第33話
第33話
ウルスラのことがあってからすっかり忘れてしまっていたが、エルは2月の半ばになってようやく思い出したことがあった。
チート級の魔力だ。
春になって今年で数えで20歳。魔力はだいたい長くて20歳まで成長するものだから、もういい加減チート級の魔力に目覚めていてもおかしくはないはずだ。
だが、去年の研究発表のときにはそんなに変わった様子はなかった。
それでももう発現していてもおかしくはないだろうと思って、人事部に頼んで魔力判定をしてもらった。
そして--。
結果はSのまま。
この手の生まれ変わるタイプの物語にはそういうチート級の何かがお約束でついてくるものではなかったのかと愕然とした。しかし、魔力判定の結果はシェルザールの2年生のときに計ったのと同じS。宮廷魔術師になるときの試験でもS。そして最後の望みを託して人事部で計らせてもらってもS。
何かの間違いではないかと思ったが、結果はSなのだからどうしようもない。
がっくり来つつもやらなければならないことはたくさんある。
当面の課題は明後日に控えたウルスラの社交界デビューのお祝いパーティだった。
最低限のマナーはウルスラに頼んで教えてもらっていたから、挨拶をするくらいならば無難にこなせる自信はある。だが、挨拶だけですむとは到底思えない。何せガザートにまでウルスラがエルが一番のお友達だと言ったことが伝わって、所長直々にどういうことかの説明を求められたからだ。ガザートにまで話が伝わった、と言うことは社交界ではおそらく知らない者はいないと見ていいだろう。
どういう状況になるのか想像もつかなくて憂鬱だったので、熱でも出して行けない、なんてことにならないかと思ったが、季節は春真っ盛り。裸で寝ていても風邪など引かないくらいの気候なのだから健康そのものだ。よく食べ、よく眠り、よく研究室で唸り。知恵熱ならぬ憂鬱熱なんてものがあればそれにかかるのだろうが、あいにくとそんなものはない。
嘘をついて行かないですませる、なんてこともできない。仮病でも使って欠席でもしようものなら優しいウルスラはとても心配してくれるだろう。そうなると今度は罪悪感で憂鬱になりそうだ。
となると行かないわけにはいかない。
一度は覚悟を決めたものの、時間が経つとその覚悟も揺らいでしまうから人の心と言うものは厄介だった。
だが、当日になればもう覚悟がどうこう言っていられない。
どうとでもなれというやけっぱちな気分で、ウルスラが望んだ赤の薔薇の刺繍が入ったドレスを着て、パーティに向かった。
見た目が見た目なので衛士ももう見慣れたもので、小柄なエルが来たら何も言わずに通してくれる。来る途中、馬車がいくつも通っていったので他の貴族は馬車でウルスラの屋敷に来ると言うことだろう。徒歩でやってくるなど平民のエルくらいだ。
午前中からパーティは開かれ、夕刻には終わる予定だった。天気はあいにくの曇天だったが黒くはないので雨雲ではなさそうだったから、雨の心配はないだろう。
パーティは中庭ではなく、屋敷の後ろにある広場でやるとのこと。
綺麗な花々が咲き誇る中庭を抜けて、屋敷の後ろにある広場に到着すると、そこにはいくつものテーブルが並び、数々の料理やスイーツ、ソフトドリンクからお酒まで多種多様な食べ物飲み物が揃っていた。
時間通りやってきたはずだったのだが、少し遅れたのか、すでにウルスラは何人かの若い貴族に囲まれて談笑していた。見渡すとウルスラと同じくらいの若い貴族ばかりなので、おそらく社交界デビューを飾った貴族だけを呼んだのだろう。
そこへ一目見て噂の人だとわかるエルがやってきたので、会場がざわついた。
そのざわつきでウルスラもエルが到着したことに気付いて、小走りにエルのほうにやってきた。
「いらっしゃい、エル」
