第24話

 宮廷魔術師になるための試験の日がやってきた。

 シェルザールでの入学試験と同様、夕食を食べた後、お風呂を貸してもらって入り、身綺麗にしてから当日を迎えた。母親のアンナが作ってくれた一張羅はもうないので、前と同じ水色のワンピースを着てガザートに向かった。

 正門の騎士に用件を告げるとスイールの言うとおり、話がついているようで詰め所にいる騎士に案内されて、人事部があった建物に案内される。

 人事部のドアの前で待っているように言われ、待つこと10分ほど。中年の男女3人の魔術師がドアを開けて出てきて、エルについてくるように言ってきたのでついていく。

 試験会場はスイールと話した小部屋とはまた別の部屋でやるようで、2階に案内され、そこの比較的大きな会議室と言った趣の部屋に通される。そこにはすでに試験をするための準備が整えられていて、試験官3人分の椅子とおそらくメモ用の紙と机、そして前世で就職面接をしたときのように離れて椅子がひとつ置かれていた。

 試験官が着席してから、中央に座った男性が座るように言ってきたので、「では、失礼します」と言ってから椅子に座る。

 まず自己紹介から始まって、スイールが言ったとおり、シェルザールでの勉強のことや卒業試験のテーマなどを聞かれ、それに淀みなく答え、最後に魔力判定をしてから試験は無事終了した。

 宿暮らしなので結果は1週間後にまた来て、教えてくれるとのことだったので、このときはそれでガザートを後にした。

 そうして結果がわかる1週間の間は街をブラブラしながら過ごし、1週間後にまたガザートの人事部に出向き、結果の報告を受ける。

 結果だけ言うと合格だった。

 やはりシェルザールの名前が効いたのだろうとも思ったし、得意な魔術はない代わりに不得意な魔術もない優等生ぶりも効いたのだろう。スイールと話した小部屋でその報告を聞いたエルは、ホッとした。

 どういう配属先になるかはまだわからないが、とにかく合格はできたのだ。

 これで宮廷魔術師として生活することができる。

 小部屋では試験官を務めた中年の女性が説明をしてくれて、今後はどういう風に過ごすのかを尋ねられた。

 ガザートの詳しい内部事情を知らないので聞いてみたところ、いわゆる社員寮のような寮もあるらしく、特に独身の魔術師はここで暮らすことが多いとのことだった。さすがに宮廷魔術師くらいのエリートになると、シェルザールのような相部屋ではなく、竈や暖炉も整備された個室と言うことだった。

 他にもガザートの設備について尋ねると、だいたいはシェルザールと似たようなものだった。

 人事部などの事務仕事を担う事務職がいる本館、主に研究をする魔術師が配属されて研究をする研究棟、広い実験場、寮とシェルザールほどではないものの、一通り必要な設備があることはわかった。

 エルに結婚する意思はないのでまた寮暮らしをすることに決めて、その旨を伝えると手続きはしてもらえるとのことだったので、また手続きが終わる2日後に荷物を持ってガザートに来るように言われた。

 シェルザールではシェリーと言う最高のルームメイトに恵まれて学校生活は楽しいものになったが、今度の寮暮らしではどうなることか。宮廷魔術師になれるくらいの人材なのだから、そうそうろくなヤツはいないだろうが、エルは見た目が見た目である。人となりがわかるまで、また子供扱いされるのではないかと思うと少し憂鬱だった。

 ともあれ、生活拠点も決まり、これで宮廷魔術師としての生活が始まる。

 どこに配属されるのかはまだわかっていないが、とにかく面倒なところにだけは配属されませんようにと祈ってその日は終わった。


 宮廷魔術師は何もシェルザールの卒業生だけで構成されているわけではない。

 シェルザールの学生だったならばそれなりに高い魔力を有しているとわかっているから有利だとは言え、魔力は平均して18歳くらいまで成長する。だからシェルザールの試験のときにA判定をもらえず、別の学校に入学したとしても、後に魔力が成長してA判定、S判定の魔力を有することになり、宮廷魔術師として生活することもできる。

 ただやはりというか、宮廷魔術師で一番多いのはシェルザールの卒業生だった。

 そもそも入学試験の段階で魔力の強弱でふるいにかけられるのだから、その卒業生と言うだけで魔力判定はA以上が確定している。順調に成長すればS判定は当たり前の名門だから宮廷魔術師の中でもシェルザール出身者は多い。

