第16話
初冬にケントの屋敷を訪れてから少ししてドリンに初雪が降った。
この世界では春に1月が始まるので、初冬と言っても8月だ。
それでも故郷の村はドリンから南西に馬車で1ヶ月の旅程を挟むほど距離があるから、まだ暖かいほうだったと知った。
初冬に入って1ヶ月、ケントからは何の音沙汰もないまま学校生活を過ごしていたのだが、9月を過ぎるととにかく寒い。
ゲストルームから新しく家具などを新調してもらった元の部屋に戻ったエルは、とにかく湯たんぽのお世話にならない日がないくらいだった。いくら冬用の部屋着を着て、その上に冬用のローブを着て、さらに湯たんぽを使っても手がかじかむくらいなのだから、この時期にこれだけ寒いとなるとまだ寒くなる冬の真っ只中になるとどれくらい寒くなるのか想像もつかなかった。
何しろ寮の部屋には暖炉がない。部屋は火気厳禁だからまさか焚き火をして暖を取るなんてこともできない。なので使えるのは湯たんぽだけで、わざわざ唯一火が使える食堂まで行って湯を沸かし、それを湯たんぽの中に入れて部屋では暖を取る、なんてことをしていた。
また、本を読むときなどはシェリーに抱いてもらっていたりもした。ふわふわの体毛に覆われたシェリーの身体は柔らかくも体温で温かく、小柄なエルはすっぽりとシェリーの身体に覆われる格好になるので湯たんぽだけではどうにもならないくらい寒い日などはシェリーを頼ることもあった。
「冬は逆だねー」なんて言うシェリーの言うとおり、夏は体毛のおかげでだらけていたシェリーは体毛のおかげで冬は温かく、少し着込むくらいで乗り切れるとのことだったので、これからまだ寒くなる時期にはシェリーを頼ることも増えるだろうと思った。
シェルザールの講義は座学、実技とふたりともども無難にこなし、エルは空いた時間は魔術具の研究を、シェリーはその日のおさらいをして一日を過ごすことがほとんどだった。
魔術具の製作については大分わかってきた。
魔術具の製作は古式派が得意とする分野らしく、火事を起こされた魔術具も古式派が普及させ、ドリンでは身近になった魔術具のひとつらしかった。
ここで初めて魔方陣なるものを用いることになっていた。
これまでの講義では習わなかった魔方陣だが、魔術具にしたい対象を魔方陣の上に置き、そこに香油などで魔術を刻み込むための触媒とする。そして定着させたい魔術を詠唱し、触媒を通して対象にその魔術を刻み込んで、仕上げに土の魔術で固定させる。
魔術具の作り方は簡単に言えばこんなところだった。
もちろん複雑な魔術具になれば魔方陣も複雑になり、香油もそれに適したものを用いる必要があるが、今回やりたいのは離れていても話ができる風の魔術の定着である。遠くの人と話をする魔術は簡単な風の魔術の応用でできる魔術だから構成そのものは簡単だ。まさか音が空気の振動で伝わるなんて科学知識をこの世界で知っている者はいないだろうが、どちらにせよ簡単な風の魔術を定着すればいいのだから、魔方陣も香油もさほど複雑なものはない。
まずは魔術具として使えるものになるかどうかを試すために、シェリーと一緒に小さな水晶玉を買って、それを使って離れていても会話ができるかどうかを試すことにした。
チョークを使って部屋の床に魔方陣を描き、その中心に小さな水晶玉をふたつ置く。そこに香油を塗り込んでから、風の魔術を詠唱して水晶玉に定着させたい魔術を刻み込み、最後に土の魔術で固着させる。
まだ最後の実験という段階ではあったが、最初の一歩と言うことでシェリーはワクワクしながらエルが行う魔術具の魔術を見守っていて、30分ほどしてからできあがった水晶玉を矯めつ眇めつする。
「とりあえず、本に書いてあったとおりのやり方で作ってみたけど、試してみようか。私が部屋の外に出て話しかけてみるからシェリーは中でちゃんと魔術具が動作してるか確認してちょうだい」
「わかったー」
そう言ってエルは部屋の外に出て、廊下を少し歩き、ここなら声が部屋に聞こえることはないだろうと言う距離を取ってから水晶玉に話しかけたみた。
「シェリー、聞こえる?」
「聞こえるよー。でもちょっと声が小さいかなー?」
「こっちも聞こえるわ。とりあえず、最初の段階はクリアってとこかしらね」
「うん、そうだねー」
「じゃぁ寒いから戻るわね」
