第3話 旗揚げ公演
「見せたげよっか?手術後のオレの身体。もう完全にキレイなんだから…」
ここで第1話の冒頭に戻ります。
開演後、ある程度の時間が経ったので受付をたたんで劇場内に引っ込もうとしていた矢先に現れたのは、トレンチコートを着た背の高いお客様でした。
手には1冊の写真アルバムを持っています。
最初は遅れてきたお客様だと思ってご案内の声をかけました。するとお客様は、
「へぇ、ここ演劇やってんの?」
あ、これはお客様じゃねぇな。そして何だか背筋がピリとした。一応公演チラシを見せやっている演目と劇団名を説明してみるが、
「うんうん、ありがとう。じゃあ今度はオレの話も聞いてくんない?」
とアルバムを受付机に置き、自分の話をし始めたのだ。
この時には隣にいた女性スタッフも異変に気付いていて完全に固まってしまっていた。
私もただならぬ恐怖で、相手の話は殆んど頭に入ってこない。なんか分からんが、なんか分からんがコイツはヤバいと思う。まだ何もされていないが本能がそう言っている。
・手術をした
・アルバムの写真は手術前の自分
そして、完全にキレイになった今の身体をみたいか、と聞かれ始めた。ジリジリと私たちに近づいてくるお客様。
人通りのない劇場前。
今夜のスタッフは私と横にいる女の子だけ。
助けを呼びたいけど本番中で関係者はみんな舞台。
うーん。これはピンチかも…。
『己こそ己のよるべ!』
ポッと言葉が浮かんだ。
趣味で習っていた少林寺拳法で先生が言った言葉だ。
チカチカしていた頭の中が、少し静かになった気がした。ちなみにこのあとに続く言葉は、
『己を置きて誰によるべぞ』
確かにそうだよね。こんな時はまさにそうなんだな。
私はお客様の目を見た。
「お客様、私の話も聞いて頂けますか?」
そう言ってから立ち上がってみたら、高いと感じていた身長がそこまで高くなかった。私よりほんのり大きいくらい。座っていると分からないもんだな。
突然立ち上がった私に驚いたのか、お客様は少しだけ後ろに身じろいだ。
『森江!お前は良い目をしてる!向き合った時に俺でもゾッとするその殺気立った目、良いぞ!格闘技には大切な素養だ!』
違いますよ先生。
先生に打ち込まれる突きが痛すぎて苛立っただけです。でもあの時の経験を活かす日が来るなんて夢にも思いませんでしたけどね。
「お客様、私は少林寺拳法を習っているのですがなかなか強くなれません乱取りではいつも先生に完膚なきまでにやられてしまいます突きや蹴りが速すぎて見えず受けることも避けることも出来ないんですなので柔法(関節技)を極めてみようかと思いましたしかしこれもこれで難しく逆小手も十字小手も幾らやっても先生の関節に決まりません最近お稽古もできる時間が減ってしまって困った状況で…」
一息で、捲し立てるように言いながら、先生との乱取りを思い出して目に力を入れつつ、お客様への笑顔はなるべく忘れないよう心掛けた。
「人生の先輩として…!」
いつの間にか私から距離をとってしまったお客様に1歩2歩と近付きながら、
「人生の先輩としてお客様、私はどうしたら上達すると思いますか?!」
とお聞きすると、
「知らねーよ!!こわっ!」
お客様は走り去って行かれました。
この様子の一部始終をみていた女性スタッフにはその後永らく懐いてもらえ、劇団公演スタッフとして大活躍してもらえました。
「あの時の森江さん本当にカッコ良かったです!相手に負けない迫力で詰め寄っていって!もし相手が何か凶器とか持ってたらと思ったら私、怖くて全然動けなくて…!!」
聡い。貴女は本当に聡い子だよ。
凶器か。考えてなかったなアハハ。
言われて初めて戦慄が走ったよ私。
こうして所属した劇団の旗揚げ公演は、貴重な経験と共に無事千秋楽を迎えることが出来たのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます