かたるかたる
「ここで話すのか?」
「ここだからこそだよ」
「ここはどこなのですか? 博物館だったと聞いていたのですが、また違うのでしょうか?」
きょとりと切れ長の目に似合わない表情をしながら、エイキョはおそるおそる二人に尋ねた。二人の器転妖は代わる代わる説明をする。
「ああ。確かに博物館だったな。最後の日も静かに戸を開いていた」
「その前は王宮だった。真白い大宮殿に、寄り添うように
「芸をもって王に仕え、それに誇りを持つ人間が昔はたくさん居たんだ」
「私達はそんな中で生まれてきたの」
ツキコトは鈴の音よりも軽やかに笑い声をあげた。
「懐かしいなあ。
「儀式大皿って言ってるだろうが」
「三日月の楽器も、昔は有ったのですか?」
エイキョはツキコトの影を凝視した。アヤシ達の本性を示すそれは、よく見れば三日月に糸を張った形をしていた。
「三日月琴って言うんだよ。元は海神を祀るのに使う祭器だったのが、娯楽にも使われるようになったの。十六の弦で月の光を紡いで水底の更に底の常世の御方に供物を届ける楽器。こう言ってみると
「そうは言っても、お前の場合は宮廷楽師に弾かれてばっかで、祭儀に使われたことはほとんど無いじゃねぇか」
「セイジだって儀式に全然使われない飾り皿だったくせに」
「うるせえ。仕方ないだろ。俺を手にするやつら、殆ど武人だったんだから」
エイキョは興味深そうに二人の話を黙って聞いていた。素直な聞き手に気を良くした二人は、瓦礫の園に居るのも忘れて、在りし日の話に花を咲かせた。
「実はね、私のほうがセイジより百年くらい早く出来上がったの。腕のいい染師が上等な螺鈿を塗ってくれてね。私を手にした楽師は嬉しそうにしてたなあ」
「道具の頃から意識が有ったのですか?」
「当たり前だろ。そのくらいきちんと作られていなけりゃ、アヤシにはなれねぇよ」
「器物に意識が有ると気付く人間はなかなか居ないけど、あの子はわかっていたみたいだったなあ。大事に丁寧に扱ってくれたよ。私に話しかけるみたいに歌をつけて弾き語ってくれて、あれで色んな曲の型を覚えたなあ。長生きしてくれて嬉しかったけど、お別れはやっぱり寂しかった」
ピィインと溜息にも似た悲しげな音がツキコトの口から漏れた。セイジの筋張った熱い掌が螺鈿色の頭を撫でる。アヤシの記憶は人間ほど忘れやすく出来てはいないから、数千年前の別離も数日前の悲しみと同じだった。そっとエイキョがツキコトの手を握った。冷たく柔らかな手だ。ツキコトは穏やかな気持ちを取り戻して、また語りだした。
「でもね、その次に私を弾いてくれた楽師は本当に凄かった。私が何のために作られて、どんな曲が一番映えるのか、考えるより先に知っていて、息をするように音で世界を作るの。あの人とならどこまでも沈んでいける、神の供物になっても爪弾いてもらえるって本気で信じてた。それが私の、最後の楽師だった」
「最後の……?」
「大丈夫。これは悲しいというのとは少し違うから。その人は本当に最高の楽師だったんだけど、運が悪かったの。仕えていた王様が早死にしちゃってね、次の王様が楽師を侍らせようとしたんだけど、そいつがとんでもなく耳が悪い男だったの。おまけに楽師の親友を殺させた男だったから、そんなのに仕えるくらいならって自殺しちゃったの。私の仕込み針で」
前の楽師よりずっと凄惨な別れであるはずなのにツキコトはむしろ晴れ晴れとした表情で語った。
「音楽に暗い男であることが、親友を殺したことより許せなかったのですか?」
「楽師なんてそんなもんだ。言っただろ。己の芸に誇りを持っていたって。俺を仕上げた染師なんてもっと凄まじいぜ。この色を出すために森の主を殺したんだ」
セイジは空色の前髪をさらりと払った。夜の底で昼空が蠢く様な妖しさが有る。エイキョは息を呑んだ。
「大樹の
「染師が殺したのはアヤシじゃない。虎の命変妖を裂いても青い血は流れ出ないだろ」
その言葉にツキコトとエイキョは静止した。ひとが血を持つ場合、アヤシの血色は様々だが、青は神の血の色だった。この寂寞を生み出した神を、命ある者たちの親を、セイジは犠牲にして生まれたのだという。
「空の上の御仁か、海の底の御方かはわからねぇが、おかげで俺は作られる少し前から意識が有った。王に献上された瞬間もきっちりと覚えているぜ。芸事については悪くなかったかもしれねぇが、覇気のない男だった。嫌だと思ったね。こんなつまらない男に飾られるのは御免だと。そうしたら呆気なく死んじまった」
「そんなに嫌なら、二本足になってアヤシの世に逃げ込めば良かったのに」
「それは最後の楽師が死んだときにちょうど百歳過ぎてたお前だから出来たんだろ。俺は生まれたばかりだったから無理だ。とにかく王が死んじまったもんだから宮殿中大騒ぎでさ。どさくさ紛れにそいつの甥だかが次の王になったんだ。強者ぶってて笑えたぜ。伯父は事故死、濡れ衣着せた染師は部下に始末させたくせによ。俺に三度触れることなくしてそいつも逝ったな。しかし何が狂ったのか、俺を手にしたら天下が手に入るとか勘違いした連中が出てきてさ。国中荒れに荒れて、俺は七度は持ち主を変えたな。でも、どいつもこいつも欲が足りない臆病者で辟易したぜ。国一つ欲しいから俺が欲しいなんて、ふざけた話だ」
「充分に強欲な人間だと思えますよ」
セイジの真っ青な目が怒りで見開かれた。
「ふざけるな! この俺を望むなら世界一つは征する気概を持てってんだ! 稀代の
がちゃりと癖の強い声は、セイジを、天下を求めて争った人間達の一等欲深い音色が濃く残されている。
「言っておくが、あいつらが滅んだのは俺の祟りではないからな。武人のくせに俺を受け止めるだけの業が無かったんだ。文字通りの自業自得だ。百になったらさっさと出て行ったんだし恨まれる筋合いは無い」
肩を怒らせる青磁の大皿に、エイキョは囁くような声で言った。
「セイジさんは愛しているのですね。人間を、いいえ、貴方を作った業の深い染師を」
それはなぜですか。と静かに、この眠りについた世界に溶け込むような声で訊ねた。
「自由だからだ。あの人は自分で決めたもの以外、全部関係ないんだ。その真っ直ぐな欲の深さがあの人の誇らしいところだ」
「それは私も同じかも。あの楽師は、夜珠様は、穏やかだけど私の事になると絶対に自分を曲げなかった。神様は楽しい生き物を、私達に誇れる親を作ってくれたって思う」
「けどあいつらは俺たちの親を、故郷を、こんな跡地に変えちまった。そのあとに何か築くのかと思ったら、季節を配って時を巡らせるばかり。腹が立つ話だ」
エイキョの傷はほとんど塞がってきていた。光が淡く消えかかっている。それでも廃墟の陰影は、器転妖の影は途絶えない。望月の夜だった。
「話しこんじまったな。そろそろ立てるか?」
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