第25話
実戦部隊に配属されてから2ヶ月。初陣から1ヶ月が経ってもエルは孤立したままだった。
それもそうで、訓練には出てこない。誰とも打ち解けようとしない。寮の部屋に籠もりっきりの生活をしていたのだから実戦部隊の宮廷魔術師たちとは疎遠になるばかりだった。
たまに研究したことを実践しようと実験場に出てくればクレトが「弛んでいる」と叱責してくるものだから、余計に実戦部隊の面々と顔を合わせるのがイヤになっていた。
それでも何とか宮廷魔術師を辞めないですんでいるのは日課になっているシェリーとの会話と、隊長のグラムソンが何も言わないからだった。
いくら他の宮廷魔術師たちからはサボっていると見られても、隊長のグラムソンが何も言わないのだから他の宮廷魔術師たちは何も言えない。クレトは副隊長らしく、叱ってくるがエルにとっては馬耳東風。聞いてやる義理などどこにもない。
だから日々寮の部屋で研究に余念がなく、次々と効率的且つ効果的な構文を編み出し、反発力や旋律による相性問題を利用した魔術の開発に勤しんでいた。
最初は功績を挙げて異動を有利にしようと思っていたが、この頃になると態度不良でどこでもいいから別の部署に配属されてもいいと思うようになっていた。
とにかく実戦部隊だけはごめんだ。
旅は長いし、野営はキツいし、人間関係も最悪。
これでシェルザールの同級生でもいればまだマシだったかもしれないが、いないのだからどうしようもない。
そうこうしているうちに次の命令が下された。
王都から北西に1ヶ月ほど行った場所にあるダライアと言う辺境で、隣国ヤルデカとの戦闘が激化してきたので撃退してくるようにとの命令だった。
ヤルデカも決して大きい国ではないが、小さくもなく、トライオ王国に倣って魔術の発展に力を入れてトライオ王国に反抗している国だった。トライオ王国は現状維持を望んでいるので、朝貢してくる小国には援助などを惜しまず、敵対する国には容赦なく撃退し、国の安定を手に入れているので、敵対国であるヤルデカには矛を収めるつもりはなかった。
宮廷魔術師を派遣するほどの大規模な遠征ともなれば相当気合いが入って叩き潰そうとしているようで、これに成功すればしばらくはヤルデカも反抗してこようとはしてこないだろう。
そのための大規模作戦だと言えた。
この大規模作戦のために、普段は実戦を行わない宮廷魔術師たちも集められ、グラムソンの元、部隊が編成され、出発することになった。
当然エルもついていかないわけにはいかず、「また面倒くさいことになった」と出発前から気持ちが落ち込んでいた。
だが、それも懐かしい顔触れを見て吹き飛んだ。
「やぁ、エル」
気鬱なまま実戦部隊に交じって出発前の準備を終えたエルに声をかけた人物がいたのだ。
「ルーファス! どうしてここに!?」
声をかけてきたのはルーファスだった。その後ろにはシェルザールで見慣れた同級生の顔がいくつもあった。
「カミーユ! ハンソン! ルネールまで! いったいどうしたの?」
「やぁ、エル、久しぶりね」
「相変わらずちっこいな」
「それがエルだからな」
口々に同級生たちが笑い、エルにもシェリーと会話するとき以外の笑顔が戻る。
「僕たちも今回の遠征についていくことになったんだよ。それで実戦部隊にいると聞いた僕が、他のみんなに声をかけて顔を見に来たんだ」
ルーファスが代表してにこやかに言い、エルも笑顔で応じる。
「みんな卒業式以来ね。元気にしてた?」
それぞれが頷き、懐かしい面々と再会できたことがこんなにも嬉しいものかとエルは泣きそうになった。
「みんなと再会できて嬉しいわ。話し相手なんてシェリー以外いなかったから」
「シェリーとは会ってるの?」
「ううん、これ」
カミーユが尋ねてきたので肌身離さず身に付けているペンダントを見せる。
「これに風の魔術をかけて遠く離れてても会話ができる魔術具にしたの。それでほぼ毎日シェリーとは話をしてるわ」
「エルシェリは相変わらずだな」
「ハンソンこそ。愛しのルネッタがいなくて寂しいんじゃないのぉ?」
「そ、そんなわけないだろう!」
シェルザールでも色恋の噂は定番で、ハンソンはルネッタと言う恋人がいて毎日が充実していたと言うから、当然のように宮廷魔術師になって離れ離れになったハンソンをからかう。
「これでも頻繁に手紙のやりとりはしてるんだ。多少離れてても問題ない」
「ホントにぃ?」
「あ、当たり前だろう」
どもるところが怪しいが、追求しすぎても可哀想だし、この辺でやめておく。
