友利小の七不思議

      (一)


「寒くない?」


 自分の身を抱きながら理恋が長橋を振り返ると、長橋はジャンパーを腰に巻いて上ってきていた。それを見て呆れ、はぁとため息をついてみせる。


「あんたね、半そでだと風邪ひくよ?寒くないの」


「暑い」


「はぁー…?」


 階段を上るところで、くしゃみを一つした。


「理恋、風邪ひくよ。サヨの貸すから着なさい」


 踊り場から声がして二人は振り向く。同時に、踊り場に立った砂代が、今のコートの下に着ていた薄手のコートを放ってよこした。

 何とかキャッチして礼を言う。


「ありがとう」


 長橋、行くよ。そう言って二人は四階に続く階段を上り始めた。


 階段をのぼりながら、背後で砂代と一樹が別方向に向かったのが分かった。なんだか二人がいなくなると、理恋は長橋と二人。二人人数が減っただけで、なんだか周りの空気の温度がすっと下がったような孤独さと恐怖を感じる。


 隙間風の音が、女のうめき声に聞こえる。ちょっとした音にも敏感になる。周りの空気が重苦しくなったような気がする。周りから視線を感じるのは、気のせいだろうか。


 そんな怖い妄想ばかりをせずに済んだのは、のんき屋の長橋と来たおかげだった。


「わぁー、夜の学校って、なんか不気味ぃー」


 わざとらしく自分の身を抱き怖がるそぶりをする長橋。理恋はそんな彼を見てはぁとため息をつく。


「あんたねぇ…」


「え?」


「やっぱり何でもない」


「なんだよ、それ」


 緊張感があるのかないのか分からないやり取りをして、二人は廊下を歩く。

 怖さからか、理恋はいつの間にか長橋の半歩後ろを歩いていた。


「お前が先行けよ」


 気づいたのか、長橋が促す。


「は?嫌です」


 短く答え、長橋の背中を軽く押すと、長橋は仕方がないという風に歩き出した。


 トン、トン、トン――。


 二人の足音が、辺りに吸い込まれ、嫌に貧しい音に感じた。


「これって、手当たり次第に教室覗いてくのあり?」


 ふと、振り返って長橋が尋ねる。


「分からない」


 肩をすくめて理恋が答えると、長橋は怪訝な顔をして「ちょっとは考えろよ」と言ったが、理恋が


「まぁ、覗いてみようよ」


というと、珍しいことに大人しく教室を覗き込んだ。


「どう?何か、見える?」


 恐る恐る長橋の後ろからのぞき込むと、長橋は「いや…」と、生返事気味である。


 理恋も覗き込んだ。


 薄暗い教室は、確かに他の空間と同じように不気味さを放っている。空気も重苦しい。


 しかし、ここにお化けがいるとか、そういう気配や嫌な雰囲気はなかった。


 何となく安心して、理恋は長橋を見る。


「他ものぞくんだよね?」


「そりゃ、次の三時三十三分まで、あと六時間もないんだから。手あたり次第探っていくしかないだろ」


「そっか…」


 二人は歩き出そうとした。――その時だった。



ポーン、ポーン、ポーン、……。



 今来た方向から、何かが跳ねるような音が聞こえてきた。その音に思わず、二人はびくりと足を止める。


「何の音…?」


 理恋が震える声で言うと、長橋は肩をすくめて「知らねぇよ」と言った。


「行ってみようぜ」


「でも…」


 行ったら、危ない目に合うかもしれない。

 引き留めようとすると、長橋が振り返る。


「何のためにここまで来たんだ?七不思議を見つけるためだろ」


「そんな…」


「それに、俺の仮説だけど」


 長橋は持論をぐいぐいと進める。


「ここに俺らを呼び寄せた『存在』があるとするだろ。そいつは、俺たちをもてあそびたいと思うんだよ」


「もて、あそぶ…?」


「そう。あくまでもてあそびたいだけだから、こんな早めに退治したりしたくないと思うんだ」


「そんなこと言ったって、ここじゃ通常の常識が通用するか分からないんだよ?相手は人間じゃないかもしれない」


「あぁ…」


