8.復讐者への恐怖(ザンボラー他の場合)

 その他、直接的な復讐者モチーフとして分かり易いのは「酋長」怪獣ジェロニモン、文明社会に追われた山の民のメタファーであるウー(劇中でもはっきりと「人間社会に入れてもらえない除け者」と言われている)などが挙げられる。

 ジェロニモンはその名の通り、アメリカの白人入植者に反抗したアパッチ族のジェロニモがモチーフであることは間違いない。人間に滅ぼされた怪獣たちを蘇生させて、人類文明に対する大規模攻勢を仕掛けるところなどは、直接的過ぎて敢えて論ずる必要などないくらいである。

 ウーもまた、文明化が進む寒村で除け者にされる「雪ん子(劇中でも触れられている通り、雪女あるいは怪獣(まつろわぬ存在)の子供であり、一種の境界者である)」の母親の魂が怪獣となり、人間に復讐するというストーリーであり、製作者側の問題意識がこれ以上ない程明確化されている。雪ん子はウーの子供(代弁者)であり、本来であれば人間と怪獣との間を仲立ちする存在である(本エピソードを担当した金城哲夫は次作「ウルトラセブン」の「ノンマルトの使者」においても、人類文明への復讐者たるノンマルトの代弁者として子供を配している)。そんな彼女からハヤタ=ウルトラマンに対し「否」が突きつけられる辺りに、ウルトラマン=超越的な第三者をもってしても、復讐者と復讐される者の仲立ちなどは出来ない、という作り手の絶望感が透けて見える。ジェロニモンやウーが登場するのは番組終盤であるので、製作者側もこういった問題意識を敢えてオブラートに包む必要は無くなった、ということなのであろう。

 ジェロニモンやウーと同様、終盤に登場したザンボラーについては、少し深堀して考察してみたいと思う。このザンボラーだが、全身が常に灼熱し、近付いただけで山も街も焼き尽くされ、後には灰燼しか残らないという歩く火山の様な怪獣である。

 この、最早生物として最低限の性質すら放棄しているような歩く災害の様な怪獣に、製作者は何を託していたのか。劇中では「人間の自然破壊に対する復讐ではないか」と指摘されているが、本当にそうであろうか? 自然破壊云々を言うのであれば、そもそもザンボラーの存在そのものが自然破壊以外の何物でもない。何せザンボラーが存在しているだけで、周囲の街も森も火の海と化し、川や湖沼も干上がってしまうのだ。そして、こういった矛盾の描写は、先にも何度か述べた通り、隠された裏テーマの存在を暗に示している。

 灼熱に燃える復讐者・ザンボラー。そもそもザンボラーの名前のモチーフは何であろうか? 私はそれが「山洞」を「ざんぼら」と読んだものと考えている。即ち、山の民としてしばしば民俗学的研究の対象となる「サンカ」が、ザンボラーのネーミングの由来である。

 サンカとは、住居を定めない漂泊者であり、戸籍を持たず、自然の洞窟や廃墟を塒として各地を放浪しながら生活していた者たちの総称である。その起源は判然とせず、諸説入り乱れているが、少なくとも官憲の認識としては、彼等は山賊や盗賊と同様の存在と捉えられていた。実際、許可も無く村々の土地に侵入し、物を盗むなどの行為を行う者もいたという。ちなみに、官憲からの依頼を受けて、大正時代にサンカの実地調査を行った民俗学者の柳田國男は、こうしたサンカの行為について「財産というものの観念がそもそも違う」と述べ、文化的基盤の差異による誤解であると一定の理解を示している。

 こういった経緯があったことから、サンカの人々は特に官憲からは犯罪集団と同等の目で見られ、そういった差別意識に起因するような事件も発生している。大正11年、大分県において、サンカの集落が警察によって焼き払われるという「的ヶ浜事件」が発生した。これは、皇族の来県視察にあたり当該集落の見栄えが悪い、あるいは当地においてテロ行為等の謀議が行われているという密告により行われたとも言われる事件である。その後、批判の声が高まったことにより内務省は見解を発表し「本事件は風紀、保安、衛生上から山窩乞食に任意立退を要請し、彼等自身が集落を焼き払ったものである」と結論付けた。そして、一応この発表をもって、事件は沈静化した。

 このことは、当時の世間においてサンカがどのように捉えられていたかというモデルケールと言えよう。治安維持の名目で追い払い(任意とは言っているが、警察の要請に被差別者である彼等が逆らえる状況にあったとは思えない)、住居を焼き払わせたとなれば、当然問題になって然るべきであるが、当時の日本国民は、問題とは思わなかった。だからこそ、事件はこれで沈静化してしまったのである。差別が差別として認識されず、「当然のこと」として一般社会に許容されている。まさに当時のサンカは「人間社会に入れてもらえない除け者」であった訳である。

 その後、無戸籍者の定住等が進められたことにより、戦後にはサンカという集団はほぼ消滅したと言われている。ある意味では、アイデンティティを奪われ、同化政策の末、歴史の闇に消えていったともいえる。だが、彼等は確かにいた。そのことを忘れさせないために、サンカの化身たるザンボラーは「炎」を身に纏ったのではないだろうか。自らの住処を焼き払った炎が、自分達を消し去った「人間社会」を焼き尽くす。炎はある意味で平等だ。自然も文明も、差別者も被差別者も、正しき者も邪なる者も、等しく焼き尽くす。

 人間社会を追われ、住処を焼かれ、歴史と共に忘れ去られた者たち。だが、そんな彼等の存在を消し去った「炎」は、今度は彼等を迫害した社会や文明の側を焼き尽くし続ける。それはある意味で自然の摂理であり、必然でもある。炎は無謬だ。一方のみの味方ではない。被差別者を焼き尽くした後は、今度は火を放った差別者の側を焼き尽くす。あたかも、滅ぼされた側の怨念の代行者であるかのように。そう、これこそがザンボラー登場回のサブタイトル「果てしなき逆襲」である。

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