めぐるめぐる
「まだ駄目だよ。光がちゃんと消えなくちゃ。そうだ。エイキョも何か話してよ。薬代かねてさ」
冗談半分にツキコトが両手を差し出すと、セイジがピシリとそれを叩いた。
「なんでぶつの!」
「冗談でも
「セイジの堅物。頑丈焼物! コミュニケーションだよ。ちっちゃい子がこっちのお話たくさん聞いてくれたんだから、今度はこっちが聞くの!」
ぎゃいぎゃいとそれなりの齢のアヤシ二人がまた言い争えば、聞き手はゆるく眉を下げた。
「おふたりとも落ち着いて……ええと、何を話しましょう?」
「話すのが苦手ならね、歌でもいいよ。伴奏してあげる」
「こっちが聞くんじゃなかったのかよ」
呆れるセイジは気にせず、ツキコトはきらきらとした表情で待った。エイキョは少し迷ってから、決断する。
「それでは、一曲だけ」
控えめな口の開きから現れるのは、普段の話し声を更に柔らかく整えた、ゆるやかな歌声だった。大地に染みて、海の底の更に底へ沈んでいくような、低音の歌。
「……好きだなあ」
三日月琴の器転妖は、伴奏を忘れてうっとりと聞いていた。在りし日の楽師達の好んだ旋律にとてもよく似ていたから。
「弔い歌なんて、本当に今日は人間臭いことが続くぜ」
儀式大皿の器転妖は、眉をしかめて口の端を下に曲げた。かつて戦乱の日々の中で聞いた歌詞にあまりにも近かったから。
「一番、相応しい曲かと思いまして」
歌い終わったエイキョは微笑んでいた。
「
変わらぬ笑みと穏やかな声に、ツキコトは首を傾げる。
「森の名前、なんで知ってるの?」
「書物で読みました」
「あの森の名前は口伝で、とうに廃れたはずだよ」
「こちらで廃れても、あちらの記録はたくさんありますから」
「エイキョ。お前、どこから来た?」
セイジが、ツキコトを引き寄せ己の背に隠した。生来妖の子供と思われていたものは、人差し指を立てて空を指した。
「森の主と同じ世界から来たよ」
微笑んでいる。座っている。武器は持っていない。天界の神は敵意の無い態度を保ち続けていた。しかし、空間が軋んでいる。風が凝る。地が揺れる。火が有ったなら、瓦礫を種にして燃えただろう。水が有ったなら、廃墟を吞み込んでいただろう。
「物質の肉体を着ないで人間界側に来るのは、本当に久しぶりだから、加減がよく分からなくて。傷消しをありがとう。ツキコト殿」
「ど、どういたし、まし、て」
「セイジ殿は申し訳ない。いい歳をして、アヤシの作法を忘れていたと言うのが恥ずかしくて、もたついてしまった」
「嘘じゃねぇかもしれねぇが、それだけでもないだろ」
畏れという古い感情を呼び起こすのに充分な場の乱れに、セイジは震えていた。今度はツキコトが前に出る。
「セイジはあげません!」
「え?」
風の凝りが緩まる。器転妖の長の声が空気の流れに乗った。
「エイキョと森の主さん、たぶん仲良しだったんだよね? そうじゃなかったらこんなに怒らないと思う。友達の血で染めたお皿なんて、気持ち悪いと思ってるかもしれない。でもね、セイジは私と仲良しで、大事な補佐役で、大切な子だから、エイキョの好きにはさせてあげません!」
勝ち目など無いことは理解していた。それでも、三日月の影は揺らがない。
「ここを通りたいなら、私を倒してからにして!」
「いや長が補佐守って倒れたら駄目だろ!!」
過熱していくツキコトの言葉に、我に返ったセイジが前に出ようとする。
「セイジも通っちゃ駄目! 大人しく守られなさい!!」
「そっくり返すぞ責任感皆無器転妖!」
