第2話 ガラクター

 足の親指を冷蔵庫に引っ掛けて、扉を開けた。

 カロリーオフと書かれたビール缶がずらりと並ぶ、卵が並ばれる最上段に5種類のチーズが無造作に詰め込まれている。

 湯上りの髪をしつこく拭きながら、内部にある缶詰群に目をやる。

 亜麻色に髪を染めているが、頭頂部の髪の根元には黒髪が見え始めていた。

 チーズを1本むいてから、タバコのように口に挟んだ。

 ビールと焼き鳥の缶詰を取り出して、大きなお尻を大きく振って冷蔵庫の扉を閉めた。

 部屋に揺れるビール缶の音と重い扉の重低音が部屋に響く。

 大きなお尻に負けないくらい、大きな乳房。新入社員歓迎会で「自慢は何ですか?」と聞かれて「Kカップ」と言いながら、スーツの上着を脱いで上げて寄せて見せた。

 身長は140センチと小柄だが、ウエストは60センチまで絞り込んだ。

 鈴木 千尋はバスタオルを頭にかぶったまま居間を見下ろした。

 戦闘用人型ロボット・ニアはピザを投げあう下品なテレビ番組を見ながら、おなかを抱えて笑っていた。

 千尋にとって、耳障りなノー天気で軽薄な馬鹿笑いである。

 本人に言わせれば能力に対してコンパクトに作られたのが最大の特徴という2メートル未満の身長もジャマでしかない。

 コタツの横で無造作に横になる姿は、彼女がコレクションにしているヌイグルミ群の中でも部屋の多くのスペースを占拠した。

 彼女の趣味の一つである、ヌイグルミキャッチャーによって拉致された面々は本棚や押入れ、ベッドの両脇の棚、ダンボールに形を変え、原型を留めぬまで押し込まれても文句は言わなかった。