「うん」
簡単ではあるが、魔術具の製作の滑り出しとしては上々だろう。まだ改良の余地はあるものの、初めて作った魔術具で声が小さいと言う問題はあったものの、離れた場所でもちゃんと会話ができたのだからこれから改良していけばいい。
石造りの寮の廊下は冷え切っていて寒いので、早足で部屋に戻る。湯たんぽで手を温めないとすぐにかじかんでしまうからだ。
「おかえりー」
「ただいま。初めてにしてはまずまずと言ったところね。もっと改良しないといけないけど、改良を重ねていけばシェリーと離れ離れになっても話ができるようになるかもしれないわ」
「やったね、エル」
「うん。独学にしてはうまく行ったほうだわ」
2年生になれば魔術具の製作も習うのかもしれないから、今はこれでも十分だ。学生であっても魔術具の製作が可能だとわかっただけでも成果としては大きい。
「でも独学でも魔術具を作っちゃうなんてやっぱりエルはすごいねー。あたしじゃこんなこと考えもしなかったと思うよー」
「シェリーと関係を維持していくためだもん。それに魔術具のことを調べるのも楽しかったしね。色んなことができるようになるのはやっぱり楽しいわ」
「あたしは講義だけで手一杯。まぁシェルザールで学んだってことだけでもすごいことだし、村に帰ってからもきっと魔術師としてみんなの役に立てそうだから今のままでも十分なんだけどねー」
「シェリーは今後の進路がはっきりしてるからいいわよね。私なんかどうするかまだまだわからないのに」
「エルならきっとどこででもやっていけるよー。頭いいもん」
「どうかしらね」
一応謙遜はしてみせたものの、今はまだチート級の魔力に目覚めていないだけだろうから、これから目覚めればルーファスを追い越すのもあっという間だろう。そうなればどんな道にだって進んでいける。前世のプログラマーとしての知識と経験、音楽の知識と音感、そしてチート級の魔力。これだけ揃えば鬼に金棒だ。
思わずにやけそうになる顔を引き締めて、「まだまだこれからよ」と言う雰囲気を作り出す。
シェリーはやる気に満ちた様子のエルを頼もしそうに見ていた。
ケントの屋敷を訪れて1ヶ月半が過ぎようとしていた。
何の音沙汰もないまま1ヶ月以上が経ったので、ケントの人脈と情報能力をもってしてもジャクソンには辿り着かなかったか、と思い始めた矢先、ケントの使いだと言う女性が寮でくつろいでいたエルとシェリーの元を訪れた。
「ご主人様がお話があるそうです」と言って、会う日程だけを伝えてきたその女性はすぐに帰っていったが、おそらくは「力になれず申し訳ない」と言うことを本人の口から伝えたいのだろうと思った。
もう雪がしんしんと降り続ける日が続いていて、ドリンの街では雪の屋根下ろしや雪かきが風物詩になっていた頃、エルとシェリーはケントの屋敷を訪れた。
どういう仕組みかわからないが、ケントの屋敷はエントランスから廊下に至るまで暖かく、防寒対策をバッチリしてやってきたふたりには暑いくらいだった。
前にも通された応接室に通され、先に使用人がケーキとお茶をふたりに出してから下がる。ケントが来るのはもう少しかかるとのことだったので、遠慮なくケーキとお茶を堪能して、食べ終わって少ししてからケントが現れた。
「待たせてしまってすまないね」
「いえ、こちらからお願いしたことですし、大したことじゃありません」
「そうかい? ならいいんだけど」
使用人に温かいお茶を淹れさせてそれを一口飲んでからケントは本題に入った。
「お願いされていたジャクソンという人物についてだがね」
わからなかった、と言う言葉を見越してシェリーが怒り出さないように気をつけながら続きを待つ。
「どうやら証拠は集まりそうだよ」
「え?」
想定していなかった言葉に間抜けな顔を晒してしまう。
ケントの話した内容はこうだった。
まず火起こしの魔術具を手に入れたジャクソンらしき人物を特定しようとしたところ、これは商人たちの情報網からすぐに割り出せた。だがそれだけでは家で使うものなのか、寮で使うものなのかが判断できない。そこで寮を出入りしていた人間を重点的に調査したところ、食堂の料理人--つまりおばちゃんが、厨房から離れたときにジャクソンらしき人物が寮に入ってくるのを見かけたらしい。声をかけると「パーティに呼ばれた」と答えたらしいので、パーティに参加するのを装って寮に忍び込んだことがわかる。だが、パーティを眺めていたエルにはジャクソンがパーティに参加していないことはわかっているし、パーティに参加していた全員がジャクソンの姿を見ていないことは証言してくれるだろう。曖昧な証言のみと言う証拠だったが、それらを元に突き詰めていけばジャクソンを追い詰められる可能性が見えてきた。
