第9話
1ヶ月間に渡る長い退屈な講義は、今日で最後だった。
午前中に簡単な今までのおさらいを兼ねてテストを行い、午後からはこれからの講義についてのオリエンテーションに当てられていた。
オリエンテーションで聞いた話によると、今後の講義内容は自分たちで各属性のマナの教師の下へ出向き、そこで専門的な魔術の勉強をする、と言うものだった。教師も自分が選んでいいし、どういう方面の魔術に詳しいかなどを参考に教師を選んで、自分が目指す魔術師像に近い自由な講義を受けられると言うことだった。
ただ入学して1ヶ月しか経っていない新入生に、どの教師が自分に合っているかなどわかるはずもなく、それを見極めるための猶予期間として10日間の見学期間が設けられていた。
この10日間で2年生が受けている講義を見学し、どの教師に師事するかを決めて、それに沿ったカリキュラムを自分で組み立てていく、と言うのが今後のシェルザールでの講義内容だった。
もちろんそこには実技も含まれているらしく、実験場で教わった魔術を実践する機会も多くあるらしく、エルはやっと退屈な基礎の講義が終わってこれから本格的に魔術を教わることになるとワクワクしていた。
「ねー、エル、どういう風に回るー?」
「んー、私たちはこの前のクルスト先生以外知らないから、とりあえず片っ端から見学してふたりで決めていけばいいんじゃない?」
「じゃぁそうしよっかー。属性の順番はどうするー?」
「これも適当でいいんじゃない? 先生の話だと特に決まった順番はないみたいだし、6日間でひとつずつ教わりに行けば満遍なく回れるじゃない?」
「そだねー。じゃぁどこから行くー?」
「シェリーはどこがいい?」
「あたしはやっぱり水かなー。遊んだり狩りをしたりするときにケガをする人ってたくさんいたから、治癒魔術は完璧にマスターしたいし」
「じゃぁ水から始めて、次は……適当に見学してから決めればいいか」
「うん。あたしは村に帰って魔術師をやりたいだけだから進路は決まってるしねー。他の魔術は村で役に立ちそうなのがあればそこにしたい」
「うん、それでいいよ。私も今は特に進路を決めてないからシェリーの希望に沿うようにしよう」
「いいの?」
「いいよ。私はより専門的で高度な魔術が習えるならどこでもいいし」
「じゃぁ明日からはあたしがリードして回っていいってわけだねー」
「うん」
エルには言ったとおり、明確な進路は決まっていない。学んでいく過程でどういう道に進むべきかを決めればいいとお気楽に思っているから、明確な目的があるシェリーに合わせても問題はない。
「エルくん」
シェリーがどういう順番で回ろうかと思案しているところへ、不意に聞き慣れた声がかかった。
振り向くとルーファスが隣に立っていて、薄い笑みを浮かべていた。
「ルーファスさん、どうしたんですか?」
「君たちがどういうカリキュラムで講義を受けるのか気になってね。少し話をしてもいいかい?」
「いいですけど、私は特に何もありませんよ。今回はシェリーに合わせることにしましたから」
「そうか。せっかくなら一緒の講義を受けてもいいと思っていたんだけどね」
「はぁ」
どういうつもりかはわからないが、ルーファスは自分と一緒のほうがお望みらしい。
ジャクソンと違ってルーファスは紳士だし、一緒に講義を受けても勉強になることは多々あるだろうからエルとしては願ったり叶ったりなのだが、今回はシェリーに任せることにしている。シェリーが学びたいようにするつもりだから、ルーファスの希望に沿うようなカリキュラムにはなりにくい気がした。
「それから僕のことは呼び捨てで構わない。気軽にルーファスと呼んでくれ」
「え? でも名門の家のルーファスさんを呼び捨てにするなんて」
「それは祖父が立てた功績だ。僕の功績じゃない。それに同じシェルザールの学生じゃないか。君さえよければ僕も君のことをエルと呼び捨てにしたいんだけど」
「それは全然構いませんけど」
「じゃぁ、今後はお互い呼び捨てで。敬語もなしにしよう。同じ1年生なんだ。お互い遠慮はいらない」
「はぁ」
幼い頃から魔術の英才教育を受けてきた名門の家柄と、独学で前世の記憶と知識を頼りに魔術を会得してきたエルとでは相当違う気がしたが、無碍に断るのも失礼だ。
「じゃぁシェリーも同じでいいですか? --じゃなくて、いい?」
「もちろん。もっとも、シェリーは最初から僕のことは呼び捨てだったし、敬語も使わなかったけどね」
