どこにいるの?

      (一)


「ねえ、いったん教室戻ろうってば」


 三階の廊下、理恋の声が背中に飛んでくる。

 長橋はそれを聞き流すと、立ち止まって待つ気配を微塵も見せず、すたすたと行ってしまう。


「あ、ちょっと!」


 長橋は舌打ちをし、三階ホールでようやく立ち止まった。振り返って理恋が追いつくのを待つ。


「ね、教室戻ろうよ」


 理恋が言うが、長橋は舌打ちをもう一度したきりだった。


「チッチ、チッチって、舌打ちばっかり。あんたスズメかよ」


 小声で理恋が自分に毒づくのが聞こえるが、長橋はまた無視する。こうしておけば理恋が自然と黙ることを知っていたからだ。

 しかし、理恋は黙らなかった。


「あたしたちが見つけられなくても、砂代とか絢ちゃんとかが、見つけてるかもしれないでしょ」


 理恋が追い付いて自分の肩をチョンとたたく。そこで、初めて長橋は反応した。


「あのさ、七不思議の七つ目は、なんでもいいんじゃないか?」

「はぁ?何言ってるの。どういうこと?」


 いきなり何を言い出すんだと、理恋はいぶかしげに眉を寄せる。


「七不思議って、なにも怖いものに限らなくたっていいんじゃないか?例えば、『二階の廊下の、欠けているタイルはいつまでたっても変えられない』とか」


「いや、それ何も不思議の要素ないし。っていうか、この間見たらタイル変えられてたし」


 理恋に突っ込まれて、長橋はむすっとした様子になる。


「なぁんだ。変えるなよな、俺らを出られないようにするための奴らの陰謀なんじゃないか」


「何に難癖付けてるのよ。しかも、タイルの枚数なんて、さっきから言ってるけど『不思議』の『ふ』の字もないし!」


「はぁぁ?そんなことばっかり言ってるけどさ、お前こそ何か七不思議見つけた?」


「見つけてないから言ってるの。長橋だって、やみくもに言うんじゃなくてもうちょっと都市伝説っぽいやつを言いなさいよ」


「人任せじゃないかよ。どういう理論だよ、めちゃくちゃだろ」


「あんたの方がめちゃくちゃです」


「頭おかしいんじゃないのか?」


「頭おかしいのはそっちでしょ」


「西野、お前さ、ぶん殴られたい?」


「いやだ!それに、殴られたら殴り返すよ」


「はぁぁ?」


 お互いに本気でイライラし始めたところで、階段にたどり着いた。


「ね、教室戻ろうよ」

「はい、はい。一回だけだからな」

「一回だけ…??」

「うん、そう。もし教室に誰もいなかったら、責任とれよ」

「責任…???」


 次々と長橋の口から放られる意味不明のめちゃくちゃな発言に混乱していると、長橋はさらににやりとした。

 そして、何か言いかけた。


「誰もいなかったら土下どげ……」


「あ、そういえば砂代たち、どこ行ったんだろう。絢ちゃんと鈴ちゃんも。竹山もさっき一緒にいたのに見ないけど」


 ふと理恋が、疑問を口にした。先ほど理恋は長橋と保健室を出る前に、砂代とある約束を交わしたはずだった。「タイムリミットまであと一時間半を切ったら、一度六の四に集まること」だった。鈴と絢は、怖いので基本的にどこか一か所しか旋回しないと言っていた。竹山は…、知らない。


 もしかしたら、砂代に何かあったのかも。


 薄気味悪さに身震いする。


 階段を下りる。二人の足音が、驚くほど静かな校舎に反響した。


トン、トン、トン。

トン、トン、トン。


 すると、その時――。


コツッ、コツッ、コツッ――。


 ふと、かすかな音を、理恋の耳が拾った。

 思わず足を止める。耳を澄ませると、それは誰かの足音らしかった。


コツッ、コツッ、コツッ――。


 高くてはじけるような音。それが徐々に、近づいてきている。


「誰…?」


 思わずつぶやくと、何も気づかない長橋が前で振り向いて


「あん?どうかした?」


とこちらに呼びかける。


「砂代?絢ちゃん?一樹?鈴ちゃん?竹山?」


 誰かが来てくれた。矢継ぎ早にそちら側に問いかけるが、足音はリズムを早める様子も遅くする様子もなかった。


コツッ、コツッ、コツッ――。


「誰か来る……………!」


 小声で前方の長橋に伝える。長橋はそれを聞くと、


「砂代かぁ?」


と、階段の向こうから聞こえる足音を察知して呼び掛けた。


「鈴――?」


 絢、竹山、一樹。次々と、名前を呼んでいく。


「砂代!」


コツッ、コツッ、コツッ――。


 今いる階段から見える、もう一つの階段。そこから今、足音の主が姿を現す――。


〈残りはあなたたちだけよ〉


 突然、地の底からわくような声が、理恋と長橋に降りかかった。


「え…?」


 見上げると、隙間から、黒い服が目に映った。喪服――。咄嗟に、そう思った。それくらい、悪寒の走るような光景だった。


 『その人』が今、二人を見下ろしてにやりと笑う。


      (二)


