第441話 わたしが

 起きると、気絶する前にあった痛みのほとんどが、無くなっていることに気付いた。


「あとは細かい傷だけ! もう一回薬飲ませるから、上体を少し持ち上げて、上向きに口を開かせて!」


 トキシィが言うなり、クレイが俺の体を持ち上げ、口を開けさせた。そこにトキシィが液状の薬を飲ませてくる。


 俺は何度か嚥下してから、「げほっ、ゲホゲホッ」と咳き込みながら起き上がった。


「っ! ウェイド、意識取り戻した! 大丈夫? 視界はハッキリしてる!?」


「ごほっ、トキシィ……」


「これ何本に見える?」


「三本……」


「よし! 治療は十分みたいだね。良かった……」


 それを確認して、トキシィはその場にぶっ倒れた。俺はキョトンとしてから、自分の体に視線を下ろす。


 上半身裸なものの、それ以外は五体満足な俺の体が、そこにあった。俺は目を丸くして呟く。


「えっこれ、アナハタチャクラ回復したか? ぶらふ、あづっ」


 体の内で、レーヴァテインの火がチャクラを燃やす。体はすっかり全快しているが、チャクラのお蔭ではないという事らしい。


「……トキシィ、マジですごいな」


「力になれて、本当によかったよ~……」


 ぐずぐずと泣き出しながら、トキシィはそんなことを言う。「何で泣いてんだよ」と俺が苦笑しながらその頭をなでると、向こうからアイスが近寄ってくるのに気付いた。


「あ、アイス……、……?」


 俺は普通に挨拶しようとしたところ、アイスがものすごい表情をしていることに気付き、怯む。


 その表情は、激怒。俺はアイスがこんな激しく起こる姿なんて初めてで、一瞬呼吸が止まってしまう。


 そこで、サンドラが言葉を挟んだ。


「フェンリルたち、復活した」


 アイスはぴた、と動きを止め、サンドラの示す方に目をやる。するとその先で、ロキ以外の怪物たちが、瓦礫の中に続々と立ち上がる姿が見えた。


「……クレイくん。さっきのチームで、お願いできる……っ?」


「ああ、分かった。ウェイド君のことは、アイスさんに任せていいかい? トキシィさんは……お疲れ様。限界そうだから、休んでてほしい」


「うん……うぇ……」


 俺の対処がよっぽどの物だったのか、トキシィは倒れたまま頷き、そのまま意識を手放した。他の面々も、復活した怪物たちの対処のために、この場を離れていく。


 そうして、この場には俺とアイス(と気絶したトキシィ)だけが残された。俺は先ほどのものすごい表情を見ているため、緊張で体が動かない。


「……」


 アイスは、そんなピリついた空気の中で、そっと俺に近づいてきた。俺は何をされるのだろう、と恐怖に目をぎゅっと瞑り―――


 ―――胸元に飛び込んできた柔らかな感触に、戸惑った。


「……アイス……?」


 俺は、目を開く。アイスが、俺の胸元に縋りつくように抱き着いている。


「……ウェイド、くん……!」


 アイスが俺を呼ぶ声は、震えていた。アイスは、先ほど同様に激情を抱えている。だがそれは無茶をした俺を叱るような、そういう感じではないらしい。


 俺はどうすればいいのか分からないなりに、そっとアイスの背中を撫でた。


 アイスは俺の胸元で、何度も口を開いては閉じ、言葉を探しては詰まり、それからやっとの思いで、言う。


「……ごめん、なさい……!」


 アイスが、ポロ、と涙を流した。俺は何のことか分からなくて、慌てる。


「え、な、何で泣いてるんだ? アイス、何か俺に悪いことでもしたのか?」


 問うと、アイスは弱々しく、こくりと頷いた。俺はその内容を聞くために、じっと待つ。


 アイスはまたしばらく言葉を探して、話し始める。


「わた、わたし、ウェイドくんが幸せなら、他に、何も要らないって、思ってた」


