第426話 ファミリア

 その日のクレイは、ひどく忙殺されていた。


「ふ、はははっ。これは、流石にやることが多いね……!」


 商人ギルド陥落後。魔王軍前哨戦前夜。


 つまり、商人ギルドを掌握しながら、急いで魔王軍に攻め入る人材を確保しなければならないという修羅場のことだ。


 朝も夜も、ずっと駆けずり回っていた。バザールの東に行ってはギルド加盟済みの悪魔を捕らえてムングに投げ、西に行っては人員募集の張り紙を張った。


 ウェイドが表で強敵をバッタバッタと薙ぎ倒していくのならば、クレイはその下支えをしていた、というところだろう。特に、多くの人が絡む場面では。


「ふぅー……」


 そんな風にして限界ギリギリまで働き、疲れ果てた深夜のこと。


 酒場エリアには誰もいない。明かりも自分のテーブルだけ。そんな寂しい空間に、クレイは一人テーブルに突っ伏していた。


「いや……ハハハ。ホント、ウェイド君についてこなきゃ、こんなことは出来なかったね……。商人ギルドを数人で掌握するとか……魔人を数百人動員して、攻め入らせるとか……」


 いい経験をさせてもらっている、と思う。自分に向いている、という感覚もある。だがそれと同じくらいに、許容量ギリギリの仕事量だとも。


 たまには親友ことウェイドに愚痴りたいところだが、あっちはあっちで作戦立案に懊悩している。残された時間も少ないし、そっとしておく必要がある。


 だから、クレイは深夜、一人でテーブルに突っ伏していた。


 そんなクレイに、ふと、足音が近づいてくる。


「……あなたは」


「よう、お疲れさまだな。クレイさんよ。こんな夜遅くまで、ご苦労なこった」


 そう言いながら暗がりから現れたのは、ムングだった。その腕には、いくらか酒が抱えられている。


「……おひとりで?」


「バッカ、んな訳ねぇだろ。今一番忙しい俺たちで、ちょっとくらい晩酌としゃれこもうと思ってな」


「ははは……。そうですね。明日も早いので、付き合い程度でいいなら」


「ああ。自分もそう深酒をするつもりはねぇよ」


 ムングは起き上がるクレイと同じテーブルにつき、その猫背を伸ばした。それから、コップを二つ置き、両方に酒を注いでいく。


「稼ぎが飛び切り良くなったからな。良いの買ってきたぜ。いやまったく、忙しさはさておき、良い思いをさせてもらってるな」


「ムングさんは優秀ですからね。それでなくとも、魔人にしては倫理感があって付き合いやすい」


 ムングが酒を注ぎ終わる。簡単に「「乾杯」」とコップをぶつけ合って、二人ともコクコクと飲み始める。


「ぷはーっ。ふぅ、やっぱ酒はいい。と、そういやクレイさんらは人間だって話だったか」


 ムングはコップを揺らし、中で揺れる酒を眺めながら言う。


「そうだな、魔人同士はよほど気に入らない限りは、奴隷以外とはつるまない。信用も無理だしな。……実際、元の暗殺ギルド付き調教師組合でもよ」


 皮肉っぽく笑って、ムングは切り出す。


「多忙に続く多忙だったから逆にうまくいってただけで、魔人関係は結構薄かったんだぜ。その点、こっちは何つーか、どいつもこいつも馴れ馴れしいな」


「ははは、そうかもしれませんね。結構みんな世話焼きと言うか。首を突っ込んでくるでしょう」


「ああ。ウェイドさんは好奇心旺盛っつーか、ちょこちょこ話を聞きに来るし、ウェイドさんの嫁さんらも、サンドラ以外、飯時は甲斐甲斐しく動いてくれるしな。隅っこの二人は無愛想だが」


 話を聞いて、クレイはククッと笑ってしまう。


 ウェイドが誰とも仲がいいのはその通りだ。人懐こいというか、素で好意を寄せて接してくれるのが分かるから、話していて気分がいい。


 嫁、つまりアイス、トキシィも、表向き愛想がいい。仲間を気に掛けて世話を焼くくらいするだろう。サンドラ以外、というのも実に正しい。


 そして隅っこの無愛想、というのは、恐らく師匠二人のことか。あの二人は、人間ではあるものの、精神性は魔人に近い。基本的に、他人に興味がないのだろう。


 身内の話を他人の口から聞くのは面白いな、なんてことを思いながら、クレイは「他の人はどうですか?」と話を促す。


「そうだなぁー……。それで言えば、何つーか、ここの魔人連中は変だな」


「変?」


「人間連中の愛想がいいのは、まぁ何となく分かるんだ。聞かされて納得感もあった。けど、同時に思ったね。じゃあこいつらは何なんだってよ」


「というと、ローロちゃんに、レンニル君、スールさんですか」


「ああ。あいつら、自分に妙に絡んできやがる。魔人の癖に馴れ馴れしくて、何つーか、こう、……戸惑う」


「というと」


「まず、ローロだ。あいつ、あんなガキの癖に、妙に自分を甘やかしてくる。『ムングおじさん頑張ってるね~』だの『無理しちゃダメだよ~』だのと」


「へぇえ。そんな風にローロちゃんが接するのは、ウェイド君やレンニル君くらいのものだと思ってましたが」


「ウェイドさんへのそれと、自分へのそれは違うとは思いますがね。それで言ったらレンニル兄さんもそうだ。『困りごとはないか?』だのとよく様子を聞いてくる」


「兄、さん……?」


「そう呼べってんですよ、本人が。ただまぁ……思ったより違和感がなくて、そう呼んでる。逆にスールさんは二人とはちょっと毛色が違うが、ケケケ、金払いがいいな、奴さん」