「まぁシェリーはそういう子なので」
「ぶー、どういう意味ー?」
「自然体でいいってことだよ」
「そうなの?」
「うん。僕としてもこの家のせいで構えられてしまうところがあるから、シェリーのように普通に接してくれるのはありがたい。先輩後輩ならいざ知らず、同じ1年生なんだから変に構えられると僕も窮屈だよ」
「そういうことだったら遠慮なく」
「是非そうしてくれ」
「ところでシェリーはどういうカリキュラムで講義を受けるか決めたのかい?」
「エルがあたしに任せてくれるって言ってくれたから今考えてるとこー」
「じゃぁ僕からもアドバイスをしてあげよう。家のおかげでシェルザールの教師陣には少し詳しいんだ。シェリーのなりたい魔術師ってもう決まってるのかい?」
「あたしは村に帰ってみんなの役に立つ魔術師になるんだよー」
「そうか。生活に根付いた魔術が学びたい、と言うわけだね。そういうことなら……」
そういうとルーファスは何人かの教師を名前を挙げていった。ルーファスによると、どの教師も古式魔術の応用に詳しい教師だと言うことで、基礎から応用までじっくりと教えてもらえる教師陣らしい。
「なるほどー」
「生活に根付いた魔術となると古式魔術が適しているんだろうけど、その応用によって幅広い魔術が扱えるようになる。マナの組み合わせ次第では効果が何倍にもなる魔術を研究している教師もいるから、ただ古式魔術を覚えるより有意義だと思うよ」
「ありがとー、ルーファス。参考になったよー」
「これくらい大したことじゃないさ。それにしても、シェリーとエルはいつも一緒だね」
「エルのこと大好きだもん。だから一緒にいたいと思うんだけど、そんなに変?」
「変じゃないよ。仲がいいことはいいことだ。僕にはそんな関係の友達がいないからね。少し羨ましいんだ」
「どうして? ルーファスならその気になれば友達なんていくらでもできるでしょうに」
「さっきも言ったけど、家のせいでどこか距離を置かれてしまうんだ。おまけに新入生代表なんてのもやらされたから、たいていひとりでいるよ」
「じゃぁあたしたち、友達になろうよー」
「それは嬉しい提案だね。是非ともお願いしたい」
「じゃぁ今から友達ねー。よろしくー」
「あぁ、こちらこそ」
にこやかに笑ってルーファスは手を差し伸べる。シェリーもニコニコとその手を握り、握手を交わす。
「じゃぁエルも今後ともよろしく」
「あ、うん」
シェリーの手を離したかと思うとこちらにも手を差し伸べてきたので、エルも握手をする。
なんとなく形式張った友達のなり方だがルーファスは笑顔なので気にしないことにする。
確かに色々聞いた話だとルーファスは距離を置かれやすい立場にいるのだろう。
革新派の重鎮の孫で、魔力も高い。授業態度は真面目だし、魔術の知識も豊富だ。いわば完璧超人のような存在には一般ピープルは近寄りがたいものだ。
そんな相手に、エルとシェリーと言う辺境の片田舎から出てきた魔術師見習いが気軽な友達関係になっていいものかとは思ったが、ルーファスの笑顔を見る限り、友達になって気分を悪くした気配は感じられないからいいのだろう。
むしろちゃんとした友達ができて案外嬉しいのかもしれない。
そういうことならエルも遠慮なく接することができる。
シェリーは元々そういう気遣いとは縁遠い性格なので、友達が増えて素直に嬉しそうだ。
「じゃぁ僕もカリキュラムの選定をしないといけないからこれで。一緒の講義を受けることになったらよろしく」
「うん、こちらこそ」
「よろしくねー」
ニコニコと手を振って去っていくルーファスを見送るシェリーとは対照的に、エルは小さく手を振って見送った。
ではシェリーの選定作業を見守ろうとシェリーのほうに向き直ると、わらわらと女性学生たちが集まってきた。
「ねぇ、エル、どういうこと? あのルーファスくんから友達になろうなんて言われるなんて」
「抜け駆けは禁止よ!」
「ちょ、ちょっと! ただ友達になりましょうって言われただけなのになんで抜け駆けなのよ」
「この前の勉強会と言い、今回のことと言い、エルってばルーファスに目をつけられたんじゃないの?」
「目をつけられるって別に何かしたわけじゃないんだけど」
「それもそうね。エルちゃんって授業態度は不真面目だったし、むしろあの真面目なルーファスくんが目をつける理由がわからないわね」
「でしょ? 本当に単に友達が欲しかっただけじゃない?」
