮が貴方を包む。刃物はやがて世界を救う。砕けるものは嘆きを纏い、やがて消えゆく黄昏に君の瞳が浮かんでいる。潤った綺麗な瞳だ。それが欲しい、それが欲しい。私の短い爪で届くだろうか。
カリ。カリ。
カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ――
。
死が、満ちた、腐る、村の、人が、忘れた、首の、長い、折れた、石像が、壊れた、あなたを、じっと、見つめていますよ?
じーーーーーーっと。じーーーーーっと。
「いや、こわいモノってこういうコトじゃないと思うでシャーク」
夏 ルルビイ @ruruvi
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