第419話 やられ役は慣れたもの

 アイスたち三人が歩いてくるのを、フェンリルはいきなり迎え撃つという事はしなかった。


 お互いに、会話の通じる距離。そこに至るまで、フェンリルはじっと待っていた。身を屈め、なるべく地面に顔を近づけて、三人を見つめていた。


 そうしてアイスたちが立ち止まるなり、フェンリルは言った。


「……見損ないました。まさかご主人様が、守るべき相手に助けられた挙句、その相手に守られようだなんて」


 フェンリルは呆れと軽蔑を込めて、三人を見下ろした。いいや、三人の奥にウェイドを見透かして、そう言ったのだろう。


 アイスは言う。


「フェンリルくん。わたしたちね、怒ってるの。本当に、怒ってるんだよ」


 穏当な物言い。だが、その表情をして、フェンリルは口を閉ざす。


「わたしたちは、確かにウェイドくんに守られてきた。けど本当はずっと、ウェイドくんのことを守りたいと思ってた。わたしたちがウェイドくんを守れなかったのは、弱かったから」


 アイスは、周囲に氷鳥を飛ばす。多人数戦ならともかく、たった一人の強大な敵相手ならば、きっと氷鳥の方がいい。


 トキシィはいつものように、ヒュドラの幻影を出して、その羽を広げた。ふわ、と飛び上がる。だが、それだけではない。自らの神を殺して得た権能を、いまだ隠している。


 サンドラは、体に紫電を纏わせ、拳を開閉して調子を確かめていた。サンドラは唯一、ただ実力のみで魔法印を完成させた。本物の天才。ウェイドに唯一素で並びつつある一人。


 アイスは手を振り、氷鳥に命令を出しながら、告げる。


「もう、弱いのも守れないのも、嫌。わたしたちは、あなたを倒すことで、わたしたちの強さを証明する」


「なら、やってみてくださいよアイス様ッ! ―――支配領域『ファング・オブ・フェンリル』!」


 叫びながら、フェンリルはアイスたちに襲い来た。大口を開け、巨大な牙でもって三人丸ごと食い殺そうとしてくる。


 それにアイスはただ、氷時計を砕き、言うのだ。


「支配領域『ヘルヘイム』」


 時が、止まる。氷時計を中心に、一定の空間すべてが凍りつく。


 それは、トキシィもサンドラも同様だ。『ヘルヘイム』は、アイス以外の存在の動きを決して許さない。それは、アイスが望んでも同様だ。


 だから、アイスは氷兵を作り出し、二人を抱えて移動させる。二人は驚くだろうが、あらかじめ言ってあるので、何度か繰り返せば慣れるだろう。


 一応、と氷鳥をフェンリルの傷目がけて飛ばすが、ろくに刺さりはしなかった。もっと消耗させなければ、アイス一人でフェンリルを倒すことは敵わないだろう。


 簡単には行かない。アイスは考えを巡らせながら、自身もこの場から離れていく。











 ハッとした瞬間、すでにアイスたちは眼前から消えていた。


「チッ……! やっぱりだ。ヘルの支配領域。ってことは、何だ? アイス様、ヘルを食ったのか。でも、人間が魔人を食って魔術を奪えるもんか? 分からん……!」


 フェンリルには分からない。だが、どちらにせよ、すべきことは変わらない。


「三人を倒して、ご主人様を殺す」


 ご主人様、つまりウェイドを殺さなければ、あの三人は殺せない。ローロからそう言われているから。


 ……意図は、分かっているつもりだ。フェンリルとて、ローロのお願いに反して動くつもりはない。


 ウェイドたちには、こうして戦っている今でも、感謝と親愛の情しかない。憎くて戦っているわけでは、決してないのだ。


「で、ここからどうするか」


 あの三人が見つかるまいとしているなら、別にフェンリルから積極的に探す動機はない。


 襲われれば対処すればいい。どちらにせよまだ三人のことは殺せない。最初は必ずウェイドだ。だから、ウェイドを探すのが、最優先となる。


「けど、その方法がな……この体は鼻が利くが、人間ってのは小さすぎる」


 集中して嗅げば、どうにか見つかるか。フェンリルは地面に鼻を近づけて、スンスンと鼻を鳴らし―――


 襲撃を、知る。


「リベンジマッチだ、犬っころ」


「外神話の主神が、出張ってくんじゃねぇってんだよ!」


 放たれる雷の焦げ臭さに、フェンリルは高く跳躍して回避する。からの、反転。神を宿したサンドラに噛みつこうとして。