「じゃぁあたしたちにも声をかけてくれてもいいと思わない?」
「そうやって外野でわいわい騒いでるから友達になれないんじゃ……」
「なるほど。それも一理あるわね。これからは積極的にルーファスに声をかけてもいいことにしない?」
「それはダメよ。最初に決めたじゃない。抜け駆け禁止って」
「じゃぁエルはどうなのよ」
「それはルーファスのほうから声をかけてきたんだから抜け駆けにはならないんじゃない? 向こうから積極的に声をかけてくる分には問題ないでしょう?」
「それはそうだけど」
いったいいつの間に抜け駆け禁止なんて暗黙のルールができあがっていたのやら。
まぁそれも仕方がないか。家柄も実力も雲の上の存在だ。
だからルーファス自身が言っていたように友達ができないのだろう。
それに友達と言っても顔を合わせれば挨拶をしたり、魔術の勉強について教え合ったり、そういうことくらいしかないだろう。特別何かをしたいわけでもないし、そもそも中身が男のエルにはルーファスは恋愛対象とはならない。
それにこんなちんちくりんの小柄な少女をルーファスが変な目で見ることもないだろう。
ロリコンでもない限り、ルーファスがエルを恋愛対象として見ることはないし、エルもルーファスを恋愛対象として見ることはあり得ない。
そう考えれば健全な友達関係が維持できるだろうと楽観的に考えていた。
ルーファスは1ヶ月の講義が終わった後の教師陣の選定はもう決めていた。
と言うのも決めるのが簡単だったと言っていい。
革新派に属する教師の下で、革新派の魔術師としてふさわしい講義を受ける。
それ以外に選択の余地などなかったのだから。
それにエルに近づいて友達になることもできたし、これからは勉強会と言う名目でエルを誘いやすくなる。革新派の教師陣の下でエルがその才能を開花させれば、祖父の言うとおり革新派はますます国での地位を盤石のものとしてくれるだろう。
だが、明かりのない自室のベッドに寝転んでいたルーファスは胸のモヤモヤを消すことができなかった。
歌を魔術に応用するというエルの着眼点。
これはエルが魔術を会得するために得た新しい視点だ。
クルストの言うとおり、これが実用的なものとして扱えるようになれば祖父の言うとおり、革新派はますます大きくなるだろう。古式派など歯牙にもかけないくらいの大派閥として国での地位は揺るぎないものになる。
だが、それをグランバートル家の功績としてもいいのだろうか? と言う気持ちが燻っていた。
歌という着眼点を見つけたのはエルだ。
それが魔術を会得するためにたまたま見つけた偶然の産物だとしても、今までにない視点を最初に見つけたのはエルなのだ。
だが、祖父の言うこともわかる。
祖父の代で成り上がって爵位まで受けたグランバートル家は成り上がりとして貴族社会では蔑まれることもある。
特に古くからの貴族たちからは、「ただの魔術師上がり」と見なされることが多い。
そうしたよくない印象を打破するためにはより一層の功績を挙げて、国王に認めさせなければならない。
祖父はそのためにエルを利用しようとしている。
エルの見つけた視点をグランバートル家の功績として国王に認めさせれば、多くの貴族たちを黙らせることができる可能性は大いにある。
それでも、他人の功績を我が物としてしまうのには抵抗があった。
老獪な祖父ならば躊躇わず、エルを利用しようとするだろうし、そのことに対してこんなモヤモヤした気持ちを抱くことはなかっただろうが、ルーファスもまだ16歳の少年である。
いくら大人の仲間入りを果たしたとは言っても、子供っぽい正義感がエルの功績をくすねてもいいのか? と言う気持ちにさせていた。
祖父は家族であると同時に師匠である。
師匠の言うことは絶対である。
それもわかってはいても、胸のモヤモヤが晴れることはなかった。
ジャクソン・ニコラウスは苛立っていた。
ニコラウス家で長らくシェルザールに入学する者が現れなかったここ数十年、やっと合格を勝ち取り、古くからの魔術師の家系として復権を目指すときがようやくやってきたというのに、エル・ギルフォードとルーファス・グランバートルのせいでシェルザールでは悪役認定されてしまった。
1ヶ月の基礎講義が終わり、これからというときにも関わらず、一緒にいるのは昔からの魔術師仲間で取り巻きのひとりだけ。