 竹山が目を覚ますと、そこは理科室だった。


「なんで、俺がここに…」


 朦朧としながらもそれだけをつぶやく。


 あたり一帯がしんとした理科室に、竹山の声がすっと吸収されていく。ふと、目覚める一瞬前に現れた『その人』のことを思い出した。すると、背筋に冷たいものが走り、はじかれたように竹山は後ろを振り返る。


 しかしそこには、ただただ通常の、理科室の奥が広がるだけ。人がいる気配はみじんもなかった。竹山はなぜ自分だけがという思いとともに、ほっと安心するのを感じた。


「とりあえず、出ないとな」


 自分に呼びかけるみたいにつぶやいて、前を向く。


 夜の静かな空気に、竹山の足音だけが響く。扉に向かって歩く竹山。

 その手が、扉の取っ手をつかんだ。

 早く西野や長橋や、大川や一樹を見つけないと――。


 扉を開いた。その先に広がる光景に、竹山はギャッと、短い悲鳴を上げる。


――炎。

 あたり一面、炎。


「うわっ」


 真っ赤な世界に、すさまじい、物が燃える音。こちらを引き込もうとする熱風に耐えきれず、竹山はあらん限りの力で扉を閉めた。


 心臓の動悸が激しい。

 今のは何なんだ、その思いが強かった。


「どうなってるんだよ…」


 廊下が火事になったのか?

 あり得ない、そう思った。じゃあ、あそこはどこだったんだ?

 恐怖から、咄嗟に動くことが出来ない。どこが火事になっているのだろう。気にはなるが、火だるまになることはなんとしても避けたかった。

 と、その時。


「助けて……………!」


 ふと、聞き覚えのある女の子の声が、扉の向こうから聞こえた気がした。その声が聞こえた瞬間、竹山はなぜか、「助けなくちゃいけない」と思った。


 扉の向こうから聞こえた絢と鈴の声。あれは、絶対に気のせいではなかった。二人は今、窮地に陥っているはずだ。と、すると、あの炎の中か。


 助けに行こうと考えた瞬間、あの炎の迫力と恐ろしさが脳裏をかすめた。怖い、咄嗟にそう思った。行けない、俺は行けない。怖い、燃えたくない。


「助けてくれ!」


 その時、絢と鈴とは別の、男の子の声が聞こえた。聞きなじみのあり過ぎる声。幼馴染みが扉の向こうにいる。必死で助けを求めている。


 西野理恋に似た顔のない少女が通路の向こうでうずくまっていた時、それを見て気にかけ、近づこうとしたのが雲田だったことを思い出した。少女と最後の最後まで必死に戦ったのが雲田だったということも思い出した。


 雲田にはこんなに勇気があるのに、自分は臆病だというのか?

 それを思った瞬間、竹山は覚悟を決めた。

 そして、扉の取っ手に手をかけた。


      (三)


「――だったんだね」


 階段から下りてくる姿。それは、理恋が普段から見慣れ過ぎている姿だった。絶対にドッキリじゃない。脅かしじゃない。なぜならこいつのほんとの姿は、いつも他の人のことを思いやって、とてもやさしい人だと知っているから。みんながパニックになっているこの時に、みんなを脅かすような人じゃないから。


