第443話 新たな家族
ブラックホールとは何かを、一旦説明しておこう。
ブラックホールとは、高密度の天体を表す言葉だ。崩壊した星の終焉。重力が強すぎて、光さえ脱出することができない存在とされている。
近づくものすべてを飲み込み放さない。最も速いとされる光速ですら、ブラックホールの重力からは逃れられない。
その、極めて小さいもの。それが俺の指先に浮く、極めて小さな黒点、マイクロブラックホールだ。
とはいえ、そのまま小さなブラックホールというのではない。そんなものが現れたら、この世界ごと簡単に飲み込んでしまう。
だからこのマイクロブラックホールは、重力の神ニュートンの下、制限が課せられていた。
一つ、強大すぎる力の代償として、呪文を唱えるだけで作り出せる存在ではないという事。具体的には都市一つ分の物体をかき集めて初めて、マイクロブラックホールは顕現する。
一つ、マイクロブラックホールは、発動時、たった一つの物しかターゲットにできないということ。だから周囲の物すべてを飲み込むようなことはないということになる。
制限はこの二つ。そしてそこにディープグラヴィティを足して、概念攻撃力を持たせたのがこのマイクロブラックホール。
ターゲットに指定したのは、ラグナロクという支配領域そのもの。
故に。
俺の勝利は、確定した。
「――――――ッ」
全てが、飲み込まれていく。
降る星々が、吹き付ける吹雪が、世界を塗り替える黄昏が、まるでスパゲッティのように細長く伸びて、俺の指先、マイクロブラックホールに吸い込まれていく。
それだけじゃない。スルト、フェンリル、ヨルムンガンドすら、マイクロブラックホールは飲み込んだ。すると虚飾を剥がされ、俺たちが倒した当時の三人の姿が世界に現れる。
至近距離にいた俺の中からも、チャクラを焼くレーヴァテインの火が吸い込まれた。運命に下支えされた強さそのものが、ラグナロクだと見做されたのだろう。
それがだいたい、十秒ほど。
終わった頃には、無力に立ち尽くすロキたった一人が、その場に残されていた。
「え……ぁ、ぇ……」
ロキはレーヴァテインを手に持って、瓦礫すら残らない地面に、一人立ち尽くしていた。一方俺陣営もほとんど満身創痍で、ちゃんと立ち上がっているのは俺くらいのもの。
「さて、と」
俺はデュランダルを担ぎ上げる。
「まだやるか? ロキ」
俺が余裕たっぷりに言うと、ロキはびくりと体を震わせた。
しかしロキの心は折れなかった。
「ま、まだ、まだやる……! まだロキは、負けてないもんッ!」
「そうか。じゃあ、やろうか」
俺はデュランダルを構える。だがそれは、礼儀以上のものではなかった。
「やぁぁあああああ!」
ロキがレーヴァテインを振りかぶり駆けてくる。しかしそこには、ラグナロクが展開されていた時のような迫力はない。
「【止まれ】」
ヴィシュッダチャクラの魔力が込められた命令に、ロキは一瞬停止する。
しかし神、いや、魔王。そこは実力で破り、「こんなので止まらないからッ!」と言って再び駆けてくる。
そこに俺は、加重を掛けた。
「オブジェクトウェイトアップ」
「っ」
ロキの体が沈む。ロキは状況操作能力に長けた手合いで、筋力勝負には弱い。
だがロキは、か細い体を叱咤して、よろよろとこちらに歩み寄ってくる。
「まだ……! まだ、ロキは、戦え、る……!」
「……ああ、来い」
俺とロキは打ちあう。デュランダルを軽く振るって、ロキの剣を弾く。ロキは全身が重くなっていて、軽く体勢を崩してやるだけでその場に倒れこむ。
どしゃ……、とロキが、地面に沈む。そこに腕を突き、震える腕で必死にロキは立ち上がろうとする。
「ま、だ……! まだ、ロキ、は……!」
