叫べ

影月 潤

叫べ


 小学校のころの俺は、ひとことでいうと虚弱体質だった。

 ちょっとでも走るとすぐバテてしまう。

 ちょっとでも食べ過ぎるとすぐお腹を壊す。

 筋肉もなかなかつかず、ずっとガリガリでよくバカにされていた。

 そんな俺がサッカー部に入ったのは、当時、Jリーグが始まったばかりでサッカー人気が高かったからというのもあるが、単に仲のいい友人がいたからだ。

 彼らはサッカー部に所属していたのは、サッカーをうまくなりたかったからなのだろう。

 レギュラーをとるために必死に練習し、先輩の圧力や教師からの期待や、激しい筋トレにも耐えていた。

 仲のいい友人とただ遊びたいがためにサッカー部に入ったような俺とは違う。だから、俺はひとりになっていた。

 ろくに筋トレもせず、ろくに練習にも参加せず、ただ、すみっこでボール遊びをしているだけの日々。

 レギュラーどころの話ではなく、2軍の中でも使えないやつだとずっといわれていた。

 そんなふうに虐げられていた俺が次に陸上部に入った理由は、結局は昔と変わらない理由だ。そのとき親しかった人が陸上部にいたから。

 それでも虚弱な俺が陸上部のハードな練習についていけるはずもなく、結局、俺は手を抜いて遊んでいた。

 皆が大会に向かって勤しむ中で、俺だけが遊び半分でその場にいて、すみっこでそれなりにがんばっているかのように見えるだけの活動をする日々。

 そんな日々には、なにもなかった。



 周りの人間は迷惑だっただろうな。

 お前みたいな奴がいたから、空気がよどんでいた。

 お前みたいな奴がいたから、皆がグチをいっていた。

 ちゃんと努力している奴らが、お前のせいで変わっていった。

 お前はあの場所にいてはいけなかったんだ。

 お前はすみっこにすらいちゃいけなかったんだ。

 お前に生きる価値なんてない。

 お前に生きる意味なんてない。



 でも、さすがに陸上部でそこそこ練習をしていたら、それなりに体力もつくし、それなりにタイムも伸びてゆく。

 最上級生になったころには、もう少しで県の大会に出られるかもしれないほどまでタイムが伸びていた。

 俺は、ずっと努力しても報われないと思っていた。

 なにをしても無駄だと思っていた。

 でも、それでも。

 ほんのちょっとだけの期待を抱いた。

 俺でも、努力すればきっと届く。

 キラキラ輝いていた連中が目指していたものに、もうちょっとで手が届く。

 俺はよりいっそうの努力をした。

 部活が終わって家に帰ってからも走り込んでいたし、部活がない日も走っていた。

 体が弱かったことなんて忘れていた。

 俺はきっと、強くなれたんだと思った。

 でも、それは大きな間違いだ。

 最後の大会の少し前、俺は怪我をした。

 練習どころの話じゃない。歩くことすら困難な怪我だった。

 最後の大会は、結局でれずに終わった。

 誰よりもしていたと思った努力も、変われたと思った自分自身も。

 すべては気のせいだったのだ。

 こんなことなら、努力なんてしなければよかった。

 すみっこでボール遊びだけしていればよかったのだ。

 あいつはそういう奴だ、って、ただいわれていればよかった。

 期待させて、期待されて、期待して。

 すべて無駄だったのだ。

 俺はずっと虚弱体質で。

 本当は運動なんてできる体じゃなくて。

 まともにがんばっている連中の邪魔なんてしちゃいけなかったんだ。

 まともにがんばっている連中と一緒にいちゃいけなかったんだ。

 俺がいたから、皆が期待した。

 あいつだってやれるって、応援してくれた。

 あいつだって頑張れるって声をかけてくれた。

 それすら、すべてが。

 無駄だったのだ。



 その通りだ。

 お前自身の行動が、言動が。

 お前自身の存在そのものが。

 まったくの無駄だった。

 人に期待させるだけさせておいて、結局はなにも成し遂げない。

 お前になにかをやるような力はない。

 お前になにかができるような価値はない。

 お前は、この世界にいちゃいけない人間なんだ。

 人を失望させる。人を憤慨させる。

 お前はまったくの価値のない人間なんだ。






 オレが入ったのは演劇部だった。

 正直、乗り気ではなかった。

 ハナから部活なんて入る気はなかったし、まして、当時のオレは文化系の部活というものに偏見があった。

 引きこもり気味のオタクどもが集まって、辛気くさい話をして過ごすような連中なのだろうと思っていた。

