第27話

 ルーファスにパーティに招待してもらえると言う話を聞いてしばらくして、エルはドレスを仕立てに商業地区に行った。

 オーダーメイドでドレスを扱う店を色々と見て回ってみたが、どれも最低でも銀貨5枚はくだらない。小柄なエルだから使う布地は少ないから、まだ普通の大人と違ってこれでも安いのだろうが、それでも銀貨5枚は高い。

 だが、そう頻繁にパーティに誘われることもないだろうし、1着でもいいからいいものを仕立てておけば使い回しは利く。洗濯には気を遣うだろうが、そんなに使うものでもないのだからたまの手間くらいならば問題はない。

 そう思ってデザインから縫製まで総合的に手がけてくれる店に入ってドレスを仕立ててもらう。

 こういうとき、宮廷魔術師のローブ姿でいるのは楽だった。

 子供にしか見えないエルでも宮廷魔術師のローブを着ていれば、ちゃんと大人の年齢だと見ただけでわかってもらえるので押し問答をする手間が省ける。

 だからよほどの私用でない限り、なるべくローブ姿で王都をうろつくようにしていた。

 仕立屋でもローブ姿で入ってきたエルに、店員は丁寧な対応を取ってくれたし、デザインも子供すぎず、かといって華美にならないようなデザインを考えてもらって、4枚ほどデザインしてもらった中から落ち着いた薄緑色を基調としたドレスを仕立ててもらうことにして、先に代金として銀貨8枚を渡した。

 できあがるのは2週間ほど経ってからとのことだったので、また2週間後に来ると伝えてその日は寮に戻った。

 その後は研究も順調に進み、エリアヒールと名付けた範囲治癒魔術の効果もほぼ想定したとおりの結果を出してくれた。後は構文を見直して、いかに効率よく、効果を落とさず、魔術を発動できるかの研究に没頭した。

 とは言え、研究ばかりの日々を送っていては飽きてしまう。

 いくら天才プログラマーとして名を馳せ、無駄のないコードを書くと定評のあった前世の知識と経験があったとしても、毎日コードとにらめっこをしているのは疲れる。

 そんなときはルーファスの研究室にお邪魔したり、同じシェルザールの同級生で宮廷魔術師になったカミーユたちのところに顔を出したりして息抜きをした。

 当然ながら街に出て散策して気晴らしをする、なんてこともしていた。

 研究職は成果さえ出せれば時間は自由に使えるので、昼日中であっても出歩いて問題なかったし、ローブさえ着ていれば子供に間違われることもない。

 王都は長方形に理路整然と整備された街並みだから迷うこともなかったし、適当にぶらぶら散歩をしていても北を目指せばガザートに帰れる。ドリンはごちゃごちゃと無秩序な街だったからシェリーの方向感覚が頼りだったが、王都はそんな心配もないことはありがたかった。

 2週間が経ってドレスもできあがり、取りに行って寮に戻ってから一度袖を通す。

 さすがに銀貨8枚も出しただけあって、デザインどおりの見事な仕上がりで、これなら子供にも見えず、さりとて華美にもならないと言った具合で満足の出来だった。

 そんな初夏の折、早速ルーファスからパーティの打診を受けた。

 ルーファスによるとこの手の社交界のパーティは初夏から初秋にかけて多く行われるとのことで、冬はほとんど開催されないらしい。それもわかる話で、防寒対策が必須の寒い冬にドレスの上にゴテゴテと着込むわけにはいかないだろうし、ドレスが映えるのはやはりこういう過ごしやすい季節だからなのだろう。

 エルが望んだとおり、宮廷楽士による演奏もあるとのことだったので、もちろん行くと返事をしてその日を待った。

 やがてパーティ当日になり、仕立てたドレスを着て、迎えに来たルーファスとともに馬車で目的地に向かう。

 今回のパーティの主催者はオーレル侯爵という貴族で、魔術省に勤務する役人のひとりだった。魔術省と言うことでルーファスにも声がかかったらしく、王都を少し離れた場所にある別荘でパーティを開くという。