 そこでエルが思ったのはシェルザール出身者と、そうではない学校の出身者の派閥である。

 前世でも高卒で入社したエルは、会社でどこの大学の出なのか、専門学校で学んだのかなどで確執があったくらいなので、そういう面倒くさい確執がここでもあるのではないかと思ったのだ。

 エルはまだ知らないが、当然それはあった。

 古式派、革新派の派閥と同じくらいシェルザール出身かそうでないかで確執はあった。

 またシェルザール出身くらいの魔力があると革新派に入る場合が多く、そうでないと古式派に流れるのがだいたい一般的な魔術界の流れだった。低い魔力でもやっていけるのは古式派のほうが馴染みやすいし、高い魔力を有しているのならば様々なことができる革新派に流れるのは当然だと言えた。

 もちろんそれは一般論であって、そうではない場合も多々あるが、そういう場合は出身校で見下されることがあって、肩身の狭い思いをすることがままあるのだ。

 そんなことは知らないし、エル自身はシェルザールに入れるくらいの魔力があったから入ったくらいの気持ちだし、そもそもそういう確執や派閥争いに興味がない。

 それよりも会社勤めを2年で辞めた根性なしが宮廷魔術師としてやっていけるのかどうかのほうが心配だった。

 そうして2日後には寮に入り、いわゆる引っ越し費用として少なくない金額のお金を手に入れ、宮廷魔術師としての生活が始まった。

 そうして寮に入った翌日からはまず本館で、人事部の魔術師からどこに配属されるのかを聞かされる。

 そこで聞いた配属先にエルは落胆した。

 実戦部隊に配属になったのだ。

 実戦部隊とは、王都周辺では近衛騎士団とともに、要請があれば近隣の町に出向いてそこの自警団や守備隊とともに魔物討伐に当たる。場合によっては辺境にまで出掛けてそこで関係の悪い国との戦闘に参加することもある、いわゆる武闘派の一団だった。

 いわば魔術師の予備役のようなもので、普段は魔術の稽古に励み、命令が下されればそこに出向いて魔物だの敵国だのとの戦闘を行う。面倒な事務仕事ではないとは言え、これならば逆に面倒くさいと思っている事務仕事のほうがまだマシだと思えるくらいだった。

 エルがこの配属先に選ばれたのは得意な魔術もなければ不得意な魔術もない、と言う使い勝手のよさからだった。戦闘では様々な魔術を駆使して魔物などと戦う。そういう場合にエルくらい器用な魔術師は重宝されるのだ。攻撃から防御、補助まで満遍なく使えるのだから、これほど便利な魔術師はいない。

 試験では研究したいと言ったのに、研究はおろか、その研究とは全く縁遠いところに配属されてしまったのだから落胆も大きい。

 いっそのこと、もう辞表を提出してやろうかと思うくらいだった。

 だが、宮廷魔術師としての生活は始まったばかり。悪いことばかりではないと思い直して、辞表を提出することだけは回避した。

 当然シェリーは爆笑した。小柄なエルが実戦部隊なんて汗臭いところに配属されたのだから当然と言えば当然だ。

 むしろこの小さい身体に見合った部署に配属してくれればいいのにとシェリーに愚痴ってしまうくらいだった。

 不満だらけの船出だったが、異動希望は年に1回あると言う。そのときにこの身体に見合った部署に配属し直してもらえるように希望を出して早く実戦部隊から離れようと心に決めた。

 そうして翌日には早くも実戦部隊との顔合わせがあった。

 女性も少なからずいたが、やはり男性の比率が高い。しかもエルほど小さな魔術師が実戦部隊に配属されたとあって、顔合わせのときにはくすくすと笑われて不愉快だった。

 こちらだって望んでここに配属されたわけではない。

 だが、ここで功績を挙げて実力を見せつければ異動希望だって通りやすくなるだろう。それまでの我慢だと思ってなるべく顔に出さないように自己紹介をした。

 その後まず最初に紹介されたのがこの部隊の隊長だというグラムソン・ルーダと言う長身痩躯の中年男性だった。宮廷魔術師のローブはよれよれで、髪も適当に切っているのかボサボサ、ひょろりとしていてとても実戦部隊の隊長とは思えないくらいの風貌だったが、眼光だけは鋭かった。

