第424話 クライナーツィルクス
アイスたちはキリエを保護して、どうにかローロを撒くべく逃げていた。
「……まずい。情報優位が、完全に取られてる」
そう呟いたのは、アイスだった。
四人は荒れ放題のサーカスから非難してスラムに入り、今は坂を上がって魔王城方面へと進んでいた。
今は、奥まった廃墟群の、辛うじて崩れていない瓦礫の中だ。キリエを含めた四人で、アイスたちは身を休めていた。
アイスが歯噛みするのは、ローロのその、情報巧者ぶりについてだ。
とにかく、徹底して自分の情報を掴ませないことに長けている。幻覚を操り、言葉に虚実を織り交ぜ、神出鬼没を気どり、一手でこちらを混乱に陥れる。
「目、痛い……」
目を瞑ってしかめ面をするのは、サンドラだった。
サンドラはアジナーチャクラ、という魔でローロの幻覚を見破るたびに、ローロにチャクラごと目を潰されている。お蔭で目元は血まみれだ。
「あーあー……、サンドラ、大丈夫ー? ほら、おめめ開けて。ちょっと染みるよー?」
「目薬こわい……。ひゃんっ」
「はいパチパチしてー。っていうか眼を潰されるのが怖くないのに、目薬怖いのおかしくない?」
「戦闘中の怪我はコラテラルダメージ」
「言いたいだけでしょそれ。はい見せてー。よし、治ったね」
トキシィがサンドラの目を治しながらあやしている。この二人のやり取りは、いつも和むな、なんてことを思ったりする。
にしても、侮っていた。アイスはそう思う。ローロは確かに、前から賢かった。だが敵に回ったとたん、ここまで猛威を振るうとは思わなかった。
「こっこかな~?」
ローロが踏み込んでくる。それにアイスは氷兵を召喚し、素早く切り伏せる。だが、ローロの姿は、切り伏せられると同時、霧と消えた。
直後アイスの背後から、声が聞こえるのだ。
「みーつけたっ。にひひっ♡」
振り返る。何もいない。アイスは歯噛みし、考える。
慌てるのはトキシィだ。
「あっ、アイスちゃんっ、見つかったって! ローロめ……! 早く逃げないと!」
立ち上がり言うトキシィ。それにサンドラも追従する。
「目、治ったから行ける。次はどっちに行けばいい?」
アイスは思考する。ローロの今までの言動、幻覚。深呼吸をして、言う。
「ううん……! 動かなくて、いい、よ。多分、見つけたって言うのは、ブラフ。前に見せられた幻覚で、居場所の分からないわたしたちを、釣り出そうとしてるんだと、思う……」
でなければ、見つけた、だなんて相手に伝える意味はない。
ローロは賢い。賢いという事は、合理的な判断の下、ローロの動きを逆算できるという事でもある。
対応に氷兵を使ったのは幸いだった。氷鳥のバードストライクで爆発させれば、居場所はバレていただろう。だが氷兵の攻撃は音がほとんど出ない。
だから、ローロも『見つけた』だなんて幻聴を聞かせたのだ。幻覚でも釣り出せなかったから、幻聴で釣り出そうとした。二段構えだった、というわけだ。
「……そ、そう、なの……? じゃあ、ここはしばらく、安全……?」
声を上げたのは、キリエだった。アイスは「うん……!」と力強く頷く。
ひとまずは、ここに隠れていられるだろう。ウェイドは今、ヨルムンガンドと相対しているはずだ。ローロを自分たちで対処できない以上、ウェイドを待つ必要がある。
それに、キリエは険しい表情で、長く長く息を吐いた。それから、「リィル……ガンド……」と呟き、涙をこぼす。
ここまで、追い詰められる一方だったのだろう。その過程で、仲間を二人も失った。
魔人にとって、離別は人間よりも縁遠いもののはずだ。その分だけ、キリエは傷ついている。
「……その、何て、言えばいいのか」
アイスは、これまで幸運にも、親しい人を失う経験をしていない。パーティメンバーが危ういシーンはあったが、それでも今は、全員健在だ。
だから、身内を失ったキリエに寄り添う言葉を、アイスは持たない。
しかし、そんな気遣いそのものは、キリエには伝わったようだった。
「……人間って、優しいね。魔人ならさ、泣いてるような奴は動きが鈍ってるから、袋叩きにして売り払うところだよ」
泣き笑いをして、キリエはそんなことを言う。アイス含めた三人は、そこまでの非道は流石に考えたこともなくて、口を閉ざす。
「魔人は、さ。血の繋がりなんか無いし、結婚とかも別にしないけど、さ。でも、ずっと一緒にいる間に、家族だなって思える相手が見つかることもあってさ」
キリエは、その場にうずくまり、体育座りのようにして、膝に自分の顔を隠す。
「リィルとガンドは、キリエにとって、家族だったんだ……。なのに、どっちもなくしちゃった……」
語るキリエの手は、震えている。キリエは、涙声を押し殺すようにして言う。
「リィル、助けてあげたかったなぁ……。悲鳴が、聞くのもつらくてさ。でも、ガンドが『ダメだ』って。『助けに行ったら一緒に掴まるだけだ』って」
それは、そうだろう。サンドラが駆けつけた時にはもう食われていて、そこに現れるのがフェンリルである。逃げる以外に選択肢はなかった。
「それで、必死に一緒に逃げて、次はガンドがあんなことになっちゃってさ……。もう、キリエは、キリエは一人ぼっちだ……」
キリエはあふれる涙を拭いながら、独り言のように呟いた。
