第8話

 今日のエルはご機嫌だった。朝、シェリーの身だしなみを整えてあげるときも、鼻歌なんかを歌いながらやっていたくらいご機嫌だった。

 当然シェリーも不審がってその理由を尋ねてきたが、答えは決まっていた。

 今日はルーファスに誘われた勉強会の日なのだ。

 退屈な基礎の応用しか学べない講義なんかよりももっと実りの多い勉強会になるかもしれないのだ。これを期待せずして何を期待しろと言うのか。

 やっとシェルザールに入ってよかったと思える出来事だったから、もう早く講義が終わって勉強会とやらに行きたい気持ちでいっぱいだった。

 いつもはシェリーのほうから手を握ってくるのに、今日はエルのほうからシェリーを急かすように手を引っ張って大講義室に向かう。大講義室に入ればまずルーファスの姿を探したが、あいにくと見つからなかった。学生寮から講義棟に通う寮生活をしているエルたちと違って、実家からシェルザールに通っているルーファスは寮生よりも遅れてくるのだろう。

 とりあえず、適当に空いている席に座ってシェリーや他の女子学生たちと講義までの間お喋りをして、講義が始まればほとんど聞かずにウキウキと講義後の勉強会に思いを馳せる。

 いつもは退屈で時間の流れが遅いと思っている講義も、その後に楽しい出来事が待っていると思えば我慢なんかたやすかったし、お昼を寮の食堂で食べている間も、午後の講義も、退屈は退屈だったが「早く終われ」と祈っているとあっという間だった。

 講義が終わると早速ルーファスの姿を探す。

 真面目な彼はたいてい前のほうの席に陣取っているらしいので、前のほうを重点的に探してみる。

 するとすぐに後ろを振り返って辺りを見渡しているルーファスを見つけた。

「ルーファスさーん!」

 呼びかけるとルーファスもすぐに気付いてエルたちのほうにやってくる。

 当然他の女子学生たちは何事かとエルに詰め寄ったが、事情を説明すると口々に「羨ましい」との声。だが、誘われたのはエルなのだから仕方がない。

「やぁ、エルくん、シェリーくん」

「こんにちは、ルーファスさん」

「ちわー」

「ふたりとも準備はもういいのかい?」

「私はいつでもいいです。シェリーは?」

「あたしも大丈夫ー」

「じゃぁ行こうか。着いてきて」

「はい」

 女子学生たちの嫉妬の視線も気にならないくらい上機嫌なエルはルーファスに案内されるままに大講義室を出て、講義棟を出て、研究棟に向かった。

 どんな教師と、どんな学生が集まって勉強会をするのかを聞いてもよかったのだが、あえて聞かなかった。楽しみはびっくり箱みたいに新鮮さに溢れていたほうが楽しい。

 4階建ての、講義棟と同じく石造りの研究棟に到着すると、ルーファスは迷わず階段を上がり、3階の一室に辿り着く。

「ここだよ。ここは風のマナを主に研究してるクルスト・クレイマンと言う先生の研究室なんだ。僕の他には学生を4名誘ってる。僕と君たちを入れて、8人での勉強会と言うわけだ」

「結構大人数ですね」

「最初に言ったとおり、人数が多いほうが多様な知見が得られるからそれなりに人数は集めたんだ。さぁ、もう他のみんなは来ているはずだから中に入ろう」

 クルスト・クレイマンという表札のついた簡素なドアを開けて中に入ると、そこはいかにも魔術の研究室と言った感じだった。様々な魔術具が理路整然と置かれていて、おそらくクルストという教師は几帳面な性格の人なのだろうと想像がついた。

 ルーファスは迷うことなく、研究室の中に入って、そこからさらに右手にあるドアのほうに向かった。勝手知ったる、なのか挨拶もせずにドアを開け、中に入るとそこにも魔術具が棚にたくさん置かれていて、中央に円卓と椅子が10脚ほどあった。

