ちょうだい? ——Part1.

 突然だが、私は自分の名前が気に入らない。


 小松こまつ華彩はあやは、常々そう思っていた。

 名前は親が一番最初にくれるプレゼント、だの、大事にするもの、だの、世間の一般論を聞くと反吐が出る。


 名前なんてペットと同じだ。大半は愛着がわくだろうけど、絶対、自分の名前が嫌いな少数派だって少なからずいるはずだ。

 そして華彩は、自分がその少数派だと自負している。


 『華やか』に『彩』と書いて『はあや』と初めて見たときに読める人が何人いるか。考えたら一発で答えは出る。一桁。それも、四捨五入したらゼロになる数。


 もちろん、華彩と同じ名前でも自分の名前が好きな人だっているだろう。

 その人たちを否定する気はさらさらない。


 だけど華彩が自分の名前を好きになれないのは、ほかにどういおう、華彩の性格がひねくれているからだと思う。


 名前に同じ漢字を使うならせめて、『彩華あやか』がよかった。


 生まれてから十二年も経っているのに、ついそんなことを考えてしまう。


 前に言ったら、当然だけど母親に怒られた。


 あーあ、と思う。

 綺麗事なんて、大嫌いだ。


 華彩が自分の胸の内を明かせるのは、たった一人、親友の四辻よつじ莉和りわだけだった。



 ある日の中休みだった。

 華彩は、クラスのお楽しみ集会の打ち合わせで、実行委員のリーダーの机に集まっていた。

 学級会で配る原案が大体完成したころ、隣にいた女の子が、はー、と長い溜息をついた。


「どうしたの?」

「いや……」


 女の子は苦笑した後、小声で言った。


「自分の名前が気に入らないなって」

「え」


 女の子が見ていたのは、リーダーの子が書いている、「提案者」欄の集会実行委員たちの名前のところだった。


 華彩が驚いていると、女の子は弁解するような口調で言う。


「引くでしょ? でも、昔から思うんだよね。この字面で、読めないでしょ?」

「確かに……」


 うなずいた後で、ハッとして華彩も言った。


「実はハアヤもなんだよね。 これで『はあや』とはなかなか読めないしさ」

「華彩ちゃんもなんだ!」

「うん」


 あのとき、なんであんなことになってしまったのか。

 華彩は、悪いのは自分だと思っている。

 自分が話題を振ったのだ。それなのに――。


 女の子が同情するように言った。


「たしかに、これで はあや とは読めないね」


 その時、華彩のなかで、たくさんの疑問符が破裂した。

 この子はなんで、こんな口調で、表情で話せるんだろう。まるでバカにしているみたいに。


 思って、気がついた。

 私はこの子に腹が立っているのだ。


「そうだね」


 口をついて冷たい声が出た。女の子が驚いたように顔を上げたのが気配でわかる。

 その瞬間、冷水を浴びせられたように、全身が冷えていくのが分かった。

 しまった。私はいつもこうだ。


 それ以上その場にいるのが耐えられなくて、中休み終了のチャイムが鳴ったのを言い訳のようにして華彩はその場を離れた。


 きっと、みんなは華彩が悪いというはずだ。

 自分でそれもわかってる。

 わかっててなお、やっぱり、思うのだ。


 あーあ。


 綺麗事って嫌いだ。

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