「金払い。ああ、服とか買ってもらってましたね」


「他人に奢られるなんて、何百年ぶりだって思ったもんですわ。しかも中々の高額物品。嫌そうな感をしてましたが、普通なら死守もんですよ、自分の金なんてのはね」


 困った風に言いながらも、ムングはまんざらでもない、という顔をしていた。クレイは、揶揄うように言う。


「そんな風に言ってますけど、嬉しそうじゃないですか」


「嫌とは言ってねぇってんですよ。だがなぁ、こう、分かるでしょ? 自分はよ、ほら」


 ムングは一口酒を煽ってから、言いにくいことを吐き出すように続ける。


「他人を食い物にして、この城下街を生きてきた身だ。情なんてもんは魔物にでも食わせとけってのが信条でやってきたんだ。どれだけの魔人を泣き叫ばせてきたのかって話だ」


 また一口、ムングは酒を煽る。胸のわだかまりを、酒に任せて吐き出そうとするように。


「そうやって、罪を重ねながら、ずっと一人で生きてきた無頼がよ。こう……いきなりこんな、あったかく、まるで家族みたいに迎えられるなんて思ってなくて、つまり」


「戸惑う、と」


「……そうだ。食い扶持がなくなって、新しい食い扶持でビジネスライクにドライにやってこう、ってところにこれですぜ」


 コップの酒を飲み干してから、ムングは、ふ、と自嘲するように鼻で笑って、言った。


「そりゃあ、戸惑っちまうよ」


 クレイはそれを聞きながら、酒瓶をムングのコップに傾ける。それから自分でも、コップに口を付けつつ話す。


「……魔人っていうのは、家族は居ないモノなんですか」


「ほとんどはそうだ。偶に貴族、悪魔とかが、分け身で家族ごっこをしてるときがあるくらいのもんで。城下街では少なくともそうっつーか」


 ムングの物言いに、クレイはチビチビ飲みながら考える。


 それから、口を開いた。


「ファミリア、という考え方があります」


「は?」


「血の繋がった、あるいは婚姻関係での家族ではなくとも、家族のように親しくしている相手。それをファミリアとして尊重する。そういう概念です」


「……おう」


「家族ではない。けれど、ファミリアとして傍にいる、という見方ですね」


 クレイの説明に、ムングはまだ胡乱な目を向けている。だが、続く言葉で、それは変わった。


「事実、僕はウェイド君たちにとって、そう言う立場だと思います」


「……へぇ?」


 クレイがそう自認することで、ムングに興味の色が差してくる。


「僕はウェイド君に惚れこんで、仲間としてここにいる。けれど僕は異性愛者だし、愛する人もいる。かつてはただ仲間でしたが、女の子たち三人が、全員ウェイド君の嫁に、家族になってしまった」


「お、おう……それは、何つーか」


「ええ。やっぱり寂しさはありましたよ。仲間の内、家族じゃないのは僕だけだ。ウェイド君の家族にとって邪魔なら、距離を取った方がいいか、なんてことを考えたこともあります」


 でも、とクレイは続ける。


「ウェイド君は、僕を家族だと言ってくれた。もちろん事実としては違う。けれど、家族にはなれなくても家族同然、という事を言葉で示してくれた。それが僕は嬉しかった」


「……ウェイドさんは、人たらしだねぇ」


「はははっ。まったくだ。ですから、僕はあんまり、そういうことは悩んでないんです。自分はここにいて本当にいいのか、とか。家族でもないのに、とか。そういうことは」


 クレイの物言いに、ムングはからかう。


「そう言ってる時点で、少なくとも一回は悩んだのが透けて見えますぜ」


「ははは、そうですね。でも、僕はもう乗り越えた」


 クレイは、くい、とコップを大きく傾ける。中身を飲み干し、椅子を引いて立ち上がった。


「ムングさんも、周りが温かく迎えてくれて、自分が嫌でないなら、ファミリアになるのがいいと思います。生き様で負い目があっても、好意まで拒むことはないでしょう」


 では、とクレイは手を振りムングと別れた。ムングは「あんがとさんだ、クレイさんよ」と寝室に向かうクレイに礼を言った。






 クレイは、目を開ける。意識が現実に戻される。


『ぐぅぇー……』


 クレイはテュポーンの体の中にいた。そしてそのテュポーンは、体の大部分を砕かれ、その全身をヨルムンガンドの尻尾で巻き取られている。


「ケケケ、クレイさんよ。この場は自分の勝ちみたいだな」


 ヨルムンガンドは、先ほどまでと全く違って、自我のはっきりした物言いでクレイをからかった。


「前に教えてもらった『ファミリア』って話。ありゃあ胸に響きましたぜ。お蔭で、胸を張って嬢ちゃんに力を貸せた。迷って後悔なんてせずに済んだ」


 だから、とヨルムンガンドは続ける。


「安心してくんな。自分は、すべきことをしますよ。どう転んだってクレイさんらを不幸にゃしねぇ。だから、ここは大人しくしててくださいや」


「……そんな言葉で、納得すると思っているんですか……!」


 クレイが強く言い返すと、ムングは皮肉っぽい微笑を浮かべて、そっと目を伏せる。


「ま、アンタらが憎くてこんなことをし始めたってんじゃないことは、分かってほしいんですがね。説得は難しいってか。しゃーねーな……」


 ヨルムンガンドは、静かに呟く。その思いのほどは、クレイにはまだ推し量れない。


 だが、クレイとて負けるわけには行かない。このまま、ヨルムンガンドに吹っ飛ばされた親友を、このまま負けさせておくことはできない。


 だからクレイは、機を待った。大人しくする振りをして、必ず訪れる好機を。

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