第439話 置いて行かないで

 アイスは、その戦いで、何もできなかった。


「……っ!」


 アイスもトキシィも、地上の瓦礫に隠れての行動だった。ウェイドが戦うのは遥か上空。リスクはないが、その分介入も難しい。そういう戦況だった。


 アイスはそれでも、どうにかしてウェイドの有利を構築するつもりでいた。


 手はある。どうにか氷鳥を近づけさせ、ウェイドのピンチやチャンスに、刺しこむように魔法を、支配領域を行使するつもりでいた。


 トキシィの毒を加えさせれば、もっと幅広く戦況を左右できるつもりでいたのだ。


 だが、ダメだった。


 ロキはアイスよりも上手うわてで、氷鳥の介入を許さなかった。どう隠れても見つかり、数で攻めても駆逐され、何もできなかった。


 何も、できなかったのだ。


「アイスちゃん、見て……」


 隣で、同じように手出しできないままでいたトキシィが、遠くを指さす。


 そこでは、ウェイドにフェンリル、スルトが行かないように引き付けていたテュポーンが居た。しかし、肝心のフェンリル、スルトが、俊敏に動いてテュポーンから逃げおおせる。


 かと思えば、フェンリルがスルトを乗せ、降りくる星々を乗り継いで、ウェイドへと向かっていった。


「―――――ッ」


 ダメ、とアイスは思った。


 流石に、あのウェイドとは言えど、これまで苦戦を強いられてきたロキたち全員を相手取ることはできない。


 だからアイスは、巨大氷鳥を作り出し、トキシィに言う。


「乗って! クレイくんたちと合流しよう……!?」


「う、うん」


 アイスの鬼気迫る様子に、トキシィは大人しく頷いた。それから二人を乗せて、氷鳥が飛び立つ。


 それから十数秒かけて、アイスたちはクレイたちに合流した。


「……アイスさんたち、来たんだね」


 クレイたちは、テュポーンに乗りながら、なす術なく上空を眺めていた。


 いくらテュポーンを操れるといっても、上空十キロ前後の場所で行われる攻防には、クレイもどうしようもないらしかった。


 無論、他のみんなも同じだ。


「サンダースピードでも、もう間に合わない」


「おうおう、でけぇのがドンドン上がってくな。バカ弟子相手にご苦労なこった」


「ひゃー……ウェイドちゃん大丈夫? これ、結構やばくない?」


 サンドラ、ムティー、ピリアの三人が呟く。誰もが、諦観交じりに。


 アイスには、それが許せない。


「―――クレイくんっ。テュポーンさんにわたしたちを投げさせれば、あの戦いに乱入できない、かな……っ!」


 アイスは、テュポーンの中にいるクレイに話しかける。


「ウェイドくんでも、この戦力差は、ダメだよ……! みんな、本当に強くて、いくらウェイドくんが強いって言ったって、これは……!」


 アイスが、そう言った瞬間だった。


「っ! 話は後だ! 退避する、捕まって!」


 クレイがそう叫び、テュポーンに駆けさせた。その場の全員がテュポーンにしがみつき、激しい揺れに備える。


 その直後、巨大な落下音が、周囲に響いた。


「……何」


 アイスは警戒と共に、その音の源を見る。


 そこには、墜落して血を吐き倒れる、スルトの姿があった。力なくもがき、しばらくは立ち上がれなさそうなスルトの姿が。


「不覚、です……!」


「……、……?」


 アイスは、それに信じられない思いをする。


 バッ、とアイスは、上空を見た。遥か上空で起こる、見えないほど小さなウェイドと、巨大な怪物たちの戦い。


 アイスの予想では、豆粒のようなウェイドが早々に追い込まれてしまう想定だった。


 だが何故か、視線の先では、フェンリルが仲間であるはずのヨルムンガンドに食らいついている。


「え……? え……?」


 アイスは、状況が理解できない。何が起こっている。


 そう思った瞬間、銀閃が上空で走る。ヨルムンガンドの姿に、ゆがみが走る。


 ヨルムンガンドが、暴れだした。


 巨大な尻尾を振り上げる。何かに当たったような表情をしているが、アイスにはそれが分からない。


 それから時間の空白が起こってから、コトが一気に進んだ。


 銀閃が走る。直後隕石が落ち、ヨルムンガンドの首がちぎれ落ちる。崩れる体と共に、フェンリルが巻き込まれていく。


「……、……、……」


 絶句。ただアイスは、アイスたちは、その光景に絶句していた。


 ウェイドがスルトに勝ったのは、一対一だったからだ、と聞いている。


 フェンリルには、心理的な優位を取られ、隙を上手く突かれて負けてしまった。アイスたちが、それを挽回した。


 ヨルムンガンドは、クレイ、ムティーの力を借りてやっと倒していた。決死の戦いだったと見ていて分かった。


 なのに今、ウェイドは、たった一人でそのすべてを圧倒して見せた。