 次に紹介されたのが副隊長というクレト・クレイマンという若い男性だった。こちらは隊長と違い、体格のいい男性でローブもきっちり着こなし、ほぼ刈り上げの短髪が実戦部隊にふさわしい見た目だった。

 とりあえず、紹介はこのふたりだけに留まり、クレトに連れられて実験場に向かった。

 ここで魔術の実技をしてもらって実力を見るという。こんな面倒くさいことなど早く終わらせて寮に帰りたいとしか思っていないエルは、言われるままに適当に魔術を行使し、本来の実力の半分以下で終わらせた。

「ふむ、さすがにシェルザール出身だけあるな。どの魔術も申し分ない。戦力としては十分だろう」

 クレトはそんな風に言ったが、真面目にやればもっと強力な魔術は行使できる。だが、早く終わらせたいだけだったので、初歩中の初歩の魔術だけを見せて終わらせたのだが、それでもそこそこの評価にはなったようだ。

「とりあえず、今のところは討伐などの命令は下りていない。明日からはこの実験場で各自魔術の鍛錬に励むこと。わかったか?」

「はいはい」

 適当に返事をする。

 早ければ1年の我慢でこの部隊とはおさらばなのだから、愛想を振りまいてもしょうがない。それに鍛錬なんてどうでもいい。本当は研究がしたいのだから、早く寮に帰ってあれこれ魔術の実験をしてそれを実戦で見せつけて、研究者として有能だと言うことを知らしめることのほうが重要だ。

 その日はそれで終わったが、これからのことを考えると憂鬱だった。

 本当にこんなところに配属されるくらいなら事務仕事のほうがまだよかった。

 机に向かって何かをしていればいいのだから、面倒な鍛錬や実戦などに駆り出されずにすむ。

 研究がダメなら内勤の希望でも出して早くこの部隊からおさらばしたい。

 早くもエルが考えることはそればかりになっていた。


 一足先に宮廷魔術師となって、研究者としての道を歩んでいたルーファスは、エルが実戦部隊に配属されたと聞いて驚いた。

 エルほどの知見と観察眼を有する人材を実戦部隊に配属するなど、ガザートの人事部の目は節穴なのかと疑いたくなるくらいだった。

 だが、異動希望は年に1回。短くても1年は実戦部隊で働かなければならない。

 もし実戦でエルが命を落とすようなことになれば魔術界にとって大きな損失になる。

 研究職と実戦部隊では接点がまずないから、ルーファスからエルに近づくことも難しい。

 ルーファスは本気でグランバートル家の名前を出して来年にはせめて事務職に異動させてやろうかとも考えた。

 だいたいエルくらい小柄な体格の女性が実戦部隊などあり得ない。

 人事部も何かの理由があって実戦部隊に配属させたのだろうが、その選択が間違いだったことはすぐにでもわかるだろう。それくらいルーファスはエルのことを買っていたし、同じ研究者として魔術の発展に寄与するのが一番魔術界にとってもいいことなのだと思っていた。

 確かにシェルザールで行った遠征でのエルの活躍は素晴らしかった。臨機応変に魔術を使い分け、リーダーとして冷静に班の状況を見極め、適切なアドバイスを送っていたことは見ていたから知っている。

 だから実戦部隊でもきっと成果を上げてくれるだろうことは想像に難くなかったが、あまり成果を上げすぎると今度は部隊がエルを離してくれない。

 独学で魔術具を製作した技術と言い、新たな概念を見つける観察眼と言い、遠征で見せた冷静な対応と言い、エルの才能は研究者としての道が最も開花しやすいものだと信じていた。

 幸いグランバートル家として宮廷魔術師の内部にも詳しいルーファスは人事部にも顔が利く。情報収集は欠かさず、エルが早く実戦部隊から離れられるようにアンテナを張っておかなければならないと思った。