 理恋の言葉にわずかに反応した様子の長橋が、直後にニヤリとする。


「つまり、おまえと同じってことだな」


「は?」


 意表を突かれて理恋が聞き返すと、長橋はさらにニヤリとして、


「だって、おまえに常識は通用しねぇもん」


と言って理恋をからかう。こんな時なのに…。


「はぁ?!どーゆー意味よっ」


 軽く小突く真似をするが、そもそも背丈の関係で頭に届かなかった。なので肩に攻撃し直すが、長橋はそのどちらもひらりとかわすと進む。


 前方で、ケラケラと長橋が煽り立てるのが聞こえる。


 ちょっとしたイラつきと、でもわずかに緊張感がほぐれたことに対する感謝が、理恋の中で複雑に絡み合った。


「行くぞ」


「はいはい」


 理恋は長橋のもとに駆け寄る。

 音が聞こえてきたのは、体育館の方からだった。

 一瞬の安堵と打って変わって、歩くにつれ、口数が減り、緊張感が体に浸透し始めた。

 四階には、三階の体育館のギャラリーがある。


「開けるぞ」


 長橋がその扉の取っ手に手をかけ、こちらを振り返って言った。


 理恋が落ち着きなくうなずき返す。本当な今にも駆けだして逃げたいところだが、逃げたとて脱出できるはずもない。それに、さっき長橋が言ったとおり、もう、七不思議を探す時間は、六時間と残っていなかった。


 鼓動の早くなった心臓を抑えたまま、理恋は長橋の背後で神経質になっていた。


 長橋が扉を横にひく。


 思いのほかガラガラ!と大きな音がして、扉が開いた。


 その音に驚くが、もう舌と喉は思うように機能していなかった。声も出ないまま、震える脚でギャラリーに出る。


ポーン、ポーン、ポーン、……。


「体育館から聞こえるっぽいな」


 入り口でそう長橋がつぶやき、柵に寄りかかって下を眺める。その様子を、ドキマギしながら理恋は眺める。


「なんかある…?」


 聞こえるはずのないとても小さな声でそう呟き、理恋も長橋に近づいた。

 靴下越しに感じる冬の廊下の床が冷たい。

 なれない温度を感じつつ、理恋は神経質にギャラリーの端から端まで眺め、ようやく柵から見下ろす。


「長橋…?」


 長橋の顔が珍しく硬直しているのを見て、不安にさいなまれる。

 何が長橋をそうさせているのかは、すぐに分かった。


ポーン、ポーン、ポーン、…。


 体育館に、誰かいるっ…!

 心臓が止まりそうなほどの勢いで、理恋は後ずさった。


「西野、こいつやべぇぞ」


 長橋が歯と歯の隙間から出したような小さな声で言った。


「え…?」


 再度人を見た理恋は、あっと息をのむ。

 男の子が、ボールを使ってドリブルをしている。ボールが跳ねると、その音が鳴る。


 しかし、違和感に、すぐに気づいた。

 周りの温度がすっと下がったような気がした。


男の子には、首から上がなかった。

そして、ボールの役割をしているのは――。



ポーン、ポーン、ポーン ……


 ゴムまりのようなあり得ない音を立てて、今、男の子の首がバウンドしている。


 男の子の体が、血まみれの自分の頭を投げる。


 その頭がバスケットゴールをくぐる瞬間、理恋と目が合った。しかしその白濁した目に意識があるようには見えなかった。

 白目だけの、表情のない眼球が、理恋のほうを向いた瞬間――。

 もう耐えられなかった。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 理恋は悲鳴を上げて駆けだした。長橋が


「西野!」


と呼びながら追いかけてくるが、それすら怖かった。


「来ないで」


 必死の理恋の心の悲鳴は、あっという間に長橋に追いつかれ、つかの間言い知れぬ恐怖を感じさせたもののすぐに消えた。


「とりあえず、七不思議のうちもう一つはわかって良かったじゃん」


 現実感を感じさせないほどの明るさで長橋が言った。

 理恋はふるえながら、長橋を見た。


      (二)