 アイスの手が、俺の胸元で握られる。


「ウェイドくんはすごい人で、傍にいられるだけで、幸せで、だから、ウェイドくんを幸せにしてあげて、初めて横に居られるんだって。幸せを、お返しできるんだって」


 だから、とアイスは続ける。


「ウェイドくんをどうやったら幸せにできるんだろうって、ことばっかり、考えてた。そうじゃなきゃ、わたしは、ウェイドくんの隣には居られないから」


「……アイス、そんなこと」


「だから、ウェイドくんの幸せって何だろうって、考えて、戦うことだって、分かって、強くなって、強くなることで、ウェイドくんの隣に、居られるって」


「……」


 俺は、何となく思い至る。スラムでの神殺し。妙に固執している、と思っていたが、恐らくはそう言う事だったのだろう。


 そう思っていたら、アイスの言葉が、急に俺の核心を突いてくる。


「―――ウェイドくんは、今、幸せなんだよね……?」


「っ」


 俺は目を剥いてアイスを見る。アイスは俺の表情に、泣き笑いするように涙をこぼす。


「ロキとの戦いは、とっても激しくて、楽しいんだよね……? この支配領域は、調べたけど、何かおかしくて、多分それが、ロキが負けない理由で……」


 そこまで分かるのか、と俺はただただ驚いていた。俺と違って、頭で戦闘をやるアイスだからこそ、そういう分析ができるのか。


「でも、でもね、わたし、ごめんなさい……!」


 アイスは、言う。


「わたし、ウェイドくんが負けるの、見たくない……!」


 アイスの目から、ボロボロと涙がこぼれた。


 何があっても優しく微笑んでいた、母性すら感じさせる態度のアイスが、今はまるで、子供のように泣いている。


「ワガママ言って、ごめんなさい……! ウェイドくんが、こんなに楽しく戦ってるのに、それが嫌だなんて、でも」


 アイスはしゃくりあげながら続ける。


「ウェイドくんのことは、わたしが最初に幸せにするって、決めたの……! 卒業試験を越えたあの時に、誰よりも早く、わたしが、決心したの……!」


 アイスは、強く俺の体を抱きしめる。


「フェンリルくんに負けたのだって、わたしは、わたしが、『強くなっていい』って言いたかったのに……! 『強くなっても、強くなりすぎて一人ぼっちになっても、わたしがどうにかするから』って……!」


 まるで他の誰にも渡さないと主張するように、アイスの抱きしめる手が強くなる。


「嫌だぁ……! ウェイドくんが、わたし以外の誰かの手で、幸せになるなんて嫌……っ」


 アイスはなりふり構わずに、俺に懇願する。


「わたしで幸せになってよぉ……! ローロちゃんで幸せになんか、ならないでよぉ……!」


 俺は、そんな風に独占欲を露わにするアイスの姿に、呼吸が止まるほど驚いていた。


 俺のハーレムは、元々アイスが言い出したことだ。パーティに不和が生まれるくらいなら、なんてことを、アイスは言っていた気がする。


 それは俺に都合が良すぎる話ではあったが……同時に俺は、少し寂しく感じてもいたのだ。


 アイスは、俺を独り占めにしたいなんて、思っていないのだと。俺のことは好きでも、それは他人に譲ってしまえるくらいの物なのだと。


 だが、違った。


「うぇぇぇえええええん……。ワガママ言ってごめんなさいぃ……! でもやだぁ……!ウェイドくんを幸せにするのは、わたしなのぉ……! わたし以外の人で幸せにならないでよぉ……!」


 小さな少女のようにわんわんと泣くアイスは、独占欲の塊だ。アイスが押し殺してきた、剥き出しの願望だ。


 全部我慢してくれていたのだ。我慢してでも、俺を幸せにしてくれようとしていたのだ。


 ―――それに。


 それに、夫の俺が、応えない訳には行くもんかよ……!