 中には中年の男性がひとりと、若い、いかにも学生と言った風情の男女が4人すでに座っていた。

「いらっしゃい、ルーファスくん。そちらがルーファスくんが話していたエル・ギルフォードくんとシェルタリテ・ルドソン・シャダーくんだね?」

「はい」

「そうです」

「ふたりとも好きなところに座ってくれ。勉強会と言ってもそんなに堅苦しいものじゃない。魔術を色んな角度から見つめることで、新しい知見が得られるかどうかを話し合うお喋りの場、と思ってくれて構わない」

 中年の男性クルストは、薄緑色の髪に焦げ茶色の瞳をした優しそうな教師で、柔和な笑顔を絶やさない紳士と言った風情だった。

 他にもエルたちやルーファスの他に4名の学生がいたが、全く見覚えがない。

 それぞれ異なる髪の色、瞳の色をしているが、同じローブを着ているからこのシェルザールの学生には違いないはずだ。

 それぞれ自己紹介をしてくれたのだが、そのときに見覚えがないことの疑問は氷解した。

 残りの4人は2年生だったのだ。

 同じ新入生ならば顔を見たことがあってもおかしくないだろうが、2年生ならば見覚えがないのも頷ける。

 しかし、こんな上級生ばかりのところに新入生がいてもいいのだろうかと思ったが、ルーファスは慣れた様子でクルストの隣に座ったので、特に上級生、新入生の垣根はないのかもしれない。

 当然のようにエルとシェリーは隣同士で座って勉強会の開始となった。


 まずはクルストが簡単な挨拶をしてから、勉強会は始まり、まずクルストが風のマナについておさらいのようなことを話し始めた。

「……と言うのが風のマナの性質だけど、例えば各属性のマナは人体に影響することが判明している。風のマナは主に血の流れや気力の流れに影響することがわかっていて、これを治癒魔術に併用すると切り傷などの怪我に高い効果が得られることがわかっている」

 最初の説明だけでエルは大いに刺激を受けた。

 セレナからは各属性の基礎は学んだが、各属性のマナが人体に影響することまでは教わっていない。これを先に知っていれば、治療院で怪我人を治療するときに役に立ったのにと思った。

 それからもクルストの説明は続いて、風のマナがどんなマナに影響するのか、影響の度合いは、相性との関係はなどなど、退屈な講義では得られない刺激に満ちた説明ばかりだった。

「あの、それだと土のマナとの相性で苦労することはないんですか?」

 2年生の男子学生のひとりがそう尋ねた。

「もちろんあるよ。元々土のマナとは相性が悪い。でも工夫次第でそれを克服することも可能なんだよ」

 それはわかる。去年村が干魃で喘いでいたとき、水蒸気を発生させるために相性の悪い水と火のマナの扱いで苦労したのだ。

「例えば……、そうだね、やはり治癒魔術で例えるのが一番わかりやすいと思う。土のマナは人体の肉体そのものに影響するとされている。つまり肉体の欠損を早く治療することができると言うわけだ。ここに風のマナの影響力を加えると、血の流出を抑えながら肉体の損傷部分を早く治療できる可能性がある、と言うことだね」

 なるほど。アンド構文とノット構文をうまく組み合わせれば、やはり相性の悪いマナ同士でも互いにいい影響が出るかもしれない、と言うことか。

 勉強会と言うことでどんな話が聞けるのかと期待していたが、これは期待以上のものが得られそうで話を聞くだけでも楽しかった。

 クルストが問題提起を行い、それについて学生たちがああでもないこうでもないと仮説を立てては反論を受け、反論を受ければそれに対して対応策を提示する。

 実りあるディベートとはこういうものだと思わせられるくらい、話を聞いているだけで面白い。

 シェリーはと言うと、あまりに高度な魔術の知識の応酬に、まるでついていけていないようで頭にはてなマークが見えるようだった。

 ルーファスはと言うと、2年生を相手に見事なまでに理論を打ち立て、ディベートに参加していた。さすが魔術の名門の生まれで、幼い頃から魔術の勉強をしてきただけあって、魔術の知識は2年生にも劣らない。