 天気はあいにくと小雨のぱらつく天気だったから、ルーファスが用意してくれた傘に便乗して目的の別荘に向かい、広い屋根のついたテラスでの立食形式のパーティが催された。

 元々こういうパーティのような席はあまり得意ではないのだが、音楽を聴くと言う目的のためならば我慢できた。それにシェルザールでの秋休みのパーティと同様、部屋の隅っこで大人しくしていればお貴族様のパーティなのだから酔っ払って騒ぐような輩もいないだろうし、子供か大人かわからないようなエルに構ってくる人間も少ないだろう。

 そんな風に思っていたのだが当てが外れた。

 ルーファスに連れられて、シェルザールで同級生だった同じ宮廷魔術師だと挨拶回りに付き合わされてしまったのだ。

 ルーファスは「ここで宮廷魔術師だと知られれば後々楽になる」と言われて仕方なくついていったのだが、愛想笑いを振りまいてほとんど学んだことのないマナーを思い出して何とかルーファスについていき、1時間も挨拶回りに付き合う頃にはぐったりしていた。

 挨拶回りが終わってようやく解放されたエルは、ブッフェ形式の料理とソフトドリンクを取ってきて、部屋の壁際に休憩用に置かれているソファに座ってようやく食事を取っていた。

 ルーファスめ、後で文句を言ってやる……。

 料理を口に運びながらそんなことを思っていると、ようやくテラスに流れる音楽を聴く余裕ができてきた。

 音のするほうを見ると、スーツ姿や簡素なドレス姿の男女が弦楽器での音楽を奏でていた。シェルザールでの音楽の講義でも知ったが、この世界の楽器はほぼ現代日本のオーケストラと同じだった。

 だからこういう貴族主催のパーティではそんなに大がかりな楽団は組織されず、6人の宮廷楽士がヴァイオリンやチェロなどの楽器を演奏していた。現代日本では四重奏がメジャーだが、こちらではそういう定形はないようだ。

 それでもこちらの世界で聴くまともなクラシックは耳に心地よく、ルーファスに抱いていた愚痴も次第に溶けていくようだった。

 当然、現代日本でメジャーな四重奏とは違う旋律だったが、よく聴いていたクラシックの音楽とほぼ変わりはなく、ヴァイオリンの高音からチェロの低音まで、和音が奏でる旋律には癒やされた。

 やっぱり音楽はいいなぁ……。

 故郷の村で聴いた簡素な音楽や吟遊詩人が奏でる竪琴の音とは全く異なる繊細な和音を伴った音楽。

 この世界に生まれ変わって18年。やっとまともな音楽に触れられた感動に酔いしれていた。

「あらまぁ、ルーファスさんに連れられてきた宮廷魔術師さんがこんなところで」

 音楽に聴き入っているところに急に声をかけられ、びっくりして見上げると派手な赤いドレスを着た夫人が扇を手にニコニコと立っていた。

「えっと、あの……」

「あぁいいのよ。まだ慣れないパーティで顔も覚えていないのでしょう?」

「すいません」

 挨拶回りだけで疲れてとてもではないが人の名前と顔を覚えるなんてできっこなかった。

「こんな隅っこでひとりでいるからどうしたのかしらと思っただけなのよ。何をしていたの?」

「音楽を聴いていたんです」

「音楽? そんなに珍しいものでもないでしょう?」

「いえ、こんなに立派な生演奏を聴くのは初めてなので」

「あら、そうなのね。ルーファスさんが連れてきたからてっきりどこかのいい家柄のお嬢さんかと」

「そんなことは。宮廷魔術師ですけど、出身は辺境の片田舎なので」

「それじゃぁ宮廷楽士の演奏なんて聴くのは初めてね。どうかしら? 初めて聴いた感想は」

「とても素晴らしいですね。ずっとここで聴いていたいくらいです」

「ふふ、ならよかったわ。こういうパーティの席では必ずと言っていいほどああいう宮廷楽士が派遣されるものだから、それだけ音楽が好きなら機会があればパーティに参加するといいわ」