 神に等しい、あるいは神すら蹂躙するような大怪物を、同時に三人相手取って。


 ムティーが、ぽつり言う。


「……こりゃ思ったより、ウェイドが次の『絶対』になるのは早そうだな」


 そんな何気ない一言が、アイスの胸に突き刺さった。


「…………っ」


 アイスは思わず、胸元を押さえ、強く掻き抱く。


 全身が震える。言ってはならないことが、喉まで上ってきている。それを懸命に堪えていると、隣でトキシィが嗚咽した。


 アイスは目を剥いて横を見る。トキシィは涙をこぼしながら、上空での戦闘を凝視している。


 ―――やめて。言わないで。お願いだから、言わないで。


 だが、トキシィは言ってしまった。


「……まだ、足りないの……!?」


「トキシィちゃんっ!」


 アイスは思わずトキシィに掴みかかる。それをクレイとサンドラに止められる中、トキシィは続けた。


「だ、だって、だって私たち、神まで殺したんだよ……!? なのに、ぉぇ、ウェイドは、ウェイドは……!」


 えずきすらして、トキシィは訴える。


「もう私、分かんないよぉ……! これ以上、どうやって強くなればいいか、分かんないぃ……!」


 そう言って、トキシィはボロボロと泣いていた。アイスはそれに、歯を食いしばる。


 トキシィが言ったこと。それはウェイドパーティ全員の思いだ。


 あれだけ苦労して、手段を選ばず、自ら信仰する神すら殺して得た力。


 なのに、なのにウェイドは、あっさりそれすら飛び越してしまう。強敵を前に、まるで水を得た魚のように、強くなって、アイスたちを置いていってしまう。


 ……本当は、これ以上どうやってウェイドに追いつけばいいのか、アイスにだって分からないのだ。


「っ、見て」


 サンドラに言われ、空を見る。すると、上空に浮かぶ不気味な船の上で、炎が起こった。


 怪物たち三人を下して、今きっとウェイドは、ロキと戦っている。助けに行きたいが、アイスにはロキの排除を乗り越えて戦闘に介入する実力がない。


 無力。ここまで、ここに至ってなお、アイスは無力感に打ちひしがれるしかないのか。


「ウェイド、くん……。―――……っ!」


 泣くな。アイスは自分にそう言い聞かせる。にじむ涙を拭って、必死に考える。


 とにかく、氷鳥を飛ばす。実力のなさは試行回数で補うしかない。


 空の船に近づくと、船の搭乗員らしき魔人が、氷鳥に矢を撃ってくる。それを躱しながら、アイスは氷鳥を分裂させ、一匹二匹落とされたところで問題ないように采配する。


 無数の矢が飛んできて、不思議なくらい氷鳥が落とされていく。支配領域で時間を止めて回避しても、何故か解除した次の瞬間には撃ち落とされている。


 何かされている。だが、その何かの正体が分からない。


 一気に数を減らしていく氷鳥にアイスは歯を食いしばり、さらに分裂で数を増やして――――


『アイス様、あんまり無駄な魔力を使うの、止めなよ~。支配領域使ってもダ~メ♡ ロキが全部、落としちゃうんだから』


 どこからともなくロキの声を聴いた瞬間、最後の氷鳥が落とされる。


「……っ!」


 どうしようもない。どうにもならない。ロキに対して、アイスにできることは一つもない。


 そう思った瞬間、船が爆ぜた。


 何事か、と全員の注目が集まる。それから遅れて、小さな何かが、猛スピードで射出された。


「っ」


 アイスは我先に、と巨大な氷鳥を作り出し、素早く乗り込み飛び立った。遅れてサンドラ、トキシィ、そしてクレイのテュポーンがついてくる。


 そう離れた場所じゃない。介入できなくても、せめて状況を知りたい。その一心でアイスたちはその場に赴く。


 そして、息を飲んだ。


「は、はは、ははははは……!」


 そこでは、満身創痍のウェイドが、瓦礫の中から立ち上がろうとしていた。


 杖代わりに地面をつくデュランダルは、見たこともない色に染まっている。緋色に揺らめく模様は、まるでスルトの炎のよう。


 だがその姿は血まみれで、四肢をいくつか失い、しかも回復できないでいる。血の気を失ったサンドラが「チャクラが、全部……」と呟く。


 なのに、そんな状況でも、ウェイドは笑っていた。心底戦闘が楽しくて仕方がないという顔で、獰猛に、一心不乱に、上空の船を見つめていた。


「……まだ、だ。まだ、もっと、楽しく、なる……!」


 ウェイドは安定しない足取りで、一歩前に踏み出す。それにアイスは、堪らなくなってしまう。


「ウェイドくんッ!」


 アイスの叫びに、ウェイドの足が止まる。それからこちらを見て、不思議そうな顔で「アイス……? みん、な……」と呟き、ウェイドはその場に倒れこんだ。

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