第7話

 ワクワクしながら講義が始まるのを楽しみにしていたエルは、初日に教師から伝えられた今後1ヶ月の講義内容にがっかりし、1週間もする頃には寝そうなシェリーを起こす、と言った逆の立場になっていた。

 1ヶ月の講義内容は、魔術に関する基礎とその応用についてのおさらいだったからだ。

 教師が基礎と応用について説明し、黒板にその内容を書いていく。そして実技として魔力判定にも使われたような水晶玉に詠唱を行ってその効果を実演してみせる。

 水晶玉は成功すれば各属性の色に光り、失敗すれば光は消え失せる。

 そうしたことを繰り返して基礎と応用をおさらいしていくのだが、その内容はセレナから魔術の基礎を習ってから自分なりに構文を応用し、散々試してきたことと同じことだった。

 ただ、例えば火のマナを用いて槍のように放つ魔術がファイアーランスという名前だったり、風のマナを用いて浮き上がり、自在に空を移動する魔術がフライだったりと、安直すぎる名前で何の捻りもなく、ただ欠伸を噛み殺すだけの日々だった。

 唯一有意義な時間と言うのは、休憩時間に同じ女子学生たちと交流を深めるくらいで、本当に言ったことと逆の立場になって、寝そうになるエルをシェリーが揺さぶって起こすくらい退屈な講義だった。

 シェリーはと言えば、エルと全く逆で応用の使い方が目新しいのか、目をキラキラさせて講義内容に夢中になっていた。

 これではお姉ちゃんの威厳が台無しである。

 とは言え、これを乗り越えなければ次のステップに進めない。

 1ヶ月のおさらいをすませれば、各属性の魔術を研究し、講義している教師陣からの高度な魔術を教わることができるとなっているのだから我慢するしかない。

 すでに日課になっている朝のシェリーの身支度チェックを行ってから、講義棟に向かい、「今日も退屈だなぁ」と思いながら大講義室に向かう。

 同じ寮生だったり、ドリンにアパートを借りて住んでいる女子学生たちと朝の挨拶を交わしながら大講義室に入り、シェリーとともに「今日はどこに座ろうか?」なんて話しながら5人はゆうに座れる長い机が並ぶ間の階段を上がっていく。