「ルーファスにはそう言っておきます」

「ルーファスさんを呼び捨てなんて、とても懇意になされているのね」

「えぇ。学生時代の同級生なので」

「それでルーファスさんもあなたを連れてきたのね。ルーファスさんがエスコートしてくる女の子なんて珍しいからどんな子なのかと思ってたけど、とても可愛らしい子ね」

「このナリですからね。ローブを着てないといつも子供に間違われます」

「無理もないわ。とてもルーファスさんと同い年には見えないもの。でもルーファスさんと懇意にされていると言うことはあなたも革新派の魔術師なの?」

「は?」

「あら、違うの? ルーファスさんが連れてくるからてっきり革新派の魔術師とばかり思っていたわ」

「えっと、私はそういう派閥とは縁のない生活をしているものでして」

「そうなの? じゃぁどうしてルーファスさんはあなたをパーティに誘ったのかしら」

「それは私が音楽が聴きたいと言ったから誘ってくれただけですよ。前にガザートでそんな話をしましたから」

「あぁ、それで。ルーファスさんはとても紳士的な方だから友人の頼みを断れなかったんでしょうね」

「まぁそうでしょうね」

「でも革新派でもないあなたを連れてくるのに音楽だけが目当てとは珍しいものね。ルーファスさんは革新派でも有望な新人として期待されているから、ご友人もてっきり革新派の方ばかりだと思っていたわ」

「あはは……、確かにそう思われても仕方ないですね」

「でも古式派の魔術師を連れてくるはずがないし、純粋に厚意だけで誘ってくれるほどのことではない理由のような気もしないでもないのだけど」

「そうですかね? 学生時代から結構仲良くさせてもらってましたし、宮廷魔術師になっても親しくさせてもらってます。友達として願いを叶えてくれただけじゃないですか?」

「そうなの? まぁあなたがそう思うのならそれでいいけど」

 何か意味深な雰囲気の言葉だったが、ルーファスに裏があるとは思えない。友達になるときには堅苦しい感じだったが、あれからは寮生以外の男友達の中では親しくしていた同級生だ。それに今は同じ研究職の宮廷魔術師。単にエルが聴きたがっていた音楽に触れられる機会ができたから誘ってくれただけだろう。

 おそらくはこういう裏の思惑を読むことに慣れた貴族の深読みに過ぎないと思う。

「あぁ、そろそろダンスが始まる時間ね。あなたはどうするの?」

「私はここで見ています。何せこのナリなので相手になる男性がいません」

「ふふ、そうね。とてもキュートな子なのにもったいないわ」

「はは……、ありがとうございます」

「ではまた機会があればお会いしましょう」

「はい」

 そう言って夫人はパーティの中に戻っていった。

 ふぅ、と息を吐いて慣れない敬語を使った疲れを吐き出す。相手にしてくれなければ大人しくしているのに、お節介な人はどこにでもいるようで話し疲れてしまった。

 夫人が言ったようにテラスの中央には人が少なくなり、ダンスを踊る男女が増え始めた。それに合わせて音楽もワルツに変わっていた。

 ワルツもいいよなぁ。

 さっきまで流れていた曲はアンダンテだろうか。アンダンテにはアンダンテの、ワルツにはワルツのよさがあって、いつまででも聴いていられる。

 ワルツに合わせて踊る男女の仲にルーファスの姿もあった。さすがに貴族だけあってダンスも踊れるらしい。頬を染めた令嬢とともに踊るルーファスの姿は普段見るルーファスとは別人のように見えた。

 やっぱりルーファスも貴族なんだよなぁ。

 魔術師としての面しか見たことがなかったから、ルーファスが貴族として振る舞うのを見るのは新鮮だった。こうして見ると遠い世界の人物のように思えるのだが、シェルザールからの同級生のほうが付き合いが長いから今更貴族だと思っても態度を変える気にはならない。

 それにルーファスだっていきなりエルが敬語なんか使い出したら戸惑うだろう。ずっと友達でいたのだからそれをいきなり他人行儀な態度に変えたら不審がられるに決まっている。