 二階を探検していた砂代と一樹は、ふと、図工室の前で足を止めた。


「昔から、図工室の動く美術画、とかいう都市伝説あるよね」


 一樹が足を止めて中を覗き込む。


「ちょっと、怖いこと言わないでよ、一樹」


 砂代が震える声で文句を言うが、一樹は軽く「ごめんごめん」と言ったきり、こちらに向き直る。


「どっちにしろ、友利小の図工室に美術画はないからね」


「そっか、それならいいや」


「でも、七不思議に入れられないってことにもなるけどね」


「いいものはいいんだよ」


 いくらか調子を取り戻したような声で、砂代が言った。そして二人は、いったん六年四組の教室に戻る。


「あぁ、これ懐かしい」


 不意に砂代が、教室の壁を見て言った。


「何が?」


 一樹が近づくと、砂代は壁に掲示されている新聞係のポスターを指さした。


「これ、これ。みんなの話題になってたよね」


 わずかに色あせたこのポスターは、確か六年四組が始まってから間もなく制作されたものだった。


「新聞係、よく調べたよね。特にこれとかさ」


 一樹が指をさしたのは、『友利小の階段の段数、全部調べちゃいました』というコーナーだ。


 友利小の校舎内には、西と東で階段が一つずつある。しかも、一つ上の階に上がるのに踊り場でいったん区切られているため二つの階段を上ることになっている。


 のぼる側としては全然気にならないが、段数を数える側としては、大変な作業だっただろう。


 だって、階と階の間の階段がふたつ。それがワンセットだとして、一階から四階まででは片側の階段だけで三セットある。三セットかける両側の階段。つまり新聞係は、全部で十二個の階段を地道に数えたわけだ。


 掲示されてからしばらく、煽り屋の男子たちが階段で新聞係のミスを探そうとして躍起になり、何度も数えたらしいが、結局新聞係にミスはなかったということが判明した。男子たちだって、悪意からやっているわけではない。ほんのいたずら心からなので、別に何の他意も見られなかった。


「そろそろ行こうか」


 一樹が言った。


「うん」


 砂代も返事をして、ポスターから視線を引きはがし、一樹に続いて教室を出る。ポスターには、こう書かれていた。


『二階から三階までの、踊り場前の階段の段数は、十二段!』



 二人は廊下に出て、図工室を通り過ぎ、社会科資料室の前で立ち止まった。


「入る?」と一樹。


「いやっ、あとにしよう」


 砂代が一樹の背中を押し、くるりと半回転させる。

 目の前に、トイレがあった。


「あっ、トイレって何か、ありそうじゃない?」


 一樹が言って、砂代を促す。


「さ、トイレと言ったらトイレの花子さん。でも女子トイレだから、砂代、一人で行ってきて」


 しかし、砂代は首がちぎれそうなくらいの勢いでぶんぶんと首を横に振ると、きっぱりとした口調で言った。


「サヨひとりじゃない。一樹も行くの」


「えぇ?僕、男子ですけど」


 一樹が驚き、抗議する。しかし、砂代は


「いいから、行くの!大体、こういうときって、男子が女子を守るんでしょ」


と言って腰に手を当てる。

 本当は、砂代もすごく怖いんだと、一樹はよく分かった。

 しかし、世の中には、物の道理というものがある。第一、一樹は女子トイレに入る気などさらさらなかった。


「大体、男子が女子トイレに入ったら、世間体が悪いでしょう」


「ううん、みんなはほかの階にいるのっ。もし一樹が女子トイレに入っても、誰も見ないって。それに、みるとしてもお化けくらいでしょ。あと、女子トイレで女子対象にして待ち構えていたお化けが男子の一樹が入ってきたのを見て、少し動きが止まるかもよ」