 と、次の瞬間、階段に足でも引っかけたのか、派手に転んで額と鼻を打ち付けてしまった。

「あいたたた……」

「エル! 大丈夫?」

「うん、だいじょう……」

 ぶと言おうとしたところで、階段にぽたりと赤いものが落ちた。

 おや? と思ってシェリーを振り返ると、シェリーがびっくりした顔をしていた。

「エル、鼻血出てるよ!」

「え? ホント? 早く治癒魔術で止めなきゃ」

 そう言って治癒魔術を発動しようとしたところに、意地の悪そうなくすくす笑いが聞こえてきた。

「あれぇ、これは失礼。ちっこいから足を出してたのに気付かなかったよ。悪かったな」

 この声は顔を見るまでもない。

 ジャクソンだ。

 シェリーを見上げて歩いていたから足下が疎かになって、足を引っかけられたのだとすぐにわかった。

 しかし、ジャクソンの声は案外よく通ったようで、大講義室の中がざわつき始めた。

「何々、いったいどうしたの?」

「転んだのか? 痛そう……」

「違うわよ。転ばされたのよ」

 そんな学生たちのひそひそ話が聞こえてくる。

 しかもジャクソンの声を聞いて、すぐ後ろを歩いていたシェリーの怒気がはっきりと伝わってくる。

「一度ならず二度までもエルに意地悪して……。その顔、二度と見られないようにしてやる……」

「へっ、やれるもんならやってみろよ。傷物にされた罪で退学になるのはおまえだぜ」

「エルにケガさせといて何その言い草!」

 シェリーの怒りは増す一方で、早く収拾させなければシェリーは本気でジャクソンを爪でぎたぎたにしかねない。

 しかし、大講義室の中から聞こえる声は圧倒的にエルを心配する、もしくはジャクソンを非難する声で溢れていて、むしろこれはチャンスだと思った。

「うっうっ……。試験会場といい、入学式といい、私が小さいからってなんでこんな嫌がらせを受けなきゃならないの……?」

 ある程度大講義室内に聞こえるくらいの大きさの声でエルはわざと泣いているフリをした。

 それはすぐに大講義室の中に伝播し、大講義室の中の視線はエルからジャクソンに移った。

「小さくてもここにいるってことは16歳以上よね?」

「だろうな。それをいい大人が子供じみた嫌がらせとか」

「うわー、サイテー」

 目論見通り、大講義室の中はジャクソンを非難する声で溢れかえった。

 これに狼狽えたのはジャクソンだった。子供じみた嫌がらせと高をくくっていたのだろうが、それがここまで非難の視線と声に晒されるとは思ってもいなかったのだろう。

「ぼ、ぼくの何が悪い! こんなちんちくりんが由緒あるシェルザールにいること自体おかしいだろう! それにぼくはニコラウス家の長男だぞ!」

 家名を出して黙らせようとしたのだろうが、これが逆効果だった。

「ニコラウス家ってうだつの上がらない古式派の魔術師でしょ?」

「そんな自慢するほどの家柄か? グランバートル家じゃあるまいし」

「小さなプライドにすがらないと強がれないなんて最低の男ね」

「魔術師なら魔術の腕で人を黙らせなさいよね」

 こういう言葉による中傷は女性のほうが圧倒的に強い。しかも虐められたのが同じ女性のエルと言うこともあって、女子学生を中心に大講義室内はジャクソンを冷たい目で見るようになっていた。

 最後には、「シェリー、先生には何とでも言い訳しておいてあげるからそいつボコボコにしちゃっていいわよ」なんて言われる始末。

「じゃぁ遠慮なく……」

「ひ、ひぃっ!」

 ポキポキと指を鳴らして爪を見せつけるようにするシェリーを、あえてエルは止めた。

「シェリー、いいのよ。これくらい治癒魔術ですぐに治るから」

「でも、エル!」

「いいから。こんなことで挫けてたら立派な魔術師になれないわ」

 わざと強がっているところを見せて学生たちの同情を得る。そして同情がエルに集まれば逆にジャクソンの立場はどんどん悪くなる。

「もう行こう。こんな器の小さいのに構ってるなんて時間のムダよ」

「むー……、エルがそう言うなら……」

 まだ怒りが収まらないと言った様子だったが、シェリーはエルに言われて渋々ついてくる。エルは比較的女子学生が多くいるほうの席へと移動し、そこにシェリーとともに座った。

「大丈夫? エル」

「うん。鼻血くらいならすぐだしね」

 そう言って治癒魔術を発動し、鼻血を止める。

 その間もエルには同情の視線が、ジャクソンには軽蔑の視線が注がれていて、目論見通りに事が成ったことを感じさせた。

「それにしても酷いヤツよね、あのニコラウスってヤツ」

 女子学生のひとりが憤慨した様子でそう言った。

「ニコラウス家って有名なの?」

「一応ね。昔からドリンに家を構えてる魔術師の家系でね、古式派って派閥の魔術師の家なの。ただ実力は大したことなくて、長らくシェルザールに入れるような魔術師は出てなかったと思ったけど、やっとシェルザールに合格した息子ができて勘違いしちゃったんじゃない?」

「なるほど」

 簡単に考えればこういうことだろう。

 魔術師の家系として長らくドリンで生活していたのも関わらず、うだつの上がらない家だったが、ようやくシェルザールに合格できる子供ができて、蝶よ花よと育てられてプライドだけが肥大化したのだろう。そして晴れてシェルザールに合格。

 そんな中、辺境の片田舎からエルみたいな小柄な少女がシェルザールに入って気に入らなかった。だから嫌がらせを続けてきた。

 ルーファスの家系であるグランバートル家に強く出られないのも、祖父が高名な魔術師で、父親も魔術省の重鎮。長く魔術師の家系を務めていながら新興のグランバートル家に追い越されて悔しい思いをしていても、実力はルーファスのほうが上とあっては逆らうわけにもいかない。