 聞いているとやはりというか何というか、土のマナとの相性について見解の相違が多く、そこで反論されて言葉に詰まる場合も多々あった。

 聞いているだけで楽しかったので全く無言で聞いていたエルだったが、話している内容で気になることがあった。

 構文の論理構成について話をするばかりで、誰も旋律について言及しないのだ。

 魔術は歌うように詠唱する。

 これはどの魔術に関しても同じで、例えば土のマナならばオーケストラに例えればコントラバスのような縁の下の力持ち的な旋律を奏でる。風のマナはヴァイオリンのような弦楽器の旋律で歌うから、このふたつの相性問題を解決するにはヴァイオリンとコントラバスの中間のチェロのような旋律が求められる。

 オーケストラの楽器ならばチェロだが、他の音楽で言うならば現代日本で言う祭り囃子の旋律でもいい。あれは篠笛の高い音色と太鼓の太い音色が融合して和音を成す音色だからだ。

 だが実際に音色を出す必要はない。旋律もイメージだから祭り囃子風に旋律を変えて詠唱すれば相性問題は結構簡単にクリアできる。

 これは水蒸気を発生させる魔術を工夫したときに、ジャズの旋律をイメージして詠唱したのと同じ方法だ。

 だが、現代日本のジャズや祭り囃子を例えに挙げたとしても、この世界の人間に理解できるはずもなく、ディベートを聞きながらどうやったら旋律の重要性を伝えられるかを考えていた。

 そもそも楽器自体、故郷の村には横笛と太鼓しかなかったし、旅の途中やドリンについても吟遊詩人が使う竪琴くらいしか楽器を見たことがない。

 現代日本のように多種多様な楽器があり、多種多様な音楽があるわけでもないこの世界で、旋律をこうすれば魔術の成功率が上がるのだとどうやって説明すればいいのか皆目見当がつかない。

 聞きながら考えていると、ふとルーファスが先日のフライトップの話題を持ち出してきた。

「そういえば、先日、ここにいるエルくんがフライトップの魔術をほぼ独自の構文で自在に操っていたけど、エルくん、あれはどういう原理で構文を組み立てたんだい?」

 不意に尋ねられてびっくりしたが、特別なことは何もないのでそのまま答える。

「あれくらいなら基礎を応用すれば簡単にできると思いますけど」

「その割には古式魔術の様式とはかなり違った構文だったと思ったけど」

「あぁ、あれは構文は結構いい加減で、旋律で魔術を安定させているんです」

 嘘だ。旋律の話に持っていきたいから、構文をいい加減と言っただけだ。あれも前世で天才と謳われたプログラムの知識があったから、あの構文でもちゃんと魔術は発動するように構文を組み立てている。

「「「「「「旋律?」」」」」」

 しかし、ルーファスやクルストを含む6人の言葉が見事にハモった。

 なんだか妙な雰囲気になったなと思いつつも、視線が自分に集中していて答えないと帰してもらえそうにない。

「え、えぇ、だから旋律です。えーっと、なんて言えばいいのかな? 風のマナの詠唱って結構高めの声で詠唱するじゃないですか。音階が高めなので、高音域の旋律で魔術を詠唱すると構文が多少いい加減でも魔術は安定するんですよ」

「ふむ、それは新しい視点だね。エルくんはどうしてそれに気付いたんだい?」

「えーっとぉ……」

 クルストに尋ねられて返事に窮する。まさか「前世の記憶があるんです」とは言えないので、うまい言い訳を超音速で考える。

「あ、そうそう、歌、歌なんですよ」

「歌とはどういうことだい?」

「それはそのぅ、えーっと……、あ、ほら、魔術の詠唱って歌に似てるじゃないですか。うちの村で魔術を教えてくれた治療院の魔術師も歌うように治癒魔術をしてたので、幼い頃からなんとなく、魔術って歌なんだなぁって思ってたもので」

