第6話 無敵のカギ
「今日も楽しみだね!どんなんかな?ウキウキ♪」
そう言って受付開始10分前にはいつも劇場前に並んでくださっているこのお客様には相棒がいる。
その相棒とは、左肩にかけたトートバッグの中にいるクマのぬいぐるみだ。
他のスタッフが受付に入っていた時のこと、
「この子(クマ)の分もチケット買った方が良いでしょうか?」
と真面目な顔で聞かれたことがあるらしい。
ビックリエピソードとして聞いたが、彼にとってあのクマさんは本当に大切な存在なんだなと感じた熱いエピソードだと思った。
このぬいぐるみと話す男性、ファーストミーティングこそ度肝を抜かれたがとても良いお客様だった。
全7公演の半分以上を観に来てくれるし、開演を待っている間とにかく楽しそうなのだ。席に置き配してあるパンフレットもクマさんと毎回読み込んで感想を述べつつ、ちゃんと持ち帰ってくれている(無料パンフなので置いていかれることも多い)
受付や客席を演目の世界風に飾り付けしておけば、必ず足を止めクマさんと共にじっくり眺めてくれる。
彼を見ると昔の自分を思い出してしまうのだ。
クマは常駐させてなかったけど。
私が「お芝居を作る人になりたい」と思った根本は、嫌なこともぶっ飛ばす“オモシロ”作りに携わりたかったからだ。
だってオモシロは無敵になれるカギだと思ったから。
あの追試の前夜(第1話)。
私は完全に怯えていたと思う。
勉強をやり尽くしても、なぜか自信が持てなかった。
「寝たら忘れてしまうんじゃないか」と思ったのはまさに自信が持てなかったからだ。
私は親に、
「“馬鹿”という言葉を人間にしたらお前になる!」
と言われたことがある。
悲しいかな実の親にだ。
父も母も、私を全く信頼してくれていないと言うのは小さい頃から感じていたけど、この言葉を浴びた時に『お前なんて信用ならねぇんだよ』と不信確定ボタンが押されたように思ったのだ。
それだけが原因じゃなかったけど、私はどこかいつも自分に自信が持てなくて、親や周りの顔色を伺う子供だったように思う。
それを変えるキッカケをくれたのがお芝居という“オモシロ”だったのだ。
笑って推理して泣いて。
あの夜、最高の“オモシロ”に染まった私からは、不安も劣等感も悲しみも全て吹き飛んでいたのだ。
あの朝学校へ行く時、多分10代になってから初めてであろう、圧倒的に自信満々な気持ちでいっぱいだった。必ず良い点数が取れるという確信すらあった。
“オモシロ”ってスゴい。
“オモシロ”さえあれば、人類はみんな幸せになれるんじゃねーか?!
よしこれは、生の舞台も観に行こう!!
お年玉貯金をはたき、あの劇団のチケットを購入。
東京公演を観に行ったのはそれから数ヵ月後のこと。
劇場に入る前からウキウキが止まらない。
そして1歩入ると、まるで別世界のようだった。
出演者のカッコいい写真がバーンと飾られたロビー。
センス良くて豊富なグッズ販売。
オシャレでシビれるパンフレット。
お目当てのグッズを抱えて席に座り、開演を待つ。
カッコ良すぎて震えた鉄骨のセット。
音楽が徐々に大きくなり客電がゆっくり消える。
全てが全て、最高だった。
私の席は一番後ろだったので客席を含めた舞台全体を眺めることが出来たのだが、物語の中盤で今でも目蓋に焼き付いている光景を観ることになる。
それは舞台照明にあてられ黄金色に輝く観客達だった。
ワーハハと大笑いして観客達が身をよじると、まるで黄金色の波がうねり、こちらに押し寄せてくるように感じたのだ。
幸せだ。私今この光景を観られて最高に幸せ。
別に虐待されてたとか完全に虐げられて生きて来たわけじゃないけど、こんなに「本当に幸せ。生きてて良かった」と強く思ったのは初めてだった。
私もお客様を黄金色に染め上げたい。
何を幸せと思うかなんて人それぞれだから、黄金に染まったところでその人たちの幸せに繋がるか分からないけど、その瞬間は絶対に“オモシロ”色に染まって、無敵のカギを手にしているはずだ。
「受付開始しまーす!」
劇場入り口をあけると、クマさんを連れたお客様が一番に待っていらっしゃいました。
「取り置きで予約した○○です!」
お待ちしておりましたお客様。
無敵のカギを渡すつもりで、今日もチケットをお渡しします。
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