 絨毯を叩いて、拍子を取りながら笑っている、最新の美容整形理論を取り入れたロボット以外、一度も捨てたいと思った事はなかった。

 ニアが笑うのをやめて振り向いた。

 東洋系の顔立ちをしているが、西洋人のように鼻が高く、全体的に彫が深い。

 睫や眉は濃い、目は輪郭に対して大きめ、小動物めいた感覚があるし、顔の中心に近づけてある。

 肩幅も水泳のオリンピック選手のように広めにしてあるが、童顔で作ってあるせいか威圧感がなく、年下と話している気がする。

 千尋がバスタオルから出ている片目だけで見下ろした。

 身長に威圧感を感じないと言えばウソになるが、140センチ程度の身長では日本において低い事に慣れている。

 ニアの身長を前にしても首の角度が変わるだけである。

「どうか、した」

 ニアが聞いてきた。

 小さく口を動かした、本物の人間より自然である、千尋を見上げる両目は少し怯えていた。

「別に」

 1LDで風呂と便所は共同、飯は寮母さんが作ってくれる社員寮において、冷蔵庫はビールとおつまみの貯蔵庫に過ぎず、風呂も上がり着替えを済ませてから部屋に帰ってくる。

 バスト100センチ故に伸び縮みするような服は着ない。

 胸にキャラクターなど描かれていた日には可愛そうなくらい横に広がる。

 昼間みっともないほどゆれるのを押さえるためにスポーツタイプブラを愛用している。

 反動もあって夜はノーブラにしている。

 胸囲にあわせて背丈とつりあわない大きなパジャマを着るため、袖の先が指を伸ばしても垂れ下がるほど余っている。

 千尋は歩き出した。壁際に壁掛けテレビがあり、反対の壁にシングルベッドが置いてある。

 そして中間にコタツがあり、彼女はベッドと自分の間にクッションを挟んで背もたれている。毎日テレビを見たり、ゲームをしたりする。

 ニアはその横でリラックスして腕枕しながらテレビを見た。

 千尋がおつまみの焼き鳥缶詰を開けてからビールの栓をあけた。

 戦闘用人型ロボット・ニアはテレビから視線をはずす事無く、正確に焼き鳥をひとつ親指と人差し指でつまむと口の中に放り込んだ。

「うふふふふ」と親指と人差し指を交互に嘗めてしまりのない笑いをする。

「こぼしたよ」

 千尋はニアが持っていく途中に漬け込んでいる焼き鳥の醤油たれが、コタツの掛け布団のペンギンのキャラクターの口についていた。

 ニアは右手で無造作に広げた。

 掛け布団全体に薄く広がった。

 テレビで派手なドツキアイが始まると、クッションを抱きしめながら体全体を少しずつ動かしながら笑っていた。

 千尋は一度薄く汚されたコタツ布団のキャラクターを見てから、ニアを見た。

「何が、そんなに面白いの」

「だって、女が普通こんなに強いはずないよ」

 歯を見せながら笑った。

 感情移入が進んでいるせいか、話し方がカマぽい。

 日ごろはこんなオカマな話し方はしない。

「それなのに旦那さん、蛇蝎さそりのように畏れて、気を使っているよ。さっきまで殴ってやるとか威勢を挙げていたけど、目の前にくれば敬語なのだもん」

 ニアは質問されていた事を思い出した。

「まあ、その辺の現実とのギャップが面白いのだよ」

 唇に親指を当てて少し考えながら答えだした。

 千尋はビールを口の中に流し込んだ。

「消して」

 部屋の空気が変わった。

 ニアはテレビを見ていたけど、心が見るのをやめた。

 千尋は焼き鳥を爪楊枝で刺してから口に含んだ。

 大きくあごを動かした。

 凍りついた世界で千尋だけが魂を持つ生き物のように動いていた。

「なぜ、ホワイ」

 ニアは起き上がった。

 座高は低く作られている。

 目線は千尋と同じ高さ、笑顔を絶やすことなく、両手を大げさに広げた。

 缶ビールを口につけた千尋の目は笑っていなかった。

 いっさいの馴れ合いを拒んだ一匹狼の瞳。

「つまらないから」

 ビールを流し込んだ後、背もたれで少しリラックスしながら答えた。

「そんな事ないよ、結構視聴率とっているし・・・。

 分った。こんなに面白いものが笑えないなんて、今に電気屋さんがプログラムの調子が悪いみたいで、とか、いってさあ。電気の道具もって修理に来るぜ」

 ニアは一生懸命千尋を笑わせようとした。

 指でドライバーを回すふりをした。

 そうすれば情況が好転する、番組を維持できる。

 そこに活路がある、生きる道がある。

「笑えないのよ、テレビも、あんたのギャグも、そしてあんたの存在も」

 天井を見上げ、ビールを飲み干した。

「ちひろ、どうしたの。

 そんな風に人を傷つけるような事を言うなんて、

 もし、僕が戦闘用人型ロボットではなく、人間として生まれていればコメディアンになりたかったのに。

『笑えない』なんて、死刑の宣告に近い」

 今度は少し涙ぐんだ。

 涙はこぼさないが、じわりと瞳が濡れてくる。

 テレビのリモコンをコタツの上に出してためらっている。

 リモコンを千尋の手に届く位置においた。

 自分で消すなんて残酷すぎると態度で主張した。

「消せ」

 千尋は目の前に出されたテレビのリモコンを受け取らずに、大切なヌイグルミをニアに投げつけた。

 ニアもこれ以上怒らせるとまずいと思い、人差し指で電源を切った。

 千尋は物も言わずに投げたヌイグルミを指差した。

 ニアが両手両膝を床につけたままヌイグルミを取ってくると千尋の目の前に置いた。

 彼女は何も言わずにヌイグルミの首根っこをつまむと元の位置に置いた。

 ゆっくりと体を弛緩させながら寄りかかる、目をつぶったまま天を仰ぐ。

「ガラクター、本当に自分がどこで作られたか覚えてないの」

 千尋の声が少し優しくなった。

 部屋を支配していた空気は軽くなった。

 テレビを切ると間が持たない、ニアは黙って下を向いた。

 その行為は千尋の質問への肯定も兼ねていた。

 戦闘用人型ロボットのニアは千尋に多くの嘘をついていた。

「番号で呼ばれていた、新しい名前でもつけて」と頼んできた。

 あまり日常生活で人並みの事しか出来ないから「ガラクター」と名づけた。

 戦闘用ゆえに体内に冷蔵庫や洗濯機や電子レンジを内蔵してなく、家事に関しては千尋と同様道具を使用していた。

 千尋はふと父親のことを考えた。

 5年もあってない、5年前に死んだ事になっている、

 この戦闘用人型ロボットが生存を知らせてくれるまで、法律上も心の中でも死んだ事になっていた。

 千尋の父親は人の心をもつロボットを番号で呼びはしない。

 人格と言うか、魂を持つ崇高な個人を凄く尊重していた。

 娘でも道具のようにとらえたりしない。

『夕日を見て綺麗と口にだせる人間になりなさい』と恥ずかしがらずに語れる人、その父がニアを番号で呼ぶはずがない。

 ニアは隠し事をしていると千尋は考えていた。

 頭を覆っていたバスタオルをニアに渡した、洗濯籠に入れるのはニアの仕事である。

 目はつりあがっている。

 眉は全剃りで風呂上りの今は書いてない。

 ニアが丸く書けよとアドバイスを送るが聞き入れない。

 触覚のような鋭角的角度をつける。

 そうしなければ間の抜けた顔になると本人は固く信じている。

 あごは口の小ささに比べて大きめだが、突き出してはいない。

 髪は肩口が隠れるぐらいのロングヘアー。

 会社の女子寮に居候させてもらって2ヶ月になるが、風呂上りの千尋の行動は、眉を書く、ダイエットヨガをする、ゲームをする、テレビを視る、のどれかである。

 彼女が考え事をするなどありえない選択肢である。

「仙台にいたのだよね」

 食べ終わった缶詰をニアの方にずらした。ニアは何も聞かず空き缶を片付ける。

「プロ野球はどこのファン」

「ホークス」即答してきた。

 出身地を福岡と決め付けるのも根拠が希薄すぎる。

「ここにくるまでどこにいたの」

「あちこち」

 基本的にロボットだ。

 人間と違って必ず旅館に泊まらねばならない分けでもない。

 ニアの場合は永久機関を内蔵しているため、食事をどこかで取る必要はない。

 交通手段も歩けばただである。

「こんな生活身も心も荒んでしまう、屋根つきの部屋に泊めて」と言いながら千尋の会社の女子寮に居候する事にした。

 男子禁制と言いたい所だが電気製品の方に分類される男の持込を禁止する規則はない、部屋の中にいることを条件に寮母が承諾した。

「千尋、お父さんを探すの」

 ニアはコタツを台拭きで拭きながら聞いてきた。

「お母さん、反対していたのでしょう、それでも会社とか人のつながりを捨てて、闇に所属する住人を探すの、出会えても千尋の望む結果にはならないよ」

「私の望み」

 彼女の心の怒りや冷酷をつかさどる感情に触れた。

「連絡もよこさない馬鹿なマッドサイエンティストをぶん殴ってやるだけよ、ささやかな物だわ、親子3人で仲良く暮らそうなんていうと思う」

「それなら君の日常を捨てさせる動機としては弱い、収入のない生活なんて映画ほど格好いいものではないし、僕はどうなるの」

「ガラクター、ゴールデンウィークに仙台に行くよ、そのつもりで」

「千尋、お金がないだろう、オレは泥棒なんかしないぞ」

 千尋はお母さんの所に電話を入れていた、あまり貯金をしていない。

 さがしにいこうにも金がなければ国内の移動もままならない。

 金を工面してもらおうとしたらしいが、その場しのぎの上手なうそがつけない。

 どこまで母親が信じたかは分らないが携帯電話で大ゲンカしたのは確かだ。

「お休み」

 晩酌をした日の千尋の夜は短い、そのまま電気を消すとベッドに潜り込んだ。

「千尋、お父さん。変わってしまったよ」

 ニアが倒れこみながら口にした。

 ニアはいつも床に転がって寝る。

「たぶん、改造されたとか、洗脳されたとかじゃなくて、千尋の知っているお父さんのほうが社会に求められる優等生を演じていたのであって、秘密結社に来て倫理の枷をはずされたお父さんはみるみるうちに頭角をあらわし。今では幹部の一人に抜擢されている」