 宮廷魔術師になって1ヶ月、実戦部隊に配属されてからも1ヶ月。

 エルはほとんど寮から出ることはなかった。

 クレトからは鍛錬に励むようにと言われていたが、鍛錬などどうでもよかった。それよりも寮でひとり研究していたほうが面白いし、実りも多かった。

 学生のうちは学生らしく、とモットーに暮らしていたから悪目立ちするようなことは極力避けてきたが、宮廷魔術師になればそんなことに気を遣う必要はない。

 天才プログラマーとしての知識と経験を総動員して、いかに効率よく、無駄のない構文で、旋律による効果の上昇を加味した魔術を行使できるかを常に考え、試していた。

 そうこうしているうちに実戦部隊に命令が下り、王都から西に1週間ほど行ったガルネと言う町にトロールの群れが現れるようになったので、実戦部隊に応援要請が来た。

 トロールというとシェルザールの講義でも習ったが、大型の人型の魔物で1匹程度ならば町の守備隊や町にいる魔術師で撃退できる程度の強さなのだが、それが群れで現れたと言うから守備隊の手には余る、と言うことだった。

 今は町の魔術師が土の魔術で防壁を築き、トロールの群れの進行を抑えているらしいが、町の魔術師だけでは抑えるのが手一杯。退治するにはもっと大規模な軍勢が必要、と言うことで近衛騎士団とともに遠征に出ることになった。

 ほとんど鍛錬にも出ずに寮で研究に励んでいたエルもさすがに同行しないわけにもいかず、グラムソンを筆頭に実戦部隊は近衛騎士団とともにガルネに向かった。

 1週間かけてガルネに到着した近衛騎士団と宮廷魔術師たちは早速町の防衛に当たった。町の魔術師だけでは抑えるのが精一杯だった防壁を厚くし、近衛騎士団が討伐に当たりやすいように後方支援をする。もちろん、宮廷魔術師たちも立派な戦力だ。後方から防壁を回り込んで侵攻してくるトロールの群れを撃退もする。

 鍛錬にほとんど出てこなかったエルが実戦で役に立つのかと、実戦部隊の仲間たちからは懐疑的な目を向けられていたが、始まってしまえばどうとでもなる。相性の悪いマナ同士の反発力を使えば、例えば簡単な光の魔術であるホーリーランスもトロール程度ならば一撃で倒せることはわかっているし、後方で支援していろと言われれば独自にアレンジした構文で効率よく魔術を展開することもできる。

 要はこの実戦で実力を見せつければ、鍛錬に出ないからと言って何もサボっていたわけではないことは実証できる。

 ガルネに到着して2日で防衛線を構築し、いよいよ討伐に向かうと言うときになって、隊長のグラムソンからはエルを含む数人が後方支援に当たるように命じられた。

 おそらくは実戦部隊を希望した武闘派の宮廷魔術師は後方支援に不満そうだったが、エルにとっては危険の少ない後方は逆にありがたかった。

 「足手まといになるなよ、チビ助」などと言われて腹も立ったが、ここで当たり散らしても仕方がない。実際に戦闘が始まれば実力など思う存分見せつけられる。

 後方支援の宮廷魔術師のやることの最初はホワイトバリアを近衛騎士団や戦闘に参加する宮廷魔術師たちにかけることから始まった。防御魔術で汎用性が高く、土のマナを組み合わせることで物理攻撃にも対処できる。トロールのような力で押してくるタイプの敵にはごく普通のやり方だった。

 後方支援を命じられた宮廷魔術師たちが分担して近衛騎士団や戦闘に出る宮廷魔術師たちにホワイトバリアをかけていく。エルもそれに加わり、独自にアレンジした構文で魔力の消費を極力抑えたホワイトバリアをかけていく。

 そうして準備が整った近衛騎士団と宮廷魔術師たちがトロールの群れに攻撃をしかけた。

 後方でそれを眺めていたエルは、ただ「退屈だなぁ」と思っていた。

 近衛騎士団も宮廷魔術師たちも実戦豊富な人材ばかりだからトロールの群れ程度に後れを取ることはない。それに先にホワイトバリアをかけたおかげで防御にも不安はない。たまにしくじって怪我をした近衛騎士団の騎士を治癒するくらいで、他にやることなどないのだ。

