第2話クレーマーってどこにでもいるよね
衣替えの季節になったので、寒くない服を探しに、街へ出た。電光掲示板が点滅していてうるさい。睨むように画面を見ると、まるで本物の牛肉ステーキ、と大々的に培養肉が売りに出されていた。やられた! その広告はパンジーの競合店、かつ姉妹店のビオラが出している物だった。出遅れた……。映像はショッキングイエローやピンクでとにかく目立とうとしている。真っ赤な肉が茶色にこんがり変わると、芸人が変な顔をしながら、どうやら驚いているつもりらしい。
その映像が言うには、筋繊維を繋いだり脂を作ったり、ただのサイコロ肉を作るよりもずっと手間と知恵がかかっている食品だそうだ。うん、高崎店長も同じようなことを言っていた。長年研究されて、ようやく市民に提供できる価格で量産できるシステムになったのだという。だからこれはとっても素晴らしいんですよ、ビオラに皆さん食べに来てくださいね、ソースが三種類から選べるし焼き方も選べるんですよ。そんなCMを見ていて、悔しさが強まっていく。
姉妹店だから、使う肉は同じなのだ。雰囲気や客層が違うけど、料理の素材は完全に同一。でも、先にビオラが宣伝すると、姉妹店とはいえ、パンジーが二番煎じになってしまう。インパクトが弱まるのだ。由々しき自体だ。私は結構パンジーの広告宣伝の仕事が好きだ。
ビオラの方は、新しい技術、新鮮さ、調理の自由さを大きく謳っていた。それならパンジーは、安全性、従来のメニューとの親和性を訴え、値段はビオラの安売りと逆に少し上げていこうかな。コンセプトの差別化を図る。高崎店長にそう伝えるには、どう話せば意見が通りやすいか。まず、ビオラの映像を見た、ということ。珍しさを売りにしていた、だからパンジーはその逆で売りに出しましょう。高崎店長は冷静にうんうんと頷いている。彼は私の話を一通り聞いてから意見を話す。
そんなシミュレーションをしていたら、通りがかった老人が「あんな物はステーキとは呼べん」と大きな声を出していた。百五十歳くらいの人だった。多分この人は本物を食べたことがあるのだろう。しかし、培養ステーキ肉を食べたことはあるのだろうか。無くて言っているのだろうか。どちらでもいいけど、人間全員が本物の味を知らなければ、培養肉の方がスタンダードになる。今既にそうなりかけている。
エプロンの紐が解けてしまっていた。こうも何度も解けるのは困りものだ。厨房だったら逐一直すべきだろうが、私はホール担当なので簡単に留めて料理を運んだ。鉄板料理が多く売れていくので、両手が常に熱く、重い。笑顔で歩き回っていると、じんわりと背中が汗ばんでくる気がする。そろそろラストオーダーの時間だ。席を回らなければ。私は氷水の入ったボトルを持った。これもまた重い。一番カウンターから回る。ラストオーダーの時間だと伝えたら、客は笑って融通を効かせろと言ってきた。冗談めかして言っていたが、こちらがそれはできないと拒否すると、茹で蛸のような顔で、気が利かないだのなんだのと文句をつけてきた。食べ足りないならば追加注文を受け付けることができる、と伝えたが、態度が悪いのでタダで注文を受けろと言う。こういう客はしばしばいる。笑顔で断り、他のテーブルへ行った。
退店を促す曲を聴きながら、バイトの後輩にレジを任せ、廃棄する食品を店外の集積所に置きに行った。何の汚れか知らないが、手が謎の油で汚れている。調理場で手を洗わせてもらった。
レジを見に行くと、後輩は居らず、高崎店長一人がレジを締めていた。
「あれ、後輩どこか行きました?」
「勤務時間終わったから、帰ったよ」
私の勤務時間ももう終わっている筈なんですよね、という言葉が喉までせり上がり、なんとか飲み込んだ。まあ、時間外手当も貰っているし。毎日残業。私だけではない。高崎店長は毎日残業の上に、ほぼ毎日店にいる。
収支のデータを本社に送信したりしていたら、毎日のことなので欠伸が出た。高崎店長が、今日は厄介な客がいたみたいだとぼやいた。茹で蛸のような客のことだった。
あの茹で蛸、会計の際にごねたらしい。レジで初対面の後輩相手に、お前達は態度が悪いと怒鳴りつけたのだそうだ。後輩は何のことだかもわからず、ただ謝罪を繰り返し、泣いて化粧が落ちて、高崎店長が対応を代わって後輩は帰宅したそうな。
閉店作業が終わりそうな時、ふいに高崎店長が「夜ご飯食べてないでしょう」と声をかけてくる。いつものことなので忘れていたくらいだ、と返した。高崎店長も疲れているようだ。私の方が元気なくらいだ。高崎店長は、普段は作らない夜の簡単な賄い飯を作ってくれて、味のついた米に黒いソースのかかった何かを一緒に食べた。美味しい、イカスミってこんな味だったんですね、と喋っていたら勝手に料理が皿から消えていた。多分私が食べたのだと思う。ある思いが強まった。料理を学んでみたいと、高崎店長に伝えた。仕事だけじゃなく、自分でも美味しいご飯が作れるし、人にも喜んでもらえるかもしれない。
「それならまず味覚がないと、美味しさは作れない」
高崎店長は穏やかな表情で、私の予定を聞いてきた。食事に連れて行ってくれることになった。彼は「ベールさんは僕が店長になる前からの付き合いだし」と言っていた。希望は肉が食べたいと言っておいた。
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