第二話 最初の彼女
昼休み。
いつも使っている方の食堂は、人が沢山いて混んでいるので落ち着いて話をするために別の食堂の方へ向かう。
俺はカツカレーにラーメンを、数也は大盛ご飯のとんかつ定食に何品かサイドメニューを追加していた。
こちらの方の食堂は広さのわりに人がいなくてガラガラなので、周りに人が座っていないところを探していると――。
若干項垂れながら飯を食っている集団を見つけた。
お通夜とまではいかないが、それなりに重苦しい空気が漂っている。
どうやら一人が何かを間違ったみたいで、それについて何人かに責められているようだ。
あいにくと顔が下がっていたり、こちらに背を向けて立っているので顔は見えないが、それなりに激しい声が聞こえてくる。
もしかすると、あれが修羅場なのかもしれないなあ……と、この大学でも限られた人物しか引き起こさないシチュエーションにすこし興奮する。
そんな呑気な考えをしているしている俺に対して、数也は見過ごせなかったみたいでズンズンあちらに向かって進んでいく。
俺は慌ててついていくものの、聞かないと思うが一応止めてみる。
「なあ、数也。近づくのは止めておこうぜ」
だが、数也は逆に歩くスピードを上げる。
「彼女らを放っておいたら、そのうち手が出てしまいそうだから止めないと……」
こういう時の数也の予想はたいてい当たっているので、実際そうなのだろうが……それでも俺は数也を止めようとする。
「やめとこうぜ。絶対、あれ修羅場ってやつだって! 首突っ込んでも碌なことにならないって!」
途中から説得の声が大きくなるが、数也はそれでも止まらない。
ここまでして止まらないなら、もうどうしようもない。
あまり近づきたくはないが、もし数也がトラブルに巻き込まれても多少の力になれるように、横に並んで歩く。
さっきまでは正面を向いていなかったから気付かなかったが、何時の間にやら喧嘩が止まっている。
それどころか、誰一人として喋っていない。
それは、まるで声を発したら何かの拍子に夢から覚めてしまうのではないか? とでも言うような奇妙な沈黙だった。
彼女らも、俺も、数也でさえ口を開くのは許されない……そんな謎の圧力さえも感じてしまう。
やがて彼女らの一人が意を決したように、震えながらも恐る恐るゆっくりとこちらの方を向く。
そして、まず数也を見て次に俺を見て――そこで動きが止まった。
俺を見て何かに気付いたのか大きく目が見開かれる。
そのまま目を離したら目の前から消え去ってしまうのだとばかりに俺から視界の中心から外さない。
その様子を見て、他の奴らも何かに気付いたのか、はじかれたようにこちらを見る。
そして、誰一人の例外なく俺から目を離さない。
この異様な光景に、数也は俺に何かあるとでも思ったのか横を向いて俺のことを凝視してくるが、何も異常は感じ取れないようで首を傾げている。
多数の視線が集まり、大変居心地が悪い雰囲気の中俺は数也に話しかける。
「なあ。丁度いいからさ、ここに座って食べようぜ」
彼はこの状況の中、いきなり放たれた俺の発言にギョッとしたが、すぐさま朝俺が言っていたことに関係があると思い至ったのか、分かったとだけ言って空いている端の方に座る。
俺は数也と話しやすいように反対側の席に座ると、彼女らは俺の方へ一塊となって移動する。
この明らかな異常に食堂の視線が集まるが、わざわざ面倒くさそうなことに首を突っ込む輩はいなかったようで、すぐさま視線を逸らされた。
彼女らは俺に相手をしてほしいのか、腕やら首やら体のいろいろなところに抱き着いてきて
「俺ってさ、『普通』にこだわってるのは知ってるだろ? なんでだと思う?」
「あ……彼女達は無視するんだ……。えーと、普通にこだわる理由? 何だろう……」
数也は思い当たる節が無いようだった。
「俺さ、昔から不幸だったんだよな」
「不幸って? 家が貧乏だったとか、親を早くに亡くしたとか?」
数也がそう問いかけてくる。
確かにうちの親は早めに死んだが、そうではない。
「違うってわけでもないけど、今回俺が言いたいのは別の話だ」
俺の言葉を聞いて、彼はうーんと思案するがやはり思いつかないようだ。
「分からないよ。降参だ」
「正解は、俺が昔から彼女を寝取られていたってことだ」
俺が答えを口に出すと、数也が反応を返す前に彼女らからウグッという声が重なって聞こえてきた。
全員、当たり前だが心当たりがあるらしい。
しかも、それをお互いは知らなかったのかまたしても若干剣呑な雰囲気になるが……俺からしてみると、全員同罪なんだから人のことを責める資格なんてないと思う。
「へえ。昔から寝取られ……寝取られ!?」
彼女らに一拍遅れて、数也も驚きをあらわにする。
俺はそんな周りの反応を気にせず、話を続ける。
「俺って、小学生の頃から彼女がいたんだよ。確か……小五だったかな? 初めてできた彼女だったし、嬉しかった。舞い上がって友達に自慢したし、応援してくれていた先生にも報告に行った。すべてが順調だと思っていた」
俺の話が進んでいくにつれて、加速度的に顔色が悪くなっていってるのが件の俺の初彼女、水谷一夏(みずたにいちか)だろう。
昔もそうだったが、久しぶりに会うとお淑やかさに磨きがかかっているのが分かる。
今でも白い服が好きなのは変わっていないようで、長い黒髪に映えている。
サイドテールというのか? 長めのツインテールの片方だけみたいな髪型は変えていないようだ。
どうやら、俺が昔にあげた涙型のイヤリングをしているようだ。
俺が知っている時よりも垢抜けた感じもあるが、全体的なお嬢様感がアップしていた。
やはり、社交界などにも出ていたのだろうか?