 なんだそれ!心の中ではまだ反感があるが、砂代に促されるまま、一人で待つのも嫌なので、一樹は女子トイレの通路に入った。


 目をしっかりと閉じているらしい一樹を横目に、砂代は彼の肩をつかんで盾のようにする。それを感じて一樹が


「ずるいよ、砂代。怖いなら戻ればいいじゃん」


と言うのだが、砂代は


「だって、七不思議見つけられなかったら一生ここから出られないんでしょ?サヨ、そんなのヤダ!だって、こっから出てもやりたいこと山ほどあるもん」


と言って、両手にもっと力を入れる。


「砂代、痛い」


 一樹が抗議しても、砂代はその体勢を少しも緩めない。

 そうして、何も出ないことが明らかになりかけた時。



「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」



 上階から、耳をつんざく大悲鳴が聞こえてきた。髪の毛がぞっと逆立つような悲鳴の影から覗く声優声に、妙に聞き覚えがある。


 砂代は悲鳴に驚き、


「ぎゃぁぁぁぁぁっ!」


と大悲鳴を上げてトイレから逃げ出した。


「あっ、砂代!」


 一樹もあわてて目を開き、砂代の後を追う。


 二人はほぼ同時に、階段を駆け上がり始める。予想が正しければ、悲鳴を上げたのは理恋のはずだ。彼女の身に何かあったのだろうか。一緒にいた長橋は、無事なのだろうか。


 不安が募る。


 砂代はなぜか無意識に、階段の段数を数え始めていた。


 この階段は、――。


 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、十二。

そして、


――十三段。


 それが持つ意味に気づくまでに、いくらかかかった。


 階段を上り切った途端、砂代はあっと叫んだ。背筋に冷たいものが走り、はじかれたように振り向いて階段を見下ろす。


 階段は今の砂代の恐怖には全く無頓着に、窓からの月あかりを受けてわずかに輝いている。


「砂代、どうかした?」


 いきなり立ち止まり青い顔をしている砂代に驚き、一樹が前方から尋ねる。

 しかし砂代は答えずに、階段を駆け下りる。


 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、


――十二段。


「うっ、そ…」


 さっきまでは、十三段あったはずなのに、どうして?


「砂代?」


 一樹が駆け下りてきて、呆然とする砂代に声をかける。


「ううん、なんでもない。気のせいだと思うから」


 精一杯元気を装い、砂代は一樹に笑顔を向ける。


「さ、理恋のもとに向かわないと!」


「そうだね」


 二人はまた、階段を駆け上がる。


 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一、十二。


――、十三。


「!」


 砂代は階段を上り切り、立ち止まった。足元のバランスを崩し、上を見上げると、眩暈がした。


 ぐにゃりとゆがむ世界に、砂代はどうすることもできずに、下に落ちて行った。


      (三)


「なにも出ないね」


 月明りだけがわずかに差し込む三階の廊下。

 驚くほど物静かな澄んでいるだけの空気に、思わず絢が吐息とともに言葉を発する。


 その声は、廊下の暗い闇に、スゥっと吸い込まれていく。絢はこの状況をだんだん受け入れてきている自分に気づいた。


 ふと、窓の外から、自分の家があるであろう方角を見る。


 理恋は、宿題をしていたらいきなりここに来たと言っていた。理恋の母は、いきなりいなくなった愛娘を、どう思うだろう。あれだけ娘想いな人のことだ。きっと半狂乱で探すに違いない。


 そして、自分、絢の母はどう思うだろうと考える。――やっぱり、必死で探すだろう。もしかしたら、二人で協力して探すかもしれない。


 そんなことを考えていると、鈴に声をかけられた。


「ねぇ、三階のワケアリっぽい場所って、どこかあったっけ?」


「うーん…」


 あごに手を当てて考えてから、パッと思いつく。絢は鈴に言う。


「理科室と体育館くらいじゃないかな。そのほかは、強いて言うならトイレくらいだけど…。七不思議と言っても、そういう雰囲気の場所ばっかりってわけにもいかないと思うし」


