正体と招待

      (一)


 長橋が目の前で連れ去られようとしている。そして彼が行く先は、おそらく雲田たちがいる所。居場所を見つけるには――。

 理恋はホールめがけて駆けだした。


 そして広いホールに目を凝らす。理恋の目がスズランテープと、そばに置かれたペン立てをとらえた。すかさず理恋はその場所に駆けだす。

 テープを拾うと、その芯に印刷された文字を見た。百五十メートルある。それなら十分だ。


 次いで、ペン立てから重そうなマーカーを一本取り、テープの先に括り付ける。そして、左腕にテープの芯をはめた。くくり付けられたマーカーをつかむ手ももどかしく、理恋は長橋のもとへと駆けだす。


 駆けながら、右手でテープの先端から大体五メートルあたりの地点をつかんだ。


「長橋!」


 声をかけながら、右手づてにテープを空中で振り回す。

 長橋が『その人』を回避するのに、一瞬だけ、壁から腰を浮かした。


(今だっ!)


 テープの先端を長橋めがけて放り投げる。すると、マーカーが重しの役割を果たし、理恋の計算通りになった。


 テープが巻き付いた長橋の体。理恋はほっと息をつく。

 絶対に離すんじゃないよ。その内容を伝える。頭が真っ白になり、蹴るとか殴るとか、多少暴力的な言葉を使ったかもしれない。


 理恋の狙いは、『その人』が長橋を皆のいる場所に連れて行かせることだ。スズランテープがあれば、繋がっているので居場所を突き止められる。


 長橋が消えた。『その人』も消えた。

 残っているのはあたしだけ。

 向かうべき場所は、分かっていた。


 理恋は、自分の左手首につながっているテープを見る。

 芯に巻き付いているのは残り僅かの距離。理恋は少し心配になった。もし、もっと遠くに運ばれていたら。これ以上追跡できるか分からない。


 しかし、今はこっちの方が優先だ。

 『その人』の声が、耳によみがえる。


〈さぁ。本人に聞けば〉


 理恋はそうする気だ。『その人』の正体に、直接問いただしたかった。


「待っててよ…」


 廊下を歩きだす。耳に痛いほどの静寂が延々と続く。理恋は緊張し、ゴクリとつばを飲み込んだ。肌を刺す冷気に、そろそろ体が悲鳴を上げ始めていた。


 理恋の足音が、廊下に響く。


     (二)


 自分には全く記憶がないが、理恋と長橋は幼馴染らしい。母によると、理恋の母親と長橋の母親が仲良くなるところから始まったようだ。とはいえ、理恋も長橋も二~三歳。


 一緒に遊ぶでもなく、それぞれ自由に遊んでいるだけ。記憶がないのも必然だ、と、母が言っていた。


 理恋の記憶の中に長橋が最初に現れたのは、習い事だ。長橋が習い事でとある女子を怒らせ、その女の子は理恋の友達だったのだが、剣幕に驚いたので記憶に残っている。


 長橋曰く「あんなの全然怖くなかった」らしいが。

 理恋の中で幼馴染と言えば、もう転校した祐斗君や祐斗君と理恋と一緒に登下校していた智弘君、雲田や竹山など――なぜか男子ばっかり――だ。女子で言うと、他校の麻耶ちゃんとか友利小の心美。でも、一番「幼馴染」と「仲良し」が交わるのは砂代だと、理恋は思う。


 砂代と理恋は、五年生を除いて毎年同じクラスだった。二年生のころから互いに「ちゃん」呼びが外れ、呼び捨てになった。そのころからだと思う、お互いに「親友」という認識が生まれたのは。いや、もっと後からかもしれないが、と理恋は曖昧になった記憶を探る。


      (二)


 目を開けると、理科室だった。周りの人が、こちらを見ている。


「長、橋」


 こちらを驚きに目を見開いて見ていたのは、雲田だった。

 雲田の横には竹山、その横には鈴、その後ろには絢がいる。


「なんでみんな俺のこと見て…、っていうかその恰好、どうしたんだよ。ビッチョビチョじゃねぇかよ、みんな」


 長橋が言う。絢も鈴も雲田も、ビショビショだった。まるで頭から水をかぶったみたいに。


「洪水でも起きたのか?」


 呆れ半分、驚き半分。そんな状態で尋ねると、竹山と雲田がほぼ異口同音に応える。


「いや、むしろその逆だ。火災」

「はぁぁ?」


 雲田と竹山は一部始終を説明するのに困る。

 そもそも、話のきっかけは、今はもうどこかへ行ってしまったこっくりさんの紙にさかのぼるのだ。これがまたややこしく、もとからいた四人には、こっくりさんを帰した覚えがない。つまり、今見えていないだけで、どこかに絶対にまだ鳥居のイラストの紙があると言うことになる。