 そこで辺境の片田舎から出てきたエルを標的にして憂さ晴らしをした。

 だいたいこの想像でほぼ間違いないだろう。

 だが、やり方が稚拙すぎる。

 こんな衆目のある場所で嫌がらせなんかを続けていたら、悪者になるのは自分になると言うことに気付かないんだから魔力はあっても頭は足りない、と言ったところだろう。

 しかも今回のことで新入生たちの中では、虐める相手を見つけて虐める悪役、と言った印象ができあがっただろうから、今後エルに何かしでかそうものならさらに学生の間での立場は悪くなる。

 それでも嫌がらせを続けるようなら本物のバカだし、気付いてやめるようなら今後ジャクソンからの嫌がらせはなくなる。

 もしまた嫌がらせを受けたら同じような手口を使って孤立させてしまえば、誰もジャクソンを相手にしなくなるだろうから、一緒に合格した取り巻きのひとりと一緒に寂しく学校生活を送ればいい。

 今後どう転んでもエルに有利に働くことは間違いないのだから、わざわざ相手にするほどの価値のある相手ではない。

 それよりもむしろ話しかけてきた女子生徒の言葉のほうが気になった。

「ねぇ、ひとつ聞いていい?」

「何?」

「確かルーファスさんって革新派って呼ばれてる派閥の家系よね? それとは別に古式派って派閥もあるの? 私、そういうのに全然詳しくないからわからなくて」

「あ、あたしも!」

「あぁ、それね。えっとね、基本的に魔術師の間では派閥がふたつあってね……」

 簡単に説明してくれた女子学生の話ではこういうことだった。

 古式派とは、古来より伝わる基礎中の基礎である治癒魔術を代表に、古来から汎用性の高い古い魔術を研究、普及させて国の発展に寄与するのが目的の派閥。

 革新派というのは古い魔術を改良、応用して新しい魔術を生み出し、それを普及させて魔術師の質の向上を目的とする派閥。

 どちらの勢力が強いかと言えば、今は革新派の勢力のほうが強く、革新派の研究者たちは新しい魔術を次々と開発し、国の発展に寄与しているという。

 セレナからはそうした魔術師の派閥なんてことは教わらなかったし、会社勤めを2年で辞めたエルにとっては派閥争いなんてものに加わろうなんて考えたこともないし、考えたくもない。

 シェリーにとってもこの話は初耳だったようで、エルとふたりして「なるほど」と教えてくれた女子学生の話に感心していた。

 しかし、教えてくれた女子学生はジャクソンのような小物よりも、ルーファスのような将来有望な魔術師のほうに興味があるらしく、説明が終わるとルーファスに話になってしまった。

「ルーファスっていいわよねぇ。革新派の重鎮の家柄なのに、ニコラウスみたいに驕ることもなくって講義だって真面目に受けてる。幼い頃から魔術の勉強なんてイヤって言うほどしてきたはずなのに、全然真面目なところがいいよねぇ」

「何々? ルーファスくんの話?」

「えー、何よー、ルーファスの話ならわたしも混ぜてよー」

 派閥のことを教えてくれた女子学生がルーファスの話をしたのをきっかけに、近くにいた女子学生たちが集まってくる。

 誰も彼もルーファスには興味津々らしく、しかも顔はさほど美形ではないものの、真面目な態度やその実力、家名を誇らない謙虚さなどが「かっこいい」と評されているようだ。

 「女というのはこういう話が本当に好きだな」と思うものの、エルも今は女なので逃れることもできず、「そうだね」とか「そうなんだ」とか適当に相槌を打って話を聞いていた。

 シェリーも小さな村から出てきたいわゆるお上りさんなので、こういう話にはあまり興味がなさそうでつまらなさそうに机に突っ伏して聞いているだけだ。

「そういえば、試験会場のときとか、入学式のときとか、エルちゃんってルーファスくんに助けられてなかった?」

 話に加わっていた銀髪の女子学生が突然そんなことを言い出した。

「あ、あぁ、あれね。見てたの? 恥ずかしいなぁ」

「あれも絡んでたのジャクソン・ニコラウスよね? それを大人びた対応で撃退したルーファスくん、かっこよかったなぁ」

「あ、それわたしも見てた! 最初誰だろうと思ってたけど、後でルーファスだって聞いてさすが名門は違うなぁって思ったわ」

「でしょでしょ? エルちゃんみたいな小さな子にもちゃんと大人の対応しててニコラウスとは大違い。同じ魔術師の家系でも教育が違うとああも違うものだと感心したわ」

「何それ何それ。ちょっとあたしにも詳しく教えてよ」

「えっとね、実は入学試験の試験会場でね……」

 わいわいきゃいきゃいと先生が来るまでの時間、ただひたすらに女子学生のルーファス評を聞かされる羽目になったエルは、いつもの退屈さと相俟ってその日の講義は全く耳に入らなかった。