 こいつが、こいつこそが、今夜自分たちを学校に集めた『その人』の正体だ。

 理恋はその姿をにらみつける。


「どうして!」


 かすかにかすれた自分の声を理恋は聞く。


〈さぁ。本人に聞けば?〉


 にやりと笑った口元と対照的に、全く笑っていない目は、鋭く冷めたままだった。その目を見とめた瞬間、総毛だった気がした。


「この人の顔なんでしょ、鏡の中に見たのって。そうなんでしょ?長橋!」


 後ろを振り返ると、長橋が同じく『その人』を睨みつけながら、コクリとうなずく。


〈みんな、気づいたのよ。残っている鈍感なあなたたちだけが、気づいていないのよ――七不思議の七つ目は、とっくに近くに存在していたというのにね〉


 にたりと笑う『その人』。だんだんと近づいてくる。


〈気づかせてあげる。送ってあげるわ――選ばれし場所にね〉


「選ばれし場所…?」


 理恋がこわばった表情のまま、慎重に尋ねる。気づいたらだめだ、その思いが強かった。そしたら自分たちは消される。

 『その人』は続ける。


〈私のいる選ばれし場所か、地獄の場所か。どっちか、二人とも選べるのよ〉


 選ばれし場所。片方には、『その人』の正体がいる。だったら、と理恋は思う。

 自分が選ぶべき場所は、選択の余地がないじゃないか。あたしが別の場所を選ぶわけ、無いじゃないか。


 意思表示の代わりに、理恋は『その人』を、改めてにらみつけた。


〈選べるのよ〉


 もう一度同じ言葉を、『その人』は繰り返した。


      (四)


 扉を開けると、辺り一面赤色だった。

 しかし、最初に見たときは炎のインパクトが強すぎて他に何も吞み込めなかったけど、今は他のことも随分分かる。


 なぜだ、と思った。

 なんで、俺がいるのは理科室なのに、扉の外も理科室なんだ?混乱している間に、先ほどと同じ声が竹山に訴えかける。助けを求める。


「竹山…!」

「助けて…!」


 ――どこだ?。目を凝らし、真剣な顔もちで三人の姿を探す。

 そして、見つけた。


 理科室の奥、水道の少し前のところに、炎の輪に囲まれた三人の姿を発見した。三人の周りを見た竹山は、思わずああと吐息を漏らす。

 オレンジ色に輝く、轟々と燃える炎の輪。それが、三人を取り囲んで逃げ場所を奪っていた。


 鈴が絢にしがみつき、絢も鈴にしがみついて二人で今にも泣きそうな表情をしている。雲田もあとずさって恐怖の表情で、絢と背中合わせになっている。

 チロチロと炎の舌先を躍らせながら、炎の輪が三人に近づいている。


 三人が竹山の方を向いて、必死で助けを求めている。

 竹山は炎の圧迫から、咄嗟に動くことが出来ない。


 そして、自分がいる理科室の中を振り返った。すると、あるものが目に留まった――。



 竹山!竹山!

 助けを求める自分たちのことを眺めた後。自分のいる理科室の中に引き返す彼の姿を、三人は必死になって呼ぶ。


 助けてほしかったし、炎が怖かった。もしこのまま、炎で焼かれて死んでしまったとして、それがまったく痛くないならいい。千歩譲っていいとする。でも、絶対に苦しく、痛い思いをするに決まってる。絶対に嫌だ、まだ生きたい。


 自分たちのいる理科室と、竹山のいる理科室をつなぐ鳥居。竹山が現れた瞬間、鳥居の向こうは闇でなくなり、理科室になった。


 竹山は弱気になったのか。自分たちを助けることを、諦めてしまったのか。

 絶望しかけたその時、だった。

 徐々に近づいてくる炎の舌先が、まさに鈴を飲み込もうとした、その時。


「鈴ちゃん!」


 手を伸ばし叫ぶ自分の声と、重なって響く竹山の声が耳に届いた。思わず顔を上げる。


「お前ら、目、つぶっとけよ!体にいいもんじゃないからな!」

「えっ?!」


 雲田を見ると、彼は咄嗟に両手で顔を覆うところだった。つられて絢も、鈴の体を両手で引き寄せるとともに、気が動転している彼女の目を自分の手を伸ばしてふさぐ。自分は思い切り目をつぶった。


 目をつぶる寸前、視界の端に白いものが映った。


シュ――――――――!