「このたびはお招きいただきありがとうございます、ウルスラ様」
「もうっ、今更様なんてつけないでくださいな」
冗談ではなかったのだがウルスラには冗談だと思われたようだ。仕方がないのでいつもの口調に戻すことにする。
「じゃぁウルスラ、今日はお招きありがとう。ウルスラは楽しめてる?」
「少しはね。それよりみんなにエルのことを紹介しなくちゃいけないですわ。さぁ、こちらにいらして」
ウルスラに手を引かれ、ついさっきまで談笑していた集団のほうに連れていかれる。
「皆さん、ご紹介させていただきますわ。こちらがエル・ギルフォード。わたくしの一番のお友達ですわ」
「エル・ギルフォードと申します。どうぞお見知りおきを」
一応ウルスラに習ったとおり、ドレスの裾を摘まんで少し上げて丁寧にお辞儀をする。
すると、「まぁ、本当に噂通り子供みたい」とか、「あれで宮廷魔術師なのか」とか言った声が聞こえてくる。まぁこの辺は見た目と職業のギャップから来るいつもの反応なので今更気にはしない。
だが、意外なことに貴族たちはウルスラとはよく話をするが、エルに話しかけてくる者はほとんどいなかった。エルはウルスラの側にいて、たまに宮廷魔術師としてどんな仕事をしているのかを訊かれたりはするものの、話は専らウルスラがしていて、拍子抜けするくらいエルはほとんど何も話さなかった。
思えばそれも当然だろうと思った。ウルスラのデビューお祝いパーティなのだから、主賓はウルスラだ。エルは招かれた招待客のひとりに過ぎない。いくら友達だからと言っても、エルを介してウルスラに近づくより、今そこにウルスラがいるのだから、ウルスラと話をして懇意になろうとするほうが自然というものだ。
しばらくウルスラの側にいて話を聞いたり、うるさくない程度に流れている宮廷楽士の演奏を聴いているとお腹が空いてきた。周囲を見渡すと、貴族たちは思い思いにテーブルにある料理を食べ、飲んでいたのでエルもウルスラに一言断って食事をするためにウルスラの側を離れた。
だがそれがいけなかった。
ウルスラと直接話をするには爵位が低い貴族たちがエルのほうにぞろぞろと集まってきたからだ。
「ウルスラ様とはどのようなご関係で?」
「どのようにしてお知り合いに?」
「一番のお友達とお聞きしましたがどのような経緯で?」
などなど。
ウルスラには直接聞く勇気はないが、エルには遠慮はいらないとばかりに質問攻めに遭ってしまった。
最初は丁寧にこれこれこういう事情で、などと話していたエルだったが、そのうち面倒くさくなって残りは全部、「成り行きで」と答えるだけになってしまった。実際成り行きで友達になったのだから間違ったことは言っていない。これには「それでウルスラ様の一番のお友達なんて羨ましい」と言う声が一番多く聞かれたが、羨ましがられても最初に声をかけてきたのはウルスラのほうだ。エルからしてみればちゃんと勇気を出してウルスラに声をかければいいのにと思ってしまう。ウルスラはエルのような友達が欲しいと望んでいるのだから、爵位など関係なくウルスラに接近すればウルスラは快く受け入れてくれるだろう。その勇気がないからこんなところでエルに構って、「羨ましい」なんて言うのだ。羨ましいと思うのならばまず行動しろと言いたいくらいだったが、相手が相手なのでそれは飲み込んだ。
だがこのまま囲まれていては満足に食事もできない。仕方なく取った料理を持ってウルスラのところに戻る。するとウルスラは「あら、まだ食べていなかったんですの?」なんて無邪気に訊いてきたが、それどころではなかったのだ。
ウルスラの側にいれば爵位の釣り合う貴族たちはウルスラと話をしていて、エルのことは構ってこない。そこでようやく食事をして、お腹を満たしてからウルスラの様子を観察する。