 だからオレが当時の担当の教師に次の公演まで手伝ってくれといわれたときは、本当にその通りにするつもりだった。

 入ってみたら、オレの予想は当たらずとも遠からず、という感じだ。

 うるさいくらい明るい先輩に、逆にひたすら静かな先輩、同世代も教室ではおとなしくしてそうな奴が、ずいぶんと大げさに手を叩いて笑い声をあげる。

 なんというか、気に入らない連中だった。

 だから当初から遠慮なく彼らの舞台という名の学芸会に、オレは口出ししていた。

 が、奴らは自分たちの演技に対する素直な意見としてそれを取り入れ、オレが口出しする内容に演技を変え、また内容によっては議論を重ね、舞台の質を上げてゆく。

 オレは気づいていなかった。

 彼らは、本気だったのだ。

 どんなに拙くても。どんなに情けなくとも。

 少しずつでも自分たちの質を、価値を、能力を高めていた。

 努力していたのだ。

 ほんの少しずつでも。

 オレには理解できないことだった。

 オレはそんなものは無意味だと、ずっと思っていたから。

 価値のない奴に価値なんかない。

 バカは死んでも治らない。

 人生において、負け組は負け組のまま。ステージにすら立てずに、消えてゆく。

 彼らは間違いなく、ステージの上に立とうとしていた。

 どんなに拙くても。

 石を投げられようが、罵声を浴びせられようが、だ。

 そんなことは、オレにとっては。

 意味のないことだった。




 意味がないのは、価値がないのはどっちだ?

 そうやって人を見下すことしかできないようなお前が、お前こそが。

 本当は価値のない人間なんだ。

 努力の価値すら知る由もなく、少しずつ進む意味すら理解せず。

 そんなお前が口にする言語に、どれだけの価値があるっていうんだ。

 絶え間ない努力を続ける人間の価値は、お前の価値なんかとは比べものにならない。

 お前はこの世界に生きていちゃいけない人間なんだ。




 オレの発言によって、なんて、でかい口を利くつもりはないが。

 彼らは自分たちの舞台を少しずつレベルアップしていった。

 その結果として、市の大会では上位に入賞し、県の大会への出場権を獲得していた。

 いつの間にかオレもレギュラーメンバーに数えられ、県の大会には勝手にエントリーされていた。

 ただそのときは、不思議と辞める気にはなれなかった。

 この連中がどこまでいくのか。そのことに対し、興味があったからだ。

 こんな不憫な連中が、こんな情けない連中が。

 どの程度まであがけるのか見てみたかった。

 県の大会はレベルが高く、オレですらそれを感じる熱気があった。

 引きこもりのオタクどもが、教室では静かにしているような連中が、舞台の上では輝いていた。

 それを言葉にするのは、どうすればいいのだろう。

 青春? 努力?

 ばかばかしい。

 オレとは無縁の世界だ。

 オレはあいつらとは違う。

 ステージに立とうが関係ない。

 スポットライトに当たろうが関係ない。

 あいつらがやっていることは、ただ単にいっときの思い出作りにすぎない。

 そのことになんの意味がある?

 そのことになんの価値がある?

 そんなくだらないことに時間を費やしていったところでどうなるというのだ。

 せいぜい、昔なじみで集まって思い出話をするだけのこと。

 そんなことに、オレを巻き込んでるんじゃねえよ。

 くだらない。

 県の大会では、上位に入ることはできなかった。

 それでも彼らの舞台は多くの審査員から注目され、絶賛され、皆は笑顔を浮かべていた。

 全国大会にいくことはできず。

 彼らの青春は、そこで終わった。

 オレはいつの間にか彼らの仲間のようにいわれていたが、オレはそれ以上、彼らと一緒の道を歩むのは無理だった。

 薄っぺらい愛想笑いもやめた。

 くだらないことで笑うこともやめた。

 オレはあいつらから離れた。

 あいつらは相変わらず、自分たちの舞台を成功させるために日々を過ごしていた。

 くだらない。

 そんな一時の思い出づくりのために、どうしてそんな時間を費やせるんだ。

 あいつらと一緒にいた時間、それこそが。

 オレにとっては無駄な時間でしかなかったのだ。



 日々を努力する連中がどれだけ本気か、なぜわからないんだ。

 ほんの一時でも、わずか数秒のスポットライトでも、それでも努力する価値をなぜ理解しようとしない?

