第26話
ヤルデカとの戦争から王都に帰ってくる頃には9月も半ばになっていた。
季節は冬に入っていて、もう暖炉に火を入れないと部屋が寒くて凍えそうだった。
さらにこの頃には異動希望の用紙が配布されていて、寮にもその紙が届いていた。もちろんこれにはしっかり第一希望を「研究職」、第二希望を「実戦部隊以外のどこか」と書いて提出した。
そしてついでに2週間帰省するので旅程と合わせて2ヶ月の休暇を申請した。
宮廷魔術師になって1年目から帰省するからと言って長期休暇を申請する者は、よほど近くの町や村でない限りいないらしかったが、エルにはどうでもよかった。
息苦しいこんな部署にいるより、旅程や実家のほうが安心できたし、エルがいないほうが部隊の雰囲気も悪くならないだろう。それに冬になれば魔物の活動も穏やかになり、帰ってくる頃には春も間近という状況になるから、この長期休暇を取れると言う制度はありがたかった。
シェリーとも2ヶ月ぶりに話をして元気をもらえたし、実家に帰れば優しく温かい家族が待っている。シェリーがいなければすでに辞表を提出していてもおかしくない部署にいるより、制度を有効活用して王都にいる時間を少しでも短くしたかったと言うのもある。
とにもかくにも、今の部署に長く居続けることなんてまっぴらごめんだったから、早々に荷物をまとめて帰省することにした。
脳筋のクレトはこの行動に怒り心頭と言った様子らしかったが、グラムソンは逆に悠然と構えていたらしい。だが、それも帰省してまた王都に戻ってきたらおしまいだ。部隊の宮廷魔術師からの評判は最悪。副隊長であるクレトの印象も最悪。唯一グラムソンだけは評価してくれているようだったが、たかだか一介の隊長風情の意向だけで、部隊を混乱させる素行不良な魔術師を残す人事はしないだろう。
閑職に追いやられるならその時間を研究に充てて、いつか研究職になったときの糧にすればいいし、事務仕事でも別に構わない。どんなところであろうと今の部隊よりは100倍はマシだった。
だが、家族には実戦部隊に配属されたことは言っていない。手紙は書いていたが、適当な事務仕事をする部署に配属されたと伝えていたから話は合わせないといけない。実戦部隊なんて危険な部署に配属されたことを知れば心配するだろうからとの配慮だった。
ともあれ、3週間の旅程を挟んで実家に帰り、2週間たっぷりと故郷の村で羽を伸ばしてまた3週間の旅程で王都に戻ってきた頃には、春の足音が聞こえる11月だった。
異動まで残り1ヶ月もない中でグラムソンや部隊に戻ってきたと挨拶をするほど人間関係を構築していないので、また寮の部屋に籠もって研究する日々を過ごし、夜にはシェリーと他愛ない会話をして楽しみ、とうとう春がやってきた。
人事異動の通知が来る頃にどうなるかと期待しながら待っていると、1月の上旬が過ぎる頃に通知が来た。
エルはそれを見て狂喜乱舞した。
第一希望の研究職に配属されたのだ。
これで実戦部隊からおさらばできる。しかも第一希望の研究職。これで思う存分研究に時間を費やすことができるし、魔術省の予算は豊富だから研究資金にも困らない。これまで自分だけのものとして扱ってきた魔術の改良をおおっぴらに発表することもできる。
これを喜ばずして何を喜べと言うのか。
嬉しさの余り、その通知を受け取ってすぐにシェリーに会話を繋いで、「今忙しいから夜にしてー」とつれなく断られたりもした。
だが、ようやく掴んだ研究職。つれなくされても全く落ち込むことはなかった。
グラムソンはエルが研究職に異動になったと聞いて人事部の部長に抗議をしていた。
「何故だ! エル・ギルフォードは部隊に残してくれとあれほど頼んでおいただろう!?」
「お、落ち着きたまえ、グラムソンくん。それは私も重々承知している。君ほどの人物が高く評価する人材なのだから人事部でも残す方向で調整していたとも。あぁ、していたとも」
「だったらどうして!」
エルが面接を受けたのと同じ中年の男性である人事部の部長は辺りをキョロキョロと見渡し、グラムソンを手招きした。グラムソンもその意味を悟って顔を近付ける。
「実は魔術省から横槍が入ったんだよ。エル・ギルフォードは研究職に異動させるように、とね」
「だが、魔術省が横槍を入れたからと言って人事部が従う理由にはならんだろう」