ウルスラはにこやかに談笑してはいるものの、話をしてくる貴族たちは誰もが丁寧すぎてやはりウルスラの爵位の高さを気にしているように見える。確かに公爵令嬢で、宰相の娘なのだから丁寧になるのは仕方がないにしても、他人行儀すぎるのだ。ウルスラが望むのはエルのように楽しく、遠慮のいらない関係なのだが、誰もがどこかウルスラに遠慮している。もっと砕けた調子で話しかけてみれば、ウルスラは喜んでそれに応じてくれるのに、誰もそうしたことをしない。やはり公爵令嬢と言う肩書きが邪魔をしてしまうのだろう。
ならば手本を見せてあげようではないか。
ウルスラのドレスの袖を引っ張って呼ぶ。
「どうしたのかしら、エル?」
「ウルスラも大人になったのだから少しお酒でもどうかしらと思いまして」
「お酒? 嗜む程度には飲めますけどあんまり好きではないのよねぇ」
「せっかくのお祝いの席なんですし、一杯くらいいいじゃないですか」
「エルがそういうのならそうしましょうか。皆さんもいかがですか?」
ウルスラが提案したので誰もが「では一杯だけ」と答えてお酒を置いてあるテーブルに向かう。忙しく働いていた給仕たちがウルスラを中心にワインの入ったグラスを配り、それぞれ手に持つ。
「では遅まきながらウルスラの正式な社交界への参加を祝して、乾杯」
「乾杯!」
それぞれ、思い思いにグラスをカチンと合わせ、ワインを一口飲む。エルもウルスラもワインを一口飲んでからお互いに笑い合う。
「わたくしは赤より白のほうが口に合いますわ」
「そうですね。私も赤は渋いと思ってしまうので白のほうが好きです」
「あら、エルもそうですの?」
「はい」
「ふふ、お揃いですわね」
気安い雰囲気で笑い合うエルとウルスラ。
「どうだ、こうやるんだぞ」とばかりに周囲を見渡すと、全員が呆気にとられた顔をしている。「あれ? おかしいな。お手本を見せたはずなのに」と思ってみても、誰もエルと同じようにはしない。逆に気安い間柄を見せつけられたとばかりにエルを見下ろしてくる者もいる。
おかしい。こうすれば私とウルスラみたいな関係になれるとわからせたはずなのに。
そう思ってみても相変わらずウルスラと話をする貴族たちは遠慮という鎧を着てウルスラに接している。やはり簡単には公爵令嬢と言う肩書きを乗り越えられないと言うわけか。
これは気長に待つしかないなぁ。
ウルスラがエルと同じくらい気安い間柄になれる友達を作る、と言う夢は遠く険しそうだった。
夕刻になってパーティはお開きとなり、貴族たちは乗ってきた馬車に乗って帰っていく。
ウルスラはそれを見送り、ひとりひとりに「今日は来てくださってありがとうございます」と笑顔で声をかけていた。
どんどん馬車が屋敷の前庭から出ていくのを、ウルスラの少し後ろに立って眺めていたエルは、結局最後の最後まで貴族たちはウルスラを「宰相の娘の公爵令嬢」と言う立場でしか見ていなかったなと思った。
ウルスラが見送って声をかけていても、表面上はにこやかに「こちらこそ」と応じてはいるものの、作り笑いだとすぐわかる表情だったし、中にはウルスラが別の貴族に挨拶に行った後に緊張が解けて大きく息を吐いて馬車で去っていく、と言う者までいた。
完全にウルスラの望みとはほど遠い貴族たちの態度に溜息を禁じ得ない。
お手本まで見せたと言うのに、貴族たちの鎧は騎士団の鎧よりも分厚く、堅牢で、それをぶち抜くにはどれくらいの時間がかかるのかと思えるくらいだった。
それでもウルスラは公爵令嬢として最後までお礼の挨拶を欠かさず、最後の馬車が出ていくまで続けていた。
「ふぅ……」
吐息をしてエルもそろそろ帰ろうと言う気持ちになる。パーティに呼ばれたからと今度は研究事務の職員に包み隠さず話したおかげで研究室を離れていても何も言われない。むしろ気の毒にと言った様子で「頑張ってください」と送り出されたくらいなので、このまま寮に戻っても構わない。