それを聞いたシェリーは「あの野郎!」と息巻いていたが、エルは冷静だった。
「じゃぁケントさん、その証人の証拠を集めて書面にしてもらうことはできますか?」
「それくらいならお安い御用だ」
「後何人か、寮生からもパーティの様子を証拠として集めてください。私はパーティでジャクソンを見た覚えがないのはわかっていますが、他に証人が多数いたほうがいいと思います」
「わかった。その線でも証拠を集めて書面にしたためておこう」
「ではその証拠が揃ったら、騎士団とシェルザールに送ってくれますか? ドリンでも影響力の強いケントさんの集めた証拠と言うことならば、騎士団も学校も無碍にはできないでしょう。一介の学生が集めた証拠よりは信憑性は増すと思います」
「いいだろう。君たちのような優秀な学生を手にかけようとした罪は償わせなければならないからね」
「ありがとうございます」
「エルー、そんなまどろっこしいことしないで、ケントさんに来てもらって洗いざらい話してもらおうよー」
「ダメよ。証拠は積み上げていくものなの。証言を書面にしたためて、証拠になるようにその人にサインしてもらう。そうして証言は立派な証拠になるのよ。焦ってはダメ。追い詰められる状況になったんだから、逆にこっちが落ち着いて気付かれないように証拠を集めないと逃げられるわ」
「ぶー、それだとなんかモヤモヤするー」
「いや、エルくんの言うとおりだよ、シェルタリテくん。ここで焦って失敗すれば元も子もない。逃れられないように証拠を集めて一気に出すのが一番効果的だよ」
年長者のケントにまでそう言われてはシェリーも黙るしかない。
それでもシェリーは不満そうだったが、エルとケントがふたりとも焦ってはいけないと釘を刺してきたのだからと矛を収めてくれた。
これでジャクソンは殺人未遂としてシェルザールを退学。おそらくは犯罪者としてドリンからも追放されるだろう。ニコラウス家からどういう沙汰が下されるかわからないが、古い魔術師の家系としてそれなりにプライドのあるニコラウス家がそんな犯罪者を庇っておけるはずがない。
冬になったこの寒空の下、ジャクソンはドリンから追放されて魔術師としての道を閉ざされてしまうだろう。
せっかくシェルザールに合格できるほどの魔力があるというのに、ろくでもないことをしたせいで自滅するのだから同情する気にもなれない。
「もうしばらく待ってくれ」と言うケントの言い分に同意し、その後はシェルザールでの生活などの世間話をした後、ハーマン家を後にした。
1年で一番寒い時期である10月の初め頃、シェルザール魔術学校はひとつの噂で持ちきりだった。
それはエル・ギルフォードを魔術具を使って殺害しようとした罪で、ジャクソン・ニコラウスが騎士団に連行された、と言うものだった。
元々寮の部屋が何者かによって放火され、追い出される事態になったエルとシェリーには同情が寄せられていたが、これによってさらに噂の渦中の中心となったエルには1年生のみならず、2年生や教師陣からも同情されるようになっていた。
あまり目立ちすぎるのはよくないとわかってはいても、ジャクソンをこのまま放っておくことはできなかったから仕方がない面があるとは言え、噂の中心人物となってしまったことで色んな学生から声をかけられたりすることが増えたのは辟易していた。
もちろん学長ラザードにも呼び出された。
ここだけの話としてケント・ハーマンと接触する機会があったこと、そのお礼としてお願いをひとつ聞いてもらえることになったこと、それをジャクソンを捕まえるために使ったことなどをラザードにだけは話した。
ドリン一の豪商であるケントにまで繋がっていたと聞いてラザードは頭を抱えていたが、あれは成り行きで猫を届けたことがきっかけなので何も悪いことはしていない。むしろ飼い猫を保護したことを褒められこそすれ、糾弾される謂われはないのでラザードもどういうべきか悩んでいるようだった。