 ルーファスはルーファスであって変わらない友達だ。

 友達のために一肌脱ぐ。そんな当たり前のことにも裏を深読みしてしまう貴族というのは面倒くさい人種だと思った。


 ルーファスはエルの都合がつけば、パーティに誘ってくれた。

 面倒くさい挨拶や絡んでくる貴族たちには辟易させられるが、生演奏が聴ける、と言う誘惑には勝てず、ちょくちょくついていっていた。

 そんなことをしていると、貴族社会でもエルのことは知られるようになり、「子供にしか見えない宮廷魔術師」としていつの間にか名前が通っていた。

 とあるパーティでも、いつものように会場の隅っこで大人しくしていると「あなたがエル・ギルフォードね?」と全く知らない夫人に声をかけられたりして、エルは「なんで知ってるんだ?」と思うこともしばしばあった。

 だが、そう言った面倒くささを我慢すれば心地いい生演奏を聴けるので、まだ何とかなっていた。

 それにこの小柄な体型のおかげで普通の成人男性とダンスと踊ることができないのも幸いして、ダンスに誘われることもなかった。

 ただ、何故かご婦人方にはエルは好評で、「とても可愛らしい宮廷魔術師」と言う認識ができあがっていた。

 そうしたこと以外は平穏な日常を過ごしていて、研究も順調に進んでいた。

 研究発表は初冬の9月の上旬に行われることになっていて、エルが選んだ研究テーマはほぼ完成していた。まだ夏真っ盛りの5月だと言うのに、もう発表してもいいくらいの出来になっていたので、残りの期間は何をしようかと頭を悩ませていた。

 そんな折、いつもは夜に繋げてくるシェリーが昼の真っ只中に会話を繋いできた。

「エルー、助けてー」

「何、どうしたの?」

 泣きそうな声で言ってくるものだから、いったい何事かと事情を尋ねる。

「こっちは夏にほとんど雨が降らなくて水に困ってるのー。あたしも水の魔術で水は作れるけど、それにも限度があるし、近くの川も水量が少なくなって魚までいなくなっちゃって、食べるものにも苦労しそうなんだよー」

 なるほど。シェリーのいる地域は干魃に襲われている、と言うことか。

「それなら前に教えた反発力を使った魔術で水を大量に作るのはできないの?」

「ダイダルウェーブだっけ? あんな水量を大量に作っちゃったら畑が流れちゃうよー」

 うーん、どうしようか。

 干魃を乗り越えるだけなら、エルがシェルザールに行く前に使ったプチゲリラ豪雨の魔術がある。だがあれにはジャズの旋律の知識が必要になる。音楽に明るくないシェリーに伝えたところで成功するかどうかわからない。

 ダイダルウェーブならシェリーは実際に見ているから効果のほどはわかっているし、反発力を使う魔術なら音楽の知識がなくてもシェリーにも扱えるはずだ。

「ごめんだけど少し時間をくれる? シェリーにも扱えて、水不足が解消できそうな魔術ができないか考えてみるから」

「エルの仕事のほうはー?」

「もうほとんど終わってるからシェリーの手伝いに時間を割くくらい大したことじゃないわ。今から考えてみるからできるのを待ってて」

「うん、お願いー」

 そうして会話を終え、エルはどういう魔術がいいか考えた。

 基本は反発力を使う魔術だ。

 あれを使えば普通の魔術で水を作り出すよりも大量の水を作り出すことができる。

 だが、グレートウォールのような魔術で応用してはみたものの、水を大量に生み出す魔術は考えていなかった。

 ダイダルウェーブではない、単に大量の水を生み出す魔術。

 簡単そうに思えて実はそう簡単にはできそうにない。

 そもそもシェリーの村には魔術師がシェリーしかいないのだ。ダイダルウェーブで魔力切れを起こして動けなくなるくらいなのだから、魔力消費も抑えなければ水を大量に生み出した後、シェリーは何もできなくなってしまう。

