第2話

それから俺は、毎晩ジュリエットと過ごすようになった。

彼女は聞き上手だった。俺の話をいつも楽しそうに聞いてくれる。俺が馬鹿なら、俺は自分が話し上手だと自惚れただろう。

社員から、最近よく笑いますね、とも言われた。

彼女と過ごすうちに、俺の心に光が差し込んだような、何だか世界の見え方が変わったような気がした。

「ねえ、どうして私はジュリエットなの?」

ある日、ジュリエットが尋ねた。

「長くて呼びづらくないの?」

俺は笑った。

「これはね、『ロミオとジュリエット』という演劇作品の登場人物から取った、大事な名前なんだよ」

俺は彼女に「ロミオとジュリエット」のあらすじを話した。

ヴェローナの街で争いを繰り返すモンタギュー家とキャピュレット家。両家それぞれの一人息子ロミオと愛娘ジュリエットの恋の物語だ。

誰もが知る有名な話だが、俺は以前まで大嫌いだった。

しかしジュリエットと出会って、俺の中にも変化があった。

世界が明るく見えるようになったように、嫌って避けていたものが受け入れられるようになったのだ。

「君は俺の光だよ、ジュリエット」

そう言うとジュリエットは、恥ずかしそうに、でもとても嬉しそうに笑ってくれるのだった。

しかし問題が起きた。

ジュリエットに会うためには蝋燭の煙がいる。その煙は特殊で、長く火を灯していれば長く煙が出て、反対に火を灯す時間が短ければ短いほど、煙が出る時間も短くなってしまうのだ。そのおかげで、蝋燭の蝋は随分短くなってしまった。

蝋燭がなくなってしまったら、ジュリエットに会えなくなってしまう。

俺はまた、あの蝋燭屋へ赴いた。

「いらっしゃいませ」

以前と同じように、女の店員が俺を迎えた。

「蝋燭がなくなったのですね。大丈夫、同じ種類の蝋燭の煙なら、変わらずジュリエットさんに会えますよ」

女はそう言って、同じようにハーブが一緒に固められた、お試し用より3倍程太くて長い蝋燭を俺に差し出した。

最初は不気味に思った彼女の能力も、今日は話が早くて助かった。

それから古い蝋燭を使い切り、新しい蝋燭に火を灯した。しばらくして消すと煙が上がり、またジュリエットが浮かび上がった。

俺はその姿を見て息を呑んだ。

以前からジュリエットは、段々と具体的な姿になっていっていた。初めは煙がたまたま人魚の形をして見えただけくらいぼんやりしたものだったが、徐々にその形はくっきりとしていき、今日はそのツヤツヤの肌が薄ピンク色をしていることまではっきり分かったからだ。

それから俺は、夜だけでなく、朝も昼もジュリエットと過ごすようになった。

その度に彼女は美しくなっていった。

豊かな髪は艶やかな白で、瞳はどんな星より輝かしいブルー、そして唇は、じゅんわり潤った赤色だった。そんな彼女は日の光に当たるとより美しさを増した。

今にも消え入りそうな彼女を、俺はもう一分一秒たりとも放っておけなかった。

その頃には、俺の家はありったけ買いだめた蝋燭でいっぱいになっていた。

「どうしました?何かおかしいですか?」ジュリエットはキョトンとして言った。

「いや、今日も君が美しいから、見惚れていただけだよ」俺はうっとりとして言った。

「さあおいで、ジュリエット」

俺はジュリエットを抱き寄せようと彼女の腰のあたりに腕を回した。

しかしジュリエットはするりと身を翻して天井へ上がってしまった。その姿はまるで魚だった。

「最近の貴方様はいじわるですもの。くすぐったりなさらないってお約束して下さい」

俺は彼女を見上げたまま言った。

「君はどうして人魚なんだ?」

俺はそのまま続けた。

「以前から気になっていたんだ。普通の女性ではなく、なぜ人魚に?」

彼女は優しく落ち着いた笑みを浮かべて言った。

「それは貴方様がお望みになったからでしょう。私は貴方様が呼び出した存在なんですよ」

ジュリエットはそう言ってゆっくりと降りてきて、俺の唇にキスをした。薄ら温かさを皮膚に感じた。

「皮肉ですわね。私はどんな形であれ、蝋燭の煙が消えれば消えてしまう。そんな私が、海でしか生きられない人魚だなんて」

「君を愛しているよ、ジュリエット。君がどんな形であっても俺は君を想っていた。だけど君が人魚だから、より恋しく君を求める」

「あなたは陸に住む王子様、私は海に住む人魚。生きられる場所が違いますわ」

「だけどロミオとジュリエットは2人の愛を証明した。俺たちにだってできるさ。ねえジュリエット、俺はもう限界なんだ。こんなにはっきり目の前に君がいるのに、俺は君をきつく抱きしめることが出来ない。どうすればより強く君を感じられるだろう?」

ジュリエットは嬉しそうに言った。

それは本当に名案だった。

やっぱりジュリエットは俺の最愛の人だ。美しくて頭も切れる、世界で1番の女性だ。誰にも渡したくない。これからどんなことが起こっても、俺は彼女を守り続けたいと心から思った。

俺はマッチ箱をありったけ出してくると、家にある全ての蝋燭に火をつけた。一つが倒れ、一つがかけてあったコートに火が移り、蝋燭の炎は段々と家全体を包み込んでいった。

家中が白い煙に包まれた。

俺は灼熱の中、床に寝そべった。


ジュリエットの声がして、目が覚めた。

そこは真っ白で、何もない世界だった。

ジュリエットが目の前にいた。鱗は七色に輝き、彼女のもの全てが一層鮮やかに目に映った。

俺は彼女を抱きしめた。しっとりとして柔らかい肌の感触がして、俺は泣きながら彼女を強く抱きしめた。


強く強く抱きしめて、二度と離さなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

蝋燭 @htki100me

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