 欠伸を噛み殺すので精一杯のエルは、不意に指揮を執っていたグラムソンに声をかけられた。

「そんなに暇なら今からでも前線に出るか?」

「いえ、ここでいいです」

 慌てて答えたものの、退屈には変わりがない。たまに出る怪我人も他の宮廷魔術師が治癒してくれるおかげで、エルの出番はほとんどなかった。

 そんな風にして退屈さを感じながら戦闘を眺めていたエルは、早く終わらせられないかをつらつらと考えていた。

「あー、トロールの群れが防壁の左側に寄ってますねぇ。右の戦力は手薄になっても後方の私たちがいるので、左に集中して一網打尽にしたほうがいいんじゃないですかぁ?」

「どれ?」

 グラムソンは望遠鏡を覗き込み、戦況を見つめる。

「ふむ、一理ある。何か策はあるのか?」

「後方の私たちで右手を塞いじゃいましょう。そうすれば必然的にトロールの群れは左側に集中して戦力を左側に集中できます」

「できるのか?」

「グレートウォールで壁を作ってしまえば簡単でしょう」

「いいだろう。やってみろ」

 そう言うとグラムソンは風の魔術で宮廷魔術師たちに指示を出して戦力を左側に寄せるように命じた。

 その間にエルは風のマナの反発力を利用したグレートウォールの魔術を唱えて、少ない魔力で右手に大きな防壁を作り上げた。

 トロールの群れは突如現れた壁に戸惑い、行き場を失ったので必然的に空いている左手に向かう。そこには素早く戦力を集中させた近衛騎士団と宮廷魔術師たちが待ち構えている。

 左右に分散していた戦力を一点に集中させることで突破力が増し、トロールたちは次々と倒れていく。大型とは言っても所詮は力任せの知能の足らない魔物だ。精強な近衛騎士団と宮廷魔術師の集中攻撃の前にあっという間にけりがついた。

 それを見てエルは「やっと終わった」と安堵した。

 初陣と言うこともあって後方に回されたのだろうが、退屈で仕方がなかった。今はとにかく早く帰ってまた研究したい。グレートウォールの魔術で反発力を使った魔術の効果は確認できたから成果はまぁまぁあったと言っていいだろう。

「撤収だ。後は町の人間にトロールの死体を片付けさせろ」

 グラムソンがそう言って踵を返す。

 これで作戦は終了。また1週間かけて王都に帰らないといけない。

 野営は身体が痛くなるから苦手なんだよなぁ。

 そんなことを思いながら撤収してくる部隊を尻目に、早々とエルはガルネの町に引き上ようと歩き出した。


 つまらなさそうに町に向かって歩いていくエルをグラムソンは鋭い視線で見ていた。

「エルとか言ったな、ちょっと待て」

 さっさと帰ろうとするエルを呼び止める。

「何ですか? 隊長」

「おまえの魔力判定はどれくらいだったんだ?」

「Sですけど何か?」

「そうか。わかった。行っていいぞ」

「はい」

 素っ気ない返事を残してエルは再び歩き出した。

 その後ろ姿を見て、グラムソンは目を細めた。

 グレートウォールの魔術は土の魔術の補助魔術としては初歩的な魔術だ。土の壁を作り上げて防壁にしたり、簡単な防御に用いる。

 しかし、エルが作り出したグレートウォールの壁はとてもS判定の魔力しかない魔術師が作れるほどの大きさではなかった。

 ほぼぐるりと右手側のトロールを囲い込んで侵攻を防いでしまったのだ。

 いや、魔力のほとんどを使えばあれだけの規模の魔術になってもおかしくはない。

 だが歩いていくエルの足取りはしっかりしているし、魔力切れを起こしたような様子は全くない。

 しかも近くで詠唱を途切れ途切れに聴いた限りでは土のマナだけではなく、風のマナも用いていたはずだった。

 土と風のマナの相性は悪い。これは魔術を習う際に最初に教わる基礎中の基礎だ。

 いったいどうやれば風のマナを利用して土の魔術を行使したのか。

 しかも副隊長のクレトによれば、実験場でエルの姿を見た宮廷魔術師はほとんどいないと言う。たまに見かけても、簡単な魔術をやってみてさっさと寮に戻っていってしまうらしい。

 実戦部隊の宮廷魔術師たちは日々の鍛錬を通じて実戦感覚を養い、こうして戦闘に参加して実績を上げていく。シェルザールでは魔物討伐の遠征を行うことは知っていたが、実戦部隊としては初陣だったから後方支援に回したのだが、思いがけない実力を見ることができた。