「支配領域『ヘルヘイム』」


 跡形も残さず、サンドラの姿が消える。


「くっ、どこからどう支配領域を展開しやがっ」


「こっちだよっ」


 強烈な殺気に、フェンリルは振り返る。そこにはトキシィと、見慣れない魔法陣と、そこに伸ばされる幻影のドラゴンの首たち。


【ドラゴン・ブレス】


 真っ白な光線が放たれるも、回避。フェンリルはやはり、その高い身体能力で回避する。


 同時、回避できる、とフェンリルは思う。ウェイドの嫁三人は、ウェイドとは違う。


 人間の身でありながら、フェンリルとの勝負で上をいき、よく分からない方法で確実に追い詰めてきたウェイドとは。


「勝てる、いいや、勝つ」


 回避から、反転。フェンリルはトキシィに向かって牙を向けて食らいつき。


「支配領域『ヘルヘイム』」


 やはり、どこからともなく響いたその声に、トキシィがその場から消え去る。


「――――ッ! クソ! アイス様が居なきゃ、絶対に倒せてたってのによ!」


 フェンリルは怒り心頭だ。唸り、それから息を吐いて冷静さを取り戻す。


「逆だ。俺の牙を食らえば一発でダウンするってわかってるから、必死に逃がしてる。つまり、誰でもいい。誰か一人落とせば、そこから崩せる」


「本当にー?」


「ああ、ほん、と、う……」


 どこからか分からない至近距離から聞こえた声に、フェンリルは答える。だが、それがどこからか、という疑問に気付いて声の方を見て、絶句した。


 トキシィの小さな体が、フェンリルの口の中からひょこっと飛び出ている。


「え、は? いや、は?」


「あっはははははは! 隙だらけだよ、フェンリル」


 直後襲い来るは、全身に走る強烈な不快感。


「ぐ、が、な、何が……!」


 フェンリルは全身に力が入らないままに揺らぎ、横倒しになった。下敷きになった建物が砕ける。トキシィはいつの間にかフェンリルの口の中から這い出ている。


 そして、どこか熱に浮かされたような、高揚した声色で言うのだ。


「やーっぱり! やっぱり私の、私たちの毒は、どんな相手でも効く! 神殺しの毒に、神の毒の合わせ技! 即効性の麻痺毒! 体がおっきいから計算大変だったー!」


 くるくるとトキシィはフェンリルの体の上で踊りながら、そんな風に笑った。フェンリルは体を必死に起こしながら、牙をむいて唸る。


「トキシィ様よぉ……、アンタ、余裕過ぎですよォッ!」


 体は言う事を聞かない。ならば、言う事を意地でも聞かせるだけだ。


 フェンリルは死力を振り絞って、意思の力で跳ね上がりトキシィに食らいつく。


 ―――まずは一人。運命を無効化してダウンさせた。後は殺さないように吐き出して―――


 そう思っていたら、トキシィがフェンリルに噛まれながらも、変わらない調子でケラケラと笑っているのに気付く。


「ひゃー! フェンリルに噛まれちゃったー! あっはははははは!」


「……は、は、ぁ? な、なん、何で、アンタ」


「何で? 何でって言うのは――――」


 トキシィは嗤う。フェンリルの牙に触れ、撫で、そして、


 霧散した。


「こういうことだよ」


 直後耳元で聞こえた声に、フェンリルは首を振った。「あっはははははは!」という声が遠ざかっていく。


「なっ、何だ。何が起こってるんだ。トキシィ様はどこに行ったんだ。俺は確かにこの牙で」


「犬っころ、今度こそその足、揺るがせてくれる」


「ッ!?」


 気づいたら飛び込んできていたサンドラに、フェンリルは力の入らない体で跳躍する。しかしその程度ならば、サンドラは、サンドラに宿る主神は狙いを外さない。


「雷霆ケラノウス! 貫けぇっ!」


 暗雲が垂れ込める。放たれるいくつもの雷が空中で縒り集まる。そしてフェンリルの体を、盛大に貫く。


「ギャァアアアアアアア!」


 その衝撃に、フェンリルは叫んだ。全身が痺れる。麻痺毒に重ねて、体に感電による麻痺が走り、より体がフェンリルの言う事を聞かなくなる。


「ぐ、ぅ……! こんな、この程度、クソ……!」


 フェンリルは唸る。そして、その場にダウンした。


 体に、力が入らない。まだ戦える、という意思に反して、全身が痺れてまともに動かない。


「はははっ、犬っころめ。ようやく我が雷にひれ伏したか」


