ベール

日暮マルタ

第1話培養肉の普及

 熱いうちに食べるように言われたけれど、見たことの無いものはつい、観察してしまう。そんなに悪い癖ではないだろう。継ぎ目も目立たず、筋繊維が連続している。白い部分は脂なのだそうだ。全部人工なのですか、と店長に尋ねると、そうだけど早く食べてと面倒そうに言われた。

 ナイフを入れたらすぐに切れた。フォークで刺すと、肉が崩れるように抵抗がない。柔らかい肉は老人に人気が出るかもしれない。

 口にしてみると、よくある添加物でグズグズの肉よりもずっと存在感があり、噛んでも中々消えなかった。食べ慣れた添加物ではない旨味が直接舌にくる。

 少量の肉に大量の添加物を混ぜて、量を増している料理がほとんどの中、添加物を使用しない肉を口にしたのはいつぶりだろう。滅多にない。

「え、これいくらで売るんでしたっけ」

「味は? っていうかまあ、原価がこれくらいだから店頭価格は……」

 店長は、富裕層なら毎日でも食べに来そうな金額を示した。ふーんと次の肉を頬張る。厚みと噛み応えが並ではなかった。でも、固すぎるわけでもない。昔動物園で食べた本物の牛肉は、もっと硬くて噛み切れなかった。

「昔食べた本物の牛肉より、美味しいような気がするんですが、越えました? 科学」

「動物園の肉は、美味しくないからさ……」

 店長は、少し冷めた新作培養ビーフステーキの欠片をフォークでつついている。遊ばれた肉は、ぼろぼろと細切れになっていく。繊維がちぎれている。店長は実に下らなさそうな、冷めた目をしていた。

「安全性とかは」

「従来よりも」

 店長は肉を口にし、思わしくない顔をしていた。まあ、この店長はいつもそうで、普通に笑っている姿はあまり見ない。友達とかいるのだろうか。まだ成人したて、三十二歳の若さで、可哀想なくらい達観している。

「メニュー入りするなら、私広告作りますよ」

 店長と目が合った。彼は口元をナプキンで拭いていた。一口しか手を付けていないが、残りの肉は私が食べてもいいのだろうか。持ち帰って食べたいところだ。美味しかったから。彼は少ししてから目をそらした。



「ということで、パンジーに噂の培養ビフテキが並ぶらしい」

 流石じゃん、とオトメが歓声をあげた。流石だ、高崎さん、というようなことを言っている。オトメは高崎さん、つまり私のバイト先パンジーの店長のファンである。いつも物憂げな表情なのが好きで、眼鏡をかけてほしいらしい。高崎さんは視力がいいのでいつも裸眼だ。

「培養なら、誰も殺してないんだよね。それなら、私も食べられる料理が増えたんだ」

「良かったね。試食したけど、かなりいけた」

「パパにも話してみる!」

 二十七になってもまだ親に依存し続けているのは、同情すべきか、どうするべきか。それほど興味はないが、オトメの家は軽いヴィーガンだ。ベジタリアンというには少し行きすぎている、しかしヴィーガンというには少し軽い。ただ、培養以外の、生命を奪った食品は口にしないし、服飾品も同じようにこだわっている。

 オトメは今では訓練校の友人だが、出会ったのはパンジーだった。私と同期でオープニングスタッフとしてバイトに入り、初っ端から動物性の食品とその料理を全て難癖つけていたので、いつの間にかすぐに辞めていた。パンジーは、ベジタリアン向けのメニューも多く取り扱うが、基本的にはメニュー豊富なだけの一般大衆向けのレストランである。

 パンジーに働きに来る同年代は、住居が近いので学区も同じ。職業訓練校の総合科に通う私と、法技科に通うオトメは、授業は被らないがたまに学食を共に食べる。私は食べながら、いつも葉っぱ食ってるなコイツ、と思っている。オトメといる時は、付き合いだと思って私もサラダを食べる。ドレッシングに動物性油がーとかなんとか言われるので塩をかけている。オトメは満足そうだ。

 オトメは法技科の授業を受けに、荷物をまとめ始めた。彼女は検事になるそうだ。私も、何か職業をそろそろ決めなければならない。訓練校は職業技術を学ぶ学校なので、いつまでも総合科にはいられない。……料理人を目指してみようか、と、ふと思った。パンジーではホール担当で、調理なんてやろうと思ったこともなかったけど。

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