 それでは村で何かあったときに肝心のシェリーを頼れなくなってしまう。

 エルの村ではセレナと言う魔術師がいたから治療院は何とかやっていけたが、シェリーの村にはシェリーしかいないのだから魔力切れは回避したい。

 となると構文をかなり練り込まないと魔力消費の問題でシェリーが動けなくなってしまう。

 水不足を解消するだけの水量を確保しつつ、魔力消費も抑える。

 そしてそれをなるべく早く完成させなければシェリーの村が窮地に陥ってしまう。

 親友のピンチなのだから何とかしないといけない。

 とにかくまずは反発力を利用した魔術でどれだけの魔力消費を起こすのかを確認しなければ始まらない。

 そうと決まればエルの行動は早かった。

 急いで研究テーマの書類や本を片付けて、魔術の成否を試す魔術具の水晶玉の前に立つ。とりあえずまずは思い付いた構文でどれだけの効果が出るかを確かめないといけない。

 そうして水晶玉に魔術をかけたところ、どんどん魔力が吸い取られていって、水晶玉は目映いほどの水色の光を放ち始めた。

 このままでは魔力切れを起こしてしまう、と言うときになって思いがけないことが起こった。

 水晶玉が砕け散ったのだ。

 魔力切れを起こす前に水晶玉が砕け散って、魔術の成否を確認することすらできなかった。

 それでも大分魔力を吸い取られたので、疲れた身体で執務机の椅子に座ってしばらく休む。

 まさか水晶玉が砕け散るとは思わなかった。おそらくは大量の水のマナを溜め込んで、風船のように膨らんだ水晶玉の中が水のマナで飽和状態になり、耐えきれなくなった水晶玉が砕け散った、と言ったところだろう。

 だが、一応これで反発力を利用すれば魔術具を壊してしまうくらいの大量の水のマナを集めることができる、と言うことはわかった。

 ただ魔力消費が大きすぎる。シェリーの魔力は2年生のときにエルと同じS判定。まだ成長したとしてもせいぜいSSだろう。もっと魔力消費を落とさなければ、この魔術で水不足は解消できても何かあったときにシェリーは役立たずになってしまう。

 もっと構文を練り直して、魔力消費を抑えなければシェリーの村は救えない。

 こういうときこそ天才と謳われたプログラマーの腕の見せ所だ。

 執務机に座って休んでいる間も、頭だけは動かして構文の見直しを行う。もっと簡潔に、効率よく構文を組み立てなければ魔力消費は抑えられない。

 しかし、その日は案はできたものの、シェリーが助けを求めてきたのが日中だったから魔力の回復にまでは至らず、再び試すことはできなかった。

 明日になって魔力が回復したら練り直した構文を試すことにして、その日は疲れた身体で寮に戻った。

 翌日は朝からすぐに練り直した構文で残った水晶玉に魔術をかけてみた。

 構文を練り直したおかげで昨日よりは魔力消費は抑えられたものの、また水晶玉が砕け散った。

 またかと思いつつ、砕け散った水晶玉の破片を集めて掃除し、最後に残った水晶玉を中央の机の上に置く。

 今日は朝からこの魔術の実験をしたから、遅くとも夕方には魔力は回復しているだろう。

 それまではまた執務机に座って構文の練り直しをする。

 何度も何度も頭の中でコードを組み立て直し、効率よく魔術が発動するように組み立てる。

 そうして夕方になって、残った最後の水晶玉に魔術をかけると朝よりは魔力消費を抑えた魔術になったが、最終的にはまた水晶玉が砕け散った。

 これで部屋にあった魔術を実践するための水晶玉はなくなってしまった。仕方がないので、明日になったら研究事務を担っている本館の部署に行って、新しく水晶玉をもらってくるしかない。

 そうしてその日を終え、翌日になってどうやったら水晶玉が壊れるくらいの魔術を使ったのかと怪訝そうに訊いてくる事務方の魔術師を適当な言い訳をして誤魔化し、新しい水晶玉を3つもらってきた。

 そして練りに練った構文で魔術を水晶玉にかけてみると、今度は最初に比べれば大分魔力消費を抑えた魔術になった。だが、同じ実践用の水晶玉では大量の水のマナの発生に耐えきれず、また砕け散った。