「それはそうだが、グランバートルの名前を出されたからには従わないわけにはいかないだろう。魔術省のナンバー2だよ?」
「どうしてグランバートルほどの人間がたかだか宮廷魔術師になって1年にも満たない人物の人事に介入してくる?」
「それは私にもわからないよ。だが、魔術省のナンバー2直々のお達しだ。こちらとしてもそんな人間相手に君がいくら残してくれと言ってもどっちを優先しなければならないかくらいわかるだろう?」
「ちっ……! あの技術、もっと間近で見れれば盗めたものを……!」
「とにかくだ、魔術省の意向でエル・ギルフォードの異動は研究職にせざるを得なかった。それだけはわかってくれたまえ」
「わかった……。悪かったな、怒鳴って」
「いや、いいんだ。君が抗議したくなる気持ちもわかる」
抗議しに来たグラムソンだったが、事情を聞いてどうすることもできないと諦めるしかなかった。
エルの技術はとても素晴らしかった。たった2回の遠征でしか見ていなかったが、エルは魔術に関して特別な技術を持っていると確信していたからだ。それをもう1年でも見ていれば技術を盗めたかもしれないと言うのに、魔術省が横槍を入れてきたのであればどうすることもできない。
ガザートも魔術省に属している限り、魔術省の意向には逆らえない。しかもグランバートルの名前まで出されては唯々諾々と従うしかない。
エルが長期休暇の申請をしてきたから知っているが、エルの故郷は辺境の片田舎に過ぎない。いくらシェルザールの卒業生だと言っても、そんな片田舎から出てきた魔術師とグランバートル家がどうやって繋がっているのかがわからない。
確かにルーファス・グランバートルとエル・ギルフォードはシェルザールで同級生だったはずだったが、それだけの関係でグランバートル家が動くとは到底思えなかった。
今はただエルを部隊に残すことができなくて悔しいと言う気持ちばかりが先行して、それ以上のことは考えられなかった。
実はこのことはルーファスが根回ししたことだった。
部隊でのエルの素行を知って、肌に合わないところだとわかったし、そもそもルーファス自身がエルは研究職がふさわしいと思っていた。そこに異動希望でエルが研究職を第一希望に選んだとの情報を掴んだので、魔術省のナンバー2である父に根回しして、人事をいじらせたのだった。
エルもグラムソンも与り知らぬところでの出来事だったが、エルとグラムソンの心情は全く逆のことになった。
エルは研究職の事務全般を管轄する研究事務の魔術師に連れられて、研究棟の一室に案内された。研究事務の30歳くらいの女性魔術師は持っていた鍵で部屋のドアを開け、先だって入ったのでエルもそれに続いた。
「ここがエルさんの研究室になります。--ただ、異動があってから間もないので前任者の置いたものがほとんどそのまま残っています。邪魔なようでしたら、いらないものは廊下に置いておいてください。他の異動があった研究者たちも部屋を変わったりして、いらないものを廊下に出すので後でまとめて業者に引き取ってもらいます」
「はい、わかりました」
エルの声は弾んでいた。
ようやく手に入れた研究職。
辞表も出さず、実戦部隊で最悪の人間関係を我慢した甲斐があったと言うものだ。
キョロキョロと室内を見渡し、どんなものがあるのかを見聞する。
本に魔術具に大量の書類。異動発表があってから1週間も経っていないので、前任者は慌てて片付ける暇もなく出ていったのだろうことがわかった。
「何かわからないことがあったら本館2階の研究事務の部屋に来てください。後研究資金などの書類の提出も私たちが受けて経理に回します。必要なものがあれば遠慮なく言ってください」
そう言って女性魔術師は部屋の鍵をエルに渡して部屋を出ていった。
これからここが自分の城になる。どんな研究をしてもいいし、どんなことをしても怒られない。自由気儘な研究者生活が待っていると思うと胸が躍る。
とにかく部屋をどうにかしないといけない。机の上や執務机の上などに置いてある魔術具や本、書類にざっと目を通し、ここを使っていた前任者がどんな研究をしていたのかを確認する。
魔術具はシェルザールの講義でもあったような水晶玉がいくつか、効果のわからないヘンテコな道具が何個かあって、これらは後で簡単に調べてみようと思って机の上にまとめておく。