「でもエルが実戦部隊とはねぇ。ガザートの人事部は何を考えてるんだか。どう見ても場違いだろう」
「それ、人事部に言ってよ、ルネール。まぁでも、1年で出ていくつもりだからどうでもいいんだけど」
「何か失敗でもしたのかい?」
「違うよ、ルーファス。勤務態度不良で出ていこうと思って。ここ以外ならどこでもいいからってことで、訓練にも出てないわ」
「うわぁ、不真面目ー」
「いいのよ。こんなところに未練はないし、さっさとおさらばできるなら万々歳よ」
「そういうヤツに限って性根を叩き直す! とか言われて残ってしまうんだぜ」
「変な予想するのやめてよ。ホントになったらどうするのよ」
「悪い悪い」
ルネッタのことの仕返しのつもりか、ハンソンが茶化してくる。
「おっと、もう出発の時間みたいだね。もっと話していたいけど、僕たちも出発しないといけない。でも同じ遠征部隊にいるんだ。会う機会はいくらでもあるだろう。見かけたら気軽に声をかけてくれ」
「ありがと、ルーファス。そうさせてもらうわ。遠征では雑魚寝の野営だからシェリーとも話せなくて退屈なのよ」
「ならからかいに来てやるよ、エル」
「そっちこそルネッタのことでいびってやるわ」
笑顔で言い合うと、ルーファスたちも笑う。長期の遠征なんて憂鬱でしかなかったが、シェルザールで一緒だった友人たちが一緒なら心強い。実戦部隊の面々と一緒にいて気分が落ち込むより、旧友たちと一緒にいて話をしたほうがよっぽどか有意義だ。
ルーファスたちも出発すると言うのでいったん別れて、実戦部隊のところへ戻る。
久しぶりにシェリー以外で気分がいいことがあったので、ウキウキした気持ちでいるところへグラムソンの号令がかかった。
「では、出発!」
こうして遠征の旅は始まった。
今回の遠征は比較的憂鬱にならずにすんだ。
野営の食事や寝るとき以外はルーファスたちを探して歩き回り、誰かを見つければ昔話に花を咲かせると言ったことをしていたのが大きかった。
実戦部隊の中では完全に浮いているので話す相手なんていないが、誰かと話せると言うだけでこうも違うものかと実感するほどだった。
そんな1ヶ月の旅程を挟んでダライアに到着して大規模なテントを張って、来たるべき戦いへの準備は着々と進んでいた。
場所は小高い丘で、見晴らしはいいし、周囲に隠れられそうな森や林はない。ヤルデカも真っ向から戦うつもりらしく、同じようなテントが遠くに見えた。
正面から向かい合う形で相対するトライオ王国軍とヤルデカ軍。
規模は圧倒的にトライオ王国軍のほうが大きく、魔術師の数も桁違いだからよほどのことがない限り負けることはないだろう。
それでも戦闘は何が起きるかわからない。
シェルザールの最初の遠征でもコボルト相手と慢心していたら挟撃に遭って手痛い目に遭ったのだから、今回の遠征だって気を抜くわけにはいかない。何せ死んだら元も子もないのだから、なんとしても生き残って帰らないといけない。
そのためにもまた後方で安心して戦況を見ていられる役目がいいと思っていたら、とんでもない目に遭った。
クレトの部隊と一緒にエルを前線に出すとグラムソンが言ったのである。
これにはエルも「はぁ!?」と思った。
もっと小規模な魔物討伐の遠征で前線に出すならともかく、こんな大規模な戦争と言っていいくらいの戦いに、訓練もまともに出てこないエルを前線に出すと言うのだから実戦部隊の宮廷魔術師たちの誰もが驚いた。
「隊長、正気ですか?」
当然のようにクレトはグラムソンに進言した。
「オレは正気だ。前回が後方だったのだから今回は前線。ごく自然な流れだろう?」
「ですが、こんな訓練にもまともに出てこない半端者を前線に出すなど死にに行かせるようなものです」
「この程度の戦争で死ぬのならそれまでの魔術師と言うことだ」
「ですが……」
「オレの決定に不服でも?」
「ありまくりです。こんな実戦部隊を部隊とも思っていないようなろくでもない魔術師を自分の隊に加えるなど、士気に関わります」
「おまえはこんなド新人を扱いきれないと言うのか?」
「そうは言いませんが、他の隊員に迷惑です。訓練にも参加していないのですからまともな連携すら取れるかどうか」
「ならば好き勝手にやらせればいいだろう。部隊の責任者はおまえなのだから、尻拭いはおまえがすればいい」
「どうしてわたしがこんな魔術師の尻拭いなんかしないといけないんですか」
そうだ、もっと言ってやれ!
