04.手遅れではないと信じたいの
爽やかなはずの朝の目覚めに、私は憂鬱な溜め息をついた。どうして生きているのかしら。死んだのよね? 結婚式当日からやり直せと神が命じるなら、その顔をひっぱたいてやるのに。なぜもっと過去からやり直せなかったのかしら。
お母様が生きている頃に戻れたなら、父親を名乗る男を追い出して、お祖父様の庇護を受けるわ。公爵家じゃなくていい。どこかの侯爵か伯爵の嫡男以外を夫に選ぶの。アウエンミュラーの血を引く私を大切にしてくれるなら、それが恋愛感情じゃなくていい。
私の人格や尊厳を損なわない人なら、愛人を持っても構わないの。アウエンミュラー侯爵夫人ではなく、女侯爵として家を継げばいいのだもの。お母様はここを誤ったわ。一人娘なのだから、アウエンミュラーの血を引く者として権利を手放さなければよかった。
財産と地位があれば、蔑ろにされることはない。たとえ公爵家に嫁いだ侯爵令嬢であっても、夫人になった途端……公爵である夫の付属物だわ。ただ子を産むだけの道具。本当に、もっと幼い頃まで戻ればよかったのに。ここからでは巻き返しも出来ない。
奪われた実家は当てにならなかった。私の体に半分も流れるあの男の血を、すべて抜き去ってしまいたい。どれだけ憎んでも足りない俗物だった。あの男の血が流れるだけで、この体が悍ましい肉袋に思える。愛らしいと称される顔立ちも、見事な赤毛や薄青の瞳さえ。汚らわしいと感じた。
こんな体を、よく抱こうと思えたものね。義務とはいえ、レオナルドの気が知れないけど……ああ、そうだったわ。
夫の浮気相手の顔を思い出し、背筋に悪寒が走った。両手で己の肩を抱き締める。
「奥様、お目覚めだったのですね。顔を洗う水をお持ちしましたわ」
穏やかな口調と柔らかな表情、まだ痩せておらず叩かれた痕もない侍女アンネの姿にほっとする。この頃はまだ彼女も傷つけられたりしなかった。あの女が来るまで、あと数ヶ月ね。そこから地獄が始まるんだもの。それまでに逃げる準備をしましょう。
「ありがとう、アンネ」
用意された水は、温かかった。お湯と呼ぶにはぬるいけれど、心地よい温度だわ。顔を洗って柔らかなタオルで拭いて、こんな生活いつ振りかしら。前世の記憶が色濃く残っていて、ここ数年の思い出があやふやね。
「着替えますか?」
「そうね、外出しないから楽な服にしてくれる?」
「かしこまりました」
用意されたのは絹のワンピース。裾は幾重にもフリルを重ねたデザインだけど、色は淡い水色で落ち着いていた。何より、裾以外にあまり装飾がないのが気に入ったわ。さすがアンネね。
赤毛をブラシで整え、軽く化粧まで終わらせる。鏡の中に映る私は、まだ健康そうに見えた。痩せ細って肉がない皮と骨の姿が、頭から離れない。
「奥様は覚えておられますか?」
どきりとした。アンネは笑顔ではなく、真剣な顔で私を見つめる。その顔と彼女の手にある小さな瓶……まさか、あなたもなの? 震える指で唇に触れ「覚えてるわ」と声のない答えを返した。
鏡越しの答えに、アンネの目から涙が落ちる。ああ、なんてことなの。アンネは痩せ細った私を覚えている。屈辱的なあの頃の扱いを、この子も共有していた。神よ、これが私への答えなら……未来は変えられるわ。
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