第430話 名付け親

 ヨルムンガンドの落ちた首は、生きていた。


「やられた……」


「しっぶといなぁあいつ」


 俺たちはそれを、建物の上から見下ろしていた。奇跡的に崩れていない、少し小高い建物が近くにあったのだ。


 その屋上から様子を確認するに、ヨルムンガンドは死なないまでもちゃんと消耗した様子で、ほとんど喋り出さなかった。


 やはり首だけでは喋る体力もないのか、あるいは思うところがあるのか。


 どちらにせよ、身内のああいう無残な姿は、見たくない。楽しいのは戦っている間だけだ、と俺は口をもにょつかせる。


 そんなわけで、俺はクレイと二人、ヨルムンガンドの生首を見下ろしていた。


 ムティーは「ちっと様子を見てくる」と言い残して、今はヨルムンガンドの上で何やらしているらしい。


 そんな彼らの様子を見下ろしながら、「にしても」と俺は呟く。


「何であんな土壇場で、ワーワー言い出したんだ、ヨルムンガンドは」


「ワーワー言い出したって言うと?」


「ほら、家族がどうとかっていう奴。俺も『何言ってんだこいつ』と思って言い返しちゃったけどさ」


 俺がクレイに話すと「ああ……」とクレイは苦笑する。


「……家族と言うのは、難しいからね。なったらなったで問題も多いし、なりたくてもなれないなんて話はザラだ」


「何だぁ? クレイ。ワケ知り顔で言うじゃんか」


「ムングさんとは一緒に仕事をしたし、そこで話すことも多かった。それで少しは事情を知ってるだけだよ。もっとも、あそこでバッサリ切り捨てるウェイド君には驚いたけど」


 クレイに言われ、俺は目を逸らす。


 だって、そう見えたのだ。ローロは、レンニル、ムング、スールの三人を完全に受け入れているように見えた。それを今更、ムングの側でワーワー言っても仕方ないと。


「話は変わるんだけどさ」


 クレイが、俺の横に腰を下ろす。俺はそれに倣って、その場に腰を下ろした。


 俺とクレイ、二人並んで、建物の屋上から足を投げ出して、ヘリに腰掛ける形になる。


「実は僕も、結婚したんだ」


「……えっ、マジか!? 相手は前言ってた、何だったか、テレスさん、だったっけ?」


「うん。彼女は、僕がこの通り、色んなところを飛び回るって言っても、待ってくれるって言ってくれた。それで決心がついて、結婚したんだ」


「うぉおお……。い、いつ」


「……実は、ウェイド君たちより、少し前」


「はぁああああ!? おまっ、お前! クレイお前、そういう重要なことは、ちゃんと言うんだよこの野郎!」


 俺はクレイの肩を掴んで揺する。クレイはカラカラと笑っている。


 というと、そうか。シグとの戦争前あたりか。あの戦争は、起こる時点で色々進路が内定してたし、クレイはその時点で、カルディツァを離れることが決まっていたのだろう。


 っていうか、当時一瞬クレイの恋文を透視した覚えがあるんだよな。もしかしたら、よく読み込んだら結婚のそれこれとか、そこに書いてあったのだろうか。


 内容が甘ったるかったから、名前だけ確認して見逃してやったのが仇となったか……! 俺は口惜しさに歯噛みする。


 一方クレイは、俺の反応に可笑しそうにしながら、軽い調子で謝ってくる。


「はははっ、ごめんごめん。ただ、すでにウェイド君が結婚の準備を整えてる最中だったからさ。そこに水を差しちゃいけないと思ってたら、ズルズルタイミングを逃してね」


「く……そ、その気遣いは嬉しいけど……! ともかく、おめでとう! 色々終わったらちゃんと祝わせろよ!」


「もちろん。で、ウェイド君に、少し頼みたいことがあってね」


 クレイが横目で俺を見るのに、俺は答える。


「分かった。何だ?」


「ふふ、即答か。ウェイド君らしいや。……実は、僕がカルディツァから出立する日にテレスから教えられたんだけどね」


 クレイは、膝の上で手を組んだ。よく見ると、その手は少し震えている。


「……僕、父親になるらしいんだ」


「……」


 絶句。


 絶句である。


「……やるぅ……」


「もちろん、覚悟はできてる。稼ぎもあるし、順風満帆だ。けど、初めての子だし、僕の生い立ち、そしてこれから挑む難事のこともあって、少し、怖気づいてる自分がいる」


「……あ、ああ」


 何だか、クレイが人生の大先輩に見えてくる。年は一つ違うか違わないかくらいのはずなのに。


 い、いや、俺にもモルルは居るんだけども。こう、あまりにも育てやすかったというか、子育て難易度ベリーイージーというか。困ったのは初期の食費くらいだったし。


「それで、頼みと言うのはね、……ウェイド君。君に、僕の最初の子の、名付け親になってほしいんだ」


 それを聞いて、俺はパチクリとまばたきする。


「……そんなことでいいのか?」


「うん。君に、どうしても頼みたい」


 何でか知らないが、妙に真剣に頼み込んでくるクレイに、俺は肩を竦める。


「なら、受けないわけには行かないな。代わりと言っちゃなんだけど、俺の初めての子が生まれたら、その時はクレイに名付け親を頼んでいいか?」


「……! い、いいのかい? それは、何というか、願ってもないことだけど」


「はははっ、何だよクレイ。大げさだな。俺たちはもう家族だって話、前にしたばっかじゃんか。今更名付け親だの何だの、このくらいは軽い頼みごとだろ」


 俺は笑いながら、クレイと肩を組む。


「何なら、俺の子とクレイの子で、許嫁にでもするか? クレイのとこの子供なら、ウチの子供を任せてもいい。って言っても、まだ一人も生まれちゃいないけどな」


「モルルちゃんは?」


「モルルはダメ。まだ小さいから」


「生まれてない子はもっと小さいじゃないか」


 二人して、くくっ、と笑う。ま、どちらにせよしばらく後の話だろう。


 というか、まだまだ戦いがある中で妊娠したら、大変なことになる。これでも結構気を付けているつもりだ。


 ……気を付けてるつもりなんだけど、みんなお盛んなんだよな……。俺も欲望に負けることは多いし。少なくとも、帝都攻略までは問題ないと思うんだが……。


 それはそれとして、だ。


「……ふふ、はは、あははははっ」


 クレイは、何だか心底嬉しそうに笑う。


「そうだね。そうすれば、本当に僕らは家族だ。実にいい考えだよ、ウェイド君。何だか、未来が今までより、ずっとずっと、待ち遠しくなってきたな」


「だろ? 我ながらナイスアイデアだ。となると、今の内にガンガン稼いで、子供の結婚式代くらいポンと出せるくらいにならないとな!」


「いいね。僕の子と君の子の結婚式か。何だかワクワクしてきたよ」


 カラカラと俺たちは笑い合う。


 世界蛇を倒した直後。俺は血まみれ、クレイは土まみれ。地獄の底、ニブルヘイムの吹雪は今日も激しい。


 それでも俺たちの将来は、こんなにも明るく輝いていた。

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