 苦しい。

 苦しいが、うまい言い訳が思い付かない。

「じゃぁルーファスくんが言ったように、君が使ったフライトップの構文はどういうものだったんだい?」

「えっとですね……」

 自分でアレンジしただけの独自バージョンのフライトップの構文を旋律なしで披露すると、シェリーを除く他の全員は難しい顔になった。

「確かにその構文だとフライの魔術はできたとしても、フライトップの魔術にはなりにくいだろうな」

 学生のひとりが言うと、シェリーを除く全員が頷く。

「でも確かにその構文でエルくんは大講義室を自在に飛び回っていましたよ。僕ははっきりとこの目で見ましたから」

「ふむ、証人がいるとなると構文がどうこう言っていられないと言うわけだね?」

「そういうことです」

「だから、歌だと?」

 クルストの視線がエルに向けられ、仕方なく頷く。

「幼い頃に治療院の魔術師から魔術の基礎を教わってから、ずっとひとりで実験していたんです。教わったのは例えば光のマナならライトだけですし、水のマナならヒールだけです。後は理論の基礎を教わって、それを応用して魔術の練習をしてたんです。だから構文は結構いい加減だし、きちんとした魔術を教わったことはありません。ただ、その属性に合った歌を歌うように魔術を詠唱すると成功するんです」

「なるほど。それでエルくんが魔術を行うときに重視するようになったのが歌というわけだね?」

「そういうことになります」

 厳密には違うのだが、うまい言い訳が思い付かないのでこれで押し通すしかない。

「みんなはどう思う?」

「俄には信じがたいですね。でもルーファスと言う証人がいる。可能性のひとつとして考慮してみる価値はあるのかもしれません」

「そうだね。--でも歌か……」

 ルーファスが大講義室でやったことを見ている以上、信じるしかないが、理論としては信じられない。おそらくはクルストを含む学生たち全員の一致した見解だろう。

「でも面白いね、エルくん」

「は?」

「これは新しい可能性だよ。理論と構文によって成り立っていた魔術に、歌という新たな可能性が出てきたんだ。それが君の経験だけで成り立っていたものだったとしても、実際に君はそれで魔術を行使してきたのだろう? 歌という概念を加えれば、魔術はまた一歩進化の道を歩み始めるかもしれない」