 これで壊した水晶玉は4つ。

 また同じことをして水晶玉を壊したら、今度こそ何をしたのかと問い詰められかねない。反発力の魔術はまだ発表する段階ではないと思っているので、実験場で試すこともできない。水晶玉が壊れるほどの水を発生させる魔術を衆目の目がある中でやらかしたら、いったい何をしたのかとここでも問い詰められるのは必至だ。

 仕方がないので、いったんこれで完成したことにして、シェリーに会話を繋ぐ。

「シェリー、今大丈夫?」

「うん、平気だよー」

「とりあえず、完璧にできるとは言えないけど、大量に水を発生させる魔術はできたわよ。もちろん魔力消費も極力抑えてあるわ」

「ホント!? ありがと、エルー」

「でも実際に試したわけじゃないからどれくらいの量の水が発生するかわからないわ」

「なんで? できたんじゃないの?」

「構文はね。でも講義でも使ってたでしょ、あの水晶玉。……うん、そう、それ。あれが壊れちゃって効果がどれほどのものになるかまでは確認できなかったのよ」

「それって危険じゃない?」

「危険はないと思う。ただ水を発生させるだけだから。ただどれくらいの水が発生する蚊までは予測できない。だからシェリーは川の上流でこの魔術を使ってみて、どれくらいの水が出てきたか教えてもらえると助かる」

「うん、わかった。エルを信じるよー」

「じゃぁ構文を伝えるからちゃんと覚えてね」

「うん」

 そうして組み上げた構文を何度も繰り返してシェリーに覚え込ませる。30分くらいかけてシェリーが諳んじることができるくらいまで暗記したのを確認してから覚える作業をやめる。

「とにかくこれで試してみて。結果はまた教えてちょうだい」

「うん、わかった。早速明日にでも試してから連絡するよー」

「お願い」

 そうして会話を終えたエルは大きく吐息をして、うまく行きますようにと願った。


 翌日は朝から研究室に籠もってシェリーの連絡を待った。

 どうかうまく行ってますように、と思いつつもじりじりと待っているとそろそろ昼食の時間になると言う頃になってシェリーから連絡があった。

「エル、ありがとー」

 その第一声を聞いてホッとした。

「その様子だとうまく行ったみたいね」

「うん。ぐわーんとでっかい水の塊ができて、ざばーんと流れていったよー」

「魔力は? 疲れてない?」

「まだ平気ー。で、これからどうするのー?」

「とりあえず、毎朝この魔術で水を発生させて水量を確保するの。そしたら川に水は戻るでしょ? そうしたら魚も戻ってくるし、水を運ぶ労力は必要だけど、川から畑に必要な水は確保できるようになるでしょ」

「なるほどー。さすがエル、あったまいいー」

「実を言うとね、似たようなこと、前にもやったことあるんだ」

「どういうこと?」

「私が15のときに私の故郷の村で干魃が起きてね……」

 それで干魃が起きた後、水と火と光のマナを組み合わせて雨雲を作ったことをシェリーに話す。そうしてそこから溢れ出した水で川の水を確保し、小麦畑を救った話をした。

「そっかー。エルは一度こういう経験してるんだー」

「そうなの。だから川に水さえ確保してしまえば、畑にやる分の水は確保できるのはわかってたわけ」

「でも今度は別の魔術だよね?」

「あのときは反発力を使う、って発想がなかったからね。今思えば水と火のマナを組み合わせたんだから反発して、大量の雨が降ったんだ、ってわかるけど」

「そっかそっかー。でもうまく行ってよかったよー」

「私も安心したわ。魔力も残ってるみたいだし、これでもし村で何か起きたときにも安心だわ」

「あ、そっか。エルがやったときは魔力切れ起こして何もできなくなったんだっけ」

「そう。だから構文をとことん練り直して魔力消費を抑えたってわけ。シェリーの村には魔術師はシェリーしかいないんだから、シェリーが魔力切れ起こしたら何もできなくなるでしょ?」

