本編
第一話 平穏な日常の崩壊
俺は神崎零夜(かんざきれいや)。普通の大学生を自負している。
少しばかり境遇は普通ではないが、授業は普通に受けるし、友達も普通にいる。
サークルにだって普通に参加しているし、普通にバイトもしている。
大学一年生だった去年も普通に生活して、普通に進級した。
大学二年生に上がって少し経つが、今年も変わらず普通に頑張ろう! と決意していると――。
「ようやく見つけました!」
背後から大きな声が聞こえてきた。
まあ、こんなセリフが聞こえてくるのは、この光文大学においては日常茶飯事だ。
どうせまた、誰かが曲がり角で食パンを加えた女の子とぶつかったとか、空から女の子が降ってきたとかそういうイベントを起こした奴でもいるんだろう。
そう思って、振り返ることすらせずそのまま講義に向かおうとする。
だが、声の主の気配がだんだん近づいてくる。
もしかすると、俺の前にでも相手がいるのか? と思って、邪魔にならないように右に移動する……が、何故か気配も右に動く。
どうやら、相手が声の主に気付いておらず、俺と同じように気を使って横にズレてしまったらしい。
さっさと気付けよ……と心の中で相手に悪態をつきつつ左に移動して、気配の主が見つけやすいようにしてあげる。
しかし、またしても気配が俺と共に移動する。
もう一歩、左へ動く。気配も左に動く。
二歩右へ動く。気配も付いてくる。
この頃になると、だんだん周りも気づいてきたのか俺に向けられる視線の量が多くなる。
この反応……もしかして、声の主の相手って…俺?
ようやく俺は結論にたどり着く。
だが、俺には女子に声を掛けられる覚えはない。
最近は、専らサークルの先輩かバイトの同期ぐらいしか女性と話していないからだ。
しかし、俺に心当たりがあろうがなかろうが、事実俺に付きまとってくる女がいることは間違いない……。
そろそろ周りの何とかしろよっていう目も怖くなってきたので、仕方なく俺は後ろを振り向く。
そこにいたのは……美少女だった。
茶色のショートボブに、若干童顔気味の顔立ち。
目じりは少し垂れていて、優し気な印象を抱かせる。
青のロングスカートに白のハイネックのセーターを着ていて、腰には大きなベルトを着けている。
下はロングブーツを履いていて、耳には三日月型のピアスが輝く。
彼女は俺が振り向いたのを見て、パアと顔を輝かせたが……俺はというと、依然として誰か分からなかった。
しばらく記憶を呼び起こそうと頑張ってみたが、どうしても出てこない。
彼女は額に
それを見て、何か記憶に引っかかるものを感じた!
この感覚を逃さないようにと、彼女をより深く観察することにする。
顔を近づけて、全身をくまなく順番に事細かに見ていく。
彼女は恥ずかしいのか、顔を真っ赤にして体を縮こまらる。
それを見て、更に記憶の深いところまで刺激され――遂に誰か思い出した。
「あ」
いきなり記憶がつながったせいで、ポツリと声が漏れてしまう。
それを聞いて、彼女は俺が自分のことを思い出したのを察したのか嬉しそうな顔をする。
そんな彼女とは裏腹に、俺の気持ちは沈んでいた。
思い出してしまった……。
俺の心境を一言で表すとそうなる。
正直思い出したくもなかったし、仮に思い出したとしても、それを本人に知られたくなかった。
しかし、うっかり声を上げてしまったので、しらを切りとおすのが難しくなってしまった。
俺の人生における汚点の一つであり、これから会うことは一生ないだろうと思っていた人物との思わぬ邂逅に深くため息を吐く。
俺のため息を聞いて、嬉しそうにしていた彼女がビクリとし、おずおずと話しかけてくる。
「あの……お久しぶりですね。その……お元気でしたか?」
ここで、お前のせいで絶賛、意気消沈中だよ! とでも返したいところだが、流石にその対応は大人げない。
こいつとの思い出は悪いものが大半だったが、こいつ自身としては純粋な善意から始めた行為だったので無下にしきれない。
「あぁ……まあ、そこそこだな」
結局、俺は歯切れ悪く答えることしかできなかった。
「そう、ですか……」
彼女もどう反応すればいいのか困った様子で、会話が途切れてしまう。
そのまま沈黙が二人の間に横たわる。
この気まずい空気に耐えられなくなった俺は、わざとらしく時計を見てから彼女へ話しかける。
「悪い。そろそろ講義が始まる時間だから……」
「あっ……そうですか……」
彼女は一瞬残念そうにしたものの、すぐに表情を取り繕って笑顔を見せる。
「私の方は全然……今じゃなくても大丈夫なので……どうぞ、講義に行ってください」
彼女の口ぶりだと、まるでまた今度俺のことを訪ねるつもりの様に聞こえてしまうが、とりあえず彼女から離れたい一心で深く尋ねることはしなかった。
「ありがとう」
形だけの感謝を言い、足早にその場を離れる。
そして、建物の中に入り、彼女から死角になる位置にまで行くと、すぐさま走って講義の場所へと行く。
彼女とこれ以降遭遇しない方法を真剣に検討しながら。