それにエルとシェリーは被害者である。
被害者を責めたところで無意味だし、人間としてそれはできないのでラザードもどういう対応を取ればいいのか頭を悩ませていた。
だが、ひとつだけわかっていることはジャクソンがどういうことになるにせよ、シェルザールの学生が殺人未遂なんてことを起こしたと言うとんでもない醜聞にどう対応するかのほうが問題だった。
だからエルとシェリーは事情を聞かれはしたものの、事情を話すと無罪放免となり、ラザードに呼び出されたと聞いた同級生たちなどは怒られなかったかなどと逆に同情的になってくれるくらいだった。
ジャクソンの件が落ち着くまでしばらく騒がしいだろうなぁ……。
あまりこういう騒がしいことは歓迎したくないのだが、ことがことだけに仕方がない。
殺人未遂までするようなヤツを野放しにしておくほうが今後の学校生活が危険だ。
おそらくはシェリーは人猫だからその身体能力や鋭敏な感覚で、魔術具による殺害が困難だと予想して今回はエルだけを標的にしたのだろうが、失敗したとわかってもっと過激な行動に出ないとも限らない。
エルひとりなら魔術の腕前は普通の学生より上だと言う自負があるからいいものの、講義についていくのが精一杯のシェリーなんかは魔術でどうにかされると怪我どころか、最悪殺されかねない。
もしシェリーがそんな目に遭ったとしたらエルはジャクソンを絶対に許さないし、シェルザールを退学になってでもジャクソンに復讐をしただろうから、むしろケントの協力を得て騎士団に身柄を預けると言う穏便な方法を採ったことを褒めてもらいたいくらいだった。
「どうなるんだろうね、ジャクソンは」
シェリーに次いで仲がいいシャルロットは、エルとシェリーの部屋に来てそんな風に言った。
「さぁ? 騎士団も根拠なく捕まえたりしないだろうから、それなりに根拠があってジャクソンを連行したんだろうから、何らかの埃は出てくるんじゃない?」
「被害者なのにエルは落ち着いてるなぁ」
「騎士団に連行されたんだから私がどうこう言ったところでどうにかなるわけじゃないし。後は騎士団に任せてジャクソンがどうなるかなんて知ったこっちゃないわ」
「シェリーはどう思う?」
「あたし? あたしはよくわかんないなー。でもエルに何度も意地悪をしたあいつがいなくなるなら大歓迎だよー」
シェリーにはケントのことなどは他の学生には話すなと釘を刺しているから、無難な答えしか出てこない。
「そっかぁ。でも放火事件の真犯人がジャクソンだったとしたら、あんなのを受け入れるシェルザールにも問題あるわよね。やっぱり試験が魔力の強弱だけって言うのも問題なんだわ」
「でも今までその魔力の強弱だけで判断して、こんな事態を引き起こすような学生がいなかったんでしょ? だったら試験内容を変えなくても不思議はないわよ。それに魔術師になろうと思ってシェルザールを受験するような学生は、立派な魔術師になりたいって夢があって試験を受けるんだから普通はまっとうな人間しかいないはずだわ。むしろジャクソンみたいなタイプが極めて珍しいのよ」
「そういうものかしらねぇ。でもエルシェリに何もなくてよかったわ。火事のときは驚いたけど、エルのケガも大したことなくてすぐに治してもらえたし、今は傷もなく元通りなんでしょ?」
「うん。先輩のおかげだね」
「でも学長は頭が痛いだろうなぁ。前代未聞の醜聞だもん。もしかしたらシェルザール始まって以来の事件かも」
「それはあるかもしれないわね。みんな夢を持ってシェルザールに来るんだもん。その夢が潰えるようなことをする学生は基本的にいないだろうしね」
「名門の学生らしく、って言ったの、入学式の学長だっけ? 確かに名門だからこそのプライドってのもあるだろうしね」
「そうそう。たぶんほとんどの学生は名門の学生らしく振る舞おうとするから、そもそも騒ぎなんて起こすような人はほとんどいないんじゃないかなぁ。お祭りでお酒が入って暴れるとかならわかるけど、それはお祭りならではだし、そういう場合は注意されておしまいじゃないかな? 今回みたいに殺人未遂なんてことまでするようなのはさすがにいないと思うわよ」
「それもそうよね。ところで、エルシェリは注目される立場になった気分はどう?」