「サンドラー、その口調どうにかならない? 何かこう、違和感すごいんだけど」


「ノリの良さが重要なのだ、娘。思い切り『我はゼウス!』とやると力の同調がいい。同調し過ぎると半分程度乗っ取られるが」


「何その魔法こわ……」


 フェンリルの様子に、トキシィとサンドラの二人が現れる。勝ちを確信したのか、トドメを刺すように悠々と近づいてくる。


 フェンリルはそんな二人を見て、内心で舌を打った。


 アイスは、まだ姿を現さないか。ならば、まぁ、良い。この二人を先に下すだけだ。


「グレイプニール」


 どこからともなく現れた紐、グレイプニールが油断して現れた二人を拘束する。


「っ!?」「しまった」


「勝負事で油断したら……ダメじゃないですかぁっ!」


 グレイプニールが、二人を振り回す。近くの建物に強く叩きつける。建物の壁でその体を擦り削り、めちゃくちゃに打ち付ける。


 多少頑丈でも、ウェイドに自分がやられた攻撃とほとんど同じだ。これが効かないはずはない。


 そうしてひとしきり終わってから、殺してはいないか、とグレイプニールを寄せて確認した。


 二人ともぐったりしている。小さいから確認しづらいが、微妙に呼吸で動いている。きっとまだ死んではいない。


「よし、これで最後は、アイス様一人――――」


 そう思った瞬間、グレイプニールで拘束した二人が、爆発した。


「ッ!?」


 フェンリルは爆発に面食らってのけぞる。何だと思って見て見れば、拘束していたはずの二人が、氷の塊となってポロポロと砕け落ちた。


「は……? な、何、今の、まさか―――」


「うん。そうだよ。わたしの魔法」


「っ、アイス様!」


 頭上に立っていたアイスに、フェンリルは体をよじって振り払おうとする。だがアイスは、人間の膂力では到底不可能な負荷に耐えながら、フェンリルの体にしがみついている。


「フェンリルくん。あなたは強い、ね。その体も、グレイプニールも、支配領域も強い。だから徹底して安全な距離で暴れさせてもらった、よ。それでね、分かっちゃった」


「なっ、何が分かったって言うんですか! 降りてくださいよ!」


 言いながら、フェンリルは頭を振る。だが、アイスは簡単なことの様にしがみ付き続けている。


「フェンリルくん。あなたは、普通の方法じゃ絶対に倒せない。サンドラちゃんの攻撃でも、トキシィちゃんの攻撃でも、もちろんわたしの攻撃でも。だってほら、もう立ち上がれるくらい回復してる」


 言われて、フェンリルは口をつぐむ。


 そうだ。アイスの指摘は正しい。フェンリルは、この体になって以来、ずっと成長を続けている。


 その過程で、雷も毒も、ちょっとした時間があれば回復してしまう。もちろん毛はどうにもならないので、焦げたり血がこびり付いていたりするが、その下は無傷だ。


 だからフェンリルは思う。気づかれたか、と。


 ウェイドの攻撃でもギリギリのところで耐え続けたのは、この性質故。そして今倒せなくても諦めないのは、成長を続ければいずれ倒せると考えているから。


 アイスは、言う。


「だから、あなたを倒す方法は、致命打を入れてから氷漬けにして、辛うじて死なないだけの状況を作ること。原型が残っている内は、きっとあなたは倒れない」


「は? いや待ってくださ」


「ううん、待たないよ。フェンリルくん、わたし、最初に言ったでしょ……?」


 アイスはフェンリルの目を覗き込み、ふわりと微笑んだ。


「わたしたちはね、怒ってるんだよ?」


 アイスが、爆発する。


「ガァアアっ!」


 目に氷の破片が大量に刺さって、フェンリルは叫んだ。しかし、成長する体の影響で、すぐにその傷は癒え、痛みもなくなる。


 それから、フェンリルは舌打ちした。


「チッ、種がバレたなら、やられっぱなしの振りはもうヤメですわ。ここからは、ガンガン攻めさせてもらいますよ」


 スン、と鼻を鳴らす。嗅覚は、先ほどよりも何倍も冴えるようになった。今ならば、ウェイドを探し出すこともできるだろう。


 駆け引きは終わりだ。ここからフェンリルは、すべてを蹂躙してウェイドに辿り着く。


 フェンリルは、その巨体でバザールの街並みを駆けまわり始めた。

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