その取り巻きもどうやらこのままジャクソンについていってもシェルザールでの立場が悪くなると考えたのか、距離を置かれているように感じていて、このままではシェルザールで完全に孤立してしまう。
昔は古式派の重鎮として派閥の中心にいたニコラウス家も、シェルザール合格を勝ち取る魔術師を輩出できなくなり、凋落の一途を辿って気付けば古式派の中でもうだつの上がらない魔術師の家系として泥を被っていた。
しかも子供っぽい容姿でバカにしていたエルはルーファスに気に入られたのか、革新派の勉強会に誘われてほいほいついていったと聞くし、つい先日はルーファスから近づいていって友達関係を築いたという。
ルーファスほどの人材があんなちんちくりんに目をかける理由がわからないし、ルーファスと言うシェルザールでも一目置かれる存在がエルと懇意にすれば、エルのシェルザールでの立場は悪くなるどころかよくなる一方だろう。
おまけにいつもエルにくっついて一緒に行動しているシェリーとか言う人猫も厄介だ。
動物型の亜人はだいたい元となった動物の特性を受け継いでいることが多く、人猫はすばしっこく、好戦的で、鋭い爪を使ってゴブリンくらいの魔物ならば素手で撃退するほどの身体能力を持っている。
しかも自分よりも身長が10センチ以上も高い大女と言うことで威圧感も半端ない。
見た目は子供のクセに、エルの周囲は恵まれているのだ。
女子学生たちとも良好な関係を築いているし、魔術の腕前は一度ふざけた魔術を披露しただけしかわからないが、どうせお情けでA判定をもらって合格した程度の落ちこぼれに違いない。
授業態度は不真面目だったし、ただシェルザールに合格できる魔力を持っていたと言うだけの運がいいヤツとしてしか思っていなかった。
それなのに気付けばルーファスと言う後ろ盾を手に入れ、ちょっかいを出せば殺しかねない勢いで迫ってくる人猫もいる。
たかだか辺境の片田舎から出てきただけの魔術師見習いがでかい顔をしてニコラウス家の名を貶めるのは我慢がならない。
かといってルーファスを味方につけた今のエルにちょっかいをかければ、影響力の大きいルーファスを中心にジャクソンの立場はもっと悪くなってしまうだろう。
孤立するだけならまだしも、最悪せっかく合格を勝ち取ったシェルザールを退学になってしまいかねない。
両親の期待を一身に背負ってシェルザールに入った身としては退学という最悪の事態だけは避けなければならない。
それでも腹が立つのだから苛立つのも無理はない。
やり場のない怒りをぶつける先も見つからないまま、ジャクソンは部屋で悶々とした時間を過ごしていた。
10日間の見学期間を挟んでシェリーが選んだ教師陣は、図らずも古式派、革新派のバランスの取れた教師陣となっていた。
シェリーが完璧にマスターしたいと言っていた水のマナの教師は革新派で、治癒魔術に造詣の深いメリンダ・ウルスという女性教師で、いかにも水のマナが似合いそうな水色の髪をした若い教師だった。
他に革新派の教師は土と火のマナの教師で、シェリーが選んだ理由は土と火はともに相性がよく、補助と防御、攻撃とバランスの取れた魔術を習える、と言うのがその主な理由だった。
シェリーの故郷ではゴブリン程度ならば素手で撃退できるものの、狩りをするために遠出をした際には危険な魔物も出没する地域もあるらしいので、そうした狩りに同行するときに実用的な魔術を覚えていると狩りの助けになるから、と言うのが理由だった。
古式派を選んだのは光、闇、風のマナの教師だった。
人猫の亜人であるシェリーは明るい場所では瞳孔が細まり、暗い場所では開いて夜目が利く。星明かりでも十分な視界を確保できる人猫の特徴から、特に光と闇のマナは必要性が薄いと判断したようだ。
風のマナも元々すばしっこい人種のため、風のマナの補助がなくても人間とは違って素早く行動できる。これも必要最低限の知識さえあれば、人種的に問題がないと判断して特に実用性を重んじる必要がなかった、と言うのが理由だった。
当然、エルもシェリーもどの教師が古式派なのか、革新派なのかなんてのは知らない。
ただ見学して、シェリーの理由を汲んで同じカリキュラムを選んだだけだ。バランスが取れてしまったのは偶然でしかない。
これで夏休みを挟んで短い秋休みまでの間、最初の1ヶ月よりも高度な魔術を教わるのが前期の日程となっていた。
貴重な紙にシェリーが書いた紙を見ながら同じ内容を移していたエルは、隣で眉尻を下げたシェリーに尋ねられた。