ジャクソンのことはシャルロットの中が区切りがついたのか、にやりと笑ってそんなことを訊いてくる。
「どうもこうも、早く事態が収まって平穏な毎日が戻ってきてくれることを祈るしかないわ」
「シェリーは?」
「心配してもらえるのは嬉しいけど、あんまりしつこいのもイヤだなー」
「それもそっか。でもただでさえ目立つエルシェリがこんなことになって、今度は学校中に名前が知られるようになったわね」
「やめてよ。それを考えるだけでも頭が痛いのに」
「にゃはは。それは諦めるしかないね。事件の当事者だもん」
「そこよ。なんでジャクソンは私やシェリーを目の敵にしたのかわからないもん」
「入学試験の会場から絡まれてたもんねぇ」
ジャクソンが街で騒ぎを起こしたことはみんな知っているが、それを止めたのがエルたちであることはほとんど知られていない。
「だいたい見た目で人を判断するなんてろくでもないよー。エルはすんごい頭いいのにー」
「そうなの? 個別講義が一緒じゃないからあんまり知らないんだけど」
「そうだよー。あたしなんか講義を聞いて、おさらいして、やっと理解できるのに、エルは講義だけでもう理解してるんだよー。後期の実技だってそつなくこなしてるし、あたしとは大違いだよー」
「へぇ、そうなんだ。その腕前、一度は見てみたいわね」
「そんな大したことじゃないわよ。ちゃんと講義を受けてれば理解できるように先生たちも教えてくれるし。シェリーはちょっと理論が苦手なだけよ。逆に実技を身体で覚えればぐんぐん成長していくと思うわ」
「ってエルは言ってるけど?」
「そうなのかなー?」
「シェリーには実感なさそうだけど?」
「ここまで一緒に暮らしてきた私が保証するわ。シェリーは頭で考えるより、身体で覚えるほうがきっと上達するわ。だからむしろ後期で実技を重ねていく今のスタイルのほうがシェリーには合ってると思うわ」
「そうかなー? えへへー」
エルに褒められてシェリーは嬉しそうに頬をポリポリと掻く。
「はいはい、ごちそうさま。ホント、エルシェリって仲がいいわよねぇ」
「仲のよさなら自身があるよー」
「とっても手のかかる妹みたいなもんだけどね」
「えー!」
褒められたと思ったら梯子を外されてシェリーはむくれる。
「でも手のかかる子供ほど愛おしいとも言うし、シェリーは私にとって大事な親友よ。そこだけは間違いないわ」
「だってさ、シェリー」
「えへ…えへへ…」
またもや嬉しいことを言ってもらえて、今し方の不満が嘘のように顔がにやけるシェリー。
こういう喜怒哀楽が素直なところがシェリーの最大の魅力だと思っているエルは、それを優しく見つめる。
だが、エルが言ったように実践で覚えるほうがシェリーには向いているというのは本当だと思う。完璧にマスターしたいと意気込んでいる治癒魔術の腕前はぐんぐん上達しているし、後期が始まって実践主体になった講義も最近では魔術を失敗したり、うまく発揮できないなんてことがなくなっている。
理論先行で頭を悩ませていたシェリーも、後期の講義のほうがきっと性に合っているはずだ。
元々プログラマーで理論には強いエルは、幼い頃にやってきた実験の成果もあって理論も実技もそつなくこなしているが、シェリーはまたタイプが違うのだろう。それが亜人だからなのか、それともシェリーの性格なのかはわからないが、おそらくは後者だろうとエルは思っている。
シェリーのにやけ顔を見たシャルロットは呆れた調子で肩を竦める。
「ホント、仲のよろしいことで。いっそ恋人同士ですって言っても誰も不思議がらないくらいなんじゃない?」
「シェリーが彼女ねぇ。まぁそれはそれで退屈はしなさそう」
「あたしもエルが恋人でも全然平気ー」
「じゃぁ恋人認定してあげるから、それも学内で広めるわね。そしたらますます注目の的よ?」
「それは勘弁して」
同性カップルなんてものが認知されていないこの世界でそんな噂を流された日にはどんなことになるかわかったものではない。
「えー、エルはあたしと恋人はイヤなのー?」
「恋人は男女がなるものでしょ。親友で我慢しなさい」
「むぅ…、わかった」
「シェリーのほうは乗り気ね。エルはどういう気分?」
「正直に言えば悪い気はしないわ。故郷の村でもこんなに仲のいい友達っていなかったからね」
「そうなの?」
