06.醜聞以外の何物でもない

 朝食の誘いは受けることにした。昨夜の非礼もあるのに、ここでさらに険悪になることもない。表面上は謝罪して丸く収め、後で対応を考える。そう告げた私に、アンネは微笑んで頷いた。


「ご安心ください、奥様が責められることはございませんわ。私も側についておりますので」


 緊張する気持ちを落ち着けるために、大きく深呼吸した。私には味方がいる。アンネがいるなら、顔を上げて毅然としていなくては。私は彼女が誇れる主人でいたいの。堂々と振舞えばいい。震える呼吸をことさらゆっくり吐きだし、口元に笑みを作った。


 口角を故意に持ち上げ、淑女教育で受けた作法で歩き出す。芯をまっすぐに足を踏み出し、扉が開くのを当然と進んだ。屋敷内で護衛は必要ない。侍女アンネを従え、私は女主人として恥ずかしくないよう階段を降りてダイニングルームへ足を踏み入れた。


「おはよう、ローザリンデ」


 すでに到着していた当主レオナルドへ、裾を摘んで会釈する。ここで上位者へのカーテシーを披露しないのは、日常生活の場だからだ。公式のイベントでなければ、貴族同士でもカーテシーを使うことは滅多にない。相手が王族だった場合くらいかしら。


「おはようございます。


 侍従が引いた椅子に腰かけるレオナルドへ挨拶すると一瞬止まり、何もなかったように両手を組んで微笑んだ。その表情はとても優しい。昨夜の非礼な対応を忘れたように見えた。そんなはずないのに。


「我が妻はずいぶんと冷たい呼び方をするね。レオナルドと呼んでくれないか?」


「大金を積んで購入した妻です。命じればよろしいでしょう」


 私に謙った態度で接する必要はないわ。すぐに出ていきますから、ご安心ください。そんな気持ちを込めた嫌味に、レオナルドは悲しそうに眉尻を下げた。どきっとする。まるで捨てられそうな子猫のよう。整った顔だからって、絆されるわけにいかないの。前世の仕打ちを許したりしないわ。


 居心地悪そうな侍従を家令が追い払う。彼はあの女がこの屋敷に来てすぐ、引退したけれど。実際のところ、彼の意思だったのかしら。少し気になった。まだ引退するには若いし、十分役目を果たせると思うのだけれど……逆に愛想を尽かして出て行ったのかも?


「奥様、昨夜の騒動は当事者ご夫妻と私共以外は知りません。口外なさらないでください」


 柔らかく釘を刺された。そうよね、リヒテンシュタイン公爵家の当主になった彼が、初夜の妻に拒まれて寝室を追い出されたなんて――醜聞以外の何物でもない。口外を禁じるのは当然だわ。


「私は構わないけれど」


 殿方はどうかしらね。こんな屈辱初めてだったでしょう? 私を許せず、離縁して追い出してくれないかしら。期待の眼差しを向けたのに、思わぬ反応で驚いた。私と目が合っただけで、嬉しそうに笑うんだもの。子どものように真っすぐな眼差しと、柔らかな表情にかっと赤くなる。


 狡い、あなたなんて大嫌いよ。でも私に惚れてくれるなら丁度いいわ、その恋心をずたずたに引き裂いてやる。私が前世で苦しんだ分だけ、あなたも苦しめばいいのよ。

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