何度目かのこの口論が一番派手にやかましかった。異常な気脈に抗うように二人とも全力で妖気を高め、色も音も物質の域を超えて余計に跡地を軋ませている。二人に降りかかりそうだった瓦礫もすっかり消滅している。辺り一面が荒涼たる更地になる前に両手を上げたのは、天界の神だった。
「これは、しかめっ面はもう無理だなぁ」
駄々をこねあう子供達を慈しむ、大人の声だった。空間の安定に気づいた二人が、立ち上がった神を見上げた。
「セイジ殿は、歴星と言う名に聞き覚えは?」
儀式大皿は首を横に振る。三日月琴も知らない名前だった。
「人間がまた生まれてきたら嬉しい?」
今度は首を縦に振る。三日月琴が横から言い添える。
「私をちゃんと弾けるひとが多いともっと嬉しい」
「夕映以上なんて居やしないが、欲深い奴は見てて面白い」
静かに、神は肯定する。
「それならば良い。それなら、ふたりには何の罪もない……怖がらせて、申し訳なかった」
袖口を胸元で合わせる一礼は、器転妖達の故国の仕草だった。
「死んだものは生き返らない。それならば、生きてるものが幸いに、永く在れるように努めるとしよう」
「本当に、もう怒ってないの?」
「怒るも何も。セイジ殿の色は歴星の血の色だとしても、二人は同一ではない。歴星を殺した夕映はセイジ殿の親であってセイジ殿そのものではない。そもそも、転ぶ程度ならともかく、神が人間の殺意を読み切れないことなどあるだろうか」
器転妖達はかつてのアヤノモリの主の名を知る。森の主は自らの意志で人間にその身を差し出したのだと、彼の古い友は言う。
「その思考に至ったのは、海底に引きずり込まれるような琴の音を聞き続けたせいだろうか? もしそうだとしても、楽器が自ら鳴っていたわけではない。楽師が爪弾いていたのだ。ツキコト殿に贖いを求めるのはおかしい。だから、怒らないよ。怒ったら、歴星の意志を軽んじているのと同じだ」
揺らがぬ声音が、却って悲しみの大きさを伝えていることをツキコトは察した。一歩、二歩と距離を縮めた三日月琴は一柱の神を抱きしめる。
「歴星が居なくて寂しいのに、エイキョはえらいね」
「私は子供じゃないよ。ツキコト殿」
「ちっちゃい子も大きいひとも、えらい時は褒められていいんだよ」
「……ありがとう」
柔らかく冷たい手が、ツキコトの肩に触れた。抱擁への返礼を受け取って三日月琴は離れる。
「どうやって俺達の事を知ったんだ。わざわざ跡地で待ち伏せして」
多くの事情が判明したところで、残る疑問をセイジはツキコトを受けとりながら尋ねた。エイキョがまた素直な困惑を表にする。
「いや、待ち伏せしたんじゃなくて。本当に偶然なんだ。友人が待ち合わせ時間を過ぎても来ないから、様子を見に行くつもりで降りてきて、そうしたら、跡地の方から歌が聞こえて、ふらりと」
跡地に来るつもりだったら物質の肉体を着ていたと付け加える。
「生きてる友達も居るわけか。跡地で止まったんなら、下の常世じゃなくて、隣の俺達の世界に居るんだよな。どの種族のアヤシだ? 送ってやるよ」
「ええと、彼女の種族は」
「種族は生来妖サ。けど、総代表なんてものになると、アヤシと答えるのが無難サねぇ。全く因果な商売だよ。使いに行かせた器転妖達ははてなし沼をすぐ出たくせに、寄り道がやたら長くて。おかげで友達と千年ぶりの飲み会だってのに大遅刻しちまうしサぁ」
二人の器転妖が器物の頃のように静止した。いつのまにかひとり増えていた。長身の女だ。褐色の肌に極彩色の抜き襟の衣装を合わせ、高下駄で更に存在を主張する。それでいて新雪の色をした長髪はサラリと流し、色彩を統率している。人間界の跡地とアヤシの世を繋ぐ境目をさっくりと裂いた女は、エイキョとはまた違う凄みのある黒眼で、ちろりと器転妖達を見下ろした。