エルはクレトを応援した。前線なんて面倒くさいことに巻き込まれるのは嫌だ。今回も後方で安全に戦闘を眺めていたい。
だが、グラムソンも折れなかった。
いくらクレトが口を酸っぱくして嫌だと言っても頑としてエルを前線に出すと譲らない。
そうしてどれくらい押し問答をしていたかわからないが、折れたのはクレトのほうだった。
「では何かあったときは隊長が責任を取ってください。わたしはこんな魔術師のために経歴に汚点をつけることは我慢なりません」
「いいだろう。エルのことに関しての責任はオレが取る。わかったらさっさと準備しろ」
「はい」
根性なし!
エルは内心で毒づいた。
これで前線行きは確定。面倒くさい戦闘に巻き込まれて埃まみれになるなんて迷惑極まりなかったが、悲しいかな、宮仕えだから命令は絶対である。
それに勝手にしていいとグラムソンも言ったことだし、部隊が戦っている間は防御を固めてじっとしていることにしようと心に決める。そうすればやられる心配は少ないし、防御魔術も満遍なく使える。クレトだってこれだけ悪し様に言うのだから戦力として期待はしていないだろうから、ひとり離れたところで大人しく自分だけ守っていれば文句など言われないだろう。
そうと決まれば気は楽だ。勝手にやって勝手に帰ってくる。ただそれだけでいいのだから。
むしろルーファスたちのほうが気になる。
シェルザールの遠征で戦闘経験はあるとは言ってもこんなに大規模な作戦に駆り出されるのはエルと一緒で初めてだ。ルーファスは魔術の知識も魔力もあるからさほど心配はいらないだろうが、カミーユたちのほうが心配だ。
今頃不安で震えていないだろうかと思うといても立ってもいられなくて、クレトが部隊を集めてブリーフィングをすると言うのにエルは抜け出してカミーユたちを探しに行った。
遠征の旅程で話したときに聞いた話では、カミーユは庶務系の事務仕事をしていると言うし、ハンソンは魔術省に早々に出向に出されて官僚をやっているという。ルネールは研究者の助手として研究棟に出入りしていると言っていたから、シェルザールでの遠征以外で、しかも人間相手に戦うのは初めてだ。
もちろんエルも人間相手に戦うのは初めてだが、一度実戦部隊で戦闘を経験したかしないかは結構大きい。シェルザールでの遠征は前期に行われるから、ゆうに1年以上の戦闘のブランクがあることになる。それに比べてエルは魔物相手とは言え、先月戦闘したばかりなのだから、戦場の空気と言うものも知っている。
案外こういうことは馬鹿にならないもので、日頃机に向かって仕事をしているのと、戦闘を経験したことがあるのとでは大きな開きがある。
遠征軍を探し回ってハンソン、カミーユ、ルネールと見つけたエルはそれぞれに声をかけ、おそらくカミーユたちは後方支援に回されるだろうから危険は少ないだろうと言う根拠のない言葉をかけて安心させた。
そうして部隊に戻ってくると怒髪天を衝く勢いのクレトに出迎えられた。
「どこへ行っていた……」
「た、隊長は好きにしていいと言ったので好きにしてました」
「ブリーフィングだと言っただろう!!」
「後で教えてもらえば平気です」
「お・ま・え・は! 本当に協調性がないなっ!!」
この部隊ではそんなもの捨ててきた。
だが、クレトも副隊長として責任があるのか、ブリーフィングで話した内容は教えてくれた。
だが、それが最悪だった。
前線も前線。遠征軍の騎士団のすぐ後方について、敵と戦うと言うのだ。虎の巣の中に武器も持たずに入っていけと言われているようなもので、それを聞いたエルはがっくり来た。
防御を固めて逃げ回るだけじゃすみそうにないなぁ。
そう思えたからだ。