次に本だが、風のマナに関する書物が多い。どうやら前任者は風のマナのについて研究する研究者だったようだ。エルの研究テーマはとにかく何でもだから本も無駄にならない。壁際にふたつ並んでいる本棚に椅子も併用して納めていく。
書類も今後の研究に何か役に立つかもしれないし、取っておいて損はないだろう。研究室の中央の机や執務机に乱雑に置かれているのをまとめて、執務机に積み上げておく。後で目を通してどんな研究をしていたのかを確認するのがいいだろう。
それをほぼ半日かけて行い、だいたい片付いたと思った頃には夕暮れ時になっていた。
前世のように勤務時間が8時半から5時半までと決まっているわけではないし、年に1回の研究発表のときに成果を発表すればいいだけなので時間は自由になる。晴れて研究職に就けたことだし、今日はお祝いも兼ねて王都のどこかのレストランで少し豪勢な食事をするのもいい。
19歳になってもチート級の魔力に目覚めたような兆しはないが、それよりも今は念願の研究職になれたことのほうが大きい。
「お祝い、お祝い♪」と口ずさみながら部屋を出て鍵をかけ、研究棟を後にする。
普段は何とか自炊をして生活しているが今日くらいは贅沢をしても罰は当たらない。
王都のレストランにドレスコードなんてものがあるのかどうかわからないから、宮廷魔術師のローブ姿のまま、ガザートを出て王都の街を散策する。
夕暮れ時とあって人通りも多く、王都の南に向かう女性たちの姿が多く見られるから市場にでも行くのだろう。市場では屋台や露店などが軒を連ねているから、夕食の材料や食事を買いに行く庶民たちだろう。
エルも平民の出だが、今は宮廷魔術師と言う特別な職業に就いているし、給金も月に銀貨50枚はくだらないからお金には困っていない。それに去年は遠征にでかけているか、寮で研究をしているか、はたまた実家に帰ったかの3つしかなかったのでほとんどお金を使っていない。多少贅沢をしたところでお金には困らない。
王都の西の商業地区に足を運び、王都で建物のある店を構える商店やレストランなどを眺めて、適当なレストランに入る。当然エルのような子供にしか見えない客が来て、ボーイなどは驚いていたが宮廷魔術師のローブを着ていたから何も言われなかった。
普段着のワンピースなどで来ていたらきっと子供扱いされて入れてくれなかっただろうことを考えると、ローブ姿のままで来たのは正解だったようだ。
ボーイに案内されて席につき、メニューを眺めるとそれなりにいい値段がする。コース料理で銀貨1枚なのだからそれなりに高級なレストランなのだろう。だが、小食のエルにとってはそんなコース料理なんてものは必要ない。お祝いだからと仔牛のローストのベリーソースがけとパン、それとスープを頼んでできあがるのを待つ。
その間にどんな研究テーマにするかを考える。
学生時代に色々と試したこともあるし、去年寮暮らしで見つけたこともたくさんある。
だが、それらを一気に放出してしまうと今後研究職を続けていく上でのネタに困ってしまう。小出しにしつつ、最初の1年と言うことで無難な研究テーマと言うことで構文の見直し辺りが適当ではないかと考える。
これならば独自にアレンジして、魔力消費を抑えた魔術を行使できるようになるので、魔力の弱い魔術師でも扱える魔術ができあがる。
最初の1年目としてはこれくらい地味なテーマのほうがいいだろうと考えて、このテーマで研究を進めることする。
考えているうちに料理が運ばれてきたのでそれを食べながら今後の生活に思いを馳せる。
試したいことは色々あるし、そのための資金も時間もたっぷりとある。
このまま研究職に留まることができればやりたいことを好きなだけすることができる。
去年は散々な1年だったが、今年からは違う。ひとりで好きなように研究ができるのだからこの位置を手放すわけにはいかない。
食事をしながら顔がにやけるのを抑えられない。
シェルザールでルーファスに連れられて勉強会に参加したように、同じ研究者として互いに切磋琢磨することも可能だろうし、そうした会話の中から新たな知見を得ることも可能だろう。
去年は人間関係などどうでもよかったが、研究職になったからには良好な人間関係を築いておいて損はない。
これからのことを色々考えながらおいしい食事に舌鼓を打って、その日は過ぎていった。