「うん、ほんと。このまま見つけられなかったら、どうなるんだろう。ほんと、考えただけでも、鳥肌が立つ。早く見つけておうちに帰りたいよ」


鈴も、かなり深刻そうな顔をしている。絢もつられてそんな顔になった。


「こっくりさん、ひどくない?」


 いつもおとなしい鈴が、そんな風に吐き捨てるのを、絢は初めて見た。


「鈴ちゃん?」


 絢が遠慮がちに呼びかけると、鈴は「だって、ひどくない?」と続ける。


「みんなを集めて、何が目的なんだろう。ただ遊ぶだけなら、ちょっと卑怯じゃない?あと、私、二つ疑問に思うことがあるんだ」


「何?」


 鈴は吹っ切れた様子で言い切る。


「まず、こっくりさんは、どうやってここから出るかどうか聞く手段として元から私たちをここに集めた『存在』が用意していたんだと思うの。だけど、何でピアノなんだろうって」


「どういうこと?」


「だって、私たちを呼び寄せるなら、もっと違う七不思議とかなかったのかなって。何もピアノじゃなくたって」


「ああ、確かに」


 絢が納得すると、鈴がまた続ける。


「二つ目は、そもそも私たちをここに連れてきた『存在』ってなんなの?ってことなの」


「それは、確かに、気になるね…」


 絢も考え込んだ。

 ここに私たちを連れてきた存在、その正体とは。なんで私たちなのか。それに、ピアノも。何でピアノなのか。その存在は、ピアノに何か思い入れがあるのだろうか。それとも単に、偶然?