「ある日。彼女ができてから……二か月くらい経ったある日、教室に忘れ物をして取りに行ったら、中に入る直前扉の隙間からショッキングな映像を目にしたんだ。あれは今でもトラウマだな」
いよいよもって顔が青ざめ、低体温症を疑うレベルで血の気が引いている一夏を見て、数也が腰を上げ、声をかけてくる。
「ねえ。この子の顔色が凄く悪いんだ。保健室に連れて行くから、話は後でもいいかい?」
だが、俺はそれが心理的要因に基づくものであると知っているので、それを彼に説明する。
「大丈夫だ。そいつが、今話している小五の時の彼女で、水谷一夏っていうんだが……多分、顔が青ざめているの自分の痴態が暴かれようとしているからじゃないか?」
俺の言葉ではまだ納得いっていなさそうだった数也も、一夏が掠れ声ながらも大丈夫です……と言ったのでしぶしぶ着席した。
「話を戻すけどな。その時、目にした光景ってのが……」
そこでいったん言葉を区切る。
初めて故に最も心理的ショックが大きかった出来事だ。
今でも思い出すと心にクルものがある。だが、あまり長く話を中断するわけにもいかずに、深呼吸して落ち着いてからゆっくりと口を開く。
「……一夏と担任の先生が繋がってたんだ。目の前の光景が信じられなかった。悪い夢でも見てるように感じたし、むしろ夢であってほしいと思っていた」
出来るだけ冷静に平常心で語る。
「尊敬していたし、信頼していた大人の男と俺の彼女が、父と母がしていたり、エッチなサイトでしか見たことのない行為に耽っているの見て……俺は興奮した」
段々怒りがこみあげてくるが、定期的に話を止めることでクールダウンする。
「翌日。まだ純粋だった俺は担任に話を聞きに行った。彼を詰り、罵倒し、非難した。彼はそれを静かに聞き、見間違いではないか? と俺に言った」
一夏の目がだんだん潤み始め、小さな嗚咽の音が聞こえてくる。
「俺はそれを信じた。……いや、今思えば現実から目を逸らしていただけだったんだろう。彼女が担任に穢され、染められていっているのを知りながら見て見ぬふりをして、普通の恋人のようなことをしようと思った」
自嘲するように呟き、乾いた笑いが口から洩れる。
涙腺が本格的に決壊したのか、一夏の目から涙がポロポロあふれてくる。
「でも無理だった。彼女と担任の姿が頭をチラついて仕方なかった。彼女がデート中も上の空だったのを見て、担任のことを考えているのかと思ってしまう。それは正しかったのだろうが、当時の俺にとってはそれは明確な彼女への裏切りであり、背徳行為であった」
過去の俺の罪を告白する。
「俺は彼女に別れを告げた。その時の彼女の顔は捨てられた子犬のようだったが、俺はそれに気付かなかったふりをした。今思えば、あそこで俺が見捨てなければ、もっと言えば担任のことを疑っていれば……彼女を救えたかもしれなかった」
俺の言葉に悔しさが滲む。
「翌日から彼女は学校に姿を現さなくなった。これは後で知ったことだが、担任の家に監禁されていたらしい。彼は普段通りの生活をしていたし、クラスの誰も……同僚の教師でさえ彼を疑わなかった」
話がだんだんと終わりへ近づいていく。
「俺は……恐ろしかった。もしかすると、彼女は俺のせいでいなくなってしまったのかおしれないと思った。その恐怖、疑念に耐えきれるほど俺は彼女に薄情になれなかった。躊躇いの末に、俺は彼女の家に訪問しすべてを打ち明けた」
ほとんど知らないガキだった俺の話を聞いてくれた、当時の親父さんには感謝しかないよと俺は言う。
一夏はもう、臆面もなく泣き出していた。
端正な顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、時折鼻をすする音が聞こえる。
「担任は優秀だった。警察にも容易に嗅ぎつかせないほどに慎重に犯行を行った。同時に、彼女を徹底的に……それこそ自分から喜んで受け入れるほどに快楽に溺れさせていった。本来なら、調教され切った彼女の口からも犯行が告白されず、担任は警察から逃げ切るはずだった」
でも、と俺は続ける。
「そうはならなかった。親父さんが俺の言葉を聞いて、探偵なども雇い担任の家を調べたところ……彼女が発見された。その時の彼女はひどい有様で、いかがわしい格好をさせられて、壊れたように『チ〇ポ』と連呼していたらしい」
無念が言葉に滲み出る。
「それからしばらく経った。だんだん回復してきたらしく、日常会話ぐらいなら普通にできるようになったと聞いて、俺は彼女の家にお見舞いに行った。どうやら、ご両親は仕事の関係でどうしても家を離れざるを得なかったらしく、メイドさんが出迎えてくれた」