翌日は前任者の研究テーマについて調べていた。
書類や本から伺うに、風のマナを使った範囲魔術の応用について研究していたらしかった。より広範囲に、効率よく、効果的に範囲魔術を応用することができるかを研究していたようで、本は風の魔術に関するものがほとんどで、書類もメモの書き殴りから研究発表に使ったのであろうきちんと論文にまとめられたものまで、たくさんあった。
範囲魔術かぁ。
範囲魔術は風のマナの広範囲に影響を及ぼす力を利用して、他の魔術の効果を広範囲に展開することができるようにする魔術のひとつだ。
エルもディスペルオールやホワイトフィールドバリアのような魔術で風のマナを組み合わせて、相手の魔術を無効化したり、ホワイトバリアの魔術を広範囲に展開させることをしていた。
これももっと範囲を広く、魔力の消費を抑える構文で組み立てれば、多方面に応用が利く。例えば治癒魔術ならば、多数の怪我人が出たときに個別にヒールの魔術を使うより、この範囲魔術を応用すれば一気に多数の怪我人の治療ができるようになる。
街で治療院などを経営する魔術師にとってはいい魔術になるだろう。
どうせなら一からテーマを考えるより、前任者の扱っていたテーマの研究成果をそのまま利用させてもらったほうが研究の手間も省ける。
まだ研究職1年目と言うことで無難なテーマにしようと決めていたこともあって、治癒魔術とこの風のマナの範囲魔術を組み合わせたテーマにしようと決める。
治癒魔術を選んだのは最も基礎的な魔術であると同時に、魔力の強弱にかかわらず多くの魔術師が扱う魔術だから汎用性が高いからだ。もちろん他の魔術にも応用は利く。ファイアボールのような火の攻撃魔術に応用すればフレイムフィールドとして、広範囲に火炎を発生させる魔術になるし、闇の魔術に使えば遠征でも使ったスウンオールのような魔術になる。
後はどうやって構文を見直し、少ない魔力で効果的な魔術になるかを色々と試してそれを論文にまとめて発表すればいい。
取り立てて目立ったテーマではないが、反発力を使った増幅効果や旋律を使った相性問題の克服などはまだ後に取っておくのがいい。もちろん最初に大きな成果をぶち上げて研究職を不動のものにするのも悪くないが、1年目でそんな大きなことをしでかすと何があるかわからない。
無難なテーマで様子を見てからでも遅くはない。
実戦部隊は素行不良、勤務態度不良、人間関係最悪の3点コンボが決まったから早々に異動させてもらえたのだろうし、何らかの成果を出していれば1年でそう簡単に異動になることはないだろうと言う読みもあった。
大きな執務机に座って、足をぶらぶらさせながら本や書類を眺めていたエルの研究室のドアがノックされた。
誰だろう? 事務の人かな?
そんな風に思いながら「開いてますよ」と答えると見慣れた人物が入ってきた。
「やぁ、エル」
「ルーファスじゃない。どうしたの? こんなところで」
「エルが研究職に異動になったと聞いて挨拶にね。僕も研究職だからこれからも研究棟で見かける機会も多いだろうしと思って」
「そうなんだ。わざわざありがとう、ルーファス」
執務机から飛び降りてとことことルーファスの元に向かう。
どこかに椅子があったはずと思って探して、それを見つけると中央のテーブルの隣にそれを並べてルーファスに座るように促す。ルーファスはにこやかに「ありがとう」と言って椅子に座ったので、エルもその正面に置いた椅子に座る。
「ルーファスは最初から研究職だったよね。その話を聞いたときは羨ましかったなぁ。実戦部隊なんてろくなとこじゃなかったから」
「はは、エルがそんな弱音を吐くなんて珍しいね。よっぽど肌に合わなかったのかな?」
「合わないも何も、誰も彼も脳筋ばっかりでイヤになるわ。しかも副隊長のクレトが筋金入りの脳筋で、不真面目だの何だのと怒ってばっか。絶対1年で出ていってやると思ってたけど、まさか第一希望の研究職になれるとは思わなかったわ」
「じゃぁ第一希望が研究職だったんだ。それが叶ってよかったじゃないか」
「うん。その通知を見たときは嬉しくてすぐにシェリーに話したくらい。まぁシェリーは忙しくてすぐには話せなかったけど、夜には話してシェリーも喜んでくれてたわ」
「相変わらずシェリーとは仲がいいんだね。ペンダントが魔術具だったっけ?」