「ねぇ、エルはホントに一緒でいいのー? エルだってホントはもっと別の勉強がしたい魔術とかあるんじゃないのー?」
「いいのよ。私がシェリーと一緒がいいって思ったんだから。それに何よ、今更。水くさいわね」
「だってぇ……」
シェリーはエルの気持ちを慮って、別の講義を受けたほうがいいのではないかと思っているようだった。
しかし、エルには本当に今更だった。
オリエンテーションの後に言ったように、シェリーが選ぶ講義を一緒に受けると決めたのだから今更それを変える気などない。
それに、シェリーには秘密だがシェリーがいてくれたほうが何かと助かるのだ。
ひとりだとジャクソンのような変なヤツに絡まれてもひとりでどうにかしないといけないが、シェリーが一緒だと防波堤の役目を果たしてくれて、安心して講義を受けることができる。
それにこれはまだ前期日程だ。
後期になれば後期になっただけのまた新しいカリキュラムが設定されるだろうし、その頃にはシェリーの魔術の腕も上がってふたりで色々と考えながら講義内容を選択することができるようになるだろう。
進路の決まっていない今の段階であれこれ考えるより、気の置けないルームメイトと一緒にいたほうがエルとしても心が落ち着く。
それにまだ講義を受けていない段階で、あれこれ考えても仕方がないこともある。
前期の講義を受けて、そこからまた新しい道を探っていけばいいのだから、何も急ぐ必要はない。
シェルザールでの生活はたった2年間とは言っても、まだ1ヶ月とちょっとしか経っていないのだ。
もう親友と呼んで差し支えないシェリーと離れ離れになるより、一緒にいたほうがいいし、シェリーもきっと自分が一緒のほうが心強いだろう。
色んな意味があって、エルはシェリーと一緒にいる道を選んだのだから、シェリーが気に病む必要はない。
「さ、これで終わりっと。もう書いちゃったから変更は効かないわよ」
「ホントにいいのー?」
「もうっ、私とシェリーの仲でしょ? 変な遠慮はしない」
「エル……」
その言葉に感動したのか、シェリーは目尻に涙を溜めて勉強机でようやくカリキュラムの紙を書き上げたエルを抱き締めた。
「ちょっと! シェリー!」
「エル、大好き!」
「それも今更よ」
部屋では腰布一枚のシェリーに抱きつかれると、ふわふわの体毛がちくちくしてくすぐったい。
それでも可愛い妹分がこうして愛情表現を身体で表してくれるのだからいい気こそすれ、悪い気にはならない。
ただ、唯一許せないのはシェリーの身体は大柄な身体に見合ったグラマラスな体型をしていることだった。
抱きつかれるとその豊満な胸に顔は埋まり、ふさふさの毛並みは心地よく、首に回された手の肉球のぷにぷに感は気持ちいい。
亜人とは言ってもシェリーも立派な女の子である。
元々が男のエルにとって、こんな風に親愛の表現だとわかっていても苦しいくらいに抱き締められるのは悪くない。
成長しなくてちんちくりんな見た目のままなのだけは残念なので、そこだけは引っかかるものの、それ以外はまるで家族に抱き締められているような安心感がある。
それくらい気安い間柄になっているのだから本当に変な遠慮は無用だ。
「明日から頑張ろうね! エル!」
「もちろん。明日は早速メリンダ先生の講義を受けに行くのよね?」
「うん。どんな大ケガでも病気でも治せるくらい治癒魔術はマスターしたいからねー」
「うんうん、その意気よ。私も治療院で働いてたから治癒魔術の応用には興味があることだし、一緒に頑張ろう」
「うん!」
「じゃぁ明日への鋭気を養うためにも、晩ご飯はしっかり食べて、お風呂にも入って、今日は早めに寝て明日に備えよう」
「そうだねー。ばんごっはん♪ ばんごっはん♪」
すっかり元気を取り戻したシェリーは今すぐにでも食堂に行って夕食をせがみかねない雰囲気だ。
こういう気持ちの切り替えがはっきりしているシェリーを見るのは楽しい。
喜怒哀楽に素直で、裏表がないから友達としては裏切られる心配がない。
子供っぽいと言えばそれまでだが、この子供っぽさもシェリーの魅力のひとつなのだから嫌な気持ちにはならない。
シェルザールに入学してから1ヶ月ちょっとだと言うのに、こんなに早くいい友達ができて、しかもそれがルームメイトだという事実に、エルは神に感謝したくなった。
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