魔物相手ならば殺しても罪悪感なんて湧かないが、相手が人間となると攻撃するのも躊躇いそうだ。敵なのだから容赦はいらないとはわかっていても、相手が魔物か人間かでは抱く感情が違う。エルに大事な家族がいるように、相手にだって家族や恋人がいるだろう。人を殺すと言うことはそういう関係を断ち切ると言うことだ。
戦争なのだからそこは割り切って考えるのが軍人なのだろうが、あいにくとエルは軍人ではなく魔術師だ。単に実戦部隊に配属されたからいるだけの魔術師である。そんなエルに敵だから殺せばいいなんてことは考えられない。
こうなるとどうにかして自分の手は汚さない方向で考えないといけない。
防御を固めて逃げ回っても相手が近くにいて攻撃してくるのであれば、それを無力化しないといけない。殺さないまでも昏倒させるなり何なりして動けなくさせてしまわないと寝覚めが悪い。クレトたちが誰を殺そうとも気にはしないが、自分の手が汚れるのは嫌だ。
相手を昏倒させるとなると闇の魔術が一番適している。だが、正直闇の魔術はそこまで得意ではない。光の魔術の関係で闇の魔術の研究もしてきたが、こういう事態になるとは思わなかったのでそこまで突き詰めて研究していない。
シェルザールでも闇の魔術は古式派を選んでいたのでそこまで目新しい魔術を習っていなかったのも裏目に出た。
何がいいかを考えて、スウンオール辺りで周辺にいる敵全員を昏倒させて逃げ回るのが一番楽だと思い付く。昏倒して動けなくなった敵がどうなっても後は知らない。死んだと思われて実は生き延びるかもしれないし、とどめとばかりにぐっさりと行かれて死ぬかもしれない。
だが、自分の手を汚さないですむ、一番楽な方法がこれしか思い付かなかったのだから仕方がない。
闇の魔術なら風のマナとの相性も問題にならないし、構文も無駄のないようにアレンジしたものがあるから魔力消費に悩む必要はない。バンバン連発して近くの敵をガシガシ昏倒させて逃げ回っていれば後は誰かが何とかしてくれるだろう。
もし部隊の誰かにかかったとしてもそれは不運だと諦めてもらうしかない。エルは自分の身の安全のほうが大事なのだ。
だいたい安全な宮廷魔術師だからと送り出してくれた家族に、実戦部隊に配属されて死亡しましたなんて報告が行った日には目も当てられない。
そうと決まれば後は自分の好きなように動いてもクレトは文句を言わないだろう。責任はグラムソンが取ってくれると明言したのだから。それにクレトもエルのことなど相手にしないだろうし。
方針は決まった。
後は野となれ山となれだ。
寝袋で寝るのは地面が固くて疲れが取れないのだが、戦闘が始まってしまえばそんなことは言っていられない。自分の心配と、同級生たちの心配をして、その日は早めに就寝した。
いよいよ戦争が始まるとき、エルは最大出力で土のマナを組み合わせたホワイトバリアを自分にかけて防御力を完璧にし、いつでも逃げられるようにフライトップの構文も頭の中でおさらいしておく。次いで、スウンオールの構文も暗唱できるように頭の中で何度も繰り返し唱えて準備を万端にしておいた。
そうして始まった戦争は最初から激戦になった。
鎧を身に纏った騎士たちは剣や槍を手に突撃し、それに続いて魔術師たちも攻撃魔術を惜しみなく使って敵を倒していく。
クレトの隊も負けじと攻撃魔術を連発してどんどん敵を倒していく中、エルだけは逃げ回り、かけられた魔術はディスペルで無効化し、近づいてくる敵はスウンかスウンオールで昏倒させる、と言うことをしていた。
ルーファスたちはやはり後方支援に回ったらしく、前線の宮廷魔術師は実戦部隊ばかりだった。
傍目にはエルは次々と敵を倒して獅子奮迅の戦いを見せているように見えるが、実際は殺さず昏倒させているだけにすぎない。