「ウルスラ、私もそろそろ帰りますね」
「エルももう帰ってしまいますの?」
「ウルスラがもっと一緒にいたいと言うのでしたらもう少しいますけど」
「では是非夕食をご一緒いたしませんこと? もう少ししたらお父様も帰っていらっしゃるでしょうから」
ゴルドベン宰相閣下と夕食を囲む。
それは正直勘弁してもらいたかったが、ウルスラが望むのであれば仕方がない。パーティにまで参加したのだ。ここまで来れば毒を食らわば皿までの気分である。
「わかりました。じゃぁお言葉に甘えて」
「それはよかったですわ」
本当に嬉しそうにウルスラは笑うものだから、「しょうがないなぁ」と言う気持ちになる。
そうしてしばらくはウルスラの自室で時間を潰し、夕食の時間になってから食堂に案内されたのでそこに向かった。
そこにはスーツをビシッと着こなしたゴルドベン宰相閣下と、何度か目にしたウルスラの母親のメルティーユもいて、場違いな感じがとことんしたがふたりともエルが夕食を一緒にすると言うことを気にした様子もなく、給仕が働く中、和やかな夕食が始まった。
さすがに公爵家の食事だけあって、ただの夕食もコース料理である。スープに始まって様々な料理が出される中、それを食べながらウルスラとゴルドベン、メルティーユは今日のパーティの話題を話していた。
しばらくは黙ってその話を聞いていたエルにゴルドベンが話しかけた。
「どうだったかね、エルくん。ウルスラはちゃんとホストを務められていたかね?」
「はい」
「本当かね? 綺譚のない見方を言ってくれてもいいんだよ?」
「でしたらひとつ言えるのは、おそらくですが爵位の低い貴族の子女たちにはあまり声をかけていなかったのが残念ですね。爵位の釣り合う相手とばかりお話をされていて、遠巻きに見ている貴族たちに気が回っていないようでした」
「ふむ、なるほど。そこは確かに改善しなければならないね。社交界では円滑な人間関係が求められる。爵位が低いからと言って蔑ろにしては公爵家として面目が立たない」
「まぁ、エルったらそんなところまで見ていましたの?」
「食事を取りに行ったらそういう貴族たちに取り囲まれましたからね」
「そうでしたの。気付きませんでしたわ」
「ウルスラ、それではダメよ。上に立つ者として、爵位の低い者にもきちんと気を配っていかなければ公爵令嬢として恥を掻きます」
「わかりました、お母様。以後気をつけますわ」
「でも一番残念だったのは来ていた貴族のほうですね」
「それはどういうことだね?」
「ウルスラは私のように気安い間柄の友達を欲しいと思っています。でも貴族たちは皆ウルスラに遠慮して表面上の付き合いばかり。ひとりくらいは踏み込んで話をしてくる貴族がいてもいいのに、そういう人もいませんでしたから」
「ほう」
「まぁ」
「エルったらそんなことを思っていたの?」
びっくりしたようにゴルドベン、メルティーユ、ウルスラの順に声が上がる。
「だが、ウルスラは私の娘だ。遠慮が先に立っても仕方がないとも言える」
「それはそうです。ですから私はこうすればいいとお手本まで見せたのに全く改善される様子はありませんでした」
「え? どういうこと?」
「お酒に誘ったときのことですよ、ウルスラ」
「あぁ、あれはそんな意図があったのですね」
「どういうことだい?」
「こういう風に接すればもっと気安くなれると話を振ったんです。それで一口ワインを。でもそれを見てもまぁ変わらないので公爵令嬢と言う肩書きがどれほど重いものなのかを逆に私が痛感しました」
「ふむ。エルくんは影ながらウルスラの望みを叶えようとしてくれていたのだね」
「はい。私を一番のお友達と言ってくださるのは嬉しいのですが、それではウルスラの希望は叶いません。だからお手本まで見せたのに……」