「うん、そう。魔術具製作2年間の集大成……と言いたいところだけど、シェリーと話すことしか頭になかったから魔術具の作り方なんてこれしか知らないんだけど」
「あぁ、そうだったんだ。てっきり僕は魔術具の製作に興味があるんだと勘違いしてたよ」
「そうじゃないわ。確かに魔術具のことを調べるのは楽しかったけど、元々は離れ離れになるのがわかってるシェリーといつでも話ができたらいいな、って思いつきで作り始めたものなの。それがうまく行って今でもシェリーとはほぼ毎日話してるけどね」
「そうだったんだね」
どこかホッとした様子にルーファスに首を傾げる。
「ところでエルはもう研究テーマを何にするか決めたのかい?」
「一応ね。治癒魔術と範囲魔術の組み合わせでの治癒魔術の応用について研究しようかと思ってるよ」
「それはまた地味なテーマだね」
「最初はこんなもんでしょ。それにここの前任者が範囲魔術について研究してたみたいだからそれを拝借すれば楽ができると思ってね」
「なるほどね」
「そういうルーファスは何のテーマにしてるか決めてるの?」
「僕は去年と一緒で相性の悪いマナ同士の融合について調べてるよ。去年は魔力が高ければ一定の成果が上がることは確認できたから、今度はもっと少ない魔力で実現できないか研究する予定だ」
「そうなんだ」
相性問題は旋律で解決するのだが、ここでホイホイ漏らすようなことはしない。それにシェルザールの音楽の講義でこの世界の楽器についてはわかったものの、どういう曲が作られて、演奏されているかもわからないから説明のしようがない。
どうにかしてこの世界の曲のことを知らないと旋律の重要性について語ることができない。そのことを思い出したエルは、ルーファスが名門の家柄だと思い出して訊いてみた。
「そういえば宮廷魔術師って王宮に出入りできるものなのかな?」
「できるよ。魔術省に用事があって出掛けることもあるし、宮廷魔術師のためのパーティも開かれる。どうしてそんなことを?」
「私、魔術の他に音楽にも興味があって、この国でどんな音楽が演奏されてるのか聞いてみたいんだ。だからそういう機会ってないのかなぁと思って」
「音楽かぁ。パーティとかでなら宮廷楽士が演奏するのを聴いたことがあるけど、そんなに大がかりなものじゃないよ。王族の式典なんかだと大規模な楽団が組まれて演奏することもあるけど、そういうのは国王生誕祭くらいでないとお目にかかることはないだろうね」
「そっかぁ。じゃぁあんまり音楽に触れる機会ってのはないんだね」
「そうとは言えないんじゃないかな? 宮廷楽士は文部省の管轄だけど、貴族の主催するパーティにも呼ばれることは多々ある。何なら僕が呼ばれたパーティに一緒に参加する、と言う手もある」
「いいの!?」
「もちろん。一応僕も貴族の一員だからね。パーティに呼ばれることはそれなりにある。同じ宮廷魔術師のエルが一緒についてきても不思議はないだろう。それに僕の友人だと言えば誰にも怪しまれずにすむ」
「ありがとう、ルーファス。そのときは是非誘ってね」
「いいよ。でもそのためにはドレスを作らないとね。一応社交界だから正装が基本だから」
「うげ……、ドレス……」
「でないと参加させてもらえないよ?」
「むー、それならしょうがないかぁ。今度仕立ててもらおうっと。でも私みたいな小さいのがドレスなんか着ても、どこかの貴族の子供にしか見えないんじゃないかなぁ」
「あはは、それは仕方ないね。でも目的は音楽を聴くことだろう? 子供に見られるのならむしろ僕みたいに挨拶回りに出たりしないですむ分、楽じゃないかな?」
「なるほど。そういう考えもあるのか。貴族って大変だねぇ」
「王都に来てからはなおさらね。貴族で宮廷魔術師ってだけでも珍しいから色々と訊かれて困ることも多いよ」
「でもそんな場所に平民の私がいてもいいの?」
「宮廷魔術師なら大丈夫だよ。僕の連れの宮廷魔術師だと言えばそう怪しまれることはない。実績のある宮廷魔術師になれば、貴族でなくても貴族の主催するパーティにも呼ばれるくらいだしね」
「なら安心か。--でもルーファスがいてくれてよかったわ。これから研究棟で人間関係を築こうと思ってたところだったから、知り合いがいるといないとじゃ大違いだし」
「僕もエルが研究職になって嬉しいよ。お互いできる限りの協力をして、魔術の発展に力を注ごう」