結局、その日は講義が終わった後も彼女と遭遇しないか警戒しながら大学を出て、マンションまで誰もつけてきていないことをこまめに確認しながら帰ったせいで、大分時間を食ってしまった。
翌日。
今日の講義は二限目からなのでいつもならそこまで早い時間には出ないが、今日はいつもよりも三十分ほど早く出て駆け足で大学へと向かった。
さらに、昨日も使っていた、いつも使っている方の校門を使わず、出来るだけ彼女に、
大学の中に入って、見つからなかったことに一安心し、念のため彼女が外で待っているのかどうかを確認しようと、さも関係ない人ですよという雰囲気を放ちながらさりげなく校門の方を確認する。
すると……彼女がいた。――しかも周りに沢山の女子がいた。
ざっと10人弱はいるのではないだろうか? その誰もが、彼女に負けず劣らずの美少女、あるいは美人なので、近くを通り過ぎる男どもが鼻を伸ばしている。
中には、声をかけている猛者もいるようだが、相手にもされず冷たくあしらわれている。
そんな男子たちに比べて、女子たちはあまりいい顔をしていなかったが、うちの大学で一番のイケメンかつヤリチンの先輩が声をかけてから、状況が変わった。
うちの大学一なだけあって、ヤリチン先輩は異常に整った顔立ちをしている。性別が違ったのなら、傾国の美女とでも呼ばれていただろうほどだ。
しかし、彼女らは先輩に興味が欠片もなさそうな様子で、中には目線を向けすらしていない奴もいた。
それを見た女子の、彼女らを見る目が変化する。
おっと。ついつい面白くて食い入るように見てしまったが、早めに窓から離れないともしかるとバレてしまうかもしれない。
そう思いつつも、そうそう見られない見世物に目が離せない。
最終的に、あと少しだけ見てから離れようと決めて、最後は彼女たちの中でも一番、ヤリチン先輩にそっけなかった奴の観察でもしようかと注視すると――。
それまであたりを忙しなく確認していた彼女が、いきなりギュンッと音を立てそうな勢いで首を回しこちらの方を見てきた。
その豹変具合を見た他の奴らも彼女の目線の先を追う。
そして……全員が俺と目が合った…気がした。
俺は美少女や美女とはいえ、ほとんど見覚えのない顔ぶれで構成された集団に目をつけられた気がして、恐ろしさに体を震わせる。
そして、周りの人間が『今、目合ったよね?』とキャイキャイ騒いでいる中、逃げるように去っていった。
すれ違う人が不審に思われない程度の早歩きで、教室まで向かう。
扉の前まで行くと、不自然に見えないようにさりげなく周りを確認して、彼女らがいないことを確認する。
一応、無いとは思うが……念には念を入れて教室の中にも彼女らがいないことをしっかりと見定めてから、素早く中に入り扉の前でホッと胸をなでおろす。
神経を張り詰めていた反動か、足に力が入らずズルズルと体が下がっていき座り込んでしまう。
いつまでも扉の前に居座っていると迷惑になるので、体を起こして立ち上がろうとするがまだ少し足が震えている。
仕方ないので、体を横に引き摺って移動し、近くにあった椅子の上になんとか上がる。
そんなことをしていれば、当然周りからの注目を集めてしまう。
ただ、この大学では今の俺のような状態どころかもっとひどいことになっている奴も沢山いる。
俺もそのような奴の一人だと思われたのか、大抵は一瞥しただけで興味を失ったように去っていく。
そんな中、俺のことを心配して近づいてくる奴がいる。
そいつは俺が立ち上がろうとすると、さりげなく手を貸してくれる。
そして、何時ものように明るい顔で俺に話しかけてくる。
「よう。どうしたんだ? 事故にでもあった……にしては、傷とかなさそうだし」
心配そうな声音で、俺の体をみて怪我がないか確認してくれる。
それに対して、俺はそういうのじゃないとだけ言って、いつもの席に向かおうとする。
そいつは納得がいっていなさそうな顔をしつつも、何も言わず肩を貸してくれる。
やはり持つべきものは親友だなと心の底から思う。
俺は席に座り、ふうと息を大きくはいた。
段々いつもの調子に戻ってきたのか、足に力が入るようになる。
「ありがとな。動くの手伝ってくれて」
感謝の気持ちはきちんと伝える。
だが、そいつ、
「そんな。感謝されるほどのことでもないよ」
だが、流石に俺がああなった理由については気になるのか、質問してくる。
「そういえば、どうして立てなかったの? 君があんな風になるなんて珍しい……」
正直、その質問に対して俺の知っていることをすべてぶちまけてやりたいが……残念ながら、洗いざらい喋り尽くすには時間が足りない。
「本腰を入れて話したいから、昼休みに飯でも食いながら説明するわ」
そう言うと数也も納得したのか、そっかと呟いて話題を変えるように、昨日のテレビの話を振ってくる。
俺はそれに答えながら、改めて数也が親友でよかったと思った。
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