発見
(一)
タイマーが鳴っていないのに、なぜか自然と目が覚めた。
寝る前につけた暖房が、いつの間にか消えている。冬の外気が窓から侵入してきていて、とても寒かった。
雲田夢太は、飛び起きる。
暖房を自分でつけるのは気が進まないが、そうするしかない。
長橋がいると思われる、先生の椅子に向かう。長橋が最後に暖房をつけて、リモコンを持っているはずだった。
「長橋」
小声で呼びかけ、彼の顔を覗き込む。そしてゆっくりと、目を見開いた。
長橋はそこにいなかった。
そこには、何もなかった。ただ、宙に浮くジャンパーが、そこに長橋がいたことを示している。
雲田は思わず叫び声をあげ、飛びのいた。
皆に知らせようと、ベッドを振り向く。
そこで初めて、異変に気付いた。
タイマーをかけたわけでもないのに、なぜ暖房が勝手に切れる?雲田が叫び声をあげたのに、なぜ誰一人として起きる気配を見せない?それに、いつだれが、窓を開けた?暖房をつけているときは普通、窓を閉めるはずなのでは?
「西野」「大川」「一樹」
理恋が寝ているはずのベッド。砂代のベッド。一樹のベッド。
人がいた形跡はあるものの、誰一人として存在してはいなかった。
それは長椅子にしたって同様だ。
鈴と絢が掛け布団代わりに使っていたコート。竹山が暑いと言って脱ぎ捨てた、彼のマフラー。それらが、ただ”その場所”に存在しているだけだ。
誰が、いつ。保健室の扉は、立て付けが悪い。もし彼らがこっそり出て行ったとして、気づかないわけがあるか。
それに気づいたのが致命的だった。
雲田ははじかれたように顔を上げた。
「おい、どこ行ったんだよ」
保健室から出ようとする。
そして、驚いた。
扉が開かない。押しても、引いても。
だんだんと、手に冷や汗が滲み始める。
「助けて!」
そう叫んだ、時だった。
〈出たい?〉
背後から、地の底から響くような声が聞こえてきた。
はじかれたように振り向くと、見知った姿が立っていた。
短い髪を一つ結びに。少女が口元に薄笑いを浮かべ、立っている。
「…――」
その人物の名をつぶやく。
「お前が、ここにみんなを」
〈七不思議の七つ目は、あなたたちがもうすでに見ている〉
「どういうことだよ?」
雲田は、無駄だとわかっていながらも、後ろ手でドアの取っ手をまさぐる。
〈気づかないの?
私は、ここを生み出した人物の分身。だからアレがある〉
「どういうことだ――、アッ!」
雲田は小さく叫び声をあげた。
ついに、ひらめいた。七不思議の七つ目。それは最初から、自分たちの近くに存在していた。なのに、自分たちは全く気付かなかったのだ。
ある意味、竹山は、いい線を行っていたのだ。
〈出たい?〉
雲田は思わずうなずいた。
突然、めまいがしてきた。視界の中にある何もかもがゆがみ、意識が遠くなるのを感じた。
それを失う直前、タイマーの音が聞こえた気がした。
(二)
ビビビビビビビ!