その上を騎士たちが通り過ぎて不運にも命を落とす敵兵もいたりしたが、それはもう本当に運が悪いとしか言い様がない。
無駄のないコードで魔力消費を極限まで落としているから、いくらスウン関係の魔術を使ったところで魔力切れを起こす心配はない。だからバンバン使ってバンバン昏倒させているのだが、逆に見ればひとりで多数の敵を倒している圧倒的な力を持つ魔術師に見える。
見た目は子供なのに、エルに襲いかかった敵兵は悉く倒されているのだから、敵から見れば脅威である。
ついには「あの子供みたいな魔術師を倒せ!」と言う声が聞こえた瞬間、エルは「もうここまでだな」と諦めた。
後はよろしくとばかりにフライトップの魔術を発動させて本陣に飛んで逃げてしまった。
逃げたところで問題はない。敵前逃亡だろうが何だろうが責任はグラムソンが取ってくれる。好き勝手していいと言ったのもグラムソンだし、そのとおりにしたのだから非難を浴びる謂われはない。全部グラムソンのせいにしてしまえばいいのだから、逃げたところで痛くもかゆくもない。
まだ18歳で死んでしまうなんて惜しい。前世でも29歳で死んでしまって夢を諦めてしまわざるを得なくなってしまったのだから、この世界でも早死にして人生をふいにするなんてまっぴらごめんだ。
本陣に戻ったエルはとりあえず詠唱のしすぎで渇いた喉を潤して、実戦部隊が駐屯するテントに戻った。後はここでゆっくりと戦争が終わるのを待てばいい。1時間余り戦場にいた限りでは体制はトライオ王国軍有利に進んでいるように見えた。
規模も魔術師の数も桁違いなのだからもうヤルデカ軍に勝ち目はないだろう。
そのうち勝敗も決してヤルデカ軍は逃げていくことだろう。
そうなればちょっかいをかけてくる面倒な敵国との関係もしばらくは落ち着くことになる。
落ち着けば実戦部隊がまたこうした戦争に駆り出される心配がなく、後は魔物討伐の任務が待っているだけだ。
テントでゆっくり休んで、暇を持て余しながら勝敗が決するのを待つ。
3時間を過ぎる頃にはそれもわかって、ヤルデカ軍はほぼ壊滅的な打撃を受けて敗走。トライオ王国軍の勝ち鬨の声が戦場に響き渡った。
これで面倒くさい戦争は終わった。
続々とトライオ王国軍が本陣に帰ってきて、実戦部隊もテントに戻ってくる。
先にテントで悠然としているエルに実戦部隊の宮廷魔術師たちは胡乱な目を向けてきたが、今更そんな視線を向けられたところで気にもしない。気にするだけの関係を築いていない。
しかし、クレトは違っていた。
エルを見つけるなり、顔を真っ赤にして走り寄ってきたのだ。
「貴様! どういうつもりだ!?」
「どうって、何がですか?」
「勝手に逃げやがって!! 宮廷魔術師なら魔力切れまで戦わんか!!」
このクレトという副隊長は身体は立派なりに、魔術師にしては脳筋のようだ。
「勝手にしていいと言ったのは隊長です。だから勝手にしました。それにそれなりに敵は倒しましたよ? 褒められこそすれ、怒られる謂われはありませんけど」
「この期に及んで口答えするか!!!」
あーあ、前世でもこんな根性論で残業を強いるバカな上司いたなぁ。
効率よく仕事をして定時退社しようものなら弛んでいると怒るような上司は前世でもいた。それによく似たタイプだろうと思って、相手にするだけ無駄だと悟る。
「文句なら隊長に言ってください。それに隊長のごり押しを受けたのは副隊長です。イヤならもっと食い下がって連れていくのをやめたらよかったじゃありませんか」
これにはクレトもぐうの音も出ない。
グラムソンが責任を取る。だったら連れていくと決めたのはクレトだ。
クレトはなおも何か言いたそうに口をパクパクさせていたが、うまい言葉が見つからなかったのか、それ以上何も言わずに肩を怒らせて去っていった。