「言い訳はあるかい? ツキコト、セイジ」
瓦礫の中に時計は無いが、満月の位置がかなり動いている。うまく時間流の誤差が有ったはずだが、さんざん気脈をぶつけ合った結果だろうか、アヤシの世から干渉できる程度に同調してしまっていた。二人は同時に広い袖口を合わせて頭を下げた。
「申し訳ありませんでした! キヨマイ姐さん!!」
美声と悪声がぴったり重なる。器転妖の長と補佐になる前、役無しの下働き時代から知られている姉貴分に逆らい様も無かった。
「反省したんならよろしい。次から寄り道はもっと上手くやりな。今回はある意味で上手くいったようだけどね。そうだろ? エイキョ」
総代表の友はこくんと頷いた。
「キヨマイ殿。せっかくの約束だったが」
「構わないよ。元々アタシが遅刻したんだ。次は、もっとうまい酒が飲めそうサね?」
「ああ。約束しよう」
エイキョの周りがきらりと光った。次の瞬間には天界の神は姿を消していた。幾つかの小さな透き通った鉱物だけを残して。
「よくやったよアンタ達。あの水晶神、生命再興に力を尽くしそうだ」
またお隣がにぎやかになるねぇと、人間を愛で弄び糧としたことのある大妖は上機嫌に弟妹分を手招いた。
「姐さん。もしかしてエイキョって、すごくえらい神様?」
「天界なら天帝の次の次くらいにえらいんじゃないかい。官位は無いけど、四方守護族の実質的な頂点サね」
「キヨマイ姐さんと古馴染ってことは、それなりの齢だよな?」
「アンタ達の倍とはいかなくても、七割増しくらいには年上サね。五千歳は下らないよ」
ここまで聞いて、セイジは天界の最果てを守護する、水晶の古神の話を思い出し、ツキコトは自分達がどれだけうっかり屋であったのかを悟った。
「姐さん……今夜の事、俺達の同胞には、器転妖達には内密に……立つ瀬が無いんで」
「あ、ササメキさんにも内緒で! それと
「はいはい。言いやしないよ。アタシも打算抜きに酒飲める古馴染はもう少し隠したいからサ」
天界の神との繋がり、という多分に政治的な意味合いを持ちかねないものをキヨマイはさらりと隠した。三日月琴はその音を飲んだ。
「エイキョの声、聞いてると落ち着くもんね。姐さん、今度の女子会は私も呼んでね」
意図は解しているものの、儀式大皿は納得できないように呟く。
「女子会じゃなくて飲み会だろ? エイキョのあの声、どう聞いても男だぜ」
「声は低いけど、あのお肌は女の人でしょ! 手も柔らかかったし!」
またまた睨むように見つめ合うふたりを、姉貴分はさっくりと裁く。
「アンタ達は水晶に性別をつけんのかい?」
瓦礫に混ざる神の置き土産を総代表に示されれば、器転妖達はまた沈黙した。眷属が鉱物ならば、本性もそうだろうというのは、うっかり者達にも判別がつく。まして天界の鉱物神と言ったら大抵が無性別だ。
「セイジは目以外、ツキコトは耳以外を、もっと磨く事サね。でもまあ、あののんびり屋に色々見聞きさせてやるのは良いと思うよ。色鮮やかな皿の来歴とか、揺蕩う琴の音色とかサ。生命の賑わいを忘れさせないように」
跡地が復興するように、とも聞こえる調子に二人は頷いた。それは多くの器転妖が欲してやまないものだった。
「それじゃ、そろそろ帰るよ。エイキョの前に、アタシに色々報告しとくれ」
キヨマイの手が、境界を裂く。賑やかなアヤシの世が裂け目の向こうに見える。器転妖達は望月を背に駆けだした。ようやく何かが動き出す予感に満たされながら。
アヤシかたる夜 嵯峨野吉家 @toybox3104
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