 それがお前の限界だ。

 人としての価値も、意味も。

 お前にはない。

 冷めたふりをして、見ないふりをして。

 そうやって歩んでいくお前に、いったいなんの価値があるというんだ。

 ほんの一時のために、ほんの一瞬のために努力できる人間の価値は、お前には決してわからない。

 価値がないのはお前のほうだ。

 意味がないのはお前のほうだ。

 お前は、まったくの価値のない人間なんだ。



 

 仕事はそこそこ気に入っていた。

 問題は周りにいる連中のことだ。

 職場であるからこそ、真剣なのが普通だろう。いうまでもなく、真剣な人間だってもちろんいるにはいた。

 が、とてもそうは感じられない人間もいるのだ。

 遊びに来ているのか、やることがないだけなのか。

 そんな連中が、時折、僕がやっている仕事をのぞき込んで、文句だけをいって去ってゆく。

 いちいち面倒なので、相手にしないでいた。

 どんなに年上だろうが、あんな大人にはなりたくない、と、そう思っていた。

 が、どうやら多数派は向こうだったようで。

 僕がどれだけ仕事をこなしても、新しいことを始めて作業の効率を上げようが、クレームや面倒ごとを処理しようが。

 評価されることなんてなかった。

 別の部署の新人とも可能な限り親しくして、仕事に対する熱意とか、情熱とか、そういうものを持ってほしいと思っていた。

 でも、結局は彼らもそのぬるい空気に飲まれていって。

 面倒なことはすべて押しつけられるようになっていた。

 クレームも、新人の女の子が辞めていったのも、厨房に虫が入ったのも、売り上げがなかなか伸びないのも。

 全部全部、僕のせい。

 そのうち他部署の新人ですらも僕の陰口をいうようになった。

 努力するのはいけないことだろうか。

 一生懸命になるのはいけないことだろうか。

 すべての責任を押しつけられ、すべての悪事は僕のせいにされ。

 最終的に僕は仕事を辞めさせられた。

 



 郷にいっては郷に従えという言葉を知らないのか。

 空気を読まず、正反対の空気を出していたお前が嫌われるのは当然のことではないか。

 皆がそこそこだけでやっていけているのに、暑苦しい奴がいればうざったく思うのは当然のことだろう?

 そもそもお前の考えが間違っていたんだ。

 そもそもお前の存在が必要なかったんだ。

 お前の変えようとしない考えが、よかれと思ってやったすべてのことが。

 必要のないことだったんだ。

 お前の存在そのものが。

 不要だったんだ。




 なにがいけなかった?

 僕は少しでも会社をよくするために努力していた。

 だから裏でこそこそ悪いことをしている連中を告発するでなく、言葉を直接ぶつけていた。

 それで変わらなくたっていい。ほんの少しだけ、注意してくれればいいと思った。

 その結果として僕が嫌われても、それはそれで仕方ない、と、そう思っていた。

 でも、その結果として。

 悪い噂を会社中に流すなんて信じられるだろうか。

 嘘の告発を上司にするなんて信じられるだろうか。

 僕とそのときは親しいと思っていた人だって、結局は僕の悪い噂を流して回っていた。

 表面では僕と親しいふりをしておきながら、裏では僕をあざけ笑っていたのだ。

 僕と親しく話しているふりをしておきながら、内では僕をバカにしていたのだ。

 誰を信じればいい?

 なにを信じればいい?

 僕はなにも信じられなくなった。

 僕は誰も信じられなくなった。

 親しく話しているように見えて、心の中では。

 彼らは僕を笑っている。

 僕の魅力のない顔を、性格を、空回りする努力を笑っている。

 僕が失敗して泣きわめけばいい。そう思っている。

 僕が首を吊ればいい。そう願っている。

 結局は、僕の、すべてが。

 無駄だったのだ。




 そうさ。

 やっと気がついたのか。

 お前の努力も、歩みも、なにもかも。

 結局は無駄だったんだ。

 空気も読めず、人の心も読めず、自分のエゴに他人を巻き込もうなんて思っているようなお前には。

 そもそも生きる価値なんてなかったんだ。

 彼らのいうことが正しい。

 お前なんていなくなればいい。

 お前なんて首を吊ればいい。

 いや、死体が見つかっても笑われるだけだ。

 なら海にでも落ちてゆくがいい。

 お前はこの世界に不要な存在なんだ。

 お前はこの世界に必要のない人間なんだ。

 お前みたいな奴は世界に生きている価値なんてない。

 うざったい。

 おとなしく。

 消えてくれ。





 俺は努力してなかったわけじゃない。

 それに誰が気づく?

 オレは、一時でも楽しいと感じなかったか。

 だからなんだ?

 僕を認めてくれる人は、本当に誰もいなかったのか?

 いるわけがない。

 俺はあいつらと一緒にいたかった。

 すみっこにいたくせに。

 オレは、あいつらが眩しすぎた。

 バカにしていたくせに。

 僕は、認めてほしかった。

 無駄な努力をか?