これできっと実戦部隊でのエルの立場はさらに悪くなっただろうが、どうでもいいことだ。厄介者として敬遠されれば人事部も異動希望のときにちゃんと考慮してくれるだろう。逆にここから出られるのであれば願ったり叶ったりである。
そこへ当のグラムソンが現れた。
「クレトとやり合ったようだな」
「知りません」
「だが、おまえの働きは見事だった。オレも見ていたが面白い魔術を使う。あれは闇の魔術だから殺していないな?」
「そうですけど何か?」
「敵と戦うとき、殺すより無力化するほうがよっぽどか難しい。それを難なくやってのける手腕を見事だと褒めているのだが?」
「そうですか。ありがとうございます」
「あまり嬉しそうではないな」
「魔物相手ならともかく、人間相手はイヤです。相手にも家族やなんやらがいるんです。死なないですむならそれに越したことはないじゃないですか」
「戦争には向かない考え方だな」
「あいにくと戦争がしたくて宮廷魔術師になったわけじゃありませんので」
「そうか。だが惜しいな。その技術があればかなりの実績を上げられるだろうに」
「ここでの実績に興味はありません。そもそも私は研究がしたくて宮廷魔術師になったんですから」
「なら人事部にはオレからここに留めておくよう進言しておいてやろう」
「嫌がらせですか」
「オレは本気だ」
「ご冗談を」
「まぁ今はそう思ってくれていても構わん。だが今回の戦争でオレはおまえを高く評価した。殺さないであれだけの敵を倒していくその技術、他の部署にくれてやるには惜しいのでな」
「どうせ勤務態度不良で厄介払いですよ。実戦部隊の他の宮廷魔術師たちも私がいないほうが気楽でしょう」
「くっくっくっ……、よほどここがイヤだと見える」
「当たり前じゃないですか。私には一番性に合わない部署ですね」
「なぁに、1年もすれば慣れる。それまでは好きにさせてやるさ」
「言質取りましたからね。じゃぁ私は私の好きなようにします。一応宮仕えなので、命令が出れば従いますけど、それ以外は好きにさせてもらいます」
「いいだろう。それがここのためになると言うのなら訓練に出なくても構わん」
「でも私が好きで研究してることなんて、他の誰かに教えるなんてことはしませんからね。研究者になって、研究発表する機会があれば試してくれても構いませんけど、それまでは私だけの秘密です」
「それはもったいないな。是非ともオレにも教えてもらいたいものだ」
「お断りします」
「にべもないな。まぁいい。前回の後方支援と言い、今回の前線と言い、おまえの実力は見させてもらった。今はそれだけで満足することにするさ」
「はいはい」
もう話したくもないとばかりのなおざりに返事をする。
だが、グラムソンはクレトと違って怒るどころか、どこか楽しげにくつくつと笑うと部隊の宮廷魔術師たちを労いながら去っていった。
あーあ、早く帰ってシェリーと話したい。
片道1ヶ月の遠征だからとシェリーには定期的に風のマナをペンダントに送るように念を押しておいて、話しかけないように言ったから無性にシェリーの明るい声が聞きたい。
きっと今日の愚痴もシェリーならば「大変だったねー」と明るく言ってくれるだろう。
あの素直で明るい性格は、こんなろくでもない部署にいて腐ってしまいそうなエルの心を救ってくれる唯一のものだった。
最初はただ離れ離れになっても話ができるようになるといいねと思いつきで作ろうと決めた魔術具だったが、今となってはエルにとってなくてはならない重要なアイテムになっていた。
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