 講義が始まって2週間が過ぎた。

 後2週間を耐えれば、より専門的な魔術の勉強ができると我慢してシェリーとともに大講義室で講義を受けていたエルだったが、退屈さから来る眠気には勝てず、何度も何度も欠伸を噛み殺しては眠らないようにしていた。

 ときには船をこいでシェリーに起こされるなんてこともあったりして、本当にどの口が「シェリーを起こしてあげる」なんて言ったのかと思えるくらいだった。

 シェリーのほうは至って興味津々に講義を聞いていて、覚えようとする意思が伝わってくる。

 この国、と言うか、おそらく世界ではそもそも紙が貴重品なので教科書すらない。当然ながら黒板に書かれる講義内容を板書するためのノートなんてものもないから、講義内容をその場で覚えて帰らないといけない。

 そのため、講義についていくにはちゃんと講義を聞いて、覚えなければ次のステップに進めないのだが、遊び半分で基礎を応用して身に付けた魔術をほとんどそのまま教えるだけの講義内容なのだから今更覚えるも何もなかった。

 そんな態度をずっと続けていたのだから当然教師に目をつけられる。

 今日の講義内容は風のマナを用いて浮き上がるフライの応用であるフライトップと言う名前をつけられた魔術だったが、魔術の名前なんてどうでもいい。要は名前がどうあれ、ちゃんと魔術の効果が発現するように詠唱の旋律と構文を組み立てればいいのだから。

「--であるからして、この公式でフライに風のマナをさらに付与することによって、より速く空中を自在に飛べるようになるわけである。……エル・ギルフォードくん」

 半分寝ていたので呼ばれたのに全く気付かなかった。

「エル・ギルフォードくん!」

「エル! エルったら起きて! 呼ばれてるよ!」

 耳元でシェリーの声がして、ようやく起きたエルは頬を引きつらせた初老の教師に教鞭を向けられていた。

「あ、はいっ、何でしょう!」

 慌てて返事をして、引きつった笑みを浮かべている教師を見る。

「いつも眠そうにしているが、そんなに遅くまで勉強しているのかね?」

「いえ、別にそういうわけでは……」

 シェリーがよく眠るタイプなので、つられてエルもシェルザールに入ってからは早寝早起きの習慣がついている。

「ではこのフライトップについて説明してもらえるかな?」

「えーっと……」

 まさかほとんど聞いていないとも言えないので、自分で基礎からアレンジした内容を答える。

「エル・ギルフォードくん、バカにしているのかね? その構文ではフライトップの効果は発現しない。ちゃんと講義を聞いていたのかね?」

「え? でも旋律がちゃんとしていたら、この構文でも空中を自在に飛べますよ?」

「バカを言うでない。フライトップは古式魔術の中でも応用の基本だ。君が言った構文で飛べるはずがない」

「飛べますよ? やってみましょうか?」

「ぐぬぬ……、そこまで言うのならやってみせたまえ」

「じゃぁ」

 エルは椅子から立ち上がると、シェリーがハラハラと見守る中、詠唱に入った。

「渦巻く大気の風のマナよ……」

 風の魔術の旋律はヴァイオリンなどの弦楽器の旋律に似ている。構文は風のマナをアンド構文で増幅させ、ノット構文を組み合わせて反発力を生んで、そこからさらに風のマナを操る構文を追加して空中を自在に飛ぶことができる。

 短い詠唱が完成するとエルの身体はふわりと浮き上がり、すぐに大講義室の天井まで達した。ついでなのでそこから大講義室の中を一周して、元いた席に戻った。

「どうでしょうか?」

「う、うむ……」

 教師はどう答えるべきか迷っているようだった。

 無理もない。そもそも基礎中の基礎以外は全てアレンジで覚えたのだから、多少の構文の違いは当然出てくる。しかし、構文は違っても発言する効果が同じならば何の問題もないはずだ。

 しかし、エルが操った魔術は大講義室内を沈黙させ、教師まで唸る結果をもたらしてしまった。

 あれ? これってあんまりよくない雰囲気?