「はっはっはっ、エルくんは本当にウルスラのことを思ってくれているのだね。だが、致し方ない。私の娘なのだからエルくんのようにはそう簡単にはいかないだろう」
「えぇ、これは時間がかかるなと本当に思いました。でもあまり悠長に構えていてはすぐに結婚なんてことになっていつまで経ってもウルスラには私以外のお友達ができなくなります。だからこそのお手本だったのに……」
「エルはそこまで考えていてくださったのですね。嬉しいですわ」
ウルスラは感激したように言うが、空振りに終わってしまったのだから無意味だ。
「お友達のことを考えるのは当然のことです。友達だからこそ頑張ろうと言う気になりますし、ときには叱ることだってあります」
「うむ。そういう友人こそが真の友人だ。わたしも陛下に仕える身だが、ときには友人として陛下を諫めるときもある。何も立場を気にして唯々諾々と従うだけが友人ではないからね」
「でもウルスラはとても可愛いいい子なので叱ることはほとんどなさそうですけど」
「もうっ、エルったら」
「ふふ、ウルスラは本当にいい友人を得ましたわね。これで平民でなければ社交界でもウルスラのためになりそうですのに」
「これ、メルティーユ、そういう風に利用するようなことを言うのではない」
「これは失礼しましたわ、エル様」
「いえ、利用できるものは利用するべきです。私が役に立つのであればどんどん利用してくださっても構いません」
ウルスラのために一肌脱ぐくらいどうってことではない。魔術具だってそのひとつだ。
「だが、ウルスラが一番の友人と誇るエルくんを利用すると言うのもなぁ」
「ですが、私も宮廷魔術師としてどういう仕事に就くかわかりません。今は研究職で時間の融通は利きますが、別の部署に配属されて今のように頻繁に会える保証はどこにもありません。それまでにウルスラには私みたいな間柄のお友達を見つけてほしいのです」
「そこまで考えていらっしゃるなんて、エル様は本当にお友達思いなのですね」
「そんなことはありません。ウルスラだからそうしたいんです。こんな素敵な女性に慕われているのですから、その力になりたいと思うのは当然のことです」
とは言ったものの、打算的な部分がないわけではない。
ウルスラにエルの他に仲のいい友達ができればエルにかかる負担は分散する。それはウルスラと関わることで発生するであろう面倒ごとが軽くなることを意味する。そういう意味でもウルスラに協力することはエルのためにもなることなのだ。
「だが逆にエルくんが平民出身の宮廷魔術師だからこそ、こうした間柄になれたと言う見方もできる。やはりどうしても爵位の問題は貴族社会では避けては通れないことだからね」
「でもそれではウルスラが可哀想です。使用人では友達にはなれませんし、私も今後どうなるかわかりません。もし結婚して家に入ってしまえばウルスラはひとりきりになってしまいます。そうならないためにも私は協力を惜しみませんよ」
「エル……」
「エルくんの気持ちはよくわかった。今後ともウルスラをよろしく頼む」
「はい、もちろんです」
感激して涙ぐむウルスラとは対照的に真剣な表情でゴルドベンは言う。
打算的な部分があるとは言え、ウルスラにエル以外の仲のいい友達ができることは素直に嬉しい。エルにだってシェリーと言う一番の親友がいるが、他にもルーファスやカミーユと言ったシェルザールの同級生の友達や、グラハムと言った後輩がいる。シェリーとともに学校生活で培った人間関係は宮廷魔術師になってもまだ生きている。
フリープログラマーとして極力人間関係は排除して生きてきた前世とは違って、この世界では友人関係には恵まれて生きてきたのだ。ウルスラもその中のひとりなのだから、協力できるものならば最大限の協力をする。