 クルストがそう言うと、学生たちからも「それはあるかもしれない」などと肯定的な意見が漏れ始める。

「いやぁ、ルーファスくんには感謝だよ。よくぞエルくんをこの勉強会に連れてきてくれた。実に面白い知見を得ることができた」

「いえ、僕は彼女が変わった魔術を使うからもしかしたらと思って誘ってみただけです」

「それでも構わないよ。ぼくの研究に新しいテーマが加わったんだ。研究者としてこれはワクワクすることだよ」

「クルスト先生が喜んでくれたのなら何よりです」

「じゃぁエルくん、君が編み出したフライトップの魔術の歌を教えてくれないかい?」

「あ、はい」

 それくらいなら簡単なので、ラララだけの歌でフライトップの詠唱を奏でる。

 それをクルストは何度も真似して、違うところを指摘してもらい、完全に覚えるまでエルは付き合わされた。

 それが終わる頃にはもう結構な時間が経っていたこともあって、クルストもいい区切りがついたとばかりに勉強会はお開きになった。


 ぞろぞろと学生たちが研究室を出ていくのに合わせてエルとシェリーも研究室を出た。

 エルは最初のほうはディベートが面白くて楽しかったのだが、最後のほうは苦しい言い訳と詠唱の練習に付き合わされてどっと疲れてしまった。

「お腹空いたね、シェリー……」

「うん、お腹空いたー」

「シェリーはどれくらいわかった?」

「ひとつもわかんなかった。知らない単語とかいっぱい出てきたし、習ってないことばっかりでぽかーんとしてた」

「そっか。シェリーには退屈だったかな」

「そうだね。でもエルが楽しそうだったからいいんだー。あたし、エルと一緒なら何だって楽しいもん」

「あらあら、この妹ちゃんはお姉ちゃんを喜ばせるのが上手なことで」

「えへへー」

「でもホント、早く寮に帰って晩ご飯にしたいね」

「うん。今日のご飯は何かなー?」

「なんだろーねー」

「疲れてるなら抱っこしてあげるから急いで帰る?」

「ううん、いい。今はシェリーと少し話してたい。確かに勉強会は楽しかったけど、難しい話ばっかり聞いたから、今はシェリーの何でもない話が聞きたい」

「お姉ちゃんだって甘えんぼさんだー」

「お姉ちゃんだって甘えたいときくらいあるよーだ」

 そういうとシェリーが吹き出して笑い始めたので、エルもつられて笑った。

 シェリーに言ったことは嘘ではない。楽しかったし、疲れたから早く帰ってご飯を食べて休みたい。でもだからこそなんてことない、他愛のない会話が愛おしい。

 勉強会もいいけど、発言するのはやめておいたほうがいいなぁ。

 だいたい基礎から応用して魔術を行使できるようになったのは前世の記憶があるからだ。

 ルーファスのようにこの世界のことしか知らず、ずっと真面目に魔術の理論から始めて魔術ができるようになったわけではない。

 旋律の重要性を理解したのも前世で音楽の知識が豊富にあったからできたことであって、きっとそれを知らないまま産まれていたら今頃はシェルザールの1ヶ月間の基礎と応用の講義も楽しく真面目に受けていられただろう。そう、シェリーのように。


 ルーファスが作り出した光のマナの魔術ライトで照らされた夜の空を、クルストは自在に、とまではいかなくともそれなりに自由に飛んでいた。

 ひとしきり空を飛ぶ自由を味わった後、クルストはルーファスの側に降りてきた。

「どうですか? クルスト先生」

「すごい、すごいよ! ルーファスくん! エルくんのいい加減な構文でフライトップ並みの自由度を再現できるなんて!」

「実際にエルくんが大講義室を飛んだときはもっとスムーズに飛んでいましたよ」

「じゃぁやっぱりエルくんの経験の賜物なんだろうね。構文以外にも歌でここまで魔術の効果が上がるなんて世紀の大発見だよ!」

「ではやはり」

「うん。エルくんは是非とも革新派に欲しい人材だね。彼女の経験が生きれば、魔術の可能性はもっと広がっていく!」

「では祖父にもそのように伝えておきます」

「うん、よろしく頼むよ」

「では僕は失礼します」

「うん。今日はエルくんを連れてきてくれてありがとう」

「いえ、祖父の指示でもありますので」

 ルーファスは丁寧に一礼すると実験場を後にし、シェルザールの敷地内を通って学校を出ると、まっすぐ家に戻った。

 すでに夕食の時間は過ぎている。

 だが、研究熱心な祖父はまだ起きているだろう。

 30分ほどかかって家に帰ったルーファスは、迎えに出た執事に祖父の所在を尋ねた。すると執事は執務室にいると答えたので夕食を後回しにして祖父の元へ向かう。

 相変わらず重厚な両開きのドアの前に立つと緊張する。

 少しでも緊張を解すために深呼吸をしてからドアをノックする。

「誰だ?」

「ルーファスです。ただいま帰りました」

「入りなさい」

 その声が聞こえてルーファスはドアを開けて執務室の中に入る。

 鋭い眼光がルーファスを射貫くが、ようやく慣れてきたこともあってそのまま歩を進めて執務机に向かっているエルドリンの前に立つ。

「今日の勉強会で面白いことがありました」

「言ってみろ」

「エル・ギルフォードという女性はろくな魔術の教育を受けていませんでした」

「なんだと?」

「ですが、彼女は基礎を学んだ後、独学でひとつの仮説に辿り着き、その仮説によって魔術を自在に操っていたようです」

「仮説? それはなんだ」

「彼女が言うには歌だそうです」

「歌だとと? そんなものが魔術の何の役に立つのだ」

「それはもう彼女の経験だからと言うしかありません。ですが、クルスト先生が彼女から教えてもらって実際に勉強会の後に試してみました」

「それで?」

「実際に効果はありました。これはクルスト先生が実際に行って出した結論です。彼女は足りない知識を歌という新たな知見によって補い、様々な魔術を会得したのだと思われます」

