第435話 夢現
指鳴らし一つで俺たち三人が一瞬で破られる。
そんなことは、ありえない。俺はそう断じ、行動を起こした。
俺は崩れ落ちながら、アジナーチャクラで、何が起こったのかを見透かした。
そして愕然とした。
現実。現実だった。確かに俺たちは、一方的に破られた。目で追い切れないほどの速度で肉薄され、素手で防御も何も破られ、崩れ落ちた。
「く、
俺は歯を食いしばる。真言を唱えて、アナハタチャクラを取り戻す。だが、完治はあえてさせなかった。
貫かれた胸元の傷をそのままに、俺は心臓を取り戻す。痛みは残るが、それよりもロキを油断させたままでいたかった。
「ん~! ひっさびさにこういう動きしたな~! 何百年? 何千年ぶり? にひひっ、全然覚えてないや」
ロキは言って、血に汚れた指を動かす。それから俺のそばにしゃがみこんで、「ね~ね~ご主人様♡」と、血に濡れた指で、俺の頬を突く。
「ロキが何したか分かった? にひひっ、あの調子じゃ、目でも追えてなかったでしょ~」
「……」
俺は死に体の演技をして、ロキを睨みつける。ロキはいい気になって「正解はね~♡」と自らネタ晴らしをしてきた。
「ロキは、みんなに幻覚を見せて、その幻覚を現実にしたの♡」
「……、……?」
「にひひっ♡ 意味わかんな~い、って顔してる~! ご主人様、可愛い~♡」
ぐったりしている俺の頭を、ロキは抱きかかえる。それから所かまわず「ちゅっ、ちゅっ、ちゅ~♡」と何度もキスをしてくる。
「ご主人様が魔人になったら~、ゆ~っくり仕掛けを教えてあげる~♡ だから大人しく、このまま死んじゃって♡」
ロキは再び手を振りかぶった。俺は、潮時か、と咄嗟に逃げ出そうとして、すでにすべてのチャクラが、破壊されていることに気付く。
「油断を誘おうったって、ダメだよ~!」
ロキの手が迫る。俺は「
「支配領域『ヘルヘイム』」
景色が、変わる。
俺たちはいつの間にか、ヨルムンガンドではなく、薄暗い廃墟の中で倒れていた。横では、アイスが荒く息を吐いている。
「っ!? なっ、何が……ッ。……アイスが助けてくれたの、か?」
「……どうにか、間に合って、良かった……」
アイスは深呼吸で、息を整えようとしていた。ひどく疲れた顔で座り込み、地面に手をついている。
横を見ると、トキシィも俺同様に、困惑した様子でまばたきしていた。首を折られていたはずだが、特に支障はない様子だ。
「そうだ! アイス、腹は無事……みたいだな」
まぁこの局面だ。俺以外の二人も、当たり前に不死性があっても違和感はない。知らない間に成長してくれて……という気持ちがあるばかりだ。
と思ってたら、トキシィが拗ねた。
「ねー、心配はアイスちゃんだけー? 私はー?」
「え!? いや、ちゃんと心配はしてたって。見るからに大丈夫そうだったから声に出なかっただけで」
「……ホント?」
「ホント。っていうか首、どうやって治したんだ? ヒュドラの不死性ってそこまで高くなかったよな」
「えへ、これはね? 体を液化すると傷も大体治るっていう仕掛けで」
「二人、とも」
トキシィと戯れていると、アイスに呼ばれる。
「……ローロちゃん、ロキのあの魔術、どういう仕組みだと、思う……?」
言われて、思考が一気にそっちに傾く。俺は少し考えて、こう答えた。
「速度の類じゃない。速いだけなら、アジナーチャクラで追える。けど追えなかった。多分ロキ本人の言う通り、仕掛けで過程をすっ飛ばしてる」