すさまじい音が鳴り響き、仮眠の終わりが来たことを悟った。
「砂代?」
隣のベッドに呼びかけた理恋に対し、カーテンを開けた砂代が眠そうに
「何?」
と聞き返した。
一樹、長橋、鈴、絢、竹山も目を覚ます。
そして。
「ねぇ、雲田はどこなの?」
一瞬の沈黙。
全員の顔が、部屋を見渡す。
「夢太?どこ行ったんだ?」
「雲田?」
「おーい、どこ?」
「ねぇ、雲田?」
「出てきてよ」
口々に立ち上がり、部屋を探す。
まだ誰も、雲田の身に何かがあったことなど分かっていないようだった。
長椅子の下。机の下。ベッドの裏。
探しても、探しても。
扉は立て付けが悪い。開け閉めするたびに耳をふさぎたくなるような爆音が鳴るから、雲田が部屋から出て行ったはずがない。
一体全体、どこに行ったんだ――。
しかし、しばらく探した時、一つの結論が出た。
「雲田は、何かに気づいたんだよ」
かすかにかすれた声で、鈴が話す。
「だって、そうとしか考えられないでしょ?雲田は何かに気づいたから、ここに私たちを集めた『存在』に消されたんだよ」
「消された、…」
唇の奥で、鈴の言葉を反芻する。
消される。殺されるとか、刺されるとか、そんな嫌な、ふっと実感の湧くような、そんな言葉じゃない。
消す、雲田はどうなったのだろう。
どこに行ったのだろう。いや、存在自体を消されたんだろうか。それとも、殺されたのだろうか。
「学校から、出たのかもしれない」
消え入るような声でつぶやいたのは、砂代だった。
「どうやって?」
理恋が振り向いて尋ねる。砂代はすっと息を吸うと、目をつぶって一息に言った。
「だって、こんだけ探してるのに、七不思議の七つ目が出てこないんだよ?もうさ、気づいたから『存在』に、帰れって言われたんじゃないの?無理やり帰らされたとかさ、そう言うことじゃないの?」
砂代の言葉を聞き、理恋はさっき長橋と二人で四階に行ったときに、長橋が言った言葉を思い出した。
「俺らを、もてあそびたいんだと思うんだ」
もてあそぶ。
その言葉が、最初は意味が分からなかったけれど、今は妙にしっくりくる。
一人一人消していくから、それが残ったみんなに恐怖心を与える。それによって、ここに集めた『存在』、『その人』は、理恋たちを支配しやすくなる。
すると、もてあそびやすくなる。理恋たちがずっと冷静でいたら、『その人』はちっとも面白く感じられないから。
でも、そこまで考えた理恋は、一つの仮説に疑問を持った。本当に、あたしたちの中にあたしたちを集めたやつがいるわけ?そしたら、雲田にこんなことするのか?雲田のことを嫌いな奴は、この中に何人いるというのか。
雲田は、まぁまぁ多くの女子に嫌われているらしい。入学以前から近所にいるので理恋はほかの女子が言う雲田の嫌なところがよくわからないが、理恋みたいな女子も少なくない。
そしてこの場にいる女子たちは、雲田に対してほとんど何の他意も持っていない。
「何の他意も…」
そこまで口の中でつぶやいた時、理恋はふと違和感を覚えた。
頭の中にすっと浮かび上がる光景。過去、その確信がある。理恋が誰かと話している。学校の廊下。音からして、二階の廊下。
相手の顔にはモザイクがかかっているみたいに、思い出せない。それに、声も、言われた文面を覚えているだけで、どんな声だったのか覚えていない。
授業と授業の間の、二階の廊下で。
理恋はその時誰かに、こういわれた覚えがある。
「なんで、――は雲田に変なこと言われるの?――、何かした?あいつに?覚えがないんだけど。ねぇ、――、もしかしたら皆に嫌われてるの?」
一人称は思い出せない。『私』だったのか、『僕』だったか。
でも、誰かが雲田に対して、傷つきと怒りを覚えていた。そしてそこから生まれる不安も抱えていた。
それを、思い出した。
「誰かが、雲田に何かした」
ぽつりとつぶやく。皆が理恋の方に顔を向けた。
「ここに集めた『その人』の正体は、あたしたちの中の誰かなんでしょ。
消したと仮定して、その行き先が学校の外だと仮定してみて。
雲田を消した痕跡を残さないってことは、『その人』が果たしてあたしたちを悪意から集めたのか善意から集めたのか分からないでしょ」
言っている途中で、自分の発言の意味が分からなくなってくる。皆の反応も曖昧だ。
「…まぁね」
「雲田が七不思議の七つ目に気づいたから消されたってことでしょ」
ふと、一樹が声をあげた。
「今、僕たちの優先課題は七不思議の七つ目を見つける事だった。雲田はそれに気づいた。だから、消されたって、砂代が言いたいのはそういうことでしょ?」
「じゃあ、七不思議の七つ目って、何なの」
絢が一樹を見る。その目には、恐怖と不安が浮かんでいた。一樹の目にも同じものが浮かんでいる。皆の目にも。おそらく理恋の目にも浮かんでいるのだろう。
一樹はゆっくりと首を横に振る。
「それは、分からないよ」
「だろうね」
半ばうんざりしたような声で砂代が言い、ふいと顔をそむける。
「七不思議の七つ目の話が出たついでに言っておくけど」
長橋が皆に声をかけた。
「タイムリミットまで、あと三時間切ったぜ」
「え」
体の中が冷たくなるみたいに、危機感が押し寄せる。時計を見て、目を見開く。
本当だ。
今は十二時四十分。タイムリミットまで、三時間を切っている。
「どうすんの?!」
理恋がヒステリーな声をあげた。
「とりあえず、探していくしかないよね」
鈴が提案し、皆を見渡した。皆は自然と先ほどの二人組になった。
どこに、七つ目のヒントが。雲田は、保健室で気づいたんでしょう?ってことは、ここにヒントがあるの?