 すさまじい音がして、周りの熱気が一気に下がる。炎天下から涼しい日陰に入ったかのような温度の変化に、思わず目を開ける。すると、辺り一面白い世界が映った。

 上下左右前後、ただただ白い世界。


 え?と思っていると、絢の手から抜け出した鈴が、目を開けた。そして、絢を見るなりいきなり笑い出した。


「え?え?鈴ちゃん?」


 とりあえず炎がないので安心したのと、鈴の爆笑につられたので笑ってしまう。

 雲田も絢を見て笑い出した。


「何?何なの、二人そろって、ホントに何?」


 パニックになっていると、鳥居の方から一人の男子が歩いてきた。

 消火器を持った竹山だ。

 それを見た瞬間、状況が理解できて、竹山に対する感謝があふれてきた。


「竹山、ありがとう!」


 礼を言うと、竹山は笑いながら消火器を振った。そして、こちらに投げてきた。竹山が、ただ一人絢を見て笑う気配を見せない。

 消火器をキャッチすると、とても軽かった。


「理科室中、消火したんだ」


 びっくりして尋ねると、竹山は苦笑しながらうなずき、やっと絢を見て笑う気配を見せた。


「ね、何でみんな私のことみて笑うの?」


 少しイラっとしながら尋ねると、竹山はまた笑って、おそらく自分のいる理科室の水道から繋いできたであろうホースをこちらに向ける。


「みんな俺のせいで消火器の泡だらけになってるんだけど、浜、お前が一番泡だらけなんだよ」

「え?…、アッ、そっか…」


 雲田や鈴は自己防衛や絢に守られてそんなに消火器の泡をかぶっていないが、絢の自己防衛は目をつぶっただけだ。そりゃ、泡だらけだろう。


 絢以外の三人が笑った。その光景を見ていると、自分が泡だらけになっている様子が想像できた。おかしくなって、ぷっと吹き出す。


 焦げた嫌なにおいと真っ白な世界の中に、平和な笑いの花が咲いた。


      (五)


 『その人』が、長橋に近づく。


「来るなよ」


 長橋は両手を前方に伸ばして、体中でただひたすらに『その人』を拒絶する。

 それでもかまわず、『その人』は長橋に近づき、笑う。その笑いは、軽蔑だった。


〈ウフフ〉


「何、笑ってるんだよ。来るなっ!」


 恐怖に顔をこわばらせ、こちらを見つめる理恋。と、いきなり彼女が走り出した。そして、階段を上り切ると三階の廊下に消えていく。


「西野!」


 まさかこんなところで見捨てられると思わなかった。視線を『その人』に戻す。一人になると、自分が小さな存在になってしまった気がして、長橋には両手を伸ばして『その人』をただ拒絶することしかできない。


 『その人』は、ポケットに手を突っ込みながら近づいてくる。

 細めた目は、鋭く冷たい。驚くほど大きな口が、二っと笑みを浮かべていた。


〈あなたも行きましょ――〉


 『その人』の目が、見開かれた。

 長橋は後ずさる。背中に固い感触が伝わって軽く振り向くと、壁だった。

 逃げ場がない。逃げられない。もう終わりだ――。

 『その人』の手が、長橋に伸びた――。

 長橋は悲鳴を上げた。

 その時。


「長橋!!」


 自分を呼ぶ声。顔を上げると、階段の一番上の段に理恋が立っていた。手に、何か細長いものを持っている。


 『その人』も、しばしの間それに気を取られた。しかし、相手にしないことにしたらしい。長橋に向かって手が伸びる。


 途端、体が締め付けられるのを感じた。自分の身体を見ると、スズランテープが巻き付いていた。テープの先端には、マーカーが括り付けてある。なるほど、と思った。


「長橋!それ、絶対離さないでよ!もし離しでもしたら、生きて帰って蹴ってやるから!」


 理恋に叫ばれ、長橋はうなずいた。

 『その人』が、理恋を見て、面白そうに笑う。そして言った。


〈さようなら〉


 突然、隙間などどこにもないのに、すさまじい勢いの風が吹いた。


ビュオオオオオオオオオオ!


 耳元で爆音がする。反射的に腕で顔をかばった。

 数十秒後、風がやんだ。

 目を開けると、目の前にはただ無人の校舎内の風景が広がっていた。

 そこには、さっきまで長橋や『その人』がいた痕跡すらなかった。

 理恋は最後まで残された。


      (六)


 理科室。

 竹山のいる方の理科室に入った瞬間、扉が閉まった。そして、搔き消えた。


「…、これで、向こうの理科室の存在が、消えたことになるのかな。っていうか、私たち出られないじゃん」


 文句なのか感謝なのか分からないことをぼやく鈴。絢と雲田も同調する。竹山はさっき大変な思いをしたせいで、扉が掻き消えてもあまり驚かなかった。

 とはいえ、出られない。

 絶望よりも呆れが強い。ため息をつき、四人は床にへたり込んだ。


「なあ、どうすればいいんだよ。俺、無断で理科室の消化器使い切っちまったじゃねえかよ」


 誰に言うでもなく文句を言い、消火器を投げ、キャッチする。消火器は、低いながらもきれいな放物線を描いて、竹山の両手にキャッチされた。


「どうする?」


 雲田がつぶやいた時、だった。

 突如、そのことは起きた。

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