「ウェイド、過程をすっ飛ばしてるって、どういうこと?」
「そうだな……剣を振らずに切るというか、魔法を撃たずに当てるというか。めちゃくちゃ簡単に言うなら、必中、防御不可、回避不可ってとこだな」
「うわ……」
俺の解説に、トキシィがドン引きしている。アイスは「だよ、ね」と頷いてから、俺を見る。
「ロキは、『幻覚を見せて、それを現実に変えてる』って言って、た。わたしが思うに、本当にこれをやってるのかな、って……」
アイスは思案しながら、探り探りで言う。俺はそれを、噛み砕きながら聞いた。
「ローロが食ったのは、キリエと、誰だ?」
「……サーカスの団長さん、だよ」
アイスの返答に、「そうだよな」と頷く。俺の目の前から消えた指鳴らしとか、完全にそうだった。
となれば、分析は容易い。魔人は、食らった魔人から魔術を奪う。それをもとに考えるならば。
「団長キエロの支配領域は、『幻覚を操る魔術』って表現で間違いはないと思う」
まず一つ目のピースがこれ。
「キリエの魔術は知らないが……普通の魔人とは格段に動きが良かった。鍛えてるとか効率化されてるってよりは、こう……理想の動きを体現する、というか」
俺は、手元に視線を落とし、言葉を形にする。
「あえて言い直すなら『自分の理想を自分で実現する魔術』、になるのか……?」
「それが、組み合わさったってこと?」
「ああ。俺はそう睨んでる」
トキシィの確認に、俺は肯定する。
「幻覚を見せて、その光景を現実に変える。これがノータイムで行われる。事実上の現実改変能力。これがロキの魔術なんだと思う」
だから、防御も回避も無効化して、俺たち三人を瞬時に下した。俺のチャクラのことも知っていたから、破壊することができた。
だが、アイスとトキシィを無力化できなかったのは……。
「二人ってさ、多分不死性があると思うんだけど、あんまり大っぴらにしてないよな?」
「あ、うん……! あんまり言わないようにしてる、よ?」
「そうかも……? 元々ウェイドと違って、ボロボロにされる事が少ないってのもあるけどねー」
トキシィの苦言に、俺は苦笑する。
「だから、ロキは確実に二人を無力化することまでは出来なかった。俺もそうだ。チャクラは砕けても復活させられることはよく分かってない。だからチャクラを復活できないようにはできてない」
知らないことはできない。それは、ロキの弱点として一つ数えられそうな要素になる。
となれば、突破口はある。現実改変能力。望んだ出来事がそのまま起こる、文字通り神の力。
それでも、俺たちは戦いうる。
「アイス、ロキは今どこにいる?」
「えっと……ヨルムンガンドの上で、キョロキョロして……ごめん、気付かれて潰されちゃった……」
「いいんだ、仕方ない。今度は俺一人で行ってくる。二人には、あえて指示出しはしない。ロキに正体を掴ませないように、上手くバックアップしてくれ」
俺の指示に、少し考えて、二人は頷いた。意図を汲み取ってくれたのだろう。
俺は、立ち上がる。廃墟から出て、再び重力魔法でヨルムンガンドを昇る。
そうして上空。俺はヨルムンガンドの頭上よりも数メートルほど上に滞空して、ロキの様子を窺った。
「アレ~……? ご主人様居なくなっちゃった。ヨルムンガンド、見た?」
「いいや、見てませんぜ。ヘルヘイムとか何とか言ってたのは聞きやしたが」
「ヘルヘイム……? ヘルが敵に回ったってこと? でも居なかったよね?