 ぐるぐる渦巻き始めた疑問を頭の中で整理していると、鈴がそれを勘違いしたのか


「困らせちゃってごめん」


と慌てて言う。


「いやいや、私も、同感で何でなのか考えてたところだよ」


 こちらもあわてて弁解すると、鈴はほっとした様子で手を下ろす。

 なんだか、なんとなく気まずい沈黙が流れた。


 その沈黙を破ったのは、得体のしれぬジャー!という音だった。


「ひゃっ」


 鈴が飛びのき、絢の腕にしがみつく。

 絢も


「何っ?!」


と怖がって、しがみついてきた鈴の腕にしがみつく。

 二人がいるのは、体育館があるのとは反対側の階段がある廊下。

 音がしてきたのは――、理科室だった。


「何の音…?」


 気味が悪くて、絢がつぶやく。

 二人でふるえて後ずさりする。


「逃げよう!」


 理科室から漂うオーラ。それは、周りの空気とは一風違う闇のオーラを感じた。ただ暗いだけじゃない。悪寒がする、近づきたくない。


 逃げかける絢に向かって、鈴は力を振り絞って叫ぶ。本当は絢と一緒に、一目散にここから逃げ出したい。震えて教室で、みんなを待ちたいけど、でも。


「私たち、七不思議を見つけないと!怖くても、立ち向かわなきゃ!」


 全身が震えている。


 中からは、単調なジャー!という音が聞こえ続けている。


 絢は鈴の言葉に振り返る。絢の瞳は、恐怖で見開かれ、理科室に入ることを拒絶していた。


「行かなきゃ」


 静かに、もう一度鈴が言った。


 絢は唇を震わせながら、こちらに近づいてくる。


 そして理科室を見ると、鈴に目を移し、ゴクリと喉を鳴らす。そして、覚悟を決めたようにうなずいた。


「行こう」


 それを受け取り、鈴が小声で、強い口調で言った。

 目の前にある扉が、今は仁王立ちになって二人を襲おうとしているものに感じられる。


 絢が取っ手に手をかける。その手は震えていた。


 最後にもう一度鈴と目を合わせた後、絢は吹っ切れたように、大胆なほど大きな音を立ててガラガラ!と扉を開けた。


「ひっ」


 思わずすくみあがったが、鈴は恐る恐る目を開ける。

 絢も、


「ねぇ、音が聞こえないよ…?」


と、当惑気味だ。今までの流れと全く予想外の展開に、二人は恐怖心が煽り立てられるのを感じた。


 しかし、しばらくすると、二人とも様々な可能性に行き着いた。


 さっきの音は、聞き間違いかもしれない。それとも、何が待っているのだろうという恐怖心で、幻聴を聞いてしまったのかもしれない、と。


 やっぱり戻ろうと提案しようと顔をあげた絢は、こわばっている鈴の顔を目に、戸惑う。


「鈴ちゃん…?」


 鈴は今にも泣きだしそうな顔で天井を見上げている。つられて天井を見上げた絢は、驚きと恐怖のあまり大悲鳴を上げた。


――理科室から聞こえていたのは、ジャー!ではなかった。


 ジャー!に聞こえる、シャシャシャシャという女の笑い声。そう、思い知った。

 足がこわばり動けない。

 笑い声を出している、その女は。


――天井に張り付いた巨大な女が、耳元まで裂けた口を限界まで開いて笑いながら、こちらを見下ろしていた。


 ぼうぼうと乱れた髪が、女が笑ってかすかに揺れ続けている。それだけが何だか、妙に現実感があった。

 女が、手をこちらに伸ばしてきた。


 驚くほど長く、青白い腕。

 それが絢めがけて今、振り下ろされる――。


「ぎゃぁぁぁぁぁっ!!」


 思わず二人は大悲鳴。それのおかげで金縛りが解け、二人は命からがら逃げ出した。


 二人が理科室から出ると、まるでそれが合図になったかのように理科室の扉がひとりでに閉まった。


 手足をもどかしげに動かしながら走る二人をあざ笑うかのように、理科室から女の笑い声が追いかけてきた。


       (四)


 一階にいた竹山と雲田は、ただ単に退屈して、職員室の前で座り込んでいた。


「疲れたな」


 竹山が愚痴をこぼすようにして、隣に座り込んでいる雲田に言った。雲田も同感したようにうなずく。


「そろそろ六の四に戻るか?」


 雲田の誘いを受けて、竹山は何かを思案していたが、急に苦笑する。


「いや、もうちょっと探してから、足が棒になった演技して帰ろう。一生懸命なふりをしないと、俺ら、女子たちに殺されるぞ」


「確かにな」


 雲田も苦笑気味につぶやき、立ち上がった。そして、駆けまわって火照った体を冷やそうと、昇降口付近に向かう。


 友利小には西と東で昇降口が二つあり、西に職員玄関と一年生から三年生用の下駄箱、東側に四年生から六年生の高学年用下駄箱がある。雲田が今向かっているのは、東側の昇降口だ。


「冬の夜って、冷たくていいよな、竹山」


「あぁ?夢太、おまえどうした」


 いきなりつぶやいた雲田に少し驚き、竹山が声をかける。


「いや、そう思っただけだ」


 雲田がなんでもないと言うように答える。


「そろそろ行くか」


 竹山が、もう飽きたとばかりに手をひらひら振って雲田を誘う。雲田も


「ああ、そうだな」


と同感して竹山に続き、階段の方に向かおうとした。

 その時、だった。


コツッ、コツッ、コツッ――。


 低学年の昇降口がある方の廊下の端から、足音がした。

 竹山と雲田は反射的にそちらを見る。


「誰だ?もう、みんな集まってるのか?俺ら探しに来たのか――?西野、だろ?」


 意思と関係なく、言葉が口をついて出る。


 理恋なわけがないことくらい、二人ともわかっていた。第一、さっき上階から聞こえてきた理恋の悲鳴から察するに、理恋は今、一人で行動できるような状態ではない。


「大川か?絢か?森か?」


 女子の名を続けて呼ぶ。


 足音がだんだん近づいてきた。


 そして、職員室から漏れる明かり(さっき二人がつけたものだ)に照らされて表された足音の主の姿に、二人は今度こそ動けなくなった。


 水色のセーター。デニム地の短パン。その下にはいている黒いスパッツ。


――少女が今、こちらに歩いてくる。


       (五)