 そう不安に思っていると、教師はひとつ咳払いするとエルの行動をなかったことにしたらしく、再びフライトップの講義に戻ってしまった。

 うーん、ちょっとやっちゃったかもしれないなぁ。

 軽く後悔する。

 しかしもうやってしまったものは取り消せない。シェリーは講義内容と違う構文で本当にフライトップの効果を実現してみせたエルをぽかんと見ている。

 シェリーにだけは部屋に戻ったらどうやって覚えたのか説明しておこうっと。

 そう決めてまた退屈な講義を眠気と戦いながら聞いていた。

 そうしてようやく講義が終わり、その頃には微妙になっていた雰囲気もいつもどおりの講義の雰囲気に戻っていたので、一過性のものだったと一安心していたのも束の間、シェリーとともに大講義室を出ようとしたとき、呼び止められた。

「エルくん」

「はい?」

 聞き覚えのある声に振り向くと、目の前にルーファスが立っていた。

「あ、ルーファスさん、どうしたんですか?」

「君にちょっと用があってね。少し話をしてもいいかい?」

「えっと……」

 隣に立つシェリーを見上げると、ルーファスならば問題ないと判断されたらしく、にこやかに頷いてくれた。

「あ、はい、いいですよ。何でしょう?」

「今日の講義で面白い風のマナの使い方をしていたね」

 あ、あんまりよくない話かもしれない。

 そう感じて少し身構えて話を聞くことにする。

「あー、そういえばそうでしたね。それが何か?」

「いや、面白い構文の使い方をするものだと思ってね。そこで君に提案があるんだけど、今度僕たち学生とちょうど風のマナを研究している教師との勉強会があるんだ。それに君も一緒にどうかと思ってね」

「勉強会…ですか」

「あぁ、そんなに身構えなくていいよ。魔術への理解をより深めようという趣旨の勉強会で、講師にその教師が当たってくれるんだ。君の構文は独特だったが魔術の効果は見事なものだった。その見識を是非とも勉強会でも生かしてもらえたらと思っているんだけどね」

