アヤシかたる夜

嵯峨野吉家

おどるおどる

 枯れた水平線を焦がしながら日が沈んでいた。

 灰の香る風が、少女の長い髪をそよぐ。薄緑の毛先が紫に変わる。螺鈿色の直毛なのだろう。瓦礫の広場で、少女は裸足で踊っていた。いくつもの硝子の欠片や、器物の破片を踏みつけ、鳴り響く音を楽しみ、足裏の感触に笑った。しなやかな四肢からは血の一滴も流れることはない。立襟の衣服に包まれた喉から、歌が零れる。人から遠く離れた形をした、磨かれた楽器の高音だった。たおやかな旋律は、在りし日の豊かな海原を悼み、渇き果てた空間を満たしていく。日が落ちて、濡れたように色が濃くなった瓦礫の上を、黒い三日月が舞う。彼女の影だった。月が横切り、さざなみが果てることのない海が、そこにある。

「ずいぶんと人間じみたことしてるな。ツキコト」

夢を終わらせたのは少年の一声だった。戦乱のざわめきを人の声の鋳型に流し込んだような悪声。しかし少年の姿は少女よりも秀麗だ。浮かび上がる様に白い肌と晴れ渡る青空を染料にしたような髪と瞳は、色覚を持つ者なら終生忘れることは出来ない。ふつりと旋律が止んだ。

「セイジ。お仕事終わったの?」

 三日月の影が正円の影の中に飛び込んだ。セイジは飛びついてきたツキコトを支えると、顔をしかめた。

「終わったの? じゃないだろ。本来ならお前の仕事だろうが」

「だって私、はてなし沼のひと苦手なんだもん」

「理由になってない!」

 ぺしんと軽い音を立ててツキコトの頭を叩くと、セイジは大股に瓦礫の外へと歩き出した。ツキコトも靴を履くと、小石を蹴りあげながら後を追った。

「待ってよセイジ! もう行っちゃうの? 外に来たの本当に久しぶりなのに、もう少し遊ばないの? せっかく夜になるのに、今日は満月なのに、帰らなくちゃいけないの?」

 びぃい、びぃいん。と、どこか憐れっぽい音を出すツキコトにセイジは苦い顔をして振り返る。

「駄目だ。使いの途中なんだ。姐さんの手伝いもしなきゃなんねぇし、さっさと帰るぞ」

 言葉も体も突き放されたツキコトは、同情を引くのはやめにして、セイジの腕を掴んで引っ張る。

「どうせこの辺りなら時間の流れが違うし、夜明けまで遊んでもそんなに遅刻にならないよ。ね、遊んで行こう?」

 意外にも力強いツキコトに不意をつかれて、セイジは体勢を大きく崩しかけたが、意地になって持ちこたえた。

「そういう問題じゃねぇよ! 礼儀とか義理とかそういうもんについて少しは考えろよお前は!」

「レーギレーギって人間じゃあるまいし、良いじゃない別に。器転妖なんだよ私達。気ままに生きようよ」

器転妖つくもが廃るようなこと言うなよ! だいたい、人間じみたこと先にしたのはツキコトだろ」

「楽器が舞楽を奏でて何が悪いの? セイジこそお皿なんだからお腹に料理でも乗っけたらいいのに!」

「ふざけんな! 俺は皿は皿でも儀礼用の鑑賞皿だ!」

話が逸れに逸れて、人間の子供のような口喧嘩が始まった。二人の声が瓦礫のあちこちに反響する。並外れた美声と悪声は力強さの点では全くの互角であるらしく、ぶつかっては溶けあい、一つの音のように、がらんどうの世界に駆け廻った。

「セイジは此処がどこだか忘れちゃったの? わかっているなら、どうしてそんなに帰ろう帰ろうって言うの!」

「お前こそ、ここが何処だかわかってるのなら、どうして遊んでいたいなんて言うんだ? こんなに変わり果てちまったっていうのに!」

「それでもここに居たいよ! だってここは」

「耐えられるわけないだろ! だってここは」

「博物館ではないのでしょうか?」

 のんびりとしているのに、二人の音の間に入って霞むことのない、芯が一本通った声。ツキコトとセイジはぐるりと首をまわした。いつからそこにいたのだろうか。ひとり、背の高い者が立っている。混沌とした廃墟の中で端然と佇む姿は、二人の目から見ても異様だった。セイジはツキコトを背に庇い、相手を睨んだ。

「お前、器転妖じゃ見ない顔だな。生来妖あやかしか? 草木宿妖せいれいか? それとも命変妖ばけものか?」

 短い髪が、つり目がちの強い瞳が、立襟に広い袖の昔ながらの服が、妖気を帯びて燃え立つように鮮やかになる。月光交じりの薄闇を食いつぶすほどの青色が辺りを包んだ。いくつかの人の世の残骸が砂粒ほどに砕ける。それだけの気迫を目の当たりにしながら、相手はゆったりとした態度を崩さない。

