ヘディングをして死んだ君へ

玉城生龍

ヘディングをして死んだ君へ

 緑と青と時々白色の世界で、汗を流して走り回る人々がいて。あなたのことを考えるといつもそんな光景が目に浮かぶのです。

 「女には、大人の男が顔をぐしゃぐしゃにしてボールにぶつかっていくロマンは分からねえよな」

 あなたはよくそんなことを言って拗ねていたけれど、私には、華麗なシュートを決めるあの十番の小泉さんなんて棒人間くらいにしか見えていなかったのです。私の瞳の中には頭の先まで泥だらけになりながらゴールを決めるあなたの姿しか映っていませんでした。

 あなたにはサッカーしか無いと知っていたから。だからこそ私はこの感情の矛先が分からないのです。サッカーが悪いのではない、サッカーを恨んではいけないなんて頭の中では分かっていても、やっぱり私からあなたを奪ったのは紛れもなくサッカーなのだから。

 

 思い返せば、あなたとの出会いもサッカーでした。十年前、まだ話したことのないあなたを勝手に絵のモデルにしたのが始まりでした。毎日十九時になると河川敷に来て、一人で練習をしている青年を見つけました。体の弱かった私にとって泥だらけの服を着ながら練習をしているあなたは、私が持っていないものを全て持っているかのようでした。

 あの時、私の方にボールが転がって来なければ、ボールを取りに来たあなたが私の絵に気づかなければ、私が今、こんな思いをすることはなかったのかもしれません。

 勝手に自分のことを描かれていたのに、あなたは怒りもせず、他の感情を一切持たずに私の絵を褒めてくれました。

 あの笑顔を思い出すと、もし今、あの時に戻ることができたとしても、転がってきたサッカーボールを取ると思います。何度あの時に戻ったとしても、その度に何度も何度もあのサッカーボールを拾うのだと思います。

 あなたは私の絵を描く才能に憧れると言いましたが、私の方があなたの全てに憧れていたんですよ。

 あなたが私に想いを伝えてくれたのは、それから、二年が経った頃でした。

私の返事を聞いて、ほっとして泣いてしまったあなたのことが本当に愛おしいと思いました。あなたは振られると思ってたと言っていましたが、好きでもない男の子の為に新幹線に乗ってまで試合の応援に行くはずがないでしょう。それどころかあのインターハイのずっと前から、初めてあなたと会ったあの日から、私の心の中には河川敷で一人でサッカーボールを追いかける青年しか住んでいませんでした。あなたは気づいていなかったでしょ。あなたは私のことなら全部分かっていたつもりになっていたけれど私にも秘密はあったのですよ。

 付き合い始めてからもあなたの中で一番大事なことはいつもサッカーでした。久しぶりのデートの日にも、前日の試合に負けたからとデートをすっぽかして練習に行っちゃいましたね。

 寂しかったけれどサッカーのことしか考えられないそんなあなたのことが好きでした。

 ドロドロになりながら、身体中あざを作りながら、時には顔面でゴールを決める。あなたはいつも小泉さんを羨んでいたけれど、ファンの皆さんはあなたのことを愛していました。あなたのおかげで試合中私に何度もビールが運ばれてきました。私はビールが飲めないってあなたが伝えてくれたらよかったのに。でもそんなチームも、町の雰囲気も私は大好きでした。

 体の弱かった私が少し活発になれたのも、家族に笑顔が増えたねって言われるようになったのも、サッカーは三歩歩いたら相手ボールになると思っていた私が、友達にオフサイドの説明ができるようになったのも、全てあなたのおかげです。

 そんなあなたが二十七歳で引退しなければならなくなって、これからは私があなたを支えようと決めたのです。チームの皆さんもファンの皆さんもあんなに泣いてくれたのは、サッカー以外は生まれたての赤ん坊のような、サッカーしか知らないあなたのことが大好きだったから。小泉さんなんて代表合宿中なのに飛行機に乗ってわざわざ家まで来てくれましたね。

 サッカーしかなかったあなたが最後まで私の前で泣かなかったのは、私に心配をかけないためだったことも知ってましたよ。

 「サッカーなんてもう飽きてたし。俺はずっと居酒屋がやりたかったからちょうどよかった」

 引退が決まった時に電話でそう言っていたけれど、鼻を啜る音がこっちまで聞こえてました。このこともあなたは知らなかったでしょ。 

 一旦おつかれさまでした。

 チームで一番泥だらけになって皆を鼓舞するあなたも、普段は丁寧なのに、照れていたり嘘をつく時にはぶっきらぼうな口調になるあなたも、時々遠いとこを見つめて、私との思い出や現役だった頃の思い出を話すあなたも、私はずっと愛しています。