「ふむ……。して、クルストの見解は?」

「是非革新派に欲しい、と。彼女の歌という経験は革新派の魔術にとって新たな可能性を拓くものだとクルスト先生は見ているようです」

「クルストがそう言ったか」

「はい」

「よかろう。ならばルーファス、おまえはそのエル・ギルフォードという女に近づいて革新派に入るように仕向けろ。その女の知見が革新派に有益なものとあっては古式派などにくれてやるのはもったいない。ただし、革新派とは気付かれずに注意せよ。革新派がその女を狙っていると古式派に知られれば古式派も黙ってはいまい」

「わかりました。幸い同じシェルザールの新入生です。近づくのはたやすいでしょう」

「くれぐれも古式派には感付かれるなよ」

「はい、わかりました」

 返事をして下がろうとしたとき、ふとルーファスは思いとどまった。

「お爺様、ひとつ確認したいのですが」

「なんだ?」

「もし歌という知見によって革新派が大きくなった場合、その功績は誰になるのでしょう?」

「無論、グランバートル家だ」

「そうですか……」

「何か言いたそうだな」

「いえ、何でもありません」

 そう言って今度こそルーファスは執務室を後にした。


 疲れた身体に夕食をたらふく食べて、お風呂に浸かってまったりして癒やされたエルとシェリーは部屋に帰ってくるなりふたりしてベッドにダイブした。

「あー、今日はもう何もしたくなーい」

「シェリーはそんなに疲れてないでしょう?」

「わけのわかんない話ばっかり聞いて頭がどうにかなりそうなんだもーん」

「私も最後は延々と歌の練習に付き合わされてもう何もしたくない」

「エルだって一緒じゃんかー」

「こっちはホントに疲れてるの。クルスト先生、しつこいんだもん」

「あー、まーねー。見てて大変そうだなーって思ったー」

「でもひとりでいたら音を上げてたわね。妹の前でかっこ悪いところ見せられないって気にさせられたから最後まで付き合えたわ」

「なんだ、やっぱりあたしがいてよかったんじゃん」

「うん、それは感謝してる。私ひとりだったら逃げてたかも」

「しょうがないお姉ちゃんだなー」

「お姉ちゃんだってひとりの人間なんだから弱音を吐きたいときだってあるわよ」

「えへへ。じゃぁやっぱりあたしがいたほうがエルも頑張れるってことじゃん」

「そうねぇ。私、実家でも弟がいたから年下っぽい子が身近にいてくれたほうが頑張れる気がする」

「じゃぁ卒業したらどうするのー?」

「今からそこまで考えられないわよ。今後どういう進路を取るかすら見つかってないのに」

「じゃぁ卒業するまではあたしが可愛い妹役でいてあげるねー」

「お願い。ふわぁぁぁ……、もう眠くなってきちゃった。今日の講義のおさらい、どうする?」

「もう頭がどうにかなりそうだからいいよー」

「そうね。たまにはこういう日があってもいいわよね」

「そうだよー」

「じゃぁもうライトの魔術消すわよ」

「うん、大丈夫ー。あたし、寝付きいいしー」

「じゃぁおやすみ、シェリー」

「おやすみ、エル」

 エルはのそのそと布団を被り、シェリーは毛布すらも被らずにいたが、それにも気付かずエルはライトの魔術をオフにした。

 すぐに部屋は真っ暗になり、エルもシェリーもあっという間に眠りに落ちた。

 それでもお互い色んな意味で充実した一日だったからか、寝顔は幸せそうだった。

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