「そこまで考えてたんだー。さすがエルだ」

「褒めても何も出ないわよ。でもホントにうまく行ってよかったわ。これで今年の干魃は凌げるはずよ」

「うん、あたしも大丈夫だと思うー。エル、ホントにありがとー」

「お礼を言われるほどのことじゃないわ。シェリーのためだもん。これくらいどうってことはないわ」

「そうかなー? エルのおかげで水不足は何とかなりそうなんだし、すごいことだと思うけどなー」

「そういうんじゃなくて、シェリーだって去年私が実戦部隊に配属されて腐ってたとき、いつだって話を聞いてくれたじゃない。愚痴ばっかりで気持ちいいはずなかったのに、いつだって話を聞いてくれて励ましてくれたじゃない。その恩返しができたと思えばお礼なんて必要ないわよ」

「あれはあたしでもエルの役に立てるんだって思って逆に嬉しかったけどなー」

「でも辞表を出さないですんだのはシェリーが話を聞いてくれたおかげよ。だから困ったときはお互い様。また何かあったらいつでも言ってね」

「うん、そうさせてもらうねー。あ、そろそろお昼だね。お昼ご飯食べに戻らないと」

「もうっ、そういうとこは全然変わってないんだから」

「えへへー。でもエルもお昼ご飯の時間でしょー? 今日はお昼作ってきてないのー?」

「シェリーからいつでも連絡が来てもいいように、朝サンドウィッチを作って持ってきてるわ」

「じゃぁ食べながら話そうよ。へへ、なんだかシェルザールにいた頃を思い出しちゃうなー」

「そうね。毎日一緒にご飯食べて、お風呂に入って、一緒の部屋で寝て。もうあれから1年以上経つのよねぇ」

「早いもんだよねー。でもこうしてペンダントのおかげでいつでもエルが側にいてくれるような気がするから安心して村でもやっていけてるんだー」

「そうなの? じゃぁ作った甲斐があったってものね」

「うん。すっごく助かってる。今回みたいに何かあったらエルに相談すれば何とかなると思えるから気が楽なんだー」

「人を便利屋みたいに言わないの。そんなこと言ってるともう協力してあげないわよ?」

「えー!」

「冗談よ、冗談。シェリーが困ってるのを見過ごせるわけないじゃない」

「エルはやっぱり優しいね」

「そうかしら? シェリーが特別なだけだと思うけど」

「そうなの? だったら嬉しいな♪」

「そんなことよりお昼はどうするの?」

「もうすぐ家に着くところー」

「じゃぁ家に着いてご飯にしたら一緒にいただきますをしましょう」

「うん!」

 シェリーの弾む声が聞こえて安心する。

 魔術はうまく行ったようだし、これでシェリーの村は干魃の被害を免れるだろう。魔力消費も問題ないから、何かシェリーの助けが必要になったときにもシェリーはちゃんと魔術が使える。

 エルとしても壊してしまった分は仕方がないとしても、もうこれ以上水晶玉を壊して何をしたのかと追及されることもないだろう。

 万事うまく行ってこれ以上ない成果だ。

 そうしてシェリーが「家に着いたよー」と言ってきたのと同時に、シェリーの家族らしき複数の声が聞こえてくる。シェリーはペンダントのことは家族には話しているようで、食事時だと言うのにエルの声が聞こえても何も言ってこない。むしろ、シェリーの両親だろう年嵩の人の声が「いつもシェリーが世話になって」なんて言ってくる。

 まるで彼氏が彼女の両親に会っているような気持ちになってこちらまで恐縮してしまう。

 シェリーは食べながらでもお喋りをやめないので、エルも作ってきたサンドウィッチを食べながらまるでシェリーとその家族に囲まれて食事をしているかのような気分になる。

 普段ひとりっきりで食事をすませるから、こういう賑やかな食事は久しぶりで、本当にシェルザールにいた頃を思い出す。

 あの頃とは違って離れ離れになってしまったが、いつだってこうしてシェリーと話をすることはできる。

 去年は実戦部隊にいて腐っていたとき、今はこうして賑やかな食事を楽しめるとき、この魔術具を作ろうと思いつき、作ったことを本当によかったと思った。

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