理恋の頭に漠然とした考えが浮かぶ。しかし、長橋に連れられ、理恋は結局何も言えないまま、保健室から出ていこうとした。
その時、砂代が駆け寄ってきた。
「砂代」
「理恋、三時三十三分まであと一時間半を切ったら、一回六の四にきて情報交換しよう」
「うん」
「じゃ」
それだけ言って、一樹のもとへとかけていく。その背中を見届けてから、今度こそ、長橋に置いて行かれないよう保健室を出た。
冷えた廊下に、何時間も前から八人もの人間の足が、何度も下ろされているというのに、廊下は一向に温かくならない。滑り止め付きのルームソックスが、冷たい廊下に何度もさらされ、足がそろそろ悲鳴を上げ始めていた。
「このまま出られなかったら、どうしよう」
理恋はつぶやく。長橋は全然陰気になった様子を見せず、
「大丈夫だ、問題ない!」
なんて言っているが。
どこが「問題ない」なのよ…、今まで、こんなに「大丈夫じゃない」ことがあった?
文句を言いたいところだが、しょせんうまく言い返せたところで水掛け論になるだけだ。理恋は七不思議になりそうなことを考えた。
すると、急に何でもいい気がしてきたけれど。雲田は、何を発見したのか。
(三)
冷たい廊下を歩きながら、砂代は隣の一樹をチラ見する。もしかしたら、自分が『その人』の正体かもしれないと思っていた。けれど、自分じゃなかったら。もし、今現在自分の隣を歩いている一樹本人だったなら。
考えてなお、いや違う、と砂代は首を横に振る。一樹なわけがない、そう信じたい。確信があるわけでもないし、一樹をバカにしているわけでもない。
――じゃあ、本当に、誰なんだろう。
砂代の考えはいつも、そこで行き詰ってしまうのだった。
月明かりの中、ふと、ある朝のことを思い出す。
理恋に追いつく直前、聞こえてきた会話。
女子二人が交わしていた会話。
「ピアノの音を聞いちゃうとね――、」
「霊に、呪い殺される」
思い出し、はっとした。
顔のある『その人』は、正体の分身。
じゃあ、あれは、何なの?