「私にそんな大それた考えはないんだけど、ルーファスがそういうなら協力は惜しまないわ。お互い頑張りましょう」
「あぁ」
「あっ!」
「な、なんだい?」
「せっかくの来客だってのにお茶も出すのを忘れてたわ! 今すぐ淹れるから待ってて」
「いいよ、それくらい。僕はエルが研究職になったって聞いて挨拶に来ただけだから」
「そう?」
「あぁ。それに僕も研究があるからね。元々長居するつもりはなかったんだ。だからこの辺でお暇するよ」
「うー、お構いもせずごめん……」
「だから気にしないでいいって。エルも今度僕の研究室に来るといい。3階の西から3番目の部屋が僕の研究室だから」
「うん、機会があったら遊びに行くわ。--あ、遊びに行っちゃダメなのか」
「構わないよ。僕もシェルザールの同級生がいるほうが心強いし、楽しい。エルとなら実りある話ができそうだし、いつでも歓迎するよ」
「ありがとう」
「じゃぁ僕はこの辺で」
「うん、またね」
「あぁ」
爽やかに笑ってルーファスは席を立つとエルの研究室を出ていった。
さすがに将来有望と目されているルーファスは違う。1年目から研究職なんて本当に羨ましい限りだ。
だが、これでルーファスを中心に研究棟での人間関係を構築することができる。
意地の悪い考え方だが、グランバートル家の人間としてルーファスは宮廷魔術師の中でも特別な存在だろうから、そんなルーファスと懇意にしていれば自然と他の研究者たちの見る目も変わってくるだろう。
それにヤルデカ軍との遠征で再会したカミーユたちともこれで会う機会も増えるだろうから、同じシェルザールの卒業生と言うことで人間関係は築きやすくなる。
やはり近くに見知った仲の人間がいるのといないのとでは大違いだ。
研究職にもなれたことだし、前途は明るいとエルはふんすと気合いを入れた。
エルの研究室から自分の研究室に戻る間、ルーファスは少し悩ましい顔をしていた。
エルが選んだ研究テーマは地味だが、どちらかというと古式派に近い研究テーマだからだ。
革新派が開発した新しい魔術を汎用性の高い魔術に組み直して普及させるのは古式派のやり方だから、エルの研究テーマはそう言った方面に当たる。
魔術具も古式派の得意分野だし、シェルザールにいた頃は古代魔法にも興味を持っていた。
魔術具については今日の話で、ただシェリーと話がしたいとだけと聞いて古式派に入るつもりだから魔術具の勉強をしたわけではないとわかったが、それでも魔術具を学生のうちに製作したと言う事実は消えない。
古代魔術と言い、魔術具と言い、今回の研究テーマと言い、どうもエルの興味は古式派の考え方に近い気がする。
シェルザールでの最初の遠征で見せたホワイトフィールドバリアの魔術。
あれは相性の悪い風と土のマナを組み合わせたものだったし、エルには独自に得た「歌」と言う概念で相性問題をおそらくクリアしているのだろう。
音楽に興味がある、と言う今日の話もその延長線上にあると言っていい。
もしエルが「歌」と言う概念で魔術界に新たな風を吹き込むことができる存在ならば、やはり革新派がエルにとってはふさわしい。
父に根回しをして同じ研究職にしてもらったのはやはり正解だったと思う。
何かにつけてエルの動向をチェックし、古式派に近づくような素振りを見せたら阻止しなければならない。
何せシェルザールでは革新派に引き入れることができなかったし、後から聞いた話では教師の選定もシェリーに任せて派閥の論理を全く無視した選択をしたらしい。
そんな状況ではいくら勉強会で革新派の教師に引き合わせたとしても、エルが革新派に全く頓着しないのであれば意味がない。シェルザールでは革新派を意識させて、自然と革新派に近づくように慎重に行動していたのが逆に仇となったと言っていいくらいだ。
だが、もうルーファスの中では祖父の指示だからと言うだけではなく、互いに競い合える相手としてエルを革新派に引き入れたいと思っていた。
同じ土俵でエルを超える研究成果を出す。
これが今のルーファスの目標だった。
だからこそ、今の研究テーマに相性の悪いマナ同士の問題を選んだのだ。エルが「歌」によってそれをクリアしたように、ルーファスは別の角度から革新派の研究者としてクリアするために。
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