アイスはいたたまれなくて、そっとキリエの隣に座りなおし、「その……ね?」と言葉をかける。
「二人は、どんな人……だった、の……?」
何か話していれば、いくらか気が紛れるかもしれない。たとえ、失われた人の話でも。
そんな思いでアイスが話題を振ると、キリエは沈黙しながらも、少し口端に笑みを湛えて、話し出す。
「……リィルはさ、すっごい甘えん坊で。人前じゃお姉さんぶってたけど、ちょっと困るとすぐに『キリエー! 助けて~!』ってさ。奴隷商から助けて以来、ずっとそんなで」
獣人少女リィル。レンニルに食われた、フェンリルの分け身。
「キリエの、可愛い妹分だったんだぁ……。助けて、あげたかったなぁ。あんな、辛そうな悲鳴上げてさ、最期まで、キリエが助けるって、信じてたんだよ……?」
そこまで言って、キリエは涙を拭う。アイスが問いかけた理由が分かっているのだろう。それ以上は語るまい、と話を変える。
「ガンドは逆に、しっかりしてたなぁ……。元はね、ガンドはサーカスにいたパパの商売敵の仲間で、敵だったんだ……」
団長キエロとの出会いの方が、キリエにとっては先のことで、その活動の手伝いで敵として知り合ったのが、ガンドだったという。
「いやーもうさ、ガンドのとこ、メチャクチャしぶとくって……。何度襲っても逃げられるし、こっちも襲撃かけられるしでさ。当時は本当に嫌いで……」
だが、ある吹雪の日に、ガンドがキリエの前に単身で現れたのだという。
「ガンドのとこの親分が、ガンドたち部下を奴隷にして売り払う予定を立ててたらしくってね……。それで、ガンドが裏切って、連中の居場所をこっちにチクって、おしまい」
その情報をきっかけに攻め込んで、団長キエロ率いるサーカスは、歓楽街の覇者になったのだという。
だから、ガンドはサーカスに温かく迎え入れられた。先の抗争の立役者として。
「表向きは、ね……。でもやっぱり、裏切り者は裏切り者だからさ」
一度裏切った奴は、何度でも裏切る。人間にとってはどこかで聞いたような文句だが、魔人にとってもそれは同じ事。
事情はどうあれ元の組織を裏切ったガンドは、サーカスの構成員として働きつつも、どこか避けられていた。それにガンド自身も、深く踏み入ってこようとはしなかったと。
「気になって聞いたんだ。そしたら、『裏切り者の自分には、サーカスの隅がお似合いだ』って。自分でそんなこと言う魔人、見たことなくてさ。だから仲間に入れたんだー……」
仲間。つまりは、巨大なサーカスというくくりではなく、もっと小さな括り、クライナーツィルクスの仲間として。
「そう言う成り行きだから、ガンドはホントしっかり者でね……。キリエは、お兄ちゃんみたいに思っててさ。けど、リーダーとしてキリエのことを尊重してくれて……」
じわ、とキリエの瞳に、再び涙がにじむ。
アイスは遠くから聞こえる、ヨルムンガンドが起こす地響きを聞いて、「その、ね?」と問いかける。
「ヨルムンガンド……あの、大きな蛇。何だか、聞いた話と違くて……あれは、何があって、あんな風になっちゃった、の……?」
キリエは、涙のにじむ瞳でアイスを見る。それからしばらくして、キリエはこう言った。
「……ガンドは、抵抗したんだよ」
「抵、抗……?」
「うん……」
キリエは言って、目を伏せる。
「キリエとガンドは、ローロたちから、一生懸命に逃げ回ってたんだ」
今となっては、ローロも油断ならない実力者だ。現に二人、左大将シリーナにリィルとやられている。
だが、先にローロ陣営で離脱したスールとレンニルは、中でも飛びぬけて戦闘能力、捕縛能力に長けていた。
だからあの二人が先に抜けたことで、何とかキリエとガンドは、サーカスで逃げられていたという。
「地の利があった、って言うのもあったしね……。でも、今みたいにローロは、惑わせて来るのが上手くてさ。ガンドが蛇の人に掴まっちゃった……」
蛇の人、というのは、ムングのことだろう。スラム一の調教師ムング。苦労人のやり手調教師。
思えば、ムングもさほど、ローロに付き従う理由のない人物である。だがこうしてローロについて回り、ガンドを捕らえた。
「キリエ、ガンドまで失って、全部失って、それでも生きてる意味、分かんなくてさ……? だから、ガンドが『逃げろ!』って言うのも振り切って、助けようとしたんだ」
だが、助けようとしたキリエを見て、ガンドは強硬策に出た。
「……自分を捕まえてる蛇の人を、ガンド、先に食べ始めたんだよ」
そして、一瞬遅れて、ムングの方もガンドを食い始めた。起こったのは、異例の踊り食い合いである。
「……それで、ヨルムンガンドは、あんな風、に?」
「多分ね……。ヨルムンガンド、だっけ? 北欧神話の、大きな大きな怪物。それが、伝承通りの姿になってないのは、ガンドの最後の抵抗があったから」
伝承にはない、あの双頭の姿は、新しく生まれたヨルムンガンドが、食い合いの結果生まれた証拠。
巨大すぎるヨルムンガンドは、両端の頭がいがみ合い、敵対している。
それは、ウェイドが苦戦していた場合に、一つの突破口になり得る。そう考え、アイスは通信指輪をこすり、通信を試みた。
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