根っこの部分で変わらないことは多々あるが、生まれ変わって変わった部分もまた多くある。
こうして友達を大事にしようと思えるようになったのは、シェルザールでの学校生活があったからこそだ。
そうした学校生活を知らず、友人もいなかったウルスラに新しい友達が増えるのは本当に素直に喜ばしい。それに妹のように可愛いウルスラが結婚してひとりきりで過ごすことになるなんて耐えられない。なんとしてもそれまでに親しい友人のひとりでも作って安心して生きていける環境を作ってあげたい。
それは生まれ変わって変わった部分で思う本心だった。
ウルスラは夕食後、エルを見送ってから自室に戻ってからベッドに寝転がって今日の出来事を思い返していた。
パーティではそつなくこなせていたと思う。だが、エルが言ったとおり、話しかけてくる相手にばかりかまけてそうではない貴族たちにほとんど声をかけていなかった。よくよく考えれば、話しかけてくるのは侯爵家や伯爵家の子息子女ばかりで、子爵、男爵家の子息子女とは最初に挨拶はしたものの、それからはほとんど喋った覚えがなかった。
お母様の言ったとおり、公爵家の令嬢として下の階級の貴族にも等しく声をかけて応対しなければならなかったのに、それができていなかったのは反省材料だった。
それにしても、と思う。
エルがあそこまで自分のことを考えて行動してくれていたのかと思うととても嬉しい。
最初はただ社交界で噂になっているエル・ギルフォードという宮廷魔術師を見かけたから話をしてみたいと言う軽い気持ちだったが、気付けばエルはウルスラの中でとても大きな存在になっている。
口調こそ丁寧だが呼び捨てにする仲だし、最初のできた友達でもある。
友人であるウルスラを大事にしようと言う気持ちは端々に見えていたし、魔術具などはそのいい例だろう。
歳は4つウルスラのほうが下だが、友達のように、親しい姉のように接することができるかけがえのない存在だった。
そんなエルも自分以外に親しい友達を作ることを歓迎している。ウルスラの中ではエルがいればそれで十分という気持ちと、エルの他にも親しい友達が欲しいと言う気持ちがあって、どちらも大事な気持ちだった。
エルがエル以外の親しい友達を作ることを歓迎しているのであれば、そのとおりに行動することはエルのためにもなる。今後、初夏に入れば社交界は活発になり、パーティも頻繁に開かれるようになるだろう。そうした席にウルスラも呼ばれることは多々あるはずだ。
今は研究者として時間の融通が利きやすいエルはウルスラが誘えばパーティにも一緒に参加してくれるだろう。音楽を聴くのが趣味だとも知っていたから、宮廷楽士の演奏を聴けるいい機会だと思って喜んでついてきてくれると思う。
そんな中でエルの協力で親しい友人のひとりでもできれば、エルも喜ぶだろうし、ウルスラとしても喜ばしい。
ただどうしても公爵令嬢の肩書きだけはいかんともしがたい。
お父様も言っていたが、エルが最初の一番のお友達になれたのは貴族社会に詳しくなかったからだろう。
ウィルソン家と聞いてもそれがどんな家柄なのか知らなかったから、エルはただの宮廷魔術師としてウルスラに接してくれて、そしてウルスラのお友達になってほしいと言う願いを聞き入れて仲良くなってくれたのだろう。
エルは本当に優しい。
上辺を取り繕って裏では何を考えているかわからない貴族社会の人間と接するよりも、まっすぐウルスラを見てくれるエルと一緒にいるほうが何倍も楽しい。
だが、いつまでもその優しさに甘えてばかりではいけない。
16歳になって大人になり、正式に社交界デビューも果たしたのだから公爵令嬢として立派に勤めを果たさなければならない。
でも、友達ができるまでの間くらいはエルに甘えていてもいいわよね?