 見た目は子供にしか見えないが、人事部はなかなか面白い人材を実戦部隊に配属させたのかもしれない。

 今度は後方ではなく、前線での実力を見てみるか。

 グラムソンはにやりと笑って手にしていた望遠鏡を近くにいた宮廷魔術師に渡した。


「もう、聞いてよ、シェリー」

「どうしたの、エルー」

 1週間の旅程を経て王都に戻ったエルは、夜になるとすぐにシェリーに会話を繋いだ。

 そうして実戦部隊で起きたことなどを遠慮なく愚痴った。

「大変だったんだねー」

 それを聞いたシェリーは心底気の毒そうにそう言った。

「後方だから大変じゃなかったんだけど、とにかく退屈でさ。早く終われー早く終われーってずっと思ってたよ」

「エルは遠征でもしっかりしてたから実戦部隊でも務まると思ってたけど、やっぱり性に合わない?」

「合わないわよぉ。たまに実験場に出れば副隊長は毎日鍛錬しろってうるさいしさ。鍛錬なんてめんどくさいことしてられないわよ。私は私のやりたいようにするの」

「なんかエル、ワガママになってない?」

「ワガママじゃなくて腐ってるの。せめて事務仕事ならまだこんなこと言わなくてもすむのに、なんで身体が痛くなる野営なんかをしなきゃならないのよ。毎日快適なベッドで寝てたいわ」

「相当イライラが溜まってるみたいだねー。あーあ、あたしがそこにいたら前みたいに膝枕してあげられたのになー」

「あー、確かにしてもらいたい気分。シェリーの膝はふわふわしてて気持ちよかったもんなぁ」

「こういうときはお喋りしかできないってのがもどかしいなー。エルの側にいてあげたくてもいてあげられないんだもん」

「ううん、シェリーと話してるだけでもだいぶ気が紛れるから大丈夫よ」

「そう? ならいいけど」

「ホントホント。小さいから実戦部隊の宮廷魔術師たちは見下してくるから未だに仲のいい宮廷魔術師っていないんだよねぇ。ルーファスはもう宮廷魔術師になってるから会いに行こうと思えば会えるんだろうけど、なかなか機会もないし、シェルザールの卒業生で実戦部隊に配属されたのは私だけみたいだから、気安い相手もいないしね。こうして毎日シェリーと話せるのはほんっとに助かってるわ」

「話くらいならいつでも聞くよー。そのためにエルが作ってくれたペンダントだもんねー」

「そう言ってくれるのはシェリーだけよ」

「えへへー。なんだかこうやってエルの愚痴を聞いてると、シェルザールにいた頃とは立場が逆転したみたい」

「それはあるかも。シェリーが聞いてくれるからついつい私も喋っちゃうし」

「でもシェルザールにいた頃はエルに世話になりっぱなしだったから、逆の立場になってあたしも嬉しいんだー」

「そう?」

「うん。あたしもエルの役に立てることがあるんだってわかるから」

「うー、そう言ってくれるのはシェリーだけよぉ」

「泣かない泣かない。あたしはいつだってエルの味方だよー」

「そっちも大変だろうに悪いわね、いつも。でも異動したらこんなこともなくなるだろうから、しばらくは付き合ってね」

「いつでもいいよー」

「あ、そうそう、それとね、今回の実戦で試したんだけど、シェルザールでダイダルウェーブで試した反発力、あれ使えるわよ」

「何それ?」

「ほら、相性の悪いマナ同士だったら効果が増幅するってヤツ。グレートウォールに使ったら効果覿面よ。シェリーも原理はわかってるはずだから、応用してみるといいわ。きっと役に立つから」

「うん、わかったー。それでね、こっちではねー……」

 シェリーがエルが討伐で離れている間にあったことを話し始めたのでそれを聞く。

 シェリーに言ったとおり、実戦部隊では溶け込めない毎日を過ごしているので唯一の楽しみ兼救いはこうしてシェリーと毎日話すことだけだった。

 「うんうん、それで?」とか、「へぇ、すごいじゃない」などとシェリーの会話を聞いているとシェルザールにいた頃を思い出して癒やされる。

 どうせ明日も実験場に出て鍛錬なんて面倒くさいことはしないのだ。話せなかった期間の分を取り返そうとその日は夜遅くまでシェリーと会話をしていた。

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