「人間かとは思われないのですか?」

 からかう口調ではなかった。一際がらりとした声でセイジは言い捨てる。

「莫迦言うんじゃねぇよ。天界てんかい常世とこよの神共のおかげで、この中界ちゅうかいの命あるものが滅んで何百年経つと思っていやがる。二本足の姿をしている時点で神かアヤシのどちらかだ」

 例え人間が居たとしても、目の前のヒトを人間とは思わないな。ツキコトはセイジの後ろに隠れながら思った。黒い髪も黒い瞳も人間によくいた色合いだが、声が違う。低く、柔らかく、力まずとも器転妖の二人に負けない声など人間には出せない。それに身なりもおかしかった。髪を一つに束ねて目元に紅を差しているのに、身にまとっているのは長い真っ黒な外套に軍靴という、いくつもの国や時代が錯綜した格好だ。ツキコトも切り揃えられた螺鈿色の髪と琥珀色の瞳と多分に人間離れした容姿をしているが、服装は古代のある国で良く着られていた装いであるから、まだ人間の作法に沿っている。

「名前は?」

「エイキョと申します」

 満月を背に微笑むエイキョの足元に影は無かった。セイジはますます警戒の色を濃くした。

「作法がなってねぇな。名乗りをしたなら影くらい示せ」

「セイジのガミガミ癖は一生治らないね」

「ツキコトは黙ってろ。得体が知れねぇ、正体も分からねぇ。そんな奴に愛想良くできるか」

 するとエイキョは眉を下げて、困惑を示した。

「申し訳ありません。未熟者ゆえ、影の出し方がわからなくて」

「は? お前、一度もこちらに来たことが無いのか? 幼い生来妖(あやかし)じゃあるまいし、そんなことあるわけ……」

 恥ずかしそうにエイキョは俯いた。ツキコト達より歳上の姿だが、幼子のように両手を結んでいる。そんな所作を見てしまっては緊張を保っていられなかった。セイジは呆れながら脱力した。

「ガキがこんな場所でなにやってんだよ! 生来妖の長のササメキさんとアヤシ総代表のキヨマイ姐さんに言いつけてやるから覚悟しとけ!」

「姐さんはともかく、ササメキさんは止してあげなよセイジ。はてなし沼に沈められちゃうよ。この子」

 一人前のアヤシなら、影が出せずに俯くなどありえなかった。見かけほど齢を重ねていないのだろう。アヤシの時の進み方は人間ほど均一ではないから、外見と内面の年齢の不一致は、よくある話だった。

「警戒して損したぜ。どうせ姐さんに報告する途中だし、一緒に帰るぞ。エイキョ」

「こんな所に子供を一人にしたら、私達が姐さんたちに叱られちゃうもんね。おいで。怖くないよ」

 エイキョは何度も頭を下げて、二人の元に足を踏み出した。そして次の瞬間に転倒した。本当にこちらに慣れていないらしい。さすがに二人が駆け寄った。軍靴の上から鈍色の破片が深々と刺さっている。

「申し訳ありません。すぐに立ちますから」

「立つな。というか立てねぇから無理だ。こっちでは気を張ってないと痛みが無い分、傷が深いんだよ。だから半人前は立ち入るなって言われるんだ」

 逆を言えば、慣れているものなら素足で瓦礫の中を踊ろうが傷一つつかない。それがアヤシだった。神の手によらず生じた、生命に属さぬ中界の異種。最も、彼等にすれば天界や常世のひとこそ、神と名乗る異種と呼ぶべきものとも言えた。

「神様達みたいに物質の肉体を着込めば安全かもしれないけど、それはそれで大変だからねぇ。どうせだし、ここでちょっと休もうよ。治るまで私達が傍に居てあげるから」

 ツキコトの言葉にほっとしたのかエイキョは小さく息を吐いて、頷いた。セイジは結局、ツキコトの思い通り帰りが遅くなることに少し腹が立ったが、怪我をした若輩者を置いていくわけにはいかなかった。ツキコトは軍靴から破片を引き抜くと、穴の開いている足に粉を振りかけた。青空に螺鈿を溶かしたような色の粉を、エイキョはしげしげと見つめていた。

「これはなんですか?」

「薬だよ。私達にも、神様方にもよく効く傷消し。ただ馴染むのに少し時間がかかるけどね」

 粉をかけられた傷口が、小さな明かりのように光って、三人を照らした。きちんと同化すれば光はなくなるだろう。

「せっかく明かりを灯したことだし、何かお話ししようか。ねぇ、セイジ。昔の話でもしようよ」

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