02.私も購入された商品のひとつだもの

「……っ、わかった」


 押し殺した声に滲む怒りか屈辱か。私を置いて、彼は部屋を出ていく。整った顔立ち、鍛え上げた肉体、艶のある黒髪……どこをとっても一級品の男性だった。皇帝陛下の甥であり、公爵家の当主になったばかりの青年。結婚相手として申し分ないわ。


 財産も身分も容姿もあり、才能豊かな人。レオナルド・フォン・ウント・ツー・リヒテンシュタイン――リヒテンシュタイン家の当主、そして広大なリヒテンシュタイン地方の領主。何でも手に入れてきたのでしょう。


 人でも物でも、彼の手に入らないモノはなかったはず。実際、私も購入された商品のひとつだもの。妻と言う名前が付いた、名門貴族の血を引く高価な令嬢をあの人は買ったの。


 だけど、私に触らないで。誰か好きな人を見つけて、その方と幸せになればいいの。私に優しくして、この決意を乱さないでください。前世の私はあなたを愛した。今生は違う、私を殺した人を愛したりしないわ。


 泣き崩れた私に、おずおずと近づいた侍女が上着を掛けた。


「奥様、気が昂っておられるのですね。今夜はもうお休みくださいませ、公爵閣下もそのようにと」


 憤って出て行った夫がそんなことを言うわけがない。嘘を混ぜて気遣う侍女は、茶色の髪に緑の瞳を持つ愛らしい子で気に入っていた。そばかすが残っていて、どこかの男爵家の三女だったとか。この屋敷に来てからずっと、私に優しくしてくれた。


「あり、がとう。アンネ……」


 肩を抱くように支える侍女が勧めるまま腰掛けようとしたベッドに、「ひっ」と悲鳴が喉に詰まった。


「ここは、いや……嫌よ」


 前世で私が純潔を散らされたベッド、絹のシーツの手触りまで覚えていた。痛みに泣きながら強引な行為に耐えた記憶が蘇る。ただただ、痛みと屈辱に泣いた。売られた女だからと我慢した過去が胸に突き刺さる。


「分かりました。奥様、別の部屋に参りましょう。深呼吸なさって、ゆっくり……大丈夫です、私は奥様の味方です」


 微笑むアンネに頷き、震える足で隣の部屋に移動する。今朝まで過ごした見慣れた装飾や家具に安心して、震えながら寝具に横たわった。アンネが用意したブランデー入りの紅茶を口にし、目を閉じる。


「朝までこの部屋におりますから、安心してお休みください」


 彼女は私が何を恐れているのか、察したように振舞う。冷たい手足が温かくなる。中に温石が入っているのかしら。気の利くアンネに何かお礼を……それと朝になったら、夫になったレオナルドに謝罪しなくては。


 彼は事情を知らないのだもの。これは私の落ち度だわ。気持ちが落ち着いて来るにつれ、申し訳なさが先に立った。初夜の新妻に拒まれたなんて、彼の面目丸つぶれね。きちんと謝罪して、距離を置くことを許していただこう。


 目を閉じた私の耳に、誰かの小さな謝罪が聞こえた。


 ……気の所為よね。

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