「……アイス」


 俺は名前を呼びながら、そっとアイスの涙を拭う。


「分かった。ごめんな。俺が、勝手だった。ロキの誘惑に負けそうになってた。浮気もいいところだ。本当にごめん」


「……ウェイドくん……?」


「アイスたちの考えは、薄々察してたんだ」


 俺は苦笑して続ける。


「俺は、戦いの中でしか生きられない。強敵との戦いの中でしか、本当に楽しいとは思えない。だからいつか、強くなりすぎた時終わりが来るって。……そしてそれを、アイスたちが強くなることで、乗り越えさせようとしてくれているって」


 アイスたちと殺し合う未来。そんなのは考えたくもない最悪の結末だ。だが、戦うべき相手を見つけられずにいれば、俺はきっと、どこかでおかしくなる。


 その時きっと、アイスたちは、俺に向かってくるのだろう。俺は人生最後の楽しい戦いに、涙を流しながら興じることになるのだろう。


 ロキが示したのは、そんな俺の呪いに対する、一つの答えだ。


 運命を操作し決して負けない状況を整え、確実に勝利した後に殺す。死ねば、魔人になれば、創造主の運命から逃れられる。


 けれど、俺はもうそれに乗れない。アイスが、それだけの愛を示してくれたから。俺はそれに、応えなければならない。


「だから、勝つ」


 俺は、アイスにそっと微笑む。


「ロキに、勝ってくるよ。あいつとの戦いは楽しかったけど―――アイスたちに、悪いからな」


 俺が肩を竦めると、「ウェイド、くん……っ!」とアイスが俺を、またぎゅっと抱きしめてくる。


 それに俺が抱きしめ返すと、「でも」とアイスが言った。


「どうやって、ロキに勝つの……? ロキは、だって、普通の方法じゃ、絶対に……」


「……まぁ、そうだな。手はある。ちょっと特殊なことをするが」


「特殊な、こと……?」


 俺は空を見上げる。自らの魔法印の神、ニュートンに語り掛ける。


「やってくれ」


 それで、周囲の吹雪の様子が変わった。一瞬明らかに俺たちの周りだけ風がやみ、しんしんと静かに雪が降り積もる。


「これ……」


「……ありがとな」


 俺は頷き、右胸に右手を当てた。


 呼吸を深くする。魔法印の感覚に、触覚を集中させる。


 ―――本当なら、すでにすべての魔法が、開放されているはずだったのだ。それが俺のわがままで、堰き止められていただけ。


 魔法印が、伸びる感覚が訪れる。俺に、最後の魔法が宿る。


「……ウェイドくん、それ、は」


「ああ。重力魔法の、最後の魔法だ」


 俺の体の上で、魔法印が完成する。完成印と呼ばれる神も同等の魔法が、俺の中に刻まれる。


「安心してくれ。俺はもう、十分楽しんだ。ここからは、徹底的に勝ちに行く。アイスを泣かせたりなんかしない」


 アイスは、俺が傷つくのを嫌がる。だから、死線をくぐるような戦い方もなしだ。


 そこで俺は、ハッとして空を見た。すると先ほどまで浮かんでいた船が、こちらに突撃していることに気付く。


「アイス! 掴まれ!」


 俺はアイスを抱きかかえ、地面に気絶するトキシィも肩に担いで、瞬時のその場から離れた。


 直後、船が俺たちのいた場所に激突する。船を構成する死者の爪が派手に四散する。


 そして、その中から、悠然とロキが現れるのだ。


「やっほ~、ご主人様♡ 戻ってくるの遅かったから~、こっちから迎えに来ちゃ~った♡」


 そんなロキの姿に、アイスは唇をかんで、泣きそうな、憎み切れないような、複雑そうな目を向ける。


 俺はそんなアイスの頭を一撫でしてから、ロキに言った。


「悪いが、ロキ。もう俺は、お前とは楽しまないことにしたんだ」


「……え、何で~?」


 本気で戸惑いだすロキの様子に俺は少し笑ってから、こう答える。


「俺の嫁さんが、さっさと決着付けろって言うんでな。ここからは、淡々とやらせてもらう」

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