 俺はそのために努力していたはずだ。

 無駄だったな。

 オレはあいつらを認めたくなかった。

 惨めになるからな。

 僕はみんなのことが好きだった。

 みんなはお前を嫌っていたけどな。

 俺はみんなと並んで歩きたいと思った。

 お前にそんな価値があるのか?

 オレはあいつらに一瞬だけでも憧れていた。

 お前とはまったく違う人間なのにな。

 僕はみんなに好かれたいと思っていた。

 まったく逆効果だったな。



 どうして、こうなったんだ。


 

 俺はやっと努力する意味を見いだせたのに。

 オレは少しでも変われるような気がしたのに。

 僕は誰よりもがんばっていたのに。


 そのことにいったいなんの意味があるっていうんだ。


 意味がなくたってかまわない。

 

 無意味なことをしてなにになる?


 あいつらは無意味なことに必死だった。


 そんなくだらないことをしてなにになる?


 僕はくだらない人間だったのだろうか。


 その通りだ。


 でも、それでも。

 俺は。

 オレは。

 僕は。


 認めてほしかった。


 友として。

 仲間として。

 同僚として。


 こんなにどうしようもない奴だけど、それでも俺は。

 こんなにどうしようもないオレだけど、それでも、少しは。

 こんなにどうしようもない状況でも、それでも、僕は。


 俺はみんなといて楽しかった。

 オレはあいつらと同じ場所に立ちたいと感じていた。

 僕は努力することをやめなかった。


 みんなにもそう思ってほしいと思った。

 あいつらは輝いていた。

 みんなが楽になるなら、それでいいと思っていた。


 だから俺は、みんなといるときはいつも笑っていた。

 オレはあの輝きを知らなかった。

 たとえそのせいで、僕がどんなに苦労をしても。


 みんなを、笑わせていた。

 あいつらを見下していても、そこだけは。

 どんなに残業しようが、早出しようが、そんなものは。


 笑い合っていたかった。

 うらやましかった。

 気にならなかった。


 そんなお前が、どうして社会からはじき出された?

 どんなに言葉を重ねても、誰もお前を認めない。

 お前のやってきたことは無意味だとあざ笑うだけだ。

 認められたくても、理解されたくても、褒められたくても。

 彼らは決してそんなことしない。

 お前にそんな価値はないから。

 お前にそんな意味はないから。

 けっきょくお前の存在そのものが。

 まったくの無意味、無価値。

 そういうものなんだ。


 イヤだ。


 そんなのイヤだ。


 たとえ誰も認めなくても。


 あがきたい。


 生きていたい。


 決して希望を捨てずにいたい。


 きっと笑って過ごせる日々があると、そう、信じていたい。


 未来には希望があるって。可能性があるって。


 そう口にした先人の言葉を、信じたい。


 周りにいる人たちを、信じていたい。


 だからこそ。


 その、否定の言葉を。


 聞き入れたくなんてない。





 なら叫べ。

 その声は誰にも届かない。

 その想いは誰も理解することはない。

 それでもいいなら叫べ。

 心を、想いを、魂を。

 さらけだせ。



 ああ、わかった。

 叫ぶ。

 全力で叫ぶ。

 この声が誰にか届くまで。

 この思いが誰かに伝わるまで。

 叫ぶ。


 ああ、叫べ。

 叫べ叫べ叫べ叫べ叫べ叫べ叫べ。

 声にならない声を。

 伝わりはしない感情を。

 

 叫ぶ。

 たとえ誰にも届かなくても。

 誰もこちらを向いてくれなくても。

 たとえ世界中から嫌われていたとしても。

 決して自分に負けないように、俺は叫ぶ。

 キラキラ輝くもののために、オレは叫ぶ。

 誰かに認めてもらうために、僕は叫ぶ。

 叫ぶ叫ぶ叫ぶ叫ぶ叫ぶ叫ぶ叫ぶ。


 叫べ。

 その想いは届かない。


 それでも。


 叫べ。

 その願いは叶わない。


 たとえそうであっても。


 叫べ。

 お前の存在に価値なんてない。


 そんなことはわかっている。 


 叫べ。

 それでもなお、お前はあがくか?


 ああ、もちろんだ。

 叫ぶ。

 どんなに無力でも、どんなに無様でも、どんなにカッコ悪くても。

 この世界に生きている限り声をあげてやる。

 叫んでやる。


 いきらでもわめくといい。

 お前に生きる意味なんてない。

 叫べ。

 なんの意味もない声を、

 誰にも届かない声を、

 誰も答えない声を、

 ただひたすら、あげ続けろ。

 叫べ。

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叫べ 影月 潤 @jun-kagezuki

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