「みんなっ!」


 竹山と雲田は六の四に駆けこんだ。

 誰かがそうしたのか、電気と暖房がついていてとても暖かいが、二人の体感は、まだ寒かった――恐怖のせいである。


「なになに、どうしたの、大声出さないでよね」


 理恋の机に腰かけて放心状態の理恋をなだめていた砂代が、うっとうしそうに二人を振り返った。


「七不思議、一つでも見つけられたの?」


「それより、大変なことがあったんだよっ!」


 雲田が言う。

 竹山は教室を見渡した。

 理恋の横で放心状態の彼女の顔をいかにもからかいそうな様子で見ているのは、長橋だ。


 鈴と絢は一樹と一緒に、砂代の足元でしゃがんで、コートを頭からかぶってふるえていた。


「俺らで全員、か」


 小声でつぶやき、竹山はそこから少し離れた大島の席まで行き、その椅子に座る。

 すると、心臓の動機がまだ早いことに気づいた。

 雲田が横まで来る。二人でいると、さっきの出来事が、自然と頭の中で反芻されていく。


 姿かたちは、西野にそっくりだった。

 ただその顔には、目も鼻も口もない。


「お前…」


「来るなっ!」


 雲田が叫び、竹山の背後からしがみつく。

 しかし、そんな雲田や竹山に構わず、『その人』は近づいてくる。

 そして、西野とは正反対の、地の底からわくような低い声で、こちらに話しかけた。


〈友利小の七不思議、一つだけ教えてあげるよ〉


「え…?」


 真っ白な頭の中、これは罠なのだろうか真実なのだろうかと思う。そんな竹山の様子に気づいたのか、『その人』は話す。


〈これは罠じゃないわ。ここを管理しているのは、私たちを生み出した子だから。その子が、一つなら教えてもいいって、そう許可したのよ〉


「私たちって、まだ居るのか、おまえと同じような奴が」


〈私含めて、二人いるのよ。それより、七不思議――〉


「生み出したやつって、誰だよ」


〈うふふ。あなたたちの中にいるわ〉


「俺たちの、中に…?」


 『その人』は、何度も話が中断されるのも構わず、ただただ混乱する二人を見て面白がっているような口調で話す。


 竹山は、自分たちの中に『その人』らを生み出したやつがいると思うと、言い知れぬ吐き気を覚えた。


 気色の悪さに顔を上げると、のっぺらぼうの顔がこちらをただ見詰めている。

 ややあって、雲田が言った。


「で、何だよ?友利小の七不思議のひとつって」


 『その人』は、聞いてもらってたいそう嬉しそうな顔だ。


〈友利小のね、プールの下は、昔お墓だったのよ――〉


 この情報を使うか使わないかはあなたたち次第よ、そう言われると使った方が良い気がしてくる。

 顔を見合わせる二人の目の前で、『その人』はふふふと不敵に笑うと、次の瞬間、砂絵のように淡くなり――、消えた。


       (六)


「とにかく、俺らの中でああいう得体のしれない奴らを生み出した覚えのあるやつって、いるのかよ?」


 教室で一連の出来事を報告し終えた竹山が皆に呼びかける。

 皆、黙って竹山を見つめ返すだけだ。

 事態に対するやるせなさに小さく舌打ちをして、目線をそらす。

 ふと、それが教卓の上に置かれた付箋に行った。そこには、箇条書きで、七不思議が書かれている。


『1…午後三時三十三分にピアノの音を聞いてしまうと呪われる

 2…こっくりさんをすると、本当に下りてくる

 3…体育館では、首のない男の子が、自分の首でボール遊びをしている

 4…東階段の二階から三階間の踊り場手前の階段が、一段増えて十三段階段になることがある

 5…理科室には、大きな口裂け女がいて、シャシャシャシャと笑っている

 6…友利小のプールの下は、昔お墓だった』


 あと一つ足りない。

 反射的に時計を見ると、夜の十一時近くになっていた。午前三時まで、あと四時間くらいだ。


「とにかく、俺らの中の誰かが、ああいう気色悪い奴らを生み出したんだ。俺らの中に、俺らを集めたやつがいるってことだ」


 竹山が時計を見ながらいい、全員の顔を順番に見る。


 全員、ただ呆然として顔を見合わせたり、竹山を見るだけだ。


 竹山自身、誰がこれをしたのかは、はっきりとはわかっていなかった。

 しかし、薄々感づいてはいた。ただ、本人の前でそれを言う勇気がないだけだ。自分は臆病なのか、優しいのか。優しいは、紙一重で臆病ともとらえられる、最近、竹山はそれを知った。