「うん。村の治療院の魔術師に魔術を教わってからは治療院の仕事を手伝うことのほうが多かったから、村の子供たちと毎日遊んで暮らした経験はあんまりないのよね。今くらいの見た目の頃にはその魔術師よりも魔力があったから、仕事を任されることもよくあったし、私の子供時代ってどちらかと言えば治療院での仕事のイメージのほうが強いの」
「ふぅん、そうなんだ。子供の頃からそんな風に仕事してたからしっかりしてるのかもしれないわね」
「それはあるかもね」
さすがに中身が30間近の男だったとは言えない。
「そういうシャルはどういう子供時代だったの?」
「たぶん他の学生たちと大して変わりはないと思うわ。師事してた魔術師に魔術の基礎を教わるか、遊んでるかのどっちか。どっちかって言うと生活に困るほどの家じゃなかったから、魔術師になることもそんなに反対されなかったしね」
「あたしは村人総出で送ってもらえたー」
「シェリーの村には魔術師がいなかったもんね。期待されてたんでしょうね」
「うん、たぶん。だからせめて治癒魔術くらいは「立派だね」って言われるくらいにはなりたいんだー」
「目標があるのはいいことだわ。私は未だにそういう目標みたいなのはないから」
「あら、てっきり宮廷魔術師にでもなるのかと思ってたわ」
「それもいいけど、色々調べたりしてると研究者もいいなぁ、とか考えるわけよ。だから今のところ、進路は全くの未定。そういうシャルは?」
「実はどうしようか悩んでるのはエルと同じ。どうせ結婚するならどこかの町の魔術師にでもなったほうが安定してるし、子供を育てるのにもいいでしょう? シェルザールの肩書きがあれば仕事には困らないだろうし、不自由のない生活を子供にさせたいならそれが一番現実的かなぁとは思ってる」
「悩んでるって言う割には現実的な目標がちゃんとあるじゃない。ふらふらしてる私なんかよりずっとマシだわ」
「そうかしら? 平凡な生活をするためにはどうすればいいかを考えれば、魔術師の取れる道なんてそんなに多くないわよ?」
「そういうものかしらね。私は何にでもなれると思ってドリンに来たから逆に未だに決められないのかも」
「まぁまだ2年生にもなってないんだし、急いで決める必要はないわよ」
「それもそうね」
後2ヶ月もすれば2年生になるとは言っても、まだ2ヶ月もあると考えれば今すぐ決める必要はないのかもしれない。
それにまだまだ魔力は成長するはずなのだから、それがわかってからでも遅くはない。
シャルロットはその後も20分ほど部屋にいて、エルとシェリーと話をしていたが、夕食の時間が近づいてきたのでいったん部屋に戻った。
ルーファスはエルとシェリーの部屋が放火事件に遭ったと言う噂を聞いて肝を冷やしたが、それがジャクソンの仕業であると聞いてさらに驚いた。
祖父が革新派に欲しいと言わしめる人材を失うかもしれないと思った後のことだっただけに、その衝撃は大きかった。
だいたい魔術師たる者、国のために貢献するのが義務と言っていいくらいなのだから、その魔術師になろうと勉学に励む学生を害そうなどとは憤りを通り越して呆れるしかない。
だが、エルが無事で大事ないとわかったときにはとても安心した。
もし放火事件で死んでいれば祖父はニコラウス家を絶対に許さなかっただろう。あらゆる手を尽くしてニコラウス家を潰すとともに、これを絶好の機会と捉えて古式派の勢力をさらに削ぎに出ただろう。
いや、古式派の古参であるニコラウス家の人間がこんなことをしでかしたのだと判断が下されれば躊躇なく古式派に攻勢を仕掛けることも厭わないだろう。
そういう派閥間の争いにはまだピンと来ないルーファスだったが、それもやむなしと思えるくらいジャクソンのやったことは大きなことだった。
しかし、ルーファスは祖父や父ほど魔術界に詳しくない。
学生なのだから当然と言えば当然なのだが、国が奨励しているからと言って魔術界が善意に溢れたものである保証はどこにもないのである。
光あるところには必ず影ができる。
このときのルーファスはまだその影の部分を知らなかった。
そしてその影は後にジャクソンを取り込んでしまうことも、また知らなかった。
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