 どう説明しようか。

 迷った末、雲田は鈴と絢に目で助けを求める。

 その視線を受け取った絢と鈴が口を開いた。

 そして、説明を始めた。


      (三)


 心臓の動悸が速くなり、再びドキドキし始めた。何が待っているのか分からない。でも、理恋の予想が正しければ、『その人』の正体はあそこにいるはずなのだ。

 待っててね。心でつぶやき、左に曲がる。

 廊下とその両脇に並ぶ教室を見つめた。


 ――と、理恋の目に、蛍光灯の明かりが飛び込んでくる。

 周りの教室が暗くて闇を中に広げている中、その明かりだけが異彩だった。

 その明かりがついている教室の扉の上に小さくついた札を読むため、理恋はそこに慎重に近づいていく。


トン、トン、トン。


 足音が闇に吸い込まれ、嫌に静かな校舎内、やけにその音だけが目立つ。中に何がいるか、まだ分からない。あくまでこれは予想なのだ。

 階段を下りる間に発見した七不思議の七つ目。それは『その人』が言った通り、初めから自分たちのそばに存在していた。どうして気づかなかったのか、自分でも疑問に思う。


 歩くにつれて、札が近くになって読みやすくなる。位置で分かっていても、予想通りで思わず吐息が漏れる。

 札には、こう書かれていた。


『六年四組』


      (四)


 『その人』は、時計を見上げた。

 午前三時十分。タイムリミットまで、あと二十三分しかない。誰も自分の正体に気づいてくれないのか。いや、気づいているはずだ。そのうえで、あいつらは自分たちを見つけに来ないのか。


――親友だと思っていたのに。


 大川砂代はため息をつく。



 時を同じくして、理科室では。


 黒板前の机の裏。埃だらけのその空間に頭を突っ込んで小さな紙片を探していた絢は、顔を傾けた拍子に思い切り埃を吸ってしまった。


 咳をしながら机裏から頭をひっこめる。


 棚の中を探していた鈴と長橋がこちらを振り向いた。鈴が心配そうに


「あっちゃん、大丈夫?」


と尋ねる。

 絢は髪の毛に多少ついているであろう埃を手で払う。そして理科室の中を見渡した。

 雲田は水道を調べているし、竹山はタイルをめくろうとしている。やめなさいよ。咄嗟にそう思った。さすがにタイルの奥はないでしょ。

 絢はくしゃみをする。鈴もくしゃみをした。体が凍るかと思ってしまう。


 先程、この理科室に避難した後、竹山がホースから水を噴射させ、一人一人の体から消火器の泡を除去した。

 なので、泡をまともに浴びてしまった絢は一番時間がかかり、その分大量の水を浴びている。これなら風邪を引いてもおかしくないと思った。ここから無事に出たら、温かいお風呂に入ろう。


 ここから出る――。


 反射的に、理科室にかけられた時計を見る。七不思議の七つ目を見つけたり、理科室に連れてこられたりして、なんやかんやで誰も時計を見ようとしなかったのだ。


 そして、悲鳴を上げた。


 皆が絢の方を見る。絢が時計を指さすと、皆も時計を見た。そして、一斉に目を見開く。

 鈴は絢と同じように、ショックで一時的に口がきけなくなったようだ。


 時計がさしている時刻は、午前三時十五分だった。


「もう、あと十八分しかないじゃん…」


 七不思議の七つ目を見つけても、こっくりさんの呪いにとらわれていれば出ることが出来ない。こちらを一生出さないと脅したのはこっくりさんだから、この呪いを破らなければ出ることが出来ない。

 どうしようと、絢は頭を抱える。長橋も珍しいことに、パニックしているようだ。のんき屋とはいえ、ちゃんと驚きという感情あったんだ――、などと感心している場合ではない。


 どうしよう、どうしよう、出られなかったら。家に帰れなかったら。

 吐き気がし、絢はしゃがみ込む。

 誰か、理科室に早く来て。

 咄嗟に、絢はそう願った。


     (五)


 扉に手をかける。

 何が何でも、『その人』の正体を直接目で確認したい。あれは演技だったのか、無意識に『その人』を生み出してしまったからこんなことになったのか。質問して、答えを確かめたい。

 手に力を入れる。


ガラガラガラ!