 物思いにふけりながら考えていると、下から声が聞こえて顔を向ける。


 口を開いたのは、砂代の足元に相変わらず一樹と絢とともに蹲っている鈴だった。

 鈴は、皆を遠慮がちに見ながら、おずおずと言った。


「竹山の言ってたこともそうなんだけど、私、二つ疑問があって」


 皆が鈴を見ると、彼女はちょっと緊張気味になりながらも、続ける。


「私たちをここに集めた人の正体は誰なのかって言うことも、もちろんそうなんだけど、もう一つある。

 七不思議に入っている中で、最初に決まってたのはこっくりさんとピアノの音でしょ。こっくりさんは、七不思議を見つけろって、ここに集めた『その人』が指示するために用意していたものだからいいとして。

 何でピアノなのかって思った」


「どういうこと?」


 理恋が尋ねると、鈴はその答えをあらかじめ用意していた様子で答える。


「私たちをここに集めるなら、ピアノ以外にもいろいろ手段はあったんじゃないかって。怪物に追いかけさせるなり、私たちだけ下校できないようにするとか。色々あったと思うんだよね」


「なるほど、確かにな」


 雲田が納得したような声を出す。砂代も、少し身を引きがちにしながらも真剣に話を聞いていた。


「そこで私、二つの疑問に対する仮説を立ててみたんだ」


 鈴が言った。みんなが怪訝な顔になる横で、竹山は一心に願う。どうか、『その人』の正体を名指ししないでほしい。


 しかし、そんなことを知る由もない鈴は、淡々と続ける。


「私たちをここに呼び集めたのは、私たちに関わりのある人だったからじゃないかって。それに、ピアノに思い入れがあるから、回りくどかろうとピアノを使って集めたんじゃないかって言うこと」


 皆が困惑気味に顔を見合わせる。鈴はその様子に気づき、


「ごめんね、変な話しちゃって」


と謝るが、理恋が


「そんなことないよ。むしろ鈴ちゃんの仮説は、全部筋が通ってるもん」


と言ってその謝罪を取り消すようなことを発言する。砂代や絢、一樹も


「うんうん、鈴ちゃんすごい」


と同じようなことを、ほぼ異口同音に言った。


 その場が、鈴の話にまつわる話題でもちきりになりかけた時。


「差し迫った問題は」


 絢が発言する。鈴の方を少し申し訳なさそうにちらりと見てから、絢は続ける。皆の注意が、今度は絢に集まった。


「鈴ちゃんの言うことももっともなんだけど、七不思議の最後を見つけないと、私たち出られないよ」


 それもそうだと、場に納得の空気が流れる。

 鈴の疑問と仮説については、最悪ここから出ても考えられる。しかし、七不思議を見つける方を優先しなければ、どのみち自分たちは出られない。


「さっきの二人組で、階を変えて探そうよ」


 砂代が提案した。皆が「そうだね」と納得する中、理恋と長橋は互いに少しにらみ合う。

 その様子に気づいてか、砂代が


「二人ともさ、少しは仲良くしたら?あのね、今はキンキュウジタイなんだよ」


と、二人を軽くたしなめる。二人とも納得はしなかったが、「緊急事態」という言葉に反応してとりあえずおとなしく黙る。砂代はそれでよしといった様子で一樹に向き直り、話を始めた。


 全員で階を決めてから、再出発する。

 さっきの各々で体験した恐怖体験からか、全員さっきよりも口数が少なかった。



 全員が出て物静かになった教室。

 そこに、一人の少女がどこからともなく現れた。

 『その人』は出て行った八人の背中を見送り、口の端をひいて笑う。


〈見つけられっこないでしょう〉


 地の底から響くような声でつぶやき、少女もまた、教室を出て行った。


 しかし、教室から出た時点で『その人』の姿は砂絵のように淡くなり、やがて、消えてしまった。


 時計は午後十一時二十分。


 タイムリミットまであと、四時間と十三分。

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