「えーっとぉ……」

 再びシェリーを見上げる。

 シェリーはどうしたの? と言うように小首を傾げてエルを見下ろしてくる。

「ちょっとシェリー」

 シェリーのローブをちょいちょいっと引っ張って屈ませる。

「シェリーも勉強会行ってみたい?」

「え? 誘われたのはエルでしょ? あたしも行っていいの?」

「シェリーがいてくれたほうが助かるの。私ひとりだとどうなるかわかんないから」

「どういうこと?」

「うーん、それは後で説明するけど、とにかく行くか行かないか、どっち?」

「エルが行くならあたしも行ってもいいよ」

「よかったぁ」

 ホッと胸を撫で下ろし、ルーファスに向き直る。ルーファスは自分に聞こえないように小声で内緒話を目の前でされていたと言うのに嫌な顔ひとつせず、待っていてくれていた。

「あの、シェリーも一緒でいいですか?」

「このワーキャットの少女だね。もちろんいいよ。人数が多いほうがたくさんの意見が出て、新しい視点が生まれることはよくあることだ。

 シェリーくん、だったね? 君もエルくんと一緒に勉強会に参加してみるかい?」

「エルが行くなら行く」

「じゃぁ決まりだね。日程は明後日の講義後だから。場所は……、そうだな、僕が君たちに声をかけるから一緒に行こう」

「はい、わかりました」

「じゃぁまた明後日に」

「はい」

 返事をするとルーファスは爽やかに去っていった。

 子供にしか見えないエルにも他の学生たちと同じように平等に接してくれるルーファス。

 これがあるから女子学生の間でも人気なのだろう。

 それよりも勉強会だ。

 きっと退屈な基礎の応用しか学べない講義よりも有意義な時間になりそうな予感がする。

 ジャクソンのおかげで不愉快なこともあったりしたし、講義はつまらないばかりだったが、思わぬところで専門性のある魔術の勉強ができる機会を得ることができた。

 シェリーも一緒だからひとりよりも安心だし、ルーファスの連れてくる学生ならばジャクソンのような手合いはいないだろう。

 今日の講義はちょっとやらかしてしまったかもと後悔したが、思わぬ幸運が舞い込んできてプラマイゼロと言ったところだろうか。

「さ、シェリー、帰ろう」

「うん。今日の夕飯はなーにっかなー」

「夕飯まではまだ時間あるでしょ。今日の講義のおさらいしなくていいの? いつもみたいに付き合ってあげるよ?」

「ホント? じゃぁ夕飯まではおさらいして、夕飯食べたらお風呂入ってゆっくりしたいね」

「そうね」

 あぁ、それと後でシェリーには今日のフライトップのことも説明しておかないと。

 そう思い直して帰ろうとするとシェリーが手を握ってきた。最近シェリーはこうして朝講義に向かうときや帰り道などで手を繋いでくることがよくあった。肉球のついた手は温かく、手の甲の毛並みはふさふさでエルもシェリーと手を繋ぐのは嫌いではなかったから快く応じた。

「えへへー」

「どうしたのよ、気味の悪い笑い方して」

「なんでもなーい。ほら、早く帰っておさらいしよう」

「わかったわ」

 講義内容は真面目に聞いていないが、構文の構成ならば聞いていなくてもなんとなく理解できる。だからシェリーのおさらいにも付き合える。

 仲良く手を繋いで嬉しそうにしているシェリーと一緒に帰るのはほっこりと温かい時間で、エルもなんだかシェリーの嬉しさが移ったように嬉しくなるのだった。


 ルーファスは講義後のエルとの話がすむと、まっすぐ屋敷に帰り、執事に祖父は在宅かを尋ねた。

 執事がいつもの執務室にいることを教えてくれたので、すぐさま祖父の執務室に向かった。

 重厚な両開きのドアの前で一度深呼吸し、ドアをノックする。

「ルーファスです。お爺様、今お時間よろしいでしょうか?」

「構わん。入ってきなさい」

 濃密な人生を生きた証である重厚な響きの声が聞こえ、ルーファスはドアを開けた。

 ルーファスの祖父エルドリン・グランバートルは、白髪の交じり始めた金髪の老人で、眼光は鋭く、60歳近いと言うのに未だに精気に満ち溢れていた。

 一代にして爵位を得るほどの功績を立てた革新派の重鎮。

 高い魔力をルーファスが有していると発覚してからはこの祖父の元で魔術の厳しい鍛錬を積んできた。

 それと同時に魔術師とはどうあるべきかも学んできた家族であり、師匠である。

「今日は何の用だ? まさかシェルザールでわからないことがあるとは言わないだろうな?」

「それはありません。講義にもきちんとついていけています」

「ならばわざわざここを訪れてまでの用とはなんだ?」

「シェルザールで面白い人材を見つけました」

「ほぅ、面白い人材とな?」

「はい。今日の講義はフライトップの講義だったのですが、ほぼ独自の構文で同じ効果を発揮した学生がいまして」

「ふむ……。その構文は覚えているのか?」

「いえ、さすがに一言一句は覚えていませんが、確かに古式魔術の様式とは異なった構文でした」

「なるほど。確かに面白い人材だな。どういう経緯でそのような魔術を教わる魔術師に師事したのか」

「そのことを確かめるためにも明後日の勉強会にその人材も誘ってみました」

「いい選択だ。是非ともその人材の能力、見極めてくるといい。違う構文で同じ効果を発現するなど、革新派にとっては見逃せぬ人材になるやもしれん」

「はい。僕もそう思いましたので今日の講義後に勉強会に」

「よかろう。おまえに任せる。しかと見極めてこい」

「はい、わかりました」

 家族ではなく、師匠に対してルーファスは深々と頭を下げた。

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