俺はロキの手を蹴り、レーヴァテインを放させた。魔剣は硬質な音を立てて地面を滑る。ロキはたった一つの武器を失い、俺を見上げる。
ロキは、涙を目に浮かべていた。だが、それを流しはしなかった。歯を食いしばり、手を持ち上げ、指を鳴らして幻覚を展開しようとする。
その手を、俺はそっと押さえた。
「もういい」
俺は優しく微笑んで、ロキに告げる。
「ありがとな、ロキ。お前の気持ち、嬉しかった。このままお前と戦い続けて、幸せにコトを終わらせてしまおうか、本気で悩んだ。いいや、ついさっきまでは、本当にその気だった」
俺はしゃがみ、加重を解いてロキを抱きしめる。
「でも、俺にも守るものがある。まだやり残してることがある。だから、……ごめんな」
「う……ぁ……ぁぁ……!」
その言葉で、ロキの涙は零れ落ちた。
「うぁぁあああああ……! ぁぁあああああ……!」
ロキは大声で泣きながら、ぎゅっと俺のことを抱きしめ返してくる。
「ごめんなさい……! ロキ、ご主人様のこと、幸せにしたくて……! なのに、負けちゃったぁ……! ご主人様のこと、幸せにできなかった……!」
「うん……。応えられなくて、ごめんな……」
「ご主人様のこと、ロキ、大好きで……、不幸になってほしくなくて……! でも、ダメだった……! ごめんなさい……! 力不足で、ごめんなさい……!」
「ああ、分かってるよ……ありがとな」
「あぁぁぁあああ……! ああぁぁぁあああ……!」
ロキは敗北を悟り、ただただ泣いていた。
創造主の運命。極上の栄光と破滅。いずれきたる将来。ローマン皇帝と同じ狂い方。
ロキは、それを回避する最善の手を打った。拒否を見越して強行した。そして失敗してなお俺を不幸にしないために、俺を殺すまでは誰も殺さないと決めた。
先に俺以外の誰かを殺していれば、あるいは―――アイスたった一人殺していれば、成功していた挑戦だった。
だが、ロキはそうしなかった。失敗の目を残してすら、俺の幸せを願ってくれた。
「ご主人様ぁ……! うぇぇええん……!」
「うん……。大変だったな……」
俺はロキを抱きしめながら、ポンポンの背中を叩く。
そうしていると、ヨルムンガンドに吹っ飛ばされたダメージが帳消しになったのか、アイスがホコリまみれの姿で近寄ってきて、ロキを掴んだ。
「離れて」
ロキを引っぺがし転がす。うわ容赦ねぇ。
「アイス……もう少しこう、気遣いというかさ、うぉ」
と苦言したらアイスが俺に抱き着いてくる。
そしてロキに振り返り、一言。
「愛の勝利、だね……っ」
「うわぁぁああああああん!」
ロキにメンタルでもトドメを刺しに行っていた。
ロキは滂沱の涙を流して悔し泣きしている。アイスはそれを見て、勝ち誇るようなどや顔を浮かべていた。アイスのそういう表情はなかなか見ないので、俺は貴重な思いをする。
俺は、夫という手前、ロキを慰めたいのを我慢しつつ、アイスにされるがままでいる。
するとひとしきり泣いたロキは、顔を上げ、ぐしゃぐしゃの顔でアイスを見た。
「……でも、アイス様って、もうヘルでもあるんだよね……」
「っ」
ロキの言葉に、アイスの肩がびくりと跳ねる。
どういうこと? と首を傾げる俺を置いて、ロキは、ふ、と表情を緩めた。
まるで、我が子に宝物を譲る親のような顔で。
「じゃあ、仕方ないなぁ……。子供のものは、取れないや」
その言葉に、アイスは胸を突かれたような顔になる。
ロキは顔を拭い、平気な顔を取り繕った。目元が赤く腫れ、涙と煤でボロボロになった顔にぐっと力を入れて笑みを作り、ロキは努めて明るく言う。
「は~あ……失恋かぁ。ま、土壇場でひっくり返したロキのワガママ始まりだったし、オチもこんなもんだよね~……。あ、でもでも! 二人とも!」