エルも協力してくれると言ってくれているのだから、まだそれに甘えていても許される年齢だろう。1年もすれば社交界にも慣れて一人前の大人として扱われるだろうから、友達を作るにはこの1年が勝負だ。エルの協力も得て必ずエルと同じくらい仲のいい友達を作ってみせる。
そう決心して、ベッドから起き上がったウルスラはドレスを脱いで部屋着に着替えた。
「ホント、エルは年下にはモテモテだよねー」
「そうかなぁ。自分ではそんなつもりはないんだけど」
日課になっている夜のシェリーとの会話で、シェリーはエルをそんな風に評した。
「でもウルスラだっけ? そんなのと仲良くなってエルは大丈夫なのー? エルってば面倒くさがりなところも結構あるから、そんな偉い人と友達になって苦労したりするんじゃないのー?」
「それはもう諦めたわ。なるようにしかならないもの。それにあんなに可愛いウルスラを放っておけないわ」
「そんなに可愛いんだー」
「これぞ美少女ってくらい可愛いわよ。シェリーみたいに素直に慕ってくるから性格も可愛いし、とても公爵家のご令嬢とは思えないくらいね」
「そうなんだー」
「そういえばシェリーにも興味津々だったわよ。私の一番の親友がどんな人なのかって気にしてたくらいだし」
「えー、あたしはいいよー。敬語とか苦手だし、話してると肩が凝りそう」
「ウルスラはそんなこと気にしないと思うけどなぁ。シェリーはシェリーのままで話せば、ウルスラだって受け入れてくれるわよ」
「エルがそういうんだったらそうなんだろうけど、日中は忙しいからなー。子供たちはよくケガをするし、狩りに出掛ければあたしの魔術師としての力で狩りを楽にできるし。だからこうしてエルとお喋りするのは夜になっちゃうんだー」
「私も研究だの、パーティだのと忙しいからゆっくりできるのは夜だけね。まぁ先日は夕飯をウルスラの家でご馳走になったから夜は帰って身体を拭いたらそのまま寝ちゃったけど」
「あー、それで連絡がなかったんだー。まぁあたしも村の子供が病気になっちゃって、夜も治療に忙しかったからそれどころじゃなかったけどねー」
「村で頑張ってるようで何よりだわ。ところで村にはシェリーの他に魔力を持った子供っていないの?」
「んー、今のところはいないかなー。もしいたら跡継ぎができてあたしも安心して後を任せられるようになるんだけど、こればっかりは魔力を持ってる子供が産まれないとどうにもならないからねー」
「そうね。でもどんなに魔力が弱くても魔術師になれる子供が現れたら、そのときはシェリーが教師になってその子を立派な魔術師に育てるのよ」
「あたしにできるかなー? あたし、実技はそれなりにできるけど、理論は苦手だったから教えるのは苦労しそう」
「シェリーなら大丈夫よ。シェルザールであんなに頑張ってたんだもん。それに立場が人を変えるって言うしね。シェリーだって先生になれば、そのうち先生らしくなるわよ」
「そうだといいんだけどなー。まぁ今は考えてもしょうがないけど」
「そうね。今は魔力を持った子供がいないんだから教えようにも教えられないものね」
「そうそう。それよりエルは宮廷魔術師になってどう? 最初の1年目は散々愚痴ってたけど」
「研究職になれたおかげで充実してるわよ。今度は反発力を利用した大規模魔術の発表にでもするつもり。だから試すときはまたシェリーにお願いすることもあると思うわ」
「自分ではやらないのー?」
「あれ、マナの量が桁違いで実践用の水晶玉を壊してしまうのよ。実験場でやると怪しまれるし、研究発表のときのインパクトもなくなるしね。だから実践はシェリーにお願いしようと思って」
「わかったー。いつでも言ってー。あたしも強力な魔術が使えるならそれに越したことはないしねー」
「そうそう。干魃のときみたいに役に立つこともあるだろうしね」
「うん、そうだねー」
そんな風にしてシェリーと何でもない会話をしながら夜は更けていく。
ウルスラも大事だが、やはりシェリーと話しているほうが気が楽だ。気兼ねがいらないし、敬語を使う必要もない。面倒な人間関係に悩まされることもない。
家族以外で一番話していて落ち着くのはやはりシェリーだ。
そのことを再確認しつつ、とりとめのない話は続いた。
天才プログラマー、転生して最強の魔術師を目指す ウンジン・ダス @unfug
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