「・・・・」

「もう、救済を求めてなどいない」

「もう、寝なさい。ガラクター」

 今日、探しに行くと決めた。

 ニアより千尋のほうが気持ちを高ぶらせていた。

 漠然とした不安、目に見えない形なき敵、そして打ち消すだけの心の高揚。

 普通に呼吸するつもりが自然と息が荒くなる。

 自殺者の保護は悪にあらず、社会から逃避した男を連れ戻す、悪であろうはずがない。

 ふだん寝つきのいい方だが、今日は特別に眠れなかった。

 寝つけの酒をもう一杯飲もうか、ゆっくりと起き上がろうとした。

 しかし体が麻痺している、

 頭ははっきりしているのに体が動かない。

 目を開けた。

 ニアがベッドのそばに立って、千尋を見下ろしていた。

「何をしたの」

「よく眠れるよ」

 近くにいるのに、ものすごく遠くから聞こえる。

「4時間もすれば、普通のたんぱく質に変わる」

 薬が機能し始めている、触覚を蝕まれていく、目ははっきり開いているのにゆっくりと視界がぼけていく、「さよなら」ニアの口がはっきりと動いた。

 千尋には分った、偽者の人間であるが故に口は正確にトレースする。

 どもったり、言葉が出なかったりという不完全な行動を取らない。

 ニアは喉にあるスピーカーで音声をだすのであり、口を動かさなくてもはっきり発音できる。

 千尋はニアの手を握った。揺れる視界の上で確認した。

 動くはずのない体が千尋の強烈な意思の力で動き出した。

 正確に動かなくても千尋がベッドから転げ落ちる程度には動いた。

「あんたね、私から逃げられると思っていんの」

「絶対、絶対逃がさない」

「地獄の果てまで追いかけてやる、死んでも、誓って化けて出る」

 ニアは千尋がベッドから落ちるとき怪我しないように片膝をついて受け止めた。

 腕の中で意識を失った。

 朝、目覚めた時、太陽がカーテン越しに部屋を照らしていた。

 ニアはいない、全てが夢だったように。

 千尋は下唇を噛み、両手で一度顔を覆ってから、頭をかきむしった。

「チキショー」

 大声で怒鳴り、跳ね起きて部屋を飛び出した。

 あのロボットは1階の応接ロビーで、優雅に缶コーヒーを飲みながら新聞を読む習慣がある。

「いなかったら、ぶっ殺す」頭で念じながら階段を駆け下りた。

 応接ロビーはアプローチに当たる玄関ホールにつながっているから広く大きく作られていた。

 応接セットも会社が拡張時に前の社長室で使われていたのを流用したせいか安物ではない。

 電気だけは節約のため朝は使用しない、壁で反射した弱い朝日が入ってきた。

 ニアはそこで優雅にコーヒーを飲んでいた。

 彼は一種類の服しか持っていない。体の中に物質生成装置があるらしく、汚れたり、破れたりすれば自動的に再生される。

 白いジャケットに、白のスラックス、白のやいシャツ、データがあればいろいろな服を作れるらしいが、本人必要と思ってない。

 リラックスしているときはジャケットを脱ぐ、受け取ろうとしても魔法のように目の前から消える。

「おはよう、相変わらず目立つ服ね」

 千尋は自然を意識して会話しながら、ニアの対極にあるイスに座った。

「色つき(の服)はメモリーを食うから、これでいいよ」新聞を読みながら答えた。

 食べたものは電気レベルまで分解して、洋服や皮膚などの物質に生成して逐電しておく。

 千尋にはかける言葉もなかった。

 もっと絶対的に支配できる関係でないと安心する事が出来なかった。

 ニアは千尋のものでなかった。

 時々ニアが醸し出す心の距離が耐え切れなくなる。

 自分の部屋に戻るために立つ。

「千尋、君は僕に対してだけでない、会社でも、友人にも、距離をとりすぎてない」新聞をしまいながらニアが口にする。

「逃がさない程度にしか、離してない」千尋が肉食獣のような笑みを浮かべた。

「逃がさない程度にしか、近づいてない」ニアが千尋に振り向きながら口にしたとき、部屋への階段を上りだした。

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