ぴょんと立ち上がり、ロキはアイスごと俺を抱きしめる。
「ご主人様も、アイス様も、みんな大好きなのは本当だからね~♡」
ぎゅう、とロキはさらに力を籠める。その優しくも強い手つきは、様々な形の愛が混然一体となって込められているように感じた。
それからロキは、名残惜しそうに俺たちから離れる。ひどく寂しそうに眉を垂れさせて、俺たちに言う。
「……じゃあね、地上に戻っても、元気でね」
ロキはそんな風に儚く笑って、踵を返した。それから、俺たちから離れるように、歩き出す。
その姿に、俺は口を固く引き結んだ。
ロキを止める言葉を、俺は持たない。俺だけは、自分からロキを止めてはならない。
そう思っていた矢先、ロキを呼び止めたのは、アイスだった。
「ローロちゃん……っ!」
「……え、何? アイス様」
キョトンとして、ロキは立ち止る。アイスはいくらか言葉を探すように口をもごつかせてから、「あの、ね……?」と問いかける。
「こ、これから、どうする、の……?」
「ん~? まぁヘルが居なくなるんだし、代りにみんなと協力して、魔王でもしよっかなって。城下街、見ての通り更地だし?」
たいへ~ん♡ だなんて、努めて軽い物言いで、ロキは笑う。
それにアイスは、恐らく自分でも、何が言いたいのか分からないまま言い募る。
「そ、それ、大変、だよね……? 魔人さんたちは、その、あんまり協力的じゃないかもしれない、し。その」
「え~? 気遣ってくれてるの~? でも、地獄は元々こういう感じだから、大丈夫だよ~。最終的に、力には従う気質だしね~」
そこまで言って、ロキは難しい顔をする。
「それに、フェンリルたちも起こさないとだし~……。復興どれくらいかかるだろ……。頑張ってご主人様たちが死ぬまでには間に合わせたいんだけど」
「ぷっ、はは。おいおい、急に縁起でもないこと言うじゃんか」
俺が突っ込むと「だって~!」とロキは言い返してくる。
「みんな死んだら、ニブルヘイム来るでしょ~? その時までにしっかりしてないと、住みにくいから、ね♡」
「……それはアレか。老衰的な死に方でもってことか」
「そ~そ~。人間なんて寿命短いんだし~、長めに見積もっても、数十年くらい? わ~時間少な~い! 急がなきゃ!」
ロキはパタパタ足踏みしている。放っておいたら、何だか流れでどこかに走っていってしまいそうだ。
それに、アイスは食い下がった。
「―――なら、ローロちゃんも、地上に来ない……っ?」
「……え?」
ロキが、ポカンとする。アイスは複雑な表情で、ロキに提案する。
「に、人間の寿命が少ない、なら、その少しの時間、わたしたちに割いてくれてもいい、でしょ……? その、最後にはこんな風に戦っちゃった、けど、ローロちゃんのこと、誰も憎いだなんて思ってない、し……」
アイスが俯き、下唇を噛みながら言った言葉に、ロキは何度かまばたきをした。それからロキは、俺を見る。
俺は、アイスを見る。アイスは俺を見返して、小さく頷いた。俺はロキを見つめて、押し殺そうとしていた本音を吐露する
「ロキ。……一緒に行こう。お前がいないと、寂しいよ」
「……~~~っ」
ロキはそれに、口をもにょつかせ、顔を真っ赤にして泣き出した。それから俺たちに駆け寄ってきて、飛びつくように抱き着いてくる。
「二人ども゛大好ぎ~~~!!!♡♡♡ 死ぬまで、ううん、死んでもずっと離さないがら゛~~~!!!♡♡♡」
そう言ってロキは、またもわんわんと泣き始めた。それに俺たちは苦笑して、アイスと二人で、ロキを抱きしめる。
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