先ほど聞いた話を思い出す。
もしかして、それが七つ目の七不思議なんじゃ…。
違うよね、砂代は自分をあざ笑う。何よ、サヨって、ネガティブ思考なんだから。
再び、一樹をチラ見する。
彼が正体でありませんよう。それだけを一心に願った。
その時、だった。
突如、そのことは起こった。
突然、辺りが真っ暗になった。
「えっ、ナニコレ…」
後ずさると、隣の一樹が身をこわばらせるのが分かった。
「一樹、これ何なの?!」
「砂代、七つ目が分かったの?」
悲鳴に近い声で叫んだ時、一樹が静かな声で砂代に問いかけた。
「え…?」
真っ暗。一面、闇。そんな世界から目をそらし、一樹の顔を見つめる。一樹の目は、静かに砂代のことをとらえていた。
その目に勇気づけられるよう、砂代は口を開く。が、いう言葉が見つからずにその口を閉じる。そしてかすかにふるえながら、うなずいた。
一樹はその答えを受け取ると、うなだれた様子で砂代から顔をそむける。
そして、闇を見渡した。
これから何が起こるのか、見当もつかない。
ただ動悸が激しく、体が震えている。吐き気がして、それが自分に現実感を与えずにいた。
その時。
コツッ、コツッ、コツッ――。
闇の奥から、何者かが歩いてくる。
前方から聞こえる足音に、砂代と一樹は思わず飛びのいた。
「誰…?」
コツッ、コツッ、コツッ――。
闇の中を歩く者。その輪郭が、徐々にはっきりしてくる。
顏はあるの?ないの?ねぇ、どっちなの?サヨたち、消されるの?雲田みたいに?ね、あんた誰よ?
投げつけたい言葉はいくらでも浮かぶが、舌がうまく機能しない。
コツッ、コツッ、コツッ――。
闇の中から、一人の少女が現れた。
その姿を見て、砂代と一樹は目を見開く。
アッと、息を吞んだ。
少女は服のポケットに手を入れている。
短い髪を一つ結びにしている。それが、風もないのにさらさらと揺れる。
少女は二人の前に来た。
そして、口の端を片側だけひき、ニッと笑った。地の底から響くような声で、話す。
〈いよいよ、七不思議の七つ目に気づいたみたいだね――、砂代〉
どうしてサヨの名前を。そんなことを尋ねる必要はなかった。だって、どうして。心の中で、思ったことが言葉にならない。
でも、名前を知っているのは必然だ。こいつは、砂代のことを隅から隅までよーく知ってる。
近づいてくる少女に、二人は後ずさる。
〈どうして逃げるのよ?〉
首を傾げてつぶやく少女の声は、おびえる二人のことをおもしろがっているようだ。
「来ないで…」
(逃げなきゃ)
「一樹!」
力を振り絞って叫ぶ。
少女の手がポケットから出た瞬間。砂代は身をひるがえしてそれをかわすと、一樹の手を引く。そして、駆けだした。
地面を踏んでいる感覚がない。
もともと薄手の靴下の状態で、足はこわばっていた。ぐにゃりと視界がゆがむ。
「砂代!」
倒れかかった砂代を、咄嗟に一樹が支えようとして手を伸ばす。
が、間に合わなかった。
砂代の体が、地面に投げ出される。
「大丈夫?!」
次の瞬間、砂代の体が地面を通過した。一樹は目を見開く。
闇の奥深くに沈み込もうとする彼女の体に反して、彼女自身は地面に手をつき踏ん張ろうとする。
しかし闇は、あっけなく砂代の体を下に引きずり込んだ。
「一樹…」
砂代の華奢な指が、地面の中に消えていった。
「砂代!」
叫んだ時、だった。
一樹ははじかれたように顔をあげた。
さっきまでそんな気配感じなかったのに、なぜ。
振り向くと、あの少女が立っていた。
口元に薄笑いを浮かべた彼女の目は、口がどんなに笑っていようとも冷たい冷めた目のままだった。
〈行こうよ〉
表情のない目が、一樹に告げる。
相変わらず微笑んだ口元と、それとは正反対に表情のない目。両方があまりにかけ離れていて、現実感がない。
「やめて、来ないで!」
少女は構わず近づいてくる。
少女は突然、飛び掛かるように一樹の懸命に伸ばして拒絶した両手をねじ伏せると、手首をそのままつかむ。
「やめてよっ、やめ――!」
言葉の途中で、少女は一樹の手をつかんだまま、その場で飛び上がった。
叫び声をあげようとしたところで、一樹はあっけなく地面に引きずり込まれた。
一樹は意識を失いそうになる直前、ひとこと声を絞り出した。
「タスケテ」
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