 洗濯する服が汗の匂いの染み付いたユニフォームから新品のような綺麗なシャツに変わっても、これからは私があなたを支えますから。

 あなたはしっかり休んでください。そう決めたけれど、あなたの目を見てそう決めたけれど。私の前にはあなたがいるけれどあなたの前には私はいない。私の目にはあなたが映っているけれど、あなたの目には何が映っているのですか。


 物心ついた頃から、それどころかもしかしたら物心のつく前から俺の横にはサッカーボールがあった。保育園でもずっとボールを蹴っていた。小学校の頃からはサッカー部の練習が終わってからも、河川敷に行って一人で練習していた。

 きみと出会ったのは高三の春。俺の蹴ったボールがきみのいるところへ転がっていって。実はあれがわざとだったってことは今でも俺しか知らない。それどころか高二の秋頃から河川敷に来るきみのことを見ていたなんて恥ずかしくておじいちゃんになるまできみに言えないんだろうな。もうきみに言うことは無くなってしまったね。でも、あの時ずっと気になっていたきみが俺の絵を描いてくれてたなんて。

 あんなに嬉しいサプライズは今までもこれからも無いと思う。サッカー一筋だと思われている俺がこんなことを思ってるなんて誰にも言えない秘密だけど、選手権で優勝したことよりも、プロになってチームが一部に昇格したことよりも、四年目にレギュラーを掴み取ってリーグのベストイレブンに選ばれた時よりも嬉しかった。あのサプライズに対抗できるのは、二十歳の時、きみが俺の告白を受け入れてくれたことと、二十五歳の時、きみが俺のプロポーズを受け入れてくれたことくらいだった。驚きという意味だけで言えば二十七歳になって医者に言われた言葉も同じくらいのものだったけど。

 最近はきみと出会った頃のことばかりを思い出してしまう。あの河川敷で俺はきみにリフティングを教えて、きみは俺に絵の描き方を教えてくれた。高校の練習が終わるのが待ち遠しくて、終われば一目散に河川敷に向かっていた。今思えばよくあんな状態からインターハイに出場できたもんだ。きみにかっこいいところを見せないといけなかったから。我ながら、俺の本番に強いメンタルは素晴らしい働きをしたと思う。きみがわざわざ見に来てくれた試合は負けてしまったけど。冬にはリベンジするところを見せることが出来たからギリギリセーフということにしてほしいです。

 高校を卒業してプロになって、ドロドロになって、たくさん怪我をして、きみがいたおかげで全て乗り換えられたと思う。俺は華麗なフリーキックを決めれるわけでもなく、かっこいいドリブルで相手を抜き去るわけでもなかったけど、かっこいいところをきみに見せれなかったけど、俺の本当の姿を見せれたのかな。

 俺はサッカーに全てを捧げたのに、サッカーは俺からきみを奪っていってしまった。俺が華麗な足技でシュートを決める選手だったなら、こうはなっていなかったかもしれない。サッカーが憎いと思ったこともあったけど、サッカーがなければきみに会うことはなかった。

 「泥んこになりながらボールを追いかけるあなたが好き」

 きみがそう言ってくれたから。

 きみとの思い出が忘れられないから。何度教えてもリフティングが上手くならないきみの姿が忘れられないから。おれの告白に恥ずかしそうに頷くきみの姿が忘れられないから。あの時、俺のボールを拾ってくれたきみの姿が忘れられないから、俺は何度生まれ変わってもヘディングでゴールを決め続ける。

 きみはもう俺に会いに来てくれないけど、いつかまたきみに会いたいです。


 「幼少期から、頭に衝撃を受け続けた影響で脳にダメージが溜まり、脳の一部が腫れ上がってしまっています。こう言った症状のことを変性脳疾患というのですが、それが影響して、ご主人には若年性アルツハイマーの症状が出ています。こう言ったことが起こるのは非常に稀なケースなのですが、ご主人は今、奥様のことを奥様と認識するのが難しい状態にあります」

 お医者様にそう言われた時は、どこにこの感情をぶつけたら良いのか分かりませんでした。あなたがサッカーをしていなければ、こうはなっていなかったと思うとサッカーが憎いのです。でもあなたが愛したサッカーだから、私とあなたを繋げてくれたサッカーだから、私はサッカーを嫌いになれません。

 あなたはもう私が誰か分からないかもしれないけれど、私はいつまでもそばにいるよ。

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