20.黒き一族の訪問――SIDEレオ

 結婚式から半月、まだ新婚と呼んで差し支えない時期に妻は毒で倒れた。いつ会っても顔色が悪く、体調が優れないらしい。屋敷にいる日は毎日顔を出したが、彼女は常にベッドへ伏せっていた。


 侍女アンネの看病が行き届いているのか。部屋は病人の気配を感じさせない清潔さを保っていた。花が飾られ、明るい部屋は清潔だ。かつて祖父が病に倒れた時は、部屋はどんよりとして薬臭かったものだが。


 あの侍女には褒美が必要だな。リヒテンシュタイン公爵夫人の専属侍女、その肩書き以外に何か用意しておこう。ようやく手に入れた妻だ。彼女に逃げられるのは困るからな。手懐けて、侍女にローザリンデの監視をさせればいいか。金を積めば動くだろう。


 前世と違う状況が忌々しい。執事の暴走を思い出し、舌打ちする。机の上の書類を払い落としたくなるのを堪えた。あの事件でローザリンデは心を閉ざしてしまったらしい。俺が顔を見せても怯えるだけ。それでも夫婦なのだから、距離を詰めたいと願う。


 あの美しい赤毛に指を絡め、薄水色の瞳が愛情を浮かべて俺を映したなら。その想像だけで心躍った。


「失礼いたします」


 侍女がノックし、返答を待って扉を開く。その先にいたのは、整った顔立ちながら険しい表情を浮かべる青年だった。左側だけ大きな耳飾りが揺れる。この国の人間ではない。他国と違い、ここは見た目に気を使う国だった。


 笑みを浮かべて穏やかに、水面下で足の引っ張り合いを行う。しかし表面は優雅に一礼してやり過ごす。そんな国で、ここまで表情が硬いと苦労するだろう。他国から来た客人を迎えながら、俺は苦笑した。これは簡単に操れそうだ、と。


「リヒテンシュタイン公爵レオナルドです」


 外交用の笑みを浮かべて、先に挨拶を切り出す。他国ではこれが効果的だった。先に名乗るのは謙った証拠と受け取るのだ。この国では先制攻撃あるのみ。名乗って相手を牽制する習慣があった。リヒテンシュタイン公爵家が王家の予備である今、国内でもっとも地位が高い貴族だ。


 鷹揚に頷いた青年は、ひとつ深呼吸して口を開いた。黒髪にぎらぎらとした銀色の瞳を持つ。長い前髪に隠れる右目は、眼帯で覆われていた。


「アルブレヒツベルガー大公ヴィクトールだ」


 短く発せられた名乗りは、思わぬ肩書きだった。王国で頂点に立つのは国王だ。しかし唯一の例外がある。アルブレヒツベルガー大公領は、自治権を有していた。王国の中にある治外法権なのだ。その大公本人が外へ出るなど、滅多にないことだった。


「まさか……そのような」


 言葉に詰まる。言うなれば、国王が予約なしに訪ねてきたくらいの衝撃だった。一国の王に等しいヴィクトールは、鬱陶しそうに目を細めた。不快だと示す表情に見え、慌てて顔を伏せた。


「存じ上げず、大変失礼いたしました」


 謝罪する声は震えていた。それを恥と思うより、恐怖がじわじわと這い上がってくる。かつて大陸を支配した呪術師を生み出した一族は、いまも呪詛を操ると伝えられていた。黒き一族と呼ばれるアルブレヒツベルガー当主は、金属的な銀の瞳を瞬かせる。


「構わん、お前が無礼なのは知っている。俺から奪ったものを返してもらおう」


 初対面のはずだ。なのに彼が何を返せと言っているのか、一瞬で理解して震えた。

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