45.僕のローザです、触らないで

「ありがとう、必ず大切にします」


 ぎゅっと抱き締める腕が嬉しくて、でも背中に手を回していいか迷った。書類上だけで、実際は違っていても……人妻だから。私がふしだらだと罵られても平気だけど、あなたを貶されるのは嫌。震える手は途中で止まってしまった。


「失礼するぞ」


「あら、あなた……邪魔じゃないかしら」


 国王夫妻が続き部屋から入室し、慌てた私は離れようとする。ヴィクトール様は逆に強く抱き締めた。絶対に離さないと誇示するように、自分の体を盾にする。


 興味深そうに覗き込む国王陛下のお隣には、笑顔の素敵な王妃殿下がこてりと首を傾げておられた。それからぽんと手を叩いて、少し大きな声を上げる。


「ついに大公様にも春がきたのね? 素敵、未来の大公妃殿下を見せてちょうだい」


「嫌です」


 まさかの否定! 先ほどまでと態度が違い過ぎるわ。ぽんぽんと彼の背中を叩いて、さすがに失礼ですと示した。少しだけ隙間を開けて私の顔を確認し、ヴィクトール様は微笑んだ。眼帯で隠している右半面、真下から見上げるこの角度じゃないと見えないのね。


「挨拶しておかないと、助けてやらんぞ」


「……可愛い婚約者を見せたくないんです」


「ということは、承諾を得たのか! これはいい夜会になりそうだ」


 国王陛下とヴィクトール様の会話を他所に、王妃殿下は私に興味津々のご様子。じりじりと近づいてきて、なんとか私を覗こうとしていた。ご挨拶しないと無礼だわ。


「ヴィクトール様、ご挨拶させてくださ……」


「ヴィルだ」


「え?」


「ヴィルと呼んで。そうしたら離すから」


 甘い声で囁くように強請られて、赤面した。どきどきして心臓がこぼれ落ちそう。胸を押さえながら、小さな声で呼んだ。


「ヴィル、さま」


「ヴィル」


 様はダメなのね? なんでかしら、困ったと思うのに擽ったい。誰かを呼び捨てたなんて、使用人くらいだわ。貴族にそんな失礼なこと出来ないもの。緊張するけど、離してもらってご挨拶しなくては。それに夜会の間もずっと抱き着いているわけにいかない。


「ヴィル……」


「嬉しいけど、離さなきゃならないのは残念だ」


 もっと寡黙な方かと思ったわ。レオナルドをやり込めてから、あまり饒舌に話す姿を見ていない。緩んだ腕から抜け出し、髪やドレスの乱れを直して、王妃殿下へ深く一礼した。


「初めてお目にかかります。アウエンミュラー侯爵家のローザリンデと申します。王妃殿下にはご機嫌麗しく」


「ふふっ、未来の大公妃様がそのように謙ることないわ。シャルロッテよ。お友達になってね」


 気さくに笑いかける王妃シャルロッテ殿下は、腰を折った私へ手を差し伸べた。触れようとした瞬間、隣から出た手に握られてしまう。


「僕のローザです。触らないで」


「大公様がそんなにケチだなんて知らなかったわ。いいじゃない、減るわけではないのですもの」


「減ります」


 驚いた私の顔を見て、国王夫妻は声を立てて笑った。楽しそうなその姿に、嘲笑されるのと違い困惑する。私に向けられるのは嘲笑や軽蔑ばかりだったから。


「ローザと呼んでも?」


「ぜひ」


 今頃許可を取るなんて、ヴィルも可愛い人ね。私、きっと今笑えてるわ。作り笑いじゃなくて、心から嬉しいの。


「ヴィル」


 短くそう呼ぶだけで、心に空いた大きな穴が埋まる気がした。

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