 思ったより大きな音がして、教室の扉が開いた。

 それまで闇に慣れていたせいで、目に飛び込んだ明るさに、しばしの間目をつぶる。


 目を開く。

 最後にみんながここを解散した時と同じように、机も椅子も、全く同じ状態で、そこに存在していた。ただ一つ違うのは、そこに二人の人影が、加えられていると言うことだった。

 理恋はぽかんとした。――なんで、二人もいるわけ?あたしの予想と少し、違う…。

 なぜ理恋は、長橋たちの場所を探すことよりもこちらに向かう方を優先したのか。それには少し、わけがあった。


 竹山たちがたびたび目撃するという、「顔のない『その人』」。その姿を自分で、一目確認したかった。一度でもいいから、自分にそっくりだというその姿を、確認したかった。


 理恋は、教室で待っているのは理恋にそっくりだという顔のない『その人』だと思っていたのだ。


 なのに…。

 扉が開いた音に、中にいた人――砂代と一樹が、振り返る。


「理恋」

「あ、来た」


 二人の反応を受け、理恋は扉と柱の間に黒板消しをはさんで掻き消えるのを防ぎながら、立ち上がって言った。


「来たよ。あとなんで、ここには二人しかいないわけ」


 二人はなぜ、長橋たちと居場所が違うのか。その問いに、前からいた二人なら、答えられると思っていた。それなのに…。

 二人は力なく、首を横に振る。


「じゃぁ、どうして居場所が違うわけ?!」


 一人でパニックになりながら、釈然としない事態に少しいらだつ。すると、遠慮がちに、砂代が口を開いた。


「本当に、『その人』の正体に気づいた人だけが、ここに集められたんじゃないかな」


「本当に、気づいた人…?だって、みんな気づいたから、消されたんじゃないの?」


 ますます釈然としない。すると、一樹がうなずいているのを見て、余計に訳が分からなくなる。


「砂代、みんなを消したのって、砂代なんでしょ?」


 確かめるように言うと、砂代はコクリとうなずく。次いで一樹を見ると、一樹もまた、うなずいた。


「じゃ、どうして?みんなわかってて当然でしょ?だって、砂代に消されたんだから」

「サヨに消された、サヨに消されたっていうけどさ、理恋」


 イライラ気味の砂代が口を開く。


「正確には、『サヨの姿をした『その人』が』消したんだからね!」

「まぁ、そうなんだけど…」


 意味が分からない事態。


「後、確かめたいこと、もう一つあるよ」

「――七不思議の七つ目でしょ」

「そう」


 一樹と顔を見合わせ、砂代を見ると、砂代もうなずく。三人の声が重なり、響いた。暗闇の中に消えていく。


「七不思議の七つ目は、『ピアノにとりつく顔のない少女』だよね!」


 みんな、ちゃんと気づいたのだ。最初は、顔のない『その人』が、みんなをここに集めた顔のある『その人』と同一人物だと思っていた。でも、違う。顔のない『その人』がスーパーにいたのは、ここに集めた顔のある『その人』が、都市伝説を利用して竹山と雲田を学校に来させるためだったのだ。


 そして、顔のある『その人』は――。


 理恋が口を開こうとした時。砂代がパニック気味の声をあげた。時計を見ている。

 つられて時計を見た一樹と理恋は、軽く悲鳴を上げた。


「タイムリミットまで、あと十五分!」


 理恋は意を決して、手首につながれたスズランテープの先を見た。あけられた扉から、廊下につながっている。


「場所ならわかる」


 静かに言う。


「みんなを助けるよ!」

「走って!」


 砂代の悲鳴のような声を合図に、三人は廊下を走りだした。


 タイムリミットまで、あと十三分五十九秒。

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