何やら妙な話をしている背後で、俺は再び、ヨルムンガンドに降り立った。
「よう。ちょっとばかしお色直ししてきたぜ」
俺が呼びかけると、「あっ♡ ご主人様~♡」とロキが嬉しそうな顔をする。俺はそれに、デュランダルを構えて告げる。
「ロキ、もう一度やろう。今度は情けない姿は見せない」
「……もしかして~、ロキの魔術の秘密、分かっちゃった?」
「さぁ、どうかな。試してみないことには、何とも言えないが」
俺は息を長く吐く。呼吸を限界まで深くし、集中力を高めていく。
ロキは、笑った。
「そうだね♡ 何事も試してみないと」
ロキの貫き手が、俺の腹を貫く。
同時俺は、アジナーチャクラを開いていた。目に映るのは、その場から微動だにしていないロキの姿。
やはり。やはりだ。ロキはまず幻覚を見せてきている。そしてそれを現実に変える。
つまり、幻覚を幻覚と認識できている今、ロキの現実改変能力は、作動しない!
「あ」
ロキも遅れてそれに気付き、声を上げる。
「やっぱりご主人様、秘密分かっちゃってるじゃ~ん♡」
「こちとらこんな戦いばっかりなんでなァッ!」
肉薄。俺はロキに迫り、デュランダルを振るった。
ロキはそれに、素の身体能力で回避できない。胴を一薙ぎにする。ロキの上半身と下半身が、泣き別れする。
だが、ロキは欠片も動揺していない。
「も~。サンドラ様もその目使ってて厄介だったんだよね~。だから~♡」
ロキが、手をぎゅっと握りこむ。
「ご主人様のも、潰しちゃう♡」
アジナーチャクラが、砕かれる。
「がっ」
俺の目から、血が噴き出した。アナハタチャクラで修復し、必死に血を拭って見た先には、すでに五体満足となったロキがそこに立っている。
「にひひっ♡ これでご主人様は~、幻覚を見破ることができないね~!」
ロキの姿が消える。俺は「
ロキはデュランダルを飛び越え、宙返りをして貫き手を振り下ろした。避けようとするも、確実に追ってくる。
だが、その時点ですでに、アジナーチャクラは復活している。この幻覚は、すでに意味を喪失している!
「―――ッそこだ!」
ロキは幻覚と反対に動き、貫き手を構えていた。それに俺はデュランダルを振り下ろす。
「にひひっ♡ 体動かすの楽し~ね! ご主人様ッ!」
ロキは貫き手の反対の手を握りこむ。同時アジナーチャクラと俺の目が潰れ、血が噴き出し視界を封ぜられる。
「ぐっ、ここに来て!」
「にひひひひひひっ♡」
幻覚でないロキの貫き手が、俺の胴体をえぐる。体内に異物が入り込んでくる違和感。
だが、幻覚でないなら対応できる。リポーションに阻まれて、幻覚のそれよりも威力が低い。
俺はロキの腕を掴んで、目が見えないままでデュランダルを振り下ろす。
「あぎゃっ!」
悲鳴。俺は畳みかけるようにデュランダルを振り下ろす。悲鳴は断続的に続き、頃合いか、と判断して俺は目を拭う。
そこには、無傷のロキが、笑みを浮かべて立っている。
「……こんな訳分からん戦闘、初めてだぜ、ロキ」
俺の傷が、アナハタチャクラによって治されていく。ロキはこれまでのやり取りが全くの嘘だったかのように、平然と俺の目の前に健在でいた。
「にひひっ♡ それ、何か嬉しいかも~。ね、ご主人様?」
ロキは、心底嬉しそうな笑顔で、小首を傾げて問いかけてくる。
「ロキとの戦い、楽し~い?」
「……ぷっ、はは、あははははははははっ!」
俺は一笑いして、答えた。
「あークソ。後味悪いって説得しようとしたばっかりなのに、我ながら不甲斐ないな……。―――めちゃくちゃ楽しいよ、ロキ。楽しくて仕方がない」
「やった~! 嬉しい♡ ご主人様、戦った強敵のこと話すとき、いっつも楽しそうで、羨ましかったんだ~! だからね?」
ロキは、手を広げる。するとその手の先から、仄かな炎が揺らめいた。
「もっともっと遊ぼ、ご主人様♡ ずっとずっと、ず~~~っと、ね♡」
ロキは、さらに戦闘を激化させようとしている。その予兆に、俺は小さく唇を舐めていた。
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