彼女が療養している間、ずっと仕事を休んでいたらしいから当然だなと補足する。
「彼女は回復してきたといっても、やはり元通りになったわけではない。彼女が暗い気持ちにならないよう、俺は明るく努めて、扉を開けて彼女の部屋に入った。メイドさんは積もる話でもあるだろうと気を使って、離れていてくれた」
それが間違いだったと俺は語る。
「俺は彼女に襲われた。突然のことで全く抵抗できず、彼女に犯された。小五のガキとはいえもう精通までしていた俺は、なすすべなく彼女とまぐわった」
いつの間にか一夏の鳴き声がやんでいる。
一夏は、空を見ながら恍惚とした表情を浮かべ、自分の秘部を弄り始めた。
食堂汚れるから辞めてあげろよ……と注意したいところだが、俺の話に集中して一夏の行為に気付いていない数也達の視線がそうさせてくれない。
仕方なく、俺は話の続きをする。
「次の日から彼女は学校に復帰した。精神的な病気はちょっとした切っ掛けで一気に改善することもあるらしいが、医者も驚くほどの急激な変化だったらしい。学校では詳細は伏せられて、インフルエンザだったという事になっていたので、心配する同級生に彼女は囲まれていた」
詳細を話さないのは当然だなと俺は思う。
もしかすると、俺みたいに性癖が歪んでしまうかもしれないしな。
「彼女は、級友たちよりも俺と一緒にいようとした。しかし、俺は彼女を意図的に避けた。彼女の思考が理解できず恐ろしかったというのもあるが……一番の理由は違う」
ここからが俺の本質に言及する段階だ。
「俺が彼女と一緒になったとき、快感も感じていたが同時に言いようのない不快感……いや、嫌悪感を感じていた。当時の俺にはよく分からず、彼女に近づかないことで解消しようとしたが、今の俺なら分かる」
ここで、言葉を溜める。
「俺の性癖はその時すでに歪んでいたんだ。きっかけは何だったのか……いろいろあるが、やはり一番大きいものは彼女と担任の性交を目撃してしまったことだろうな」
この時から、俺は処女厨なんだと自覚したと暴露する。
「彼女は俺に避けられていると知っても、めげずに俺と仲良くなろうとするが俺は徹底的にそれを拒否した。やがて、彼女は俺に近づくこともなくなった。当時の俺にとって、彼女はトラウマであり、罪の象徴であり、拒否感を抱く存在だった」
今はそこまでではないがとフォローしておく。
「俺は彼女と近づかなくとも、どんどん衰弱していった。彼女が視界に入る……いや、彼女の話を聞くだけでも辛かった。それを見かねた父さんが俺を転校させてくれた」
それが、
話し終えた達成感に包まれながら、俺は水を一口飲む。
周りを見ると、彼女らが言い争っていた時よりも重苦しい空気に包まれている。
しかも、彼女らにしてみればこのような話が自分にもあるわけだからな……自分が犯したことに対する俺の気持ちを聞くとか大分辛いと思う。
正直ざまあみろって気持ちがないと言えばウソになるが。
しかし、こんなものはまだ序章でしかない。いや、序章ですらない。
これは俺の数ある汚点の中でも上位に位置する、十人のうちの一人目でしかないのだから。
こんな所で時間をかけていたらいつまで経っても話し終わらないので、強制的にこの空気を霧散させる。
パンパンと手を叩き、数也と彼女らの注目を俺に集める。
下を向いていた彼ら全員が顔を上げたのを確認してから、場を和ませるために小粋なジョークを言うことにする。
「実は、さっきトラウマだって言ってた光景あるじゃん。まだ小五の俺は性に目覚めたばっかりだったし、NTR絶対無理っていう性癖もなかったから……うん、まあ……非常に言いにくいんだけど……しばらくレイプされた時の記憶と一緒に、俺のオカズになってた……」
身を切るような思いで赤裸々に暴露した俺の秘密に、きっと笑いをさらえるだろうと思っていたが――。
結果は全くの正反対だった。
きっと、話の続きでもされるのだろうと身構えていたのか拍子抜けしたような顔の後、すごい目で見られた。
ただ、一夏は嬉しそうにしていたが……俺がお前ともう一度付き合うことはないからな?
「つーか。一夏、お前……服が体液でグチャグチャだし……後でうちの部活のシャワー室貸してやるから付いてこいよ」
そう言うと、何を勘違いしたのか、彼女らの視線が鋭くなり、一夏が大喜びで抱き着いて来ようとしたので、横に動いて避ける。
一夏は顔面からスライディングしたが、顔